日本ホーリネス教団
元住吉キリスト教会

 

2007年のメッセージ

【異邦人を照らす啓示の光】 ルカ二章22節〜32節

 老祭司ザカリヤの一人息子ヨハネの割礼と命名は大勢の人によって盛大にその儀式は執り行われました(ルカ一章57〜66)。それに対して、主は誕生して八日目に割礼を受け、天使から告げられた通りイエスと名付けられました。律法に示されているように「初めて生まれる男の子は皆、聖別される」ために、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえに献げる為にエルサレムの神殿に来ました。恐らくヨハネの犠牲は一才の子羊一頭であったでしょう。貧しいいヨセフたちには律法の貧しい者に許される鳩を献げて聖別の捧げものとしたのです。

 それでも幼子は信仰深い二人の老人から大歓迎を受けられました。一人はシメオン、他の一人は女預言者アンナです。シメオンは主のつかわす救い主に会うまでは死ぬ事はないと、聖霊の示しを受けていました。その彼がイエス様を抱いて神を讃美しました。「主よ、あなたのみ言葉どおりにこの僕を安らかに去らせてください。私の目が今あなたの救いを見たのですから。これは万民の為に整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」29〜32節と述べ、母マリヤに「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」と預言しています。

 敬虔で信仰深く聖霊に満ちた彼は、イエス様にイスラエルだけの救いではなく、万民の救いを、ユダヤ人が蔑視していた異邦人にまで及ぶ事を見抜いていたのです。メシヤは神の選民である自分達の為だと誇っていたのですが、(旧約をそのように解釈していた)シメオンはイスラエルの救いのみではなく万民のためにイエス様がおいでになったと声高らかに讃美預言するのです。

 84才になる女預言者アンナは、神殿を離れず、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えていた神殿やもめです。彼女が近づいてきて神を讃美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人達(メシヤ待望者)皆に幼子のことを話しました。

 シメオンは将来起こる出来事を、信仰の目で今、現在、ここで、万民の救いを見たと述べます。信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する事ですとヘブル書は述べます。幼子イエス様を救い主だと見て信じたその信仰の秘訣は祈る事にあったと思います。

 イエス様は通常に人が踏むべきことは皆行われました。当時のユダヤ人と同様に八日目に割礼を受け、四十日目に聖別の為の犠牲を献げられ、おそらくシナゴーグ(会堂)で旧約聖書を同年齢の人たちと学ばれ、ヨセフに教えられつつ、大工仕事を身につけられました。少年イエス様はヨセフが死んだ後、母マリヤや弟妹たちを養われたのではないでしょうか、弟妹たちに手がかからなくなったので三十のときご使命の為立ち上がられました。

 主イエス様は生きる悩みをつぶさになめられ。私たち人間のすべてをご経験されそのご経験をもとに私達の祈りを執り成しておられます。私たちは如何に小さく思われる事でも、行動しなければ主に倣うことは出来ません。シメオンの信仰、アンナの宣教も私達は模範としなければならないでしょう。





【ベツレへム(パンの家) 】 マタイ二章1節〜12節

 去年新聞を見て驚きました。それはイスラエル軍の戦車群がベツレへムを包囲しているとの記事です。イスラム過激派が生誕教会に立てこもっているとの事です。平和の君の誕生地が争いの場所になったということで、まさに現在の世界の情勢を物語るものです。ユダヤ人はイエスさまを預言者の一人と認めるものがいくばくかいる程度の事ですので、砲撃するだろうと思っていたところ攻撃しました。

 ベツレへムはダビデ王の生誕地でもあります。ここはルツの義父エリメレクの故郷であり、ルツは姑ナオミに従ってベツレヘムに移り住み、ダビデの祖先となりました。この地にメシアの降誕がミカ五章2節に預言され、イエス・キリストのご降誕によって実現されました。レヘムはパンの意味です。東側にある段々畑はルツが落穂を拾った場所であり、ゴッホの画材にもなりました。そこには生誕教会がたっています。

 学者たちが尋ねてきたとき、ミカの預言は多くの人に知られていました。勿論ヘロデもその事を知っていた事でしょうが、猜疑心の強い彼は祭司長や律法学者達(サンヒドリンの議員達)を集め確かめています。そうして占星術の東方の学者達をひそかに呼びよせ「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と言ったがヘロデの心にはどす黒い計画が潜んでいました。学者達は星に導かれ、幼子を拝み、宝物を献げた。神様より彼達にヘロデのところに帰るなとのお告げがあったので、別の道を取って帰って行きました。

 神様はヘロデの悪巧みから逃れさせる為、学者達が去るとエジプトに逃れる事をヨセフに命じられました。ヨセフは直ちにそれに従い慌しく、直ちに出立した。エジプトでの生活に学者達の献げものが如何ばかり助けになった事でしょう。私は礼拝献金月定献金のたびにこの献げもののことを思いだします。学者達は宝の箱から献げましたが、十字架で救われた私たちは「自分の身体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」ロマ十二章1節。主の血で洗われ全く聖くされた身体を献げる生けるいけにえの印として献金をするのです。私達は感謝して献金をなし献金できる者とされたことを実感するのです。

 主はヨハネ六章48〜58節『私は命のパンである。あなたたちの先祖は荒野でマンナを食べたが、死んでしまいました。しかし、『これは、天から降って来たパンであり、これを食べるものは死なない。私は、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世を生かす為の私の肉の事である』そうなのです。レヘム(パン)を宿すベツ(家)なのです。私達の体は、聖霊の宮なのです。主がご降誕なさった所は、石灰岩をくりぬいて作られた洞窟状の馬小屋だといわれます。傾斜しているところですので、馬小屋の上に家があります。あたかも私のように家の下に作られた馬小屋のような存在を聖めてくださり神の宮としてくださったのです。どのように感謝しても感謝しきれるものではありません。

 一方ヘロデは怒りと不安の中で、ベツレヘム中の幼子を虐殺しています。彼は自分の権力の座を脅かすとて、妻マリアムネ義母アレキサンドラを殺し、長男と他の息子二人をも殺害するほどでしたので、博士達からユダヤの王はどこで生まれたかの質問の答えが幼児虐殺となったのです。しかし神はいち早くヨセフに命じてエジプトへと逃れさせました。私たちが神様に従う時想像もできない方法をもって私たちを助けてくださいます。神の子とされている事を、クリスマスに改めて、お互いは幸いだなと寿ぐのです。クリスマスおめでとうございます。





【近い隣人としての友人】 箴言27章1〜10

 『あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家に行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる』

 孔子の弟子たちが書いた孔子との対話や彼の生活を述べた論語に、益者三友という言葉があります。交際して利益のある友人には3種類あります。直(正直)諒(誠実)多聞(博学)な友人、それに対して損者三友、交わって損する便辟(ベンベキー安易な道をとる)善柔(ゼンジュウー他人にこびる)便佞(ベンネイー口先だけ巧みな人)があります。その友人対してヨハネ15章13・14『私の命じることを行うならば、あなた方は私の友である』と十字架にかけられる前夜に弟子達に遺言を残されました。その主のみ言葉の前にただひざまずくのみです。

 父なる神様は御独り子を私達の真実の友として私達に与えてくださいました。この友は神様が私たちに与えてくださった賜物であり、恵の手段でもありました。遺言の中で『人が友のために自分の命を捨てること、これより大いなる愛はない。あなた方に私が命じる(12節)事を行うならば、私の友である』とおっしゃって、私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさいと勧められたのです。

 私たちは主の命令を実践する時に主にあって、友となりお互いが兄弟姉妹になるのです。御霊がお互いのうちに宿り神の宮になります。神様から与えられた賜物・恵を手放したとするならば私達の身体は神の宮から単なる肉の宿に落ちぶれてしまいます。神様は私たちを選び出されて、神の子となさり、聖霊の宮としてくださったのです。

 ピリピ2章6〜8『キリストは、神の身分でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした』主のご降誕について、このような神様のご愛と御子の人間としてこの地上で経験なさったことが、私達の祈り、生活全体を支えてくださっていることを理解する事が大事です。その主を救い主としてそれぞれのうちに与えられた事を感謝するのです。神様に愛され、主イエス様の犠牲によって神の子とせられ、お互いが兄弟姉妹として愛し合えるこの関係を作ってくださったのがクリスマスです。

 主イエス様は私たちを友と呼んでくださいました。そこには私達のために祭壇のもとにご自分の血を注いで犠牲となられたからです。レビ記を見ると細かい犠牲の捧げ方が記されていますが、十字架との共通点は先ず犠牲の血を祭壇に注ぐ事です。私たち一人一人はあの十字架で流された血によって罪が赦されまったく聖い者とされ、神様の前に立ち得るものとされたのです。

 私は今癌の治療の過程で肉体は貧血状態ですが、精神的にはいつも主の血をいただいてすこぶる元気です。秘訣は主との交わりを欠かさず大事にしている事です。主との交わり祈りは、私にもあなたにも与えられる感謝が満ち溢れ、喜びに顔を輝かせ希望に満ちた日々を送るようにしてくださるのです。





【永遠の命を得よ】 ヨハネ3章1節〜15節

今年の初め頃、在米の方からメ−ルがきました。クリスチャンのスピリチャル・カウンセリングを薦められたのですが、どのようなものですかとの質問です。私はこのスピリチャル・ブームが日本にも入りつつあったことを知っていましたので、ついに来たかと思いました。霊的ということが教会外で語られ始めると、ようやく聖霊の働きが日本の教会でも語られ信じられていられるようになったのに、戦中・戦前のように誤解され敬遠されては困るなと感じていたのです。すでに霊感商法で被害を受けた方々が大勢居られるのに、占い師、自己啓発、などを用いての働きに惑わされ、金品を失い、人生を狂わせられる被害が、TVなどの影響を受けて広がっています。

 ヨハネ3章はイエス様とサンヒドリン(現在の国会と裁判所を兼ねた所)の議員で、ユダや人の指導者ニコデモとの対話が述べられ、霊的と肉的の誤解が根深く息づいている事を知る事が出来ます。

 ニコデモは人目を避けてでしょうか、それとも昼間は群衆に囲まれておられる主と個人的に話す事が出来なかった事からか、夜主を訪ねました。パリサイ人は一般的にはイエス様に敵意を抱く偽善的な宗教家達ですが、彼はイエス様の言行に神様から遣わされ、神様が共に居られる事を見抜いていた人でした。彼が神の国に入るにはどのようにし、永遠の命に与るには如何様にしなければならないかとの教えを受けにきた事を承知された主は、『よく(アメーン)よくあなたに言っておく。誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない』とお答えになりました。

 神の国とは、神の主権が確立され、神の御心が行われる社会です。そのためには上から、神の霊によって超自然的に誕生しなければならないのです。新しく生まれるには、16節『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る為である』神様が、世の人々(罪人)を救う為に、十字架に聖なる完全な犠牲としてつけるべく独り子を遣わされたのです。その事によって、罪と死の中にある者の為独り子を遣わされて神の愛をこの世の万民にお与え下さったのです。

 この世に人としておいでになり、十字架上で犠牲として捧げられた主は、私のためであったことを信じるものに与えられるのが永遠の命でした。旧約聖書のレビ記などに示される。燔祭 愆祭 酬恩祭 揺祭などの際、犠牲の羊、ヤギ、鳩、小鳥など、犠牲の血を、祭壇の基に注ぎ、肉は祭壇のうえで焼いた。その犠牲は捧げ続けねばならなかった。しかし主の十字架上の犠牲は一回限りです。それが私のためであつた事を信じ告白する事によって新しく生まれ(新生)、永遠の命に与るのです。

 キリスト教の本質はこの3章16節が語っています。また聖書全体がこのみ言葉によって言い表されていると言っても過言ではありません。5節・6節『誰でも水と霊によって生まれなければ、神の国に入れない(水の洗礼と、聖霊の洗礼、きよめられる)』『肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である』霊から生まれることが新しく生まれることです。お互いこの待降節に霊の満たしを受け新生し、御霊の洗礼に与りましょう。





【私は香柏の家に住んでいる】 歴代志上17章1節〜15節

 マタイ25章36節〜46節『羊飼いが羊を右にヤギを左に置く。・・・これらの小さい者の一人にしなかったのは、私にしなかったのである。そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の命に入るであろう』。この主イエス様のみ言葉の後弟子達に『あなた方が知っている通り、二日の後には過越の祭りになるが、人の子は十字架につけられる為に引き渡される』と言われた御言葉を、このダビデとナタンの会話とヤァウエーの神のみつげを告げられるところを読んでいる時に思い出していました。

 イスラエルの民は、出エジプト以来40年の年月荒野をさまよい、ようやく約束のカナンの地に定着する事が出来ました。彼達は荒野の天幕生活をやめ、それぞれに家を建て生活も一応安定した。そうして指導者として王を立てることが許されました。その王のため近隣諸国の王宮に見劣りしない王宮を当時の建設の最高級の木材レバノン杉(香粕)で建築し、ダビデ王が住まいとしていた。その事で彼は神の箱がいまだに幕屋の中に置かれていることを常日頃、心苦しく感じていました。

