【信仰者が進む目標】 ヘブル11章39~12章13節

2017年11月5日

 10月31日は何の日でしょう、多くの方はハロー・ウインとお答えになります。キリスト者でも宗教改革記念日と知らない人もおられます。1517年ルターがウインテンベルグの城教会の扉に95条の論題を張り出して、ローマの教皇の免罪符販売を攻撃し、人は功績によらず信仰のみによって救われると主張して聖書を正しい信仰の唯一の基礎として信仰改革を打ち出した5百年記念日です。これを契機としてヨウロッパが近代化した事はご存知のとおりです。

 ヘブル11章1節に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する事です」この信仰は人には本来ないものですが神様に求めると与えられるものです。イエス様は『求めなさい。そうすれば与えられます』とおっしゃいました。さらにヨハネ16章23~24節『・・・はっきり言っておく。(アーメン アーメン αμην αμην)あなた方が私の名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなた方は私の名によっては何も願わなかった。ねがいなさい。そうすれば与えられ、あなた方は喜びで満たされる』と具体的に言われました。

 旧約の人々はその信仰の故に神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。彼たちは預言者が語る約束のメシヤ救い主を求めていたが手に入れることが出来ませんでした。11章39~40節「この人たちは全て、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は私達の為に、さらに勝ったものを計画して下さったので、わたしたちを除いては、彼等は完全な状態に達しなかったのです。

 神の一人子を人としてこの世に遣わされ、万人を救うため贖罪の十字架を信じる者に与えてくださった。その流された血によって旧約で約束された救いが実現したのです。12章1節「こういうわけで、わたしたちもまた、この様なおびただしい証人の群れに囲まれて(ネフォウス パプテュローンνεφυσ μαρτνρων証人が雲のように)私たちを囲んでいると述べています。

 私達は多くの主イエス様の救いに預かった信仰の先輩たちに囲まれて見ている前で、一切の重荷と絡みつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの人生の競争を、耐え忍んで走りぬかねばなりません。その目標は信仰の導きてであり、その完成者であるイエス様です。彼は自分の前に置かれている喜びの故に、恥をもいとわないで十字架を忍び・・・

 2~7節 私達は主の十字架によって現在約束を成就していただき完成を目指して先輩方の励ましを受けて人生の荒海を乗り越えてイエス様を目標として歩み続けるのです。この先輩方の中に懐かしい人人を見出します。私達はその方々を記念してここに集まりました。先輩方との主にある交わりと信仰を覚えて感謝します。