 十七章一節王は、預言者ナタンに「見よ、私は香柏の家に住んでいるが、主の契約の箱は天幕のうちにある」と言った。神の宮を宮殿以上のものとして建てたいという彼の意思が感じられたのでしょう。ナタンは賛成して「神があなたとともにおられるから、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」と言いました。彼がナタンによい計画を相談したのは、神のみ許しを得ない事はどんなに良い事でもなしてはならないという彼の神に対する誠実さからきています。

 その夜ナタンに神の言葉が臨みました。4節『言ってわたしのしもべダビデに告げよ・・・私の住む家を建ててはならない。私はイスラエルを導き上った日から今日まで、家に住まわず、天幕から天幕に、幕屋から幕屋に移ったのである。わたしがイスラエルと共に歩んだすべての所で、・・・・・14節』とダビデに伝えられました。

 神はご自分を民と同じようにその中に住み、その苦楽を共になさるお方であることが、ダビデの神殿建設をしようとの計画は無用であるとナタンを通してのお答えでした。聖歌の99「馬槽の中に」貧しき憂い、生きる悩み、つぶさになめし、この人を見よとクリスマスに讃美しますが、三位一体の神、主イエス様の姿が、幕屋に住むと宣言なさるヤァウエーの神なのです。

 この神様の前に自分だけ香柏の家に住むことは心苦しいとダビデは感じているのです。私達は注意しないと自分の為には最善のものを選び、神のためには適当にお茶を濁す程度にしか献じません。自分の贅沢の為には香柏の家を建てますが、神を礼拝するためには天幕しか建てることをしません。自分は贅沢三昧の中にあっても幕屋の至聖所に犠牲が捧げられません。レビ記を見ると犠牲の動物は完全・最善でなければなりません。主の家の窮乏の為、祭司がいなくなり、犠牲が献げられず、ついに神殿の機能を失いました。それゆえにイスラエルは捕囚となりついに流浪の民と化してしまいました。

 私達は今自由を謳歌しています。わたしも学生時代には自由に趣味の旅に、スポーツに、野外活動をと楽しみました。しかし戦争と戦後のどん底で信仰に立ち返りました。その後不思議と自分を喜ばせる事に後ろめたさを感じるようになり、ダビデが神殿建設をしなければと思い、ナタンも即座に賛成したその気持ちがよく分かり納得した生活が出来るようになりました。それが不器用な牧師生活の有様となりました。





【イスラエルよ聞け】 申命記6章1節〜9節

 4章1節で、モーセは民を集めて教えと戒めを行う事を勧め、出エジプト20章にて彼を通して与えられた十戒が、5章で改めて述べられました。それから6章1〜3節「これはあなた方の神、主があなた方に教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなた方が渡って行って獲る地で、これを行わなければならない。」と述べ、十戒を守る事が祝福される事だと断言します。

 これらをあなた方の子や孫と共に守るべきことを示し、4節「イスラエルよ聞け(シェマー)・・・」と続きます。ユダヤでは、シェマーと言えば、毎日朝夕の礼拝の中で唱える日々の祈祷書にもあるほどです。原文は「ヤァウェ・われわれの神・ヤァウェ・一人」と四語で述べられています。一人(エハード)は一人のみを意味します。「われわれの神、主(神)は唯一の主(神)である」その主なる神を、あなた(個人)は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛さなければならない・・・・」全身全霊を持って主なる神を愛さなければならないとの厳命です。この愛はヘブル語でアーヘーブ神が人を愛する時に用いられる言葉で、新約のアガペーに相当します。親たるものはまず自分自身が神を愛し神に愛される信仰生活をしなければならないのです。

 主イエス様がマルコ12章28節〜30において律法学者の質問に対して、戒めの第一としてここを指摘して、「『イスラエルよ聞け。主なる私達の神は、ただ一人の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』第二はこれである(レビ19章18)『自分を愛すようにあなたの隣人をあいせよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。とお答えになっています。主が言われるとおり、旧新約聖書の戒めはこれに尽きます。特に自分を愛し得ない者は隣り人を愛し得ない。主に愛されている自分を認め愛しなければ神様を愛する事が出来ないのです。

 世界には十数万の法律がありますが、主のご指摘通りこの二つに纏められます。キリスト者は細かいおきてに縛られるのではなく、この二つを中心にのびのびと楽しく過すのです。続けてモーセはみ言葉に聴き従っていく道を具体的に示します。まずこの言葉を自分の心に留め、親たちは子供たちに何度も何度も教えなければならないのです。

 7・8・9節と日常生活の中で、主を愛し、主のみ言葉に従う方法が事細かに述べられています。家庭教育の奥義でしょうか。30年ばかり前ですが、母が入院し寝たっきりになっている時に、家族4人が毎夜集まって祈りました。妻の好恵が入退院を繰り返すようになった時にもそれぞれ忙しかったですが、心を合わせて祈りました。この時ほど家族の心が一つとなり信仰に燃えた時はありませんでした。常日頃からこの二つの戒めを心に留めていたので心を一つにして祈る事が出来たのです。

 私はこのシェマーを読むたび毎に、私たち一人一人がこの二つのみ言葉に徹底する事だと強く感じます。これは人に要求する事ではなくまず自分自身のうちに徹底することだと自分自身に言い聞かせています。





【試みに勝つ秘訣】 マタイ四章一節〜十二節

 イエス様はヨハネによってバプテスマを受けられました。その時聖霊が鳩のように下られ『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う神の声が聞こえ、ご使命を果たすべくイエス様は十字架の道へと進まれました。それからすぐに、御霊が主を荒野に連れ出しました。そこでサタン(反対、攻撃するもの、告げ口するもの、悪魔)の誘惑を受けられました。これは神のみ旨でした。試みるもの(悪魔)は神の僕として主が任務につくことを拒否なさしめようとしたのですが、主はこの試みに打ち勝ち、十字架における世人の救いの為に直進なさったのです。

 主が試みに勝たれた方法は、第一に孤独の中でまず神との関係を確立されたことです。私たちが過ちを犯すのは、一人静かに神の前に立つ機会を持たない事です。物事から退いて祈りの時、神と過す時がないからです。第二に主はバプテスマを受けられる事によって、神の子として歩み始められた直後に、人として犠牲と忍耐の愛の道をとるか、或は神の子として偉大なる力を用いて人々を屈服させるか、神の御心にそう使命はどの道であるか、サタンの誘惑の前で決断なさったのです。第三聖霊に満たされ神の子と宣言され非常に高揚なさった後サタンの誘惑があったのです。

 私たちが希望の学校に合格、よい会社に就職できた。地位が上がりました。祈り望んでいた婚約・結婚が成立、人生の目標が達成できました。洗礼を受けて神の子とされた喜びそのような心の高揚感後にサタンの最大の誘惑が来るのです。

 創世記に、アブラハムが九十九才、その妻サラが89才の時イサクが与えられた感謝と喜びの生活の中で、その一人子イサクをささげよとの神の命令により、モリヤ(後のエルサレム)の山で犠牲にささげようとしました。が、それを免れる事が出来ました。アブラハムは人間的愛と、神に従はねばと言うはざまで、いかに苦しんだでしょうか。神がこの子を通して民の祝福の基とするとの約束を信じて、まさに殺そうとした瞬間、代わりの雄羊が与えられました(二十二章)(ヘブル十一章十九節)。これは父なる神が独り子イエス様を十字架につけた時の父なる神とイエス様の預形です。 

 第四に神のみ言葉を蓄えている事です。主イエス様が人間としての最大の誘惑を退けられたのは皆み言葉でした。具体的なことは次の機会に学びますが、聖書の通読がどれほど大きな働きをするのかを知ってください。

 イエス様が荒野の誘惑を退け試みに勝たれたのは、基本的に神にいつも祈られたことです。福音書には主が大きな愛の業をなさった後、寂しい山辺に湖畔にゲッセマの園に退かれて祈られている事が述べられています。お互い共に祈りあいましょう。





【父の家を離れ】 創世記12章1節〜9節

 この箇所を読んだ時ね何故か敗戦の翌年の2月の事を思い出し頭から離れませんでした。午後から夜にかけて兵事部のアルバイトをしていました。ある日「引揚者名簿を米軍に至急出さなければならないから頼むぞ、米海軍の船が四・五日後に出るから」と言われ名簿を渡された。その最初に占領軍の必要な人物は引き上げ延期としてありました。その中に母が助産婦と看護婦の欄に乗せられているのでびつくりしました。めくると私の町の名簿です。私の名はあるが母の名は抜かされています。弟が予科練で入隊、特攻隊に編入され連絡が取れなく生きているなら早く見つけなくてはと毎日心配する母を残して私だけ帰るわけには行きません。急ぎの仕事ですので引き上げ名簿に母の名を押し込んで書類を作り、日本語の名簿にもいれ、ばれずに何とか乗船しました。すべてのものは捨てました。アブラムが『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい』と神のお告げを受けて、急いでハランを出発したときのようです。私はリュック一つとあと一つの荷物と千円だけ、おそらくアブラムもそれに近い形であったことでしょう。

 十一章までは人類一般のことを創造以来の出来事として述べ、創造された人間の事実を語り、歴史そのものが神の業であると語られました。12章からイスラエルの歴史へと展開されています。ここに始まったイスラエル民族の歴史はアブラムを通してすべての民の祝福の基となる約束が成就する歴史でもあります。アブラハムの生涯は約束の地を中心として、激しい動きの中に生きています。彼はウルの地で生まれ父とカナンの地に行こうとハランについてそこに住み着き、父テラは205才でそこで死にました。

 そのような時神はアブラムに言われました。『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私の示す地に行きなさい。・・・三節』彼は主の言われたようにいで立ちました。アブラムの兄(ウルで死んだ)の子ロトは彼に同行しました。

 テラはウルで偶像に染まっていたのでそれから逃れる為かカナンを目指したが、ハランに腰をすえました。その時アブラムに神のお言葉があったのです。彼はその時75才でした。それ以後の彼の生涯は旅の連続といってもよいが必ずカナンに帰っています。彼はウル、ハラン、カナン、エジプト、カナンと激しく動いているが神の約束の地はカナンでした。彼はセムの子孫の一人として神に従い、父テラの偶像に従わなかったので、アブラムに神は語り、テラもカナンを目指したが脱落したのでしょう。偶像から逃れられなかったテラに神は語らず、アブラムを約束の地へと導かれました。そのため彼は多くのもの、親しい人々から(その人たちの偶像からも)離れなければなりませんでした。そして主の示す地に命令通りに出て行くのです。カナンの方向であることは分かるが彼には未知の地です。今まで住んでいた地は外面的には繁栄していた所だが、偶像礼拝の支配する地でした。繁栄と共にすべてを捨てて、どこにすむべきか知らないが、神が最高の地へと導かれる事を信じての出発です。信仰の父の出発です。

 現在の日本の国は経済的には繁栄し、私たちは文化文明の発逹の恩恵に浸っています。しかし多くの人々は政治・思想・人生に不満を感じつつも、生活していると言う状況です。ややともすると私達もこの世の偶像(名誉、物資的豊かさなど)を追い求め、いつの間にか世の人々と変わりない生活に陥りがちです。その時主のみ言葉がアブラムと同じように臨みます。『・・父の家を離れ・・・』と。

 信仰生活の基本は捨てるべきものは捨てて身軽になることです。そして最善をなしてくださる主の指し示す方向に進む事です。私は献身する時、名誉欲、趣味(旅や生物研究)など捨てました。それが出来た事がいかばかりか信仰生活にプラスになったことでしょう。





【天国(主の御許)と地獄(永遠の滅び)】ヨハネ黙示録21章1節〜8節

カソリック教会では、死んだ人は煉獄に行って生前の行為によって償いをしなければならないが、殉教者、献身して司祭・修道僧・修道尼になった者はまっすぐ天国に行くことが出来ると説きます。しかし聖書の語る旧約時代は、全員黄泉に行き新約に入ってはイエス様をキリストと告白したものは召されて直ちに天国に行くが、キリストと告白しなかった者、福音を聞いたことのない人は黄泉(陰府よみ)に行って最後の審判まで安ろうていると言います。私たちは聖書・神のみ言葉のみを信じる者達です。

 サムエル上二八章では、サウロ王が変装して口寄せのところに出かけ、死者のサムエルを呼び出して「ペリシテ人が戦を起こしたが、神が私を離れて・・・・・」その際サムエルはサウロ王に「何故わたしを呼び起こして、わたしを煩わすのか」と不機嫌な様子を見ます。選民たちが黄泉で休んでいるサマはこれ以外にも数多く見ます。

 新約ではイエス様がルカ十六章十九節以下にラザロと金持ちのたとえ話を語られています。アブラハムの懐と黄泉にいて苦しむ金持ちがそれぞれ黄泉にいる場所が示され語られています。キリスト者でも誤解している方が居られますが黄泉と地獄は違います。ギリシャ語では黄泉をヘデス、地獄をゲヘナと厳密に分けています。最後の審判の時主が話されたように右と左に羊と山羊を分けるようなものと、黄泉にいる者の天国行きと地獄行きのことが語られています。

 一方福音を聞くことが出来ず、十分理解できずに黄泉に行った人に対する神様の愛を見ることができます。ペテロ第一の三章十八〜四章六節「・・霊においてキリストは、捕われていた霊たちのところへ行って宣教されました。・・・(三章十九節)」。「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのである(四章六節)」。黄泉にいる人が主の三日間の宣教を聞き、或いは生前に聞いた主の福音をわずかでも思い出して主の十字架にすがり救われる事を示しています。私たちが伝道をなし、証をすることは実に大きな意味を持っています。愛する方々に福音を伝える大事さを理解してください。

 私たちは礼拝のたびに使徒信条を告白しています。その中に「主は十字架につけられ、死にて葬られ、黄泉にくだり、三日目死人のうちより甦り」とあります。この三日間主は何をなさっていたのでしょう。福音を宣伝えられた(ギ・ケーリュソー)のです。福音を信じない者は黄泉に下ります。生前中になした行いに応じ、それぞれの場所におかれます。ヨハネ五章二五節「・・・・よくよくあなた方に言っておく。死んだ人たちが、神の声を聞くときが来る。今すでに来ている。そして聞く人は生きるであろう」

 先に召された方々も、常に福音を語り証をしておられました。そして今主の御許に憩われています。私たちも先輩諸兄姉の信仰の足跡に倣ってこの地上の馳せ場を走り抜かなければなりません。私たちは信仰の証人たちに雲のように囲まれて応援され励まされている事を忘れてはなりません。この事が私たちが敬愛した先輩たちに答えてゆく道です。





【信仰とその実行】 ヨシュア記6章12節〜27節

 神様を信じているならその神様を分からせてくれなど、言われて閉口した事がありました。見せたり理解したりする事が出来るなら信じる必要はないでしょうなどとその場は済ませてしまいましたが、この事は古来からの問題であったが故に、神学や哲学が発展してきたのです。ヤコブが2章26節(共同訳)「魂のない肉体が死んだものであるように、行いの伴わない信仰は死んだものです」神様と共に生活し、そのみ言葉を実践しかつ行おうと勤める事が私達の信仰を人々に示す事です。信仰の証を通して神様を指し示すのです。

 出エジプトをした時、約束の地を偵察すべく、各部族より一名ずつモーセは選び斥候として派遣しました。40日その地をつぶさに調べ、その地はまことに乳と蜜の流れている地ですと、その地の果物を見せました。しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で大きくとの復命を聞いた民は嘆いて前進を拒みました。その結果一日を一年として四十年荒野を彷徨わねばなりませんでした。そして与えられた奇跡によって雪解け水で溢れるヨルダン川を渡渉して、約束の地に入りました。(ヨシュア記3章)

 彼たちの目の前には立ちはだかる高い城壁を廻らしたエリコの町が、前進を阻んでいました。出エジプトしたいくさびとたちは主に聞き従わなかったので、みな死に絶えていました。その子達は無割礼であったので、割礼を行いました。そしてエリコの平野で過ぎ越しの祭りを行いました。祭りの翌日、その地の穀物を食べた翌日から、荒野で彼達を養ったマナが降ることはやみ、その年はカナンの地の産物を食べました。

 エリコの町はイスラエルの攻撃に備え、門を固く閉ざしていました。主はヨシュアに言われました『見よ、私はエリコと、その王および大勇士を、あなたの手に渡している。3・4・5節』。ヨシュアはみ言葉を実践すべく祭司たちと戦人に命じました。町の周囲を回る時は、声を聞こえさせず、言葉を出してはなりません。バイ(枚)をふくんでと古語にありますが、夜襲の時敵に気づかれないように音を立てないように前進するサマです。エリコの住民は何事が起きるか不気味であったでしょう。それが六日間黙々と四・五十万の戦士が隊伍を組んで祭司の吹き鳴らすラッパに合わせて、町の周囲を巡るのですから、一方イスラエルの民は無意味そうな神の命令に従うのです。カナンに住む人々には出エジプトの出来事、特に紅海渡渉の事、今目の前で展開されたヨルダン川渡渉などでヤァウエーを信じる者達の信仰の力に圧倒されていたのです。

 神様にいかに力があったとしても、神様を信じ、それを行動に移さなければ、神様の力は発揮されないのです。イスラエルは神様の命令に黙々と従い行動しました。7日目には、夜明けに早く起き、同じようにして、この日は町を七度めぐりました。祭司たちがラッパを吹いた時ヨシュアは16節「雄叫びの声をあげよ、主はこの町をあなた方に賜りました。・・・ラハブたちをみな生かし、奉納物に触れてはならない・・・」祭司がラッパを吹き鳴らした時、彼達はいっせいに雄叫びの声をあげたので、城壁は崩れ落ちエリコの町は陥落しました。

 このエリコの町陥落はカナン中に響き渡り、その後の戦いは容易になり和睦を申し入れる民も出てきました。このエリコ占領は、私達の信仰のあり方を語っています。キリスト信徒の絶対数が少ない日本にあって、信じたことを生活で示さねばならぬことを語っています。人間的に見れば不可能なことでも、神様が命じ、共にいて下さるならば必ず出来ると信じ行動することがよい証になります。ピリピ4章13節「私を強くして下さる方によって、何事でもすることが出来る」信仰は実行で示されます。





【イエス様とバプテスマ】 マタイ3章13節〜17節

 イエス様の名によって求め、祈る事は必ず受け入れられます。その祈りが聞かれるには大きく分けると神のみ言葉によってお答えになることと、摂理によって神様のご計画通りに導かれお応えなさることです。そこにみ言葉を蓄える必要がありますし、神のなさる事は皆その時にかなって美しい(伝道の書三章)ので、その神の時を待ち、時来たらば直ちに行動するのです。祈りは必ず聞かれます(ヨハネ16章24節。14章14節、15章16節)。

 主はご自分のご使命を自覚なさって、その時を祈りつつ忍耐を持って待たれたようです。齢三十と言えば通常のユダヤ人は結婚して家庭を持っている筈ですが、主は額に汗して弟妹の為に働いていました。その主にバプテスマのヨハネのことが聞こえてきたのです。主は神の時が来たことをお知りになって、バプテスマを受けるためにヨハネのところにおいでになりました。ユダヤ人は選民であり、アブラハムの子は救いが約束されていたのでバプテスマは必要ないとされ、それまでユダヤ人は誰一人バプテスマは受けていませんでした。他の宗教の人がユダヤ教に改宗する時に行われていました。ユダヤ人はアブラハムの子孫であるゆえ永遠に選民の身分が保証されていると固く信じていたのです。今、はじめて、彼達が罪を認めて悔い改め神をしたい求める運動がヨハネによって展開されたのです。

 主はこの時機を待っておられました。人々が罪を自覚し、神を求める好機が来たのです。ご自身の生涯が旧約の預言の成就であると知っておられる主は、罪なき方であるに関わらず人々と同じようにそれを受けようとなさいました(ヘブル2章17節)。ところがヨハネは14節それを思いとどまらせようとして言いました。「私こそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが私のところにおいでになるのですか(11節)」私は悔い改めの為に、バプテスマを授けています。しかし、私の後から来る人は私よりも力のある方で、私はその靴を脱がせて上げる値打ちもありません。この方は、聖霊と火によってお前たちにお授けになるであろうといったように信じていたのです。しかし、イエス様は答え『今は受けさせてもらいたい。このように、すべて正しいことを成就するのは、われわれにふさわしい事である』と言われ、バプテスマを受けられました。すると、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ご覧になりました。また天から声があって言いました。『これは私の愛する子、私の心にかなう者である(詩篇二編7節)』。イエス様の公生涯の出発は神様の喜びでもあったのです。主はヨハネと出会い公の生活、ご使命に前進なさいました。ヨハネは天よりの声を聞くまでは自分より優れた人だと思っていたようですが神よりの聖霊に満たされた方だと認識しました。

 イエス様がかくして公の生活にお入りになったのは、長いその準備と共に、神様のご摂理のもとに導かれていた事を知る事が出来ます。

 わたしはトンネル陣地のどん底生活の中で主との出会いを経験しました。それはロマ書8章28節とガラテヤ2章19・20節によってでした。感激の余り生きて帰ることができたら献身しますと約束しました。ところが広島の大竹に上陸すると、献身する事から理屈をつけて逃げ回っていました。しかし結婚ということで安心しきった時、母と妻の好恵が二人で協力して支えるから献身したらどうかと提案され、これが神様の摂理ご計画だと観念しました。情けない事ですが神様の前に引き据えられての献身でした。今にして思えば献身しなかったら信仰生活から離れていた弱さを憐れんで下さったのです。それゆえいつもすべての事に感謝するように勤めています





【あなたがその人です】 サムエル記下12章1節〜14節

 「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ(1章6)」。名君ダビデに生涯付きまとった言葉です。預言者ナタンとダビデの話を見たとき、主の山上の説教のマタイ7章3節共同訳「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、何ゆえ自分の目に中の丸太に気づかないのか」のみ言葉を思い出しました。ナタンから富める人と貧しい人の話を聞いた(サムエル記12章)ダビデは富んでいる人のことを非常に怒って「・・その人は死ぬべきである・・・」とナタンに言いました。ナタンは「あなたがその人です」と王に言いました(1節〜12節)。

 11章を見ますと、ダビデ王は自分の犯した事は誰にも知られていないと考え、その犯した姦通罪を隠そうと画策しています。神の定めによると姦通罪は男と女は死刑となっています。ダビデは部下のウリヤ(ヤァウエーはわが光の意)将軍の妻バテシバ(誓いの娘)と、夫が前線で戦っている留守に姦通の罪を犯し、妊娠しました(5節)。

 それを知らされたダビデは、姦通罪隠蔽の第一の手段はウリヤを前線より呼び戻して戦況報告をなさしめ、家に帰し、生まれてくる子を夫婦の子と思わせようとしたが、将軍は部下と共に王宮の入り口に寝て家には帰りませんでした。第二の手段は、彼を招いて食事を共にし彼を酔わせて目的を遂げようと目論んだが、この日も部下と共に休んだ。第三の手段はウリヤの上官ヨアブに、手紙を書き、ウリヤの手に託してそれを送りました。手紙の内容は、ウリヤを最前線に出して討死させよという事です。彼は戦死しました。バテシバは悲しみました。喪が過ぎた時、ダビデは彼女を妻として召しいれました。表面的には合法的でしたが、そのことは主を怒らせました(27節)。

 主は預言者ナタンをダビデに遣わされました(12章1節)。ナタンは富める人と貧しい人の話をしました(2〜4節)。それを聞いた王は富める人の事を非常に怒って、ナタンに言いました。「主は生きておられる。その事をした人は死ぬべきである。かつその人はこの事をしたため、また憐れまなかった為、(貧しい人に)子羊を4倍にして償わなければならない(レビ記5章)」。

 ナタンはダビデに言いました「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこうおうせられる」と、神の彼に対する恵みを列挙しました。第一油注いでイスラエルの王としました。第二は主人サウル王のハーレムを受け継ぐ事で王位継承の印としました。しかし彼はバテシバ以外を妻としていない。第三イスラエルとユダの家を与えた。9節以下に彼の犯した罪をあげました。彼は十戒のうち三つ(第6戒、第7、第10戒)を犯しました。アンモン人の剣を持ってウリヤを殺し、その妻を取って自分の妻としました。単なる姦通罪ではありません。彼はハーレムに乙女を迎えられるのに、姦淫の罪だけではなく、殺人を伴った隣人の権利まで犯したのです。ナタンはそれらの罪を指摘しますが姦通罪が中心です。

 その指摘の前に王は「わたしは神に罪を犯しました」とナタンを仲立ちとして懺悔告白しました。この時の彼の心が詩篇51篇に歌われています。神はこの悔いた砕けたこころをご覧になってお赦しになりました(13節)。

 人は隣人を客観的に見ることができても、自分の罪、咎、欠点は見えないものである事を、このダビデの出来事は語っています。人間関係では咎になるものが、神の前では罪となるのです。





【差別を取り除く】 ルツ1章15節〜22節

 先主日に述べましたように、ユダヤの系図には通常女性は入れないのですが、イエス様の系図には問題の四人の女性が入っています。三節のタマル、五節のサルモンは遊女ラハブによるボアズの父、ボアズはモアブ人(異邦人)の女によるオペデの父、オペデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父でした。4人目は姦淫の罪を犯したバテシバです。

 民族の純化を目指す事は歴史に多く見ることができます。ユダヤ人には唯一のヤァウエーの神信仰を守るため他民族との結婚は喜ばれませんでした。他民族が偶像を持ち込む事を嫌ったからです。自分たちは神の選民であって、他民族は異邦人として差別していました。ところが彼たちが尊敬し、かつ神様がダビデの王座を永遠なるものと保障された王の家系に、彼たちが蔑視する異邦人がおり、タマルとルツはレビラート婚によって家系を維持したのです。

 ルツ記一章によると、さばきづかさ(士師)が世を治めている頃、国に飢饉があったので、エリメレク(私の神は王の意)妻ナオミ(快い、楽しみ)と二人の男の子マロン(病める者)とキリオン(消え失せる者)を連れてベツレヘム(穀物の地、パンの家)を去り、モアブの地に滞在しました。ナオミの夫は死に、成長した男の子はモアブの女、オルパ(雌鹿)とルツ(友情)とそれぞれ結婚しました。十年ほどして彼らも死んで3人が残されました。国の飢饉が去ったと聞いたので、ユダに帰る途路、ナオミは二人の嫁に「あなた方は、それぞれ母のもとに帰りなさい。・・・・主があなた方に夫を与え、それぞれ身の落ち着き所を得させるように」と言いました。オルパは姑と別れの挨拶をして去っていったが、ルツは姑を離れませんでした。

 そこでナオミは「ごらんなさい・・・相嫁(弟嫁)の後について帰りなさい」といいました。ナオミの指差す方向にはオルパの後姿が見える、その先には懐かしい故郷が有り、懐かしい肉親も友人もいました。そこでは再婚して幸せな家庭を持つことが出来るかもしれません。一方ナオミと共に行けば、異郷の地で孤独を味わうかもしれません。しかしルツはナオミとの人格関係を保ち、宗教的決断をも下したのです。ルツは「あなたを捨てあなたを離れて帰ることを私に勧めないで下さい。・・・あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。・・・・」ルツの決心を知った(1章16)ナオミは、その上言う事をやめました。

 旅を続けて、ついにベツレヘムに着いたとき、町中はこぞって歓迎し「これはナオミ(楽しみ)だ」と声をあげました。

 2章以下にレビラート婚により、ダビデ王の曽祖父オベデを産んで、イエス様の祖先となったと述べます(4章18〜22節)。

 ルツ記にはユダヤ人の異邦人に対する差別・偏見が取り除かれていることを見ることができますが、差別偏見は簡単には取れないほど深く根を張っています。新約でも多くの場面で見ることができます。しかし差別偏見も主の十字架によって完全に取り除かれました。主イエス様を私の救い主と告白する者は民族を問わず、すべて神の子としてくださり兄弟姉妹の交わりに入れてくださったからです。





【ラハブの信仰告白】 ヨシュア記2章1節〜24節

 50年ほど前の事ですが、米国のゴールデン・ゲイトと言う男性黒人の四重唱のグループが来てその中で「ジェリコ」を歌いました。黒人霊歌(ニグロ・スペリチャル)が聖書を見事に表現していることに深い感銘を受けました。現在日本の教会で伝道に大きな働きをしているゴスペルもこの系譜です。イエス様の系図でラハブを見たとき反射的にエリコ攻略に思いを致しました。出エジプトの民の前に立ちはだかったのは、紅海とその40年後のヨルダン川でした。神様の助けのみ手と彼達の信仰でそれらを渡渉乗り切りました。

 ヨルダン川を渡って2時間も歩けば、高い城壁に囲まれた堅固な町エリコに至ります。40年前紅海を渡り終えた時、各部族より選ばれた12名の若者がモーセの命令によってカナンの地に斥候として遣わされました。彼達は40日間かの地を探って、モーセ達に復命した。その際ヨシュアとカレブ以外の10人が進軍に反対した為、1日を1年として40年間荒野を流離わねばならなりませんでした(民数記14章)。

 ヨシュアはその時のことを思い出しながら、2名のものをエリコ偵察に送り出しました。モーセの後継者になった彼に神は共にいてくださると約束されていましたが、神様が助力してくださるとしても神の働きに人の努力働きは必要とされます。

 斥候達は安全に泊まれる宿として遊女ラハブの家を選びました。対岸に集結するイスラエルを見てエリコは緊張していました。2節、数名の者が町に入ったと告げる者がいたので、王はラハブの下に人を遣わして、探りに来た人を出せと命じ家宅捜索をしたが見出せず町の外に探しに行きました。彼たちが去った後屋上に干してあった亜麻の束の中に隠れさせた二人に、彼女は「・・・あなた方の神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。あなた方がエジプトから出てこられた時、主が紅海の水を干された事、および・・・それで・・・(9節〜14節)」この信仰告白と、エリコ攻略の際、自分たち一族を救って欲しいと願うのです。彼達はその願いを受け入れ、ヨシュアはそれを実行しました。

 ラハブの話から堅固な城壁に守られ難攻不落と思われるエリコの内部での動揺を知る事が出来ました。「主がこの地をあなた方に賜った事、民が恐れおののいている事」など二人は知る事が出来ました。40年前には表面的な事のみを見て失敗しましたが、このたびの斥候はラハブのおかげで内部事情を知る事が出来ました。その故もあったでしょう。神様の言葉を信じて民は行動し、神のご干渉による奇跡で城壁が崩れエリコを陥れる事が出来ました。

 神様のご計画、み言葉を信じて私たち信徒も神様の戦いに参加しなければなりません。神様の業であり御心であると知った時は、命を張ってでも自分に与えられた持ち場を確立しなければなりません。ラハブは信仰告白と同時に信じることに知恵を働かせ行動に移しています。そのことで神に選ばれ一族の救いがなされたのです。使徒16章31節「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」

 祈りが聞かれるにはまず神様の御心を知る、そして行動することです。





【アブラハム・ダビデの子】 マタイ1章1節〜6節

 旧約聖書の歴史をイエス・キリストの系図で知ることが出来ます。ユダヤ人は古くから旧約聖書を、トーラー(律法、通常モーセ五書)ネビム(預言書)ケスビム(聖文学)に大別しています。それはヘブル語で書かれています。新約は歴史書(四福音書、使徒行伝)手紙(弟子たちがイエス様はキリストですと説明)未来の事(ヨハネ黙示録)と私は大別します。新約はギリシャ語で書かれていますが、特にコイネーといわれる当時の手紙用語(話し言葉、・・・です調)で書かれています。

 このダビデの系図には四人の女性が(例外としてマリヤ)出ていますが、この四人はユダヤ人にとってヒンシュク(顰蹙)を買う存在です。A)3節タマル。ユダの長子エルの妻、カナン人、エルの死後、レビレート(申命記二五章五節)婚によって弟オナンの妻になったが、神の命令を無視したためオナンは死にそうでした。その弟シラは若いという口実でタマルは実家に帰されました。シラが成人しても父ユダが結婚させなかったので、彼女は遊女に偽装して舅ユダの愛を得、ベレヅとゼラの双生児の母となりました(創世記三八章)なお彼女はユダ族の系図に載せられている(ルツ記四章十二)。

 B)5節、ラハブはエリコの遊女、ヨシュアがエリコの偵察に派遣した二人をかくまいました。彼女はイスラエルの出エジプトを聞いて知っていました。彼女の機転によって二人は助かり、エリコ攻撃にあたり彼女と一族を救う約束をし、ヨシュアはそれを実行しました。

 C)5節、ルツはモアブ人。飢饉があったのでエリメレクは妻ナオミ、二人の男の子を連れユダのベツレヘムを去り、モアブの地に難を逃れました。夫は死にマロンとキリオンの男の子はそれぞれモアブの女を娶いました。オルパとルツです。ルツはレビレート婚によって、ボアズによりオペデを産みました。オベデはユダヤ人が尊敬し誇りとしているダビデ王の祖父です。ダビデの子孫から永遠の王座が据えられると信じられてもいました。

 D)6節、ヘテ人ウリヤ将軍の妻バテシバ、ダビデに犯され、後にその妻となります。ウリヤ将軍はダビデの悪の企みによる命令により最前線に立たせられ戦死しました。バテシバは夫の死を悲しみましたが、その死の喪が過ぎた時、ダビデの妻となり男の子を産みましたが、主の怒りを買いその子は死にました(サムエル後11・12)。

 ダビデの家系には男性中心の時代ですので通常は女性を入れないものですが、ユダヤ人が忌み嫌う女性を四人もマタイはわざと入れているのです。イエス様はアブラハム・ダビデの子と呼ばれています。旧約の預言を信じる者達は、イスラエルの民は神の選民でありその中からメシヤ(キリスト)が現れることを信じ待ち望んでいた。その方が、民の中の格差・差別を除くお方であることをこの系図は語っているのです。

 1)ユダヤ人と異邦人の差別。2)男と女の差別。3)義人、罪人の差別などを取り除れた事をこの系図は示しています。新約聖書の最初にこれがおかれているには意味があります。旧約特に預言の実現が新約で述べられる架け橋になり、まさに、新約で語る救い主イエス様がキリストであるとの序文でもあるのです。

 いつも語ることですが神様の言葉・聖書には意味のないものはありません。この系図が旧約全体を語り、イエス様がキリストであることが述べられている事に驚きを禁じ得ません。





【荒野より来た人】 マタイ3章1節〜12節

 説教題を「洗礼者ヨハネ」としていましたが、イザヤの預言「荒野で呼ばわる者の声がする」とあるので、表題のように変更しました。先週信徒の方からメールを頂きました。私が祈祷会で話した田中正造の映画が上映されている事と紹介のホーム頁のアドレスのお知らせでした。足尾鉱毒事件で渡良瀬川流域の農地が鉱毒にやられその毒水を処理する為に、谷中村を強制接収、遊水地を作ったことなど第一回の衆議院などで取り上げて日本で始めて環境問題を取り上げた人です。その映画の題が「赤貧洗うがごとき」副題は「野に叫ぶ人々の声」となっていて、田中正造はキリスト者でしたが、運動途中で客死した時持っていた合切袋には新約聖書とマタイの分冊と日記、二・三十銭などが入っているのみでした。私の亡き妻好恵の父がその運動に参加していた事など聞いていたので、以前から強い関心を持っていました。貧しくなった人々に代わって叫ぶ彼の姿とヨハネをダブらせて見ることができました。

 旧約の最後の預言者マラキから四百年の間、ユダヤには預言者の伝える神様の声が絶えていました。らくだの毛衣を着物にし、腰に、皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食事としていたバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを述べ始めました。彼は預言者イザヤによって「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたこのヨハネが「悔い改めよ、天国は近づいた」と預言の言葉を述べ始めたのです。このヨハネによって久しく絶えていた主の預言の言葉が、響いてきたのです。すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン付近一帯の人々が、続々とヨハネのところに出てきて、自分の罪を告白し、ヨルダン川でバプテスマを受けました。

 彼はこのとき悔い改めにふさわしい実を結ぶ事を、要求しました。群集は「それでは、私たちは何をすればよいのですか」と尋ねました。ヨハネは神より隔てていた罪を解決した者は、具体的行為によってその実を結ばねばならないと教え、「私は水でバプテスマを授けたが、私よりも力のある方がおいでになる。私には、その靴の紐を解く値打ちもない。この方は、聖霊と火とによってお前たちにバプテスマをお授けになるであろう。・・・・・」と伝えました(ルカ三章7節〜17節)。

 彼はいかなる人の悪も糾弾してやみませんでした。ユダヤ王ヘロデが妻のマルアムネとその母アレキサンドラを殺し、律法に反した不正に結婚した事を非難しました。その結果彼は投獄され彼の悪妻ヘロデヤの悪計で斬首されました。(マルコ六章17〜29)

 教会・キリスト者は、神に反して悪を行う事に対して断固として間違いを指摘しなければなりません。私は性格が弱いので、牧師として聖書的でないことをしている方に止めるまで忠告が出来ないのをいつも悔いているのです。乗り越える事が出来ず牧師として失格だと自分を責めるだけです。私は旧約聖書を新約と切り離さず、両方共に神様の恵みが満ちていると重視して学び続けています。預言者たちが命として神の言葉を伝えているその様、内容に心打たれるからです。私もこのような預言者の信仰、また神様に対する服従をいただきたいと祈っています。

 私は田中正造のうちに、この預言者の片鱗を見るのです。大金持ちで名望高い生活をなげうって、何回投獄されても懲りる事なしに、ついには衆議員の代議士を辞任し、明治天皇に直訴してまで、鉱毒に苦しむ人々の為奔走したのです。その運動の途路に客死しました。残っていたものはわずかのお金と日記、新約聖書、マタイの分冊でした。彼こそ日本における最初の環境問題の預言者であり実行した人だと思っています。





【エジプトへの逃避行】 マタイ2章13節〜23節

 主イエス様はBC 4年にベツレヘム(ダビデ王の故郷)に誕生なさいました。その時のユダヤ王はヘロデでした。彼はユダヤ人とエドム人の間に生まれましたが、パレスチナの内乱の際にローマの為によい働きをしたので領主となり、長期にわたって平和を保ち、エルサレムに神殿を造営したり、飢饉の際には食料を配ったりしたよい面も持っていました。しかし、彼は猜疑心が強く、自分の権力の座を脅かすと思えば、すぐその人を葬り去りました。妻マリアムとその母アレキサンドラを殺し、長男アンティパテルとアレキサンダー後一人の息子アリストプロスも殺害しています。またその残虐さは、エルサレムの有力者達を背任罪で逮捕、自分が死んだ瞬間皆殺しにしてしまうよう命じたほどです。

 このような人物ですので東方から来訪した博士達から将来王になる子供の誕生の場所を聞かれた時、彼は動揺し、エルサレムも何が起きるか同じく動揺しました。子供達が殺されると思ったからです。律法学者達からベツレヘム(ミカ5章2節)と聞かされました。王は博士達を騙してそれを確かめようとしましたが、彼達は夢の中でのお告げによって違う道を帰って行きました。それでヘロデはベツレヘム周辺の2才以下の男の子を残らず殺させました(エレミヤ31章15節)。恐らく子供2・30人のことだったので、片田舎の事件と片付けられたのでしょう。しかしこの出来事は、イエス・キリストを地上から抹殺しようとする人間の恐ろしさを物語るものです。

 一方神様は夢の中で天使を遣わされヨセフに『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまでそこに留まっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている』と告げられました。14節でヨセフは夜のうちにおそらく何も持たず幼子とその母を連れてエジプトに去りました。エジプトでの生活に博士たちの贈り物が如何ほど役に立った事でしょう。私達の捧げものがこれと同じように主の御用のために役立っているのです。

 歴史によるとこの年ヘロデは死んでいます。お告げによって、彼達はひそやかに故郷のナザレに落ち着きました(ホセア11章1節)。ナザレは旧約聖書に地名の出てこない、目立たない地です。この地で主は30才まで神様からの使命に立たれるご準備なされたのです。

 イエス一家がエジプト逃避行したとき出来事として語られ続けられた物語があります。エジプトに行く途中、日がくれ、疲れ果て、洞窟の中で休息をとる事になりました。寒い夜で外は一面霜で真っ白でした。洞窟の入り口で小さなくもが巣を張りました。ヘロデの遣わした兵士が中に入って確かめようとしましたが、指揮官は霜で真っ白に張りめぐらされたくもの巣を見て「破れていないから中には誰もいない」と兵士達と共に去って行った。家族は無事でした。クリスマスツリーに飾る銀色に輝く糸はこの話に基づくものです。

 マタイには多く旧約聖書の引照があります。的外れのような感じもすることがありますが、当時の旧約に親しんだ人々には違和感がないほど深い意味を読み取る事が出来たのでしょう。現在水曜日の夜、祈祷会にて毎週旧約を1章づつ学んで先週出エジプト記が終わり来週からレビ記を学びます。今まで何十回も読み過ごした幕屋の作り方など改めて深い意味を汲み取る事が出来ました。無意味そうに読み取れるところに神様の恵みを見出して感謝し、聖書通読の大切さを改めて知りました。





【ユダヤ人のための福音】 イザヤ7章10節〜17節

 新約聖書の最初のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネを四福音書と言い、ヨハネ以外のものを共観福音書と言います。一緒に見る(共観)ことです。マルコが最初に書かれ他の二書もイエス様のご生涯の出来事を述べています。省略や追加があったとしても同じ内容、順序で記されています。マルコはペテロの通訳をしていて、彼の話す事をもらさず簡潔に記録しました。マタイとルカはマルコを基礎資料として用い、これに加筆し、文章に磨きをかけたといってもよいのです。イエス様のご生涯の出来事を知るにはマルコ福音書。イエス様のみ教えの内容を知るにはマタイ福音書が適当です。

 マタイ福音書はユダヤ人のために書かれ、ユダヤ人がユダヤ人を説得する為に書かれたものです。それ故に読者は旧約聖書の親しんでいたことを前提として、旧約聖書の預言者が指し示すメシヤ(キリスト)はイエス様であることを実証しています。筆者のマタイは収税所で仕事をしている時、主の招きに応えてすべてを捨てて従い、ただ筆は捨てずにその才能を生かして主に仕えることになったのです。12弟子の殆どは漁師でしたが、彼は文筆に優れていたようです。

 彼は福音書を書くに当たって、系図からはじめています。1節「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」と述べ、新約聖書の書き出しに主は王の血統であり、アブラハムの子孫を通して全世界を祝福するとの神様のご約束のメシヤがイエス様であると言うのです。ユダヤ人は系図を非常に重んじ、伝記を書く場合まず系図を書く事はごく自然な事でした。イエス様のご誕生の時のユダヤの王はヘロデでした。彼はエドム人であって、ユダヤ人からその血統を軽蔑されていた。その劣等感から、ユダヤ全国の家系図を焼き捨てるように命じたといわれています。 

 マタイ福音書は、イエス様をダビデ王の血統直属のメシヤであり、アブラハムに約束した世界の祝福の基であることをこの1節で述べています。ルカ福音書はその系図を人類の始祖アダムから初め世界性を示しますが、マタイのそれは選民イスラエルを通して、約束された救いと祝福される神様を語り、アブラハムを出発とし、そしてダビデはイスラエルの偉大なる王であった、その子孫によって王座が永遠に確立される事を神様が約束された事を語ります。

 この系図は14代づつ三つの期間に分けられています。聖書は7と言う数字が完全性を象徴的にあらわすとします。その倍数は全く完全である事を示します。ヘブルの字には数字がないので、アルファベットのA,は1、Bは2と言うように数字に代用されます(ゲマトリヤ数)ダビデの子音はDWD、それは4と6と4です合わせて14です(母音は書き込みません)当時の人は書き物を持っていませんので、覚えやすいように14づつ三つのグループに分けたのでしょう。

 1節のみでこのような深い意味を汲みだす事が出来ますので、無意味なようなこの系図には多くのことを学ぶことが出来ます。当分の間この福音書を通して、旧約の歴史、預言書との関係、旧新約聖書は主イエス様こそキリスト(メシヤ)であると指し示している事など学んで行きます。そして無意味そうな聖書の言葉に、どんな素晴らしさがあるかを味わってみたいと思います。





【主イエス様の青年期】 マタイ2章19節〜23節

 第二章と三章の間に30年の年月があります。それはイエス様の幼年期から少年・青年期の期間です。一体この30年間の沈黙の期間に何が起きたのでしょう。イエス様は救い主としてこの世においでになられました。この間、一度、過ぎ越しの祭りにエルサレムに上られたきりで、パレスチナから一歩も出られないで、ヨセフとマリヤの故郷ナザレで30年間を過ごされました。

 その一度がルカ2章41節〜52節です。律法の規定によればエルサレム近郊32キロ以内に住む成人男子は、過ぎ越しの祭りに出なければなりませんでした。それ以外の地に住むユダヤ人も、生涯に一度は過ぎ越しの祭りに出る事を望んでいました。ユダヤの男子は12歳で成人し、律法を守る義務が課せられました。イエス様は12歳の時始めて過ぎ越しの祭りにおいでになりました。両親は帰路につきましたが、イエス様は神殿に残られて、サンヒドリンの慣わしである宗教や神学上の公開討論会が神殿の庭で開かれていてそれに出ておられました。旅の途路、両親はイエス様が居られない事に気づいて、捜しつつエルサレムに引き返されました。そこで彼達が見たのは、知識欲に飢えたように、真剣に討論を聞き質疑応答をなさるイエス様でした。母マリヤは「・・・お父様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」主は答えられ『・・・わたしが自分の父の家にいるはずの事を、ご存じなかったのですか』と言われました。イエス様は父との関係をいつしか発見されていたのです。主は成人としての出発の時に、神の子として特別な使命を負っておられることに気づかれたのです。しかし主はその事を誰にも告げず。神の時を待って、貧しい両親と共にナザレに帰っていかれたのです。

 イエス様は、貧しくとも信仰深い両親の元ですごされました。このよい家庭環境の中で少年・青年期を過ごされたことは、人格形成に大きな働きをなしたことでしょう。

 イエス様は長男として家族に責任を持ってその務めを果たされました。ヨセフは主の少年の時に死んでいました。彼はヨセフから引き継いだ大工として働き、母と弟妹を養われました。イエス様はご自分の使命は自覚なさっていたが、まず母と家族に対する責任を疎かにされませんでした。

 イエス様は責任を果たす中で、働く意味大変さを学ばれました。人間が生きていくためにどんなに労働し、生活の糧を得ていくのかを、身をもって体験されたのです。乏しさなどから、人生を知り、人を理解して援助・助ける事をも知られたのです。

 イエス様は人類の救いという大事な仕事をなさる前に、小さな仕事を大事にされたのです。小さな仕事を忠実になされなかったならば、救い主としての大きな使命を果たす事は無理な事でした。小事に忠なるものは大事にも忠であることを実践なさったのです。日々の仕事を果たしてそれを積み重ねて行くことが人生の大事をなすことなのです。

 聖書は主の青年期、そしてそれ以前のことは詳しく述べませんが、公の3年間のご活躍なさったその記録だけでも、それ以前にどのような生活をなさったか、うかがい知る事が出来ます。





【善行としての施し】 マタイ6章1〜15

 聖書は褒章と刑罰をはっきりと述べています。イエス様はこの箇所で三度報酬について語っておられます。施しをする時、祈りをする時、断食の例を挙げて述べられます。他にもタラントのたとえなど多く語られておられます。一節の義と不義はこの褒章と関係して述べられています。

 もし刑罰がなかったとすると、不義の勝利を意味し、義人も悪人も最後の結果が同じだとすると非常に不公平になります。また神様が善い事と悪い事に無関心で居られるとするなら、神様には正義も愛もないことになります。どのように悪いことをしても咎められず、よい行いをお褒めに預かれないことを意味します。宗教改革者のカルバンの予定説を都合よく解釈して、神様が救われると予定されているならどのような生活をしても救われ、救われるものと予定されているとするなら、伝道することは無駄でむなしい事になります。聖書が語る裁き主としておいでになるとの約束を無視する事になります。

 マタイ2章31〜46節にその裁きのときのことが『羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け・・・』と報酬と刑罰がたとえられています。このことを念頭に置かれて6章を見てください。

 私たちは確かに人の前での生活をしています。しかし、常に人を意識した振る舞いはイエス様が警戒なさる偽善者のあり方そのものになります。明治時代は長い鎖国ゆえに西洋と比較すると文明文化の遅れが有りました。そのため文明文化の開化を急ぎ、形だけを模倣した。いわゆる和魂洋才です。日本固有の精神をもって学問・知識のみを学び取った結果、大部分の人を物質が一番価値あるものとしてしまいました。しかし一方宣教師が女子教育と、慈善の働き、社会事業を紹介した事で日本の近代化に一大革新が出来ました。そして施しが人の賞賛を受け、名誉を受ける事ではなく、人としてなすべきことをなしたのだと行動するようになりました。

 3節『施しをする場合、右の手がしている事を左の手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れる為である・・・・』ユダヤ教には大事な三大行為があります。施しと祈りと断食という善行です。立派な善い行為を間違った動機でしてはならないのです。それは偽善になるからです。善行の動機が自分の栄光の為であるならそれで十分な報酬を受けています。施しをする場合、相手を助けることに喜びを感じ、決して人々の賞賛を受け、自己満足を得たりするのではありません。そのことで全額の報酬を得ているのだと主は言われます。

 神様から報酬を受けようと望むなら、自分の善行をラッパの音で注目させようとすることによって、人があなたは愛の人、善行を行う人だと賞賛をする事で報いを受けているのです。神からの報いを当てにしては駄目だと言われます。偽善的行為と慈善的行為を履き違えてはならないのです。与えるものがあれば感謝のうちに与えるのです。この与える行為が義務感からなされるのはそもそもその動機が間違っています。それは優越感の裏返しであり、時には恩着せがましくなります。名誉欲で与える事もあります。与えざるを得ない気持ちになることが大事です。そこに自分を必要としている人がいると与えざるを得ない責任感を感じるのです。

 そのため慈善心・アガペーの愛をイエス様から頂かねば、人間的愛に終わってしまいます。私たちは愛を祈り求め、偽善的生活に別れを告げなければなりません。





【平和来たれり】 イザヤ9章1節〜7節

 暑い夏の日には普通以上に戦争は絶対にしてはならんとの思いが強く迫ってきます。8月15日正午天皇のお言葉が放送され、一億玉砕の命令だと受け取っていたがその後の解説で無条件降伏の敗戦である事を知りました。悔し涙と共に生きているんだと、空を見上げた時の青空と白い入道雲は62年たった今でも鮮やかに蘇ってきます。9月頃だと思いますが、東久邇宮内閣総理大臣の平和声明の中に、軍国主義よりの解放が述べられ非常に嬉しく感じました。それには聖書からとは書かれていませんでしたが、イザヤ2章5節「剣を打ちかえて、すきとし、その槍を打ちかえて、かまとし、もはや戦いの事は学ばない」との意味の文章があり、国民の総意であると私もそれに諸手を上げ喜びを感じました。

 敗戦の翌年1946年11月3日「朕は 日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至った事を、深く喜び、・・・・帝国議会の議決を経て帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽 年月日。内閣総理大臣 吉田 茂。以下14人の大臣が署名した」規定により翌年の5月3日に施行されました。この憲法の前文は実に感銘深いもので前の明治憲法にはありません。全文載せたいのですが長いので出来ません。この最後の部分に「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成する事を誓う」と誓い、第一章天皇と始まり第二章戦争の放棄。第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し国権の発動たる戦争と、戦力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達す為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」そして第三章国民の権利及び義務・・・と続きます。この憲法が上記の内閣声明の線によっていることは明白です。

 旧約聖書の戦争観は、人間が自分の思いでするのではなく、神様が悪と戦われる、民が神の命令で戦う時には神と共に戦うことで目的を達し、勝利を得るのです。他国の民と同盟を結んで敵に対する事は、預言者達が神様からの言葉として禁じています。イスラエルは神の選民であり、神が統治するのです。しかし彼達は他国民のように王が欲しいとサムエルを通して強要し、ソウロ王を立てた。王制がひかれると他国のように常備軍を置き政府を支える国民の負担も増えました。やがて人の力、エジプトの馬などに頼る事となり、ついに国が消滅するに至りました。国民の兵役は20才から50才まででした。

 新約時代にはイスラエルはローマ軍に占領されていました。兵士はローマ人の将校に率いられたイタリア隊とシリヤ隊が主なものでした。ローマ軍はユダヤの世論への譲歩、安息日の厳守によって軍務が困難な為、全ユダヤ青年は兵役から免除していました。異邦人のキリスト者が増えてきました。教会は兵士になることを禁じていたが、やがて人を殺さないという条件で入隊を認めざるを得なくなりました。諸国の大名や王が軍隊を持つた時には、教会は自衛の為戦う事を認めたが、やがて正義のため戦う事は正しく当然のこととされるようになりました。そうなると自己の考えが正しく敵の考えは悪として、戦争を正当化し、ついには神様まで引き合いに出し聖戦とまで言うようになりました。

 今こそイザヤの預言を実行すべきです。日本憲法の第9条が世界各国の憲法になれば世界平和が成り立ちます。憲法は国の基本法でこれから逸脱した法律は作れないのです。基本法を守る国を法治国家といいます。私たちは日本を美しい国と言うなら平和な国でなければなりません。そのため平和の君なる主に聖めていただかなければなりませんテサロニケ第一・5章23「平和の神ご自身が、あなた方を全くきよめて下さるように・・・・・」





【主の教えられた祈り】 マタイ6章5〜15

 主の祈りは教会学校初め、キリスト教主義の幼、小中高、大学にて学んだ者、教会の門を入った方々は、何方でも主の祈りは知っておられます。キリスト教の異端を知るには礼拝において主の祈りをするか、使徒信条を告白するか否かで見分けてもよいほどです。それだけに形式的に祈ってしまう側面もあります。

 聖書を注意深く読みますと、主の祈りと言うより、弟子達の祈りと言うべきでありましょうが、2千年近く、教会は主の祈りと言ってきました。それでそのようにしてきました。8・9節『あなた方の父なる神は、求めない先から、あなた方に必要なものはご存知なのである。だから、あなた方はこう祈りなさい』と、おっしゃって、いわゆる主の祈りを弟子達に教えられたのです。

 この祈りは、われらの父よで始まります。私という単数ではなく、われわれと言う複数です。弟子は一人でも祈れますが、本来は弟子達全員で祈るものなのです。そして5節以下で偽善者の祈りのようにするなと警告されています。人に見られるため、聞かせる祈りは、すでに人々から賞賛され、彼の名誉欲も十分に報われているので、当然神様には受け入れていただけないのです。人には見えないところにあって祈りを受け取られる神様に祈っている事を忘れてはならないのです。当時のユダヤ人は、9時の祈り、正午、3時の祈りと日に3度祈りました。後に修道院の影響でしょうか朝の6時と夕方の6時が追加されました。習慣がいつの間にか形式化されるのは人間社会で常に起きることです。

 ユダヤの社会では、あらゆる機会に祈ることができるように祈祷文が定められていました。食後の祈り、光、火、電光に関し、新月、彗星、雨、嵐の時、海、湖、川を見たときの祈り、吉報を受けた時、新しい家具を使う時、町を出入りする時など実に細かい祈祷文がありました。確かに生活の細かいところまで神様に告げ報告すると言うよいところはありましたが、一定の祈りをしているうちに、形だけ口先だけのものになってしまいます。

 また神殿での祈りを大事にしているうちに、聖なる場所を神殿に限定してしまい、全地が神の宮である事を忘れてしまいました。いつの間にか長い祈りをなし、くどくどと訴え神様の戸をいつまでもたたき続けると聞いてくださる。これらの事が熱心さの表れだと解釈されていたのです。

 真実の祈りは神様に捧げられるものです。祈りは神様との交わりです。人に聞かせるものではないのです。人の前で祈る時も、一人で祈る時も、隠れたところにいます神様を思い、神様を求めねばならないのです。われわれの神様は愛のお方です。われわれの願いに勝って、祈りに応えようとなさっておられます。神様に無理押しをしなければ祈りが聞かれないとするのは大間違いです。

 弟子達の祈り(主の祈り)は、イエス・キリストに従い、献身した者だけが祈れるものです。弟子達はこの祈りの意味を十分に理解して祈らねばなりません。私達のすべての必要をご存知の神様に、御心をなしたまえと祈ることで十分なのです。





【私たちは何と祈ったらよいか】 ヨハネ15章12〜17

 受難週の最初の日曜日(棕櫚の日曜日)、主イエス様はホサナ(救ってください。メシヤ救い主と結びつけて、歓迎の意)と叫んで棕櫚の葉をかざして迎える中、ロバの子に乗られてエルサレムに入城なさいました。おそらく弟子達は胸を張って誇らかな態度で従って行ったと思われます。しかしその主がはっきりとご自身の受難を彼たちに話されました。

 弟子達はマルコ8章31節に『人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者達に捨てられ、また殺され、そして3日の後によみがえるべきことを、彼らに教え始め、しかもあからさまに、この事を話された』を思い出して不安になり恐れを感じていました。最後の晩餐における告別説教の最初に『あなた方は、心騒がせないがよい。神を信じ、また私を信じなさい。・・』と言われました。不安・恐れを感じない為に、父の神様を信じ続け、また主イエス様を信じ続けることだと言明されています。ヘブル4章15・16節で『この大祭司(主イエス様)は、私達の弱さを思いやる事の出来ない方ではない。罪を犯されなかったが、すべての事について、私達と同じように試練に会われたのである。・・時機を得た助けを受ける為に・・・』とも述べられています。

 キリスト者はキリストが内住される体験を持ちます。キリスト者相互はそのキリストによって結び付けられています。キリストに生きる事は、キリストの体・教会において信徒同士の愛の交わりに有るのです。イエス様はキリスト(救い主)として私達の身代わりの贖いの死によって愛をお示しになりました。「この愛でお互い愛し合いなさい。この主のお命じになる事を行うものは私の友である。」イエス様は神様のご計画をその友に伝え、その事を他の人々に伝える為に選ばれたのです。あなた方が私を友と選んだのではない。主は神様のご命令に従われ、主が選んでくださった友のために命を捨てられました。そして主の歩まれた愛の道を歩むように友として召して下さったのです。私たちは主が父に従われたように、主に従うのです。

 弟子達が主によって実を結ぶために、イエス様の名によって求めるものは何でも、父が与えてくださいます。17『これらの事(主の名によって祈る事等)を命じるのは、あなた方が互いに愛し合う為である』と選んだ弟子達に言われるのです。

 16章にも、23・4『あなた方が父に求めるものは何でも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなた方はわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。そして、あなた方の喜びが満ち溢れるであろう』十字架で示された主の愛が与えられ、その愛による弟子達の交わりによって喜びが満ち溢れるのです。それが主の求められる真の教会の姿です。

 祈る内容は個々人によって異なりますが、主の名によって祈る時一つになります。神様に受け入れられる祈りは、神様の御心であればいうことでなければなりません。ヤコブ4章15『主の御心であれば、わたしは生きながらえもし、あの事、この事もしようと言うべきである』自分の希望のみを押し付けるようなものは祈りではありません。

 主イエス様の名によって祈りましょう。そして神様から愛をいただきましょう。そうすれば何と祈ったらよいか、自ずからわかります。





【祈る時には】 マタイ6章5節〜15節

 イエス様が公活動の3年間になさった事は、マタイ4章23節「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を述べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された」イエス様は人々のところに積極的に出向いていかれました。そのご活動は教育、伝道、愛の業(癒し)でした。これは時代を超え、この働きは、いつ、どこでにあっても、主に従う教会また信徒に預けられたものです。

 山上の説教の内容として、教育と御国の福音が述べられています。ロシヤの文豪トルストイはこの説教さえあればキリスト教は理解できると言っています。そして彼は聖書をロシヤ語に訳しています。それを戦後片山哲(社会党最初の首相)日本語に訳し出版しました。

 この説教の中から、御国の福音を受け入れたキリスト者の態度を学びます。自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。だから、第一に施しをする時のあり方として、施しは隠れたところでなされなければならない。「それは右手でしている事を左の手に知らせるな(4節)。それは、あなたのする施しが隠れているためである。・・・」このことは次の機会に学びます。

 第二の態度は祈る時です。祈りが聞かれるためには施しをしなければならないと考えられていました。施しが出来るほど恵みを神様から頂いていることを感謝する心から祈り始めるのです。1節『見てもらおうとして、人の前で善行をしないよう・・・』を受けるように、5節『祈る時にも、あなた方は偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと・・・・』ユダヤ教では午前9時、12時、3時、6時にどこにいても祈るのです。丁度その時間に人が大勢いるところに差し掛かるように来て、目立つように立ち、両手を挙げ手のひらを上にむけて人の賞賛を受けられるよう祈りを唱えるのです。この人に聞かせるような祈りが神様に受け入れられるはずはありません。だから、『祈る時、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところに居られるあなたの父に祈りなさい。・・・』7節『・・・言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。8節、彼らのまねをしてはならない。あなた方の父は、願う前から、あなた方に必要なものはご存知なのだ』だからと言って、人の前で祈ったり、熱心な祈りを避けよと言う意味ではありません。偽善者的行為を避けよと言われているのです。

 マタイ18章20『二人または三人が、わたしの名によって集まっている所には、私もその中にいるのである』ルカ11章8『・・・しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう・・・・』祈る時そこに主が居られるのです。人に聞いてもらうためでは有りません。また熱心に祈る時その祈りはよい香りとして神のもとに届きます。

 9章35節に再び主イエス様のお働きは教育、御国の福音を述べ伝え(伝道)あらゆる病気、あらゆる患いをお癒しになった(愛の業、社会奉仕)が述べられます。教会はこの三つの働きをしなければなりません。私は自分でそれらに何とかして関りたいとカウンセリングを始めました。愛児園は働き手と資金問題で閉鎖せざるを得ませんでした。しかしよき証を立てることが出来ました。主の名によって祈る教会にならなければ、主の働きは進みません。祈って行動に移しましょう。





【聖霊を冒涜する罪は赦されない】 マタイ12章22節〜37節

 前節には、安息日に主イエス様が手のなえた人を癒されたみ業を目の当たりにして、パリサイ人は(14節)会堂から出て行って、何とかしてイエスを殺そうと相談しました。その出来事を聖書外典(ヘブル人による福音書)にはこの手のなえた男がイエス様のもとに来て「わたしは石工で、この手で生計を立ててきました。イエス様お願いです。物乞いをしなくてもよいように私を癒してください」と願ったと記されています。パリサイ人は「安息日を聖とし、なんのわざをもしてならない」の十戒を犯した者として死刑の理由にしようとしました。しかし、主は11節『・・大事な羊が穴に落ち込んだなら、引き上げてやらないだろうか。12節人は羊よりも、はるかに優れているではないか。安息日に良い事をするのは、正しい事である』その人に『手を伸ばしなさい』と言われました。手を伸ばすと、外の手のようによくなりました。それで彼達は主を殺す相談を始めたのです。

 22節その時(当時)悪霊に憑かれ目の見えない人で口の聞けない二重苦の人を癒されました。人々は驚いてこの方はメシヤ(救い主)では有るまいかと語り合っていました。パリサイ人はそれを聞いて「・・悪霊のかしらベルゼブル(サタン)によるのだ」と人々に言いました。主はそれに対して『・・もしサタンがサタンを追い出すなら、内部で別れ争う国は自滅してしまう。・・わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなた方のところに来たのである』主の奇跡のみ業を聖霊の働きとは認めず、サタンの業とするパリサイ人はメシヤに味方するものではなく、メシヤに反対する者で、神の国に来る者を集めるどころか散してしまう者だと主は宣告されるのです。

 31節に『だから、・・』イエス様に対する態度は常にはっきりと味方か敵かに分けられます。聖霊に逆らい汚しサタンに従う者と聖霊のみ業を認める者とに二分されるのです。人の子に逆らったが赦された例として、主が受難を予告された時、そんな事があってよいのだろうかと否定して、『サタンよ退け』と叱責され、裁きの庭で三度も主を知らないと言った逆らいも赦された。しかしイスカリオテのユダの裏切りは赦されませんでした。ペテロは悔い改め、ユダは罪のままでした。 

 イエス様のみ業は、奇跡と言う明らかに聖霊の働きであるのにベルゼベルの働きとするのは聖霊に対する冒涜なのです。故意に聖霊の働きを拒否する意識的な罪の行為です。闇を光とし、闇を光とする者は、悔い改めを不可能として滅びよりほかはないのです。故意に善を悪とする者は罪の感覚を失い、従って赦される機会を失い滅びに至るのです。

 人の言葉と行いは、木と実との関係のようなものです。パリサイ人がイエス様の安息日の癒しの業をサタンの業とし、殺害を試みました。悪意のある言葉は心の中にあるものが出たのです。うっかり心にもない言葉を出したのではありません。再臨の主の前で私達の主に対する言葉を持ってさばかれる事を知るべきです。

 故意にイエス様を拒み続けると、心の闇はより深くなり、無益な言葉を発してさばきの時に言い開きが出来なくなります。悔い改める時を逃さず、いつも主イエス様の味方でなければなりません。





【彼らを聖別せよ】 出エジプト29章1節〜12節

 神様はモーセに、兄のアロンとその息子4人を祭司として人々から聖別せよと命じられ、その方法をお示しになりました。祭司は幕屋で決められた奉仕をしなければなりません。神様は聖なるお方ですので、幕屋で主に仕えるものは聖く別かたれなければなりません1節。聖別はヘブル語ではカデシュウといって同じ言葉が、30章29節ではきよめてと使われています。ホーリネス教団のホーリネスという意味は聖別・聖めです。

 神様の前に立つにはこの世から聖別されなければなりません。私達の教会は四重の福音を強調しています。新生、聖化、神癒、再臨です。キリスト者になるためには罪を告白して救い主キリストの名によって水のバプテスマを受けます(新生)。聖化は聖霊によって火のバプテスマに与り、父なる神の霊・子なるキリストの霊に満たされる事です。言葉を変えて説明しますと、イエス・キリストの十字架の贖い(身代わり)の死によって罪(的外れの人生)から救われる新生です。聖化は罪が焼ききよめられることです。四重の福音について、教団の教会員手帳にきよめも概略が帰されていますのでぜひお読み下さい。その内容の概略の概略を述べます。

 聖書、私達の経験によると、個別の罪と一つの根源的な性向としての罪(原罪)とがあり、後者は前者の原因であり、源泉である事、人が罪を自覚するのは二段階であり、従って神様のご処置も、新生、聖化という二段階に分けて行われるのです。

 新生した者は神様からの命をうちに受けたのであるが、人間の心深く入り込んだ罪の性質までは、体験的にまだ処置されていません。犯した罪の赦しとは別にきよめの経験を必要とします。きよめとは、罪の性質が主の十字架に磔殺され、もはや自分で生きるのではなく信仰によってキリストを内住、聖霊のご支配にまったく委ね従って生きる者とされる経験です。

 心のうちで二つのものがあい争う矛盾から解放され、単一の心をもって主を愛するクリスチャンは完全に至ります。聖くなればなるほど、自分の罪の深さを認める。聖い神様に近づけば近づくほど、罪に対する感覚が鋭くなります。聖化が深められるに連れて神様の前における自分の罪の大きさにおののくのです。

 アロンたち祭司は、斎戒沐浴し、モーセによって神の命じる聖別される事で初めて聖い神様の前に立つことが出来たのです。アロンたちは犠牲の牡牛・雄羊の上に手を置いて自分の罪を犠牲の動物に移して、犠牲の動物を殺し、その血を祭壇のもとに注ぎ、その血を耳たぶ、手と足の親指に塗って聖め、神の言葉を聞き分け神の業を行い神に歩むのです。肉は祭壇のうえで焼かなければなりませんでした。それが祭司の任命式でした。罪は死をもって償わなければならないのです。彼らはそれからエポデの正装で幕屋に入らねばなりませんでした。

 私達キリスト者は、キリストと共に十字架上で磔殺され、復活の主とともに生きて行くのです。(ガラテヤ2章20節)御霊の宮として聖い生活をするのです。モーセは神様に命じられてアロンたちを祭司とするためにきよめたが、私たちは主イエス様こそ贖い主(身代わりに死んでくださった)と信じ告白する時、まったくきよめられた者として、再臨の主の前に立ちうるのです。





【信仰とはまだ見ない事実を確認する事】 ヘブル11章1節〜12節

 『それ信仰は望むところを確信し、見ぬ物を真実とするなり』と文語訳を読んでいた私は、1955年口語訳聖書を手にして素晴らしい聖書が出来たと教会の兄弟姉妹方と相談してこの聖書を使用する事にしました。戦後今までの教育の妨げになっていた文語体と漢字の用法が改められ、文章の口語体と、新かなづかい、当用漢字が制定され、刊行物も殆どこれに改められました。戦時中から口語訳の準備が進められていたので、戦後まもなく日本語の標準とすべく整えられて出版され、特に日曜学校には歓迎されました。しかし、文語体の方がよいと、口語訳聖書を使うことに難色を示す教会も多々ありました。漢字が制限された為確かに不便な面もあります。例えば聖めは清めとしか使えません。そのようなことは各方面でありましたが、義務教育さえ受ければ新聞や本を読むことが出来るようになりました。各種の本も聖書も新聞も、それまでは振り仮名づきでした。(聖書は現在も振り仮名づき)

 『さて、信仰とは、望んでいる事を確信し、まだ見ていない事実を確認する事である』確かに文語文より冗長の嫌いはありますが、理解しやすくなりました。続けてこの信仰の実際的な事実を、旧約の信仰の人物達を例に挙げて信仰の意味とその証しを述べます。旧約時代の信仰者は神様から約束は与えられましたが、その約束に信頼を寄せただけでした。彼達はそれらを手にはしなくとも不十分だとは考えず。この約束は将来の事だが喜んで、神様は約束なさった事は必ず実現してくださると目の前に展開されていたように信じたのです。

 神様の約束に生きる者は、人間にとって未来の出来事を信仰を持って現在のものとする、目に見えないものを、信仰の目をもってみるだけではなく望んでいる事を事実として確信する。信仰者は永遠のものを今持っていないが、神様の約束がその保障とするのです。信仰と言うものは個人的確信を越えたものです。通常は目で見、手で触って確信するのですが、信仰は人に見えない物事を見せてくれます。信仰は霊的世界に属する事です。キリストの救い、聖めの事実を、信仰を持って確認するのです。主の再臨の時、その主の前でまことの救いと聖められた自分自身を信仰の目を持ってすでに起きた事実として確信するのです。

 55年10月の礼拝で祈っていた会堂建設に踏み出す事を宣言しました。その時与えられたみ言葉が、このヘブル11章1節以下です。私たちはそのみ言葉を信じました。十字架を頂いた二階建ての会堂をあたかも見ているかのように信じたのです。天幕教会に踏み切りました。信仰する、信じることには忍耐が必要である事を、祈りつつ行動するうちに教えられました。11月にこの土地が与えられました。冬に向って天幕教会を建てることは無理だとか、信仰と冒険を一緒にしてはおかしいなど言われながら、冬の寒さに耐え、梅雨の雨漏り、初夏の暑さの中、ついに祈っていた会堂建設が、7月に始まりました。

 わたしたちは改めてヘブル11章1節『信仰とは、望んでいる事を確信し、まだ見ていない事実を確認する事である』のみ言葉をかみ締めました。そしてこのみ言葉を開いた聖書と教会員名簿を甕に入れて会堂の礎石としました。

 教会の建設記念日がないのは寂しいと言う事で、建設に着手した7月の第一日曜日を当てる事になり本日第一回の記念日としました。その時いたものは5人で外の方は召され、現在元住吉で礼拝を守っているのは遠藤兄弟とわたしだけです。中村悦子姉は小学生、直子と信子は幼稚園児でした。この教会はこの世の存在する限り、主の体としての働きが続けられる事を確信します。





【あなた方の喜びが満ち溢れる為】 ヨハネ15章1節〜11節

 わたしは教育心理学から発達心理学、臨床心理学を学びました。そしてその中から人間にとって大事な営みを学びました。教育は英語でエデュケイション、独、仏ともに現代ヨローッパ語は、ラテン語のエドゥーコに由来していて、エは外にドゥラーは引くと言う意味です。類語の教養カルチャ­−はラテン語のカルト耕すを語源とします。この二つから土を耕して栄養を引き出すことが教育、育てる事を意味する事が分かります。農夫である父は耕し、肥料を施し、世話をしてぶどうの木を育てて下さいます。

 そのぶどうの木に繋がっている枝でも実のならない枝は、無駄なものとして切り落とされます。5節『わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である。もし人がわたしに繋がっており、またわたしがその人に繋がっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。・・・』主から与えられる栄養は主の愛です。10節『わたしの戒めを守るならば、私の愛のうちに居るのである(主の木に繋がる枝である)』11節『・・わたしの喜びがあなた方のうちにも宿る為、またあなた方の喜びが満ち溢れる為である』とお語りになりました。実のならない枝は切られ焼き捨てられます。

 キリスト教は愛の、そして喜びの宗教です。この喜びに満ち溢れる為に、主の戒めを守り愛を頂かねばなりませんそれは主のぶどうの木に繋がる枝となる条件です。その主の戒めは12節『私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい』主がわたしたちを愛して下さったようにと言われるのです。主はわたしたちを父なる神と和解させる為に、隔てる壁を崩してくださいました。十字架の犠牲をもってです。

 今祈祷会で出エジプト記を1章づつ学んでいます。幕屋の構造、贖罪所、祭壇、祭司の聖別、純粋のオリブ油をもって、証の箱の前にともし火を、ともし続けねばならないことなど等、読みようによっては無意味のようですが、すべてが主の十字架の豫型であることに気づかされ驚きを禁じえません。そしていっそう主に愛されている喜びを感じています。この愛でお互い愛し合い、喜びに満ち溢れるのです。

 わたしは祈る時美しい言葉を並べる事は出来ませんし、その必要は認めませんが、その時心の中にあるみ言葉は16章24節『あなた方が父に求めるものは何でも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなた方はわたしの名によって求めた事はなかった。求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。そして、あなた方の喜びが満ち溢れるであろう』なのです。この喜びに満ち溢れた生活こそロマ8章28節神が私とともに働いて万事を益とされることなのです。

 キリストの木に繋がり、主の愛のうちに安住して、喜びに満ち溢れた生涯を送ろうではありませんか。





【私を清めて下さい】 詩篇51編1節〜16節

 サムエル記後12章、預言者ナタンに罪を指摘され、神様の前で悔い改めた時の心を歌ったダビデの詩が51篇です。優れた王といわれたダビデであっても他人の善悪を裁くことは出来たが自分自身の罪には目をつぶっていました。ナタンの語ったその人に怒り「・・・その人は死ぬべきである。・・・子羊を4倍にして償わなければならない(5・6節)」。すると7節ナタンはダビデに「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる『わたしは油を注いでイスラエルの王とし・・・・・』と伝えた。王は「わたしは主に罪を犯しました」と悔いて歌ったのがこの詩です。

 神様は彼を愛して、1」サウル王の手から命を救い、2」油を注いでイスラエルの王とした、3」主人の財産、先代王のハーレムを与えました。(ハ−レムを受け継ぐことは王位継承のしるし)しかしダビデは彼女達を娶っていない。4」イスラエル部族全部を部下として与えられました。それでも少なかったとするならば、もっと多くのものをまし加えたであろうとナタンと通して神様は彼に告げ、主の言葉を軽んじ、神の前に悪事を行ったのですか。と詰問されるのです。

 その悪事は、モーセに与えられた十戒の第六、七、十戒を犯したのです。それは、殺人罪、姦通罪、隣人の妻(夫)をむさぼってはならない等の罪が指摘されましたが、ナタンのたとえ話は、部下を殺させて、その妻を取って我が物にした姦淫の罪が中心です。

 ナタンがそのたとえ話をすると、「その人は死に値するし、子羊を四倍にして償わなければならない」とダビデは言いました。すると、ナタンはダビデに言いました、7節〜12節「あなたがその人です。・・・・・」彼が語る神様の言葉を聞いた王は、おそらく多くの家臣の前で13節「わたしは主に罪を犯しました」(この間に詩篇51篇が入る)ナタンはダビデに言いました。「主もまたあなたの罪を除かれました。・・・・・」

 ダビデの祈りは51篇7節「ヒソプをもって、わたしを清めて下さい、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。」ヒソプの枝は、出エジプトの過ぎ越しの時、鴨居と門の柱に子羊の血をその枝につけて塗った故事をさしています。その犠牲の血によって民の前を死が過ぎ越した(出12章22・3)またレビ14章4では祭司がヒソプの枝についた犠牲の血を皮膚病の人に振り掛けています。病気の人にも同じようにヒソプの枝で犠牲の血を振り掛けています。そのことからヒソプの枝についた犠牲の血で自分の穢れた罪を洗い清めて、雪のように白くなるでしょう。そして罪による死から救い出してくださいと祈るのです。

 ヒソプの枝をもって、わたしを清めてくださいといっていますが、清めるのはつけられた犠牲の血です。その犠牲の血が、罪、不義を洗い清め、雪よりも白くして下さる事を彼は信じ祈るのです。ヒソプが清めるのではありません。十字架が私達の罪を赦し聖めるのではありません、十字架で流された主の血こそ罪を洗い清め雪のように白くしてくださるのです。





【あなた方を捨てて孤児とはしない】 ヨハネ14章15節〜24節

 イエス様は贖いの死を遂げられるまでは弟子達を支えられましたが、去られた後代わりとして父なる神様は助け主・イエス様の霊・聖霊を遣わせられました。しかしこの世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受ける事が出来ません。弟子達はイエス様の愛の内にいるから聖霊を知り、受ける事が出来るとお語りになりました。

 主は十字架の贖いの死で彼たちからさってしまうのではなく、15・6『あなた方のところに帰ってくる・・・あなた方は私を見る。私が生きているので(復活)あなた方も生きるからである』見捨てるのではない事を明確に言われ、復活の姿で弟子達に現れることを言明されたのです。長期的展望では主の再臨のご約束ともとれます。1節では主の死に対する弟子達の動揺を考慮されて心騒がすなといわれましたが、18節ではそれを具体的に述べられました。

 イスカリオテでないほうのユダが『主よ、あなたはご自身を私たちにあらわそうとして、世にあらわそうとなさらないのは何故ですか』問うた時、その問いに対して、主を愛し、そのみ言葉を守れば、私の父はその人を愛し、また、私達はその人のところへ行って、その人と一緒に住むであろうとのお答えでした。主を愛さない不信仰な世は復活に接しても無関心無反応です。主の言葉を守ろうとしない不信仰者は、主のよみがえりにあっても信じないであろう。み言葉への服従において示される愛を持ってイエス様を愛する事が、父の戒めを守った故に父の愛にあり、主を信じ主の復活をも信じうるのです。主は、10節『もし私の戒めを守るならば、あなた方は私の愛のうちにいるのである』続けて12節『私の戒めはこれである。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。人がその友の為に自分の命を捨てること、これより大きな愛はない。・・・あなた方は私の友である』と言われました。

 この言葉は最後の晩餐の折、弟子たちに遺言の告別説教をなさいました中に含まれます。14章〜16章がそれです。14章18節。去って行くのはあなた方を捨てて孤児とするのではない。別の助け主・慰め主・聖霊を遣わされるので、決して捨て子にはしない。その方は平安を与え、真理を悟らせ、悲しみを喜びに変えてくださいます。16章23・24節『あなた方が父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなた方はわたしの名によって求めたことはなかった。わたしの名によって求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。そして、あなた方の喜びが満ち溢れるであろう』と主との別れの悲しみをも、喜びに変えられることも含まれます。

 主の戒めを受け入れ、それを守る人は主を愛しているのであり、主を愛する者は、父に愛されるのです。主はその人を愛し、主ご自身をその人に現されます(14章21節)。

 私は主の告別説教を読むたびに、キリスト者とされた事(新生)、聖霊のバプテスマを拝領した事(聖化)により、主を深く知り、真理に目覚めさせられた事と、それを伝える牧師に召された事を光栄と感じ、心から感謝を捧げるものです。





【主への畏れは聖い】 詩篇19篇1節〜15節

 キリスト教では聖書(バイブル)といえば旧新約聖書をさします。イエス様や弟子達の時代には旧約聖書のみでした。ヘブル語旧約聖書は大きく、1)律法、2)預言書、3)諸書(聖文学)と順に分類されています。邦語旧約は1)モーセ五書(創世記〜申命記)、2)歴史書(サムエル記〜エステル記)、3)詩歌(ヨブ記〜雅歌)、4)預言書(イザヤ書〜マラキ書)の順に大別されています。

 詩歌に属する箴言9章10節「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知る事は分別の初め」(共同訳)と有りまして、知恵文学といわれるものの根底には神を畏れることがあります。恐れるは畏敬の中に含まれています。肉体的、道徳的な恐れ,神様の要求に応ええず。その裁きを受けなければならない人間に起こる恐れ、神様の要求が分かれば分かるほど、与えられた律法を守りえない、その罪人は律法の呪いによって死に定められその恐れを持ちます。しかし主を畏れるには積極的な意味があります。それが、敬虔、信仰の土台になります。シナイ山で、律法が与えられた時神は栄光と輝きのうちに現れ、イスラエルの民の心に恐れをうえつけられました。

 ある程度神を知っている者だけが、この恐れを経験します。神がないと心の中で言う人にはこの恐れは関わりがありません。旧約時代に主を恐れて生活する者を新約聖書は宗教的に神を畏れる者としています。イエス・キリストにおいて示された愛は、人々を恐れの奴隷から解放し、神の子の身分を授けられます。しかし被創造者が創造者に対する畏敬の思いとしての恐れは失いません。

 敬虔な心では律法(トーラー教え)は完全です。死の恐れにある者を生きかえらしめられます。神の道徳的性格は律法によって民に示された。それが証となり、教えとなって無知なる者を賢くするのです。主の戒めは正しく(まっすぐ)て、人の心に充実した人生の喜びを与えます。そしてそれは混じりけがなく純粋で、目を明るくする。即ち心に理解力を与えます。

 10節に主に対する畏れは律法によって罪に定められた者が、神によって聖くされ(新約では主による聖霊の洗礼)畏敬の念による清い道はとこしえにあり、神様の裁きはまことでことごとく正しい故に律法の教えに歩むのです(10節〜12節)。

 主の祈りに「我らに罪を犯す者を 我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ」と有りますがこれは13節「知らずして犯した過ち、隠れた罪からどうか私を清めてください」(共同訳)14節「あなたのしもべを引き止めて、故意の罪を犯させず、これに支配される事のないようにしてください」の罪の違いを知って欲しいのです。罪は主の十字架の贖いを信じ受け入れた時赦されました。しかしその後、肉の弱さゆえ知らずして犯した過ちは許されますが、故意に罪を犯した場合は、神よりの裁きを受けます。

 14節、主に喜んでいただけるように、主に贖われたものとして、神様の教えを身に帯して、私達の口の言葉がみ旨にかない、心の思いが主の御前に置かれますように祈りつつ信仰生活を送らなければならないと思います。





【御霊によって歩みなさい】 ガラテヤ5章16節〜26節

 マタイ3章11節で、洗礼者ヨハネは「私は悔い改めに導くために、あなたたちにバプテスマを授けているが、私の後に来る方は。私よりも優れておられる。・・・その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。12節・・・」と言っています。その3年後5旬節に聖霊と火の洗礼を11名の弟子達と共に授けられたペテロは聖霊に満たされ主イエス様の十字架の死と復活の証をなしました(使徒2章14〜36)。

 人々はこの証しを聞いて強く心を刺され、弟子達に「兄弟たちよ、私達はどうしたらよいのでしょう」と言いました。それにペテロが答え、「悔い改めなさい。そして、めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるであろう。・・・」と言いました。聖霊が臨むと、外部も内面にもさまざまな変化が起こります。神様の恵み(カリス)による賜物(カリスマ)が与えられます。神の聖さが、人間に移され、今まで罪によって神と隔てられていた人が神に引き寄せられ(聖化)聖霊の実を結びます。聖霊が臨んだとき聖霊の実としてキリスト者に与えられる品格です。よい樹であられる主にある枝であれば結ぶ実です。よい樹から与えられる栄養でキリストの人格によりよく似たものとされるのです。

 私は自己中心な人間で、特に愛のひとかけらもないものでしたが、救われる事によって愛らしきものが与えられ自分でも驚くほどの変化を見ました。また牧師であることの幸いさは、救われて外面だけではなく内面までキリストの人格(品格)に近づけられた方々を目の当たりに多く見たことです。

 ガラテヤ5章22節に、キリストの樹に繋がる枝が結ぶ実が見られます。人間はそれぞれに性格を持ちそれ自体がその人の人格を示しています。その人格がキリストに倣うものと変えられていくのです。例えば私のような短気な者が主に近づいていくと穏やかになる途次、あわてものになります。

 キリスト者は聖霊に導かれて肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。この肉の業について19〜20に羅列されています。これらを十字架に磔殺しなければ神の国を受け継ぐ事はできません(永遠の命に与れません)。

 イエスさまは最後の晩餐の告別説教で、14章26節『助け主、即ち、わたしの名によって遣わされる聖霊は、あなた方にすべてのことを教え、また私が話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう』と弟子達に述べられました。私たちが聖霊に満たされる事を祈り、聖霊の洗礼に与ると神のみ言葉・真理を知るだけではなく、聖霊の実を結びキリストの品格により近づき主を証しする者となるのです。

 25節「もし私たちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。」御霊に満たされてキリストに倣う者となりましょう。お互いにとりなしの祈りをしながら。





【心を騒がせないがよい】 ヨハネ14章1節〜7節

 イエス様の遺言としての説教を広義に解釈すると、13章〜17章までと見えますが、厳密に見ると14章〜16章です。13章は主ご自身の受難について語られ、新しい戒めを与えられました。『新しい戒めをあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛しなさい。(13章34節)。その後イスカリオテのユダはイエス様からのパン一切れを平然と受け、主に対する冷淡さを示しました。27節の主の言葉に彼はすぐに部屋を出て行きました。それを黙って見送られた主はその瞬間、十字架の死を父に委ねたのです。私は主のご遺言的告別説教は14章〜16章で、17章は弟子達のための執り成しの祈りであると信じています。

 弟子達は主が去って行かれる事に動揺していました。それでこの説教は心を騒がせないがよいで始められたのです。彼達はイエス様の死に耐え、不安も恐れも克服しなければなりません。そのために彼達は父なる神を信じ、主を信じなければなりません。主は信じ続けなさいと命じられます。朽ちる事のない神の国における住まいを準備なさる事が主の地上を去られる第一の目的です。彼らに与えられる永遠の命に生きて神と共に住む事が出来るようになさる事です。そのために場所を備えに行くのだと弟子達に告げ、住まいの準備をなしてからあなた方を迎えにこようとおっしゃいました(再臨)。

 するとトマスが「主よどこにおいでになるのですか、私たちには分かりません。どうしてその道が分かるのでしょう」と聞きます。彼の疑問はイエス様が行こうとなさっている目的地も分からず、どの道をとればよいのでしょうというのです。彼は目的地に行く道を、地上的な空間的・物理的に解釈して疑問を持ったのです。トマスの特徴は疑問を持ったらうやむやにせずはっきりと理解して不安を除くことでした。

 そのトマスに主は『私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらないでは、父の身元に行くことは出来ない。・・・・』と言われ、主が人間として受肉され歩まれたご生涯を通して、十字架の贖いの死において、人々は神を知り神の命に与る道を開いてくださった神への道です。イエス様ご自身が道であり、また神につき、神と人との関係を示す真理です。主のうちにある命が言葉と業によって信じる人々に分け与えられるのです。

 イエス様を知る事は父なる神を知る事に他ならない。神は肉体の持つ五感では残念ですが知る事が出来ません。トマスは復活の主に出会ったという弟子達に、私は十字架の釘跡に指を入れ脇に手をさしこんで確かめなければ信じないといったとき、復活の主が手を広げ脇を指し示して験して見なさいと彼の前に立たれた。彼は「わが主よ、わが神よ」と跪きました。そのトマスに主は「あなたは私を見たので信じたのか、見ないで信ずる者は、幸いである」と言われました(20章29節)。

 聖霊が私たちに臨むときあらゆる真理に導いてくださいます。16章13。私達はキリストを知りその救いの業を信じたとき、心騒がすことなく平安な生涯をおくることが出来ます。





【この世のもの神のもの】 マルコ12章13節〜17節

 ユダヤ人たちは税金をローマに納めることは占領国に服従することで自尊心を傷つけられていました。このユダヤ人の考えにはパリサイ人は反対であり、ヘロデ党は賛成でした。一方祭司長、律法学者、民の長老たちはイエス様が民衆に評判がよく支持されているので不愉快でした。それで何とかしてイエス様を陥れようと画策していました。

 敵の敵は味方という言葉があります。反対意見を持つパリサ人とヘロデ党が手を組んで、主の言葉尻を捕らえようとしたのです。14節彼らは主が真実な方であり、真理に基づいて旧約の教えを説かれる指導者である事を認め、その上で どちらの返事をしても主をやりこめ民衆の失望をもたらす税金問題を持ち出したのです。カイザル(ローマ皇帝)に納めるか、納めてはならないかとの難題です。彼たちの悪意を見抜かれた主は、税金に納めるローマのデナリ銀貨を持ってこさせました。

 デナリ銀貨の表側にはローマ皇帝テベリオの胸像が刻まれ、裏側には彼の母リヴィアの像が、「ティベリウス、カイザル、聖なるアウグストゥスの息子、大祭司」とも刻まれていました。主は『これは誰の肖像か、誰の記号か』と質問されました。彼らは「カイザルのです」と答えました。するとイエス様は『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』と言われた。彼らはイエス様のお答えに驚嘆したとマルコは述べています.私は青年期に政治運動や社会活動を考えていた時この言葉に出会い、胸のすく思いをしたことがあります。

 青年会主催で賀川豊彦牧師の伝道会をしたことがあります。約百人の聴取の半数はマルキストでした。激しい野次の飛ぶ中で話が進んでいる時、ひときわ大きく「神がいるとするなら何ゆえ世の中に不公平がまかり通るのだ」と質問がありました。先生は穏やかに『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』と主は仰せられましたと答えられました。続けてこの宇宙は人間に委ねられました。だからよい政治が行われ困窮者のいない世界を作るため手を携えましょうと話されました。それからはやじもなく説教に集中できました。最終的には神様が責任を取ってくださるのです。第一歩が主の十字架で、その完成が主の再臨です。そして私達は永遠の命に与ります。その前に千年王国があり神の愛による支配が実現します。

 宗教とこの世を一つにすると権力が一人歩きして弱者が圧迫されるので政教分離が定められました。その必要は歴史が語っています。そこで先進国では国の基本法である憲法は人権と自由意志を国民の権利とし国の責任としました。国はそれに従って政治や立法、司法が執行されなければなりません。憲法は権力者が(為政者)が弱者(国民を保護する責任があり、国民はそれを受ける権利があるとします。憲法には国民の義務が少ないという人もいますが、イギリスのマグナカルタ(大憲章)以来各国が憲法に取り入れられた国の義務と国民の権利条項はゆるがせない事です。

 神の聖さを保つ為には、宗教そのものがこの世のものに携わるのではなく、信仰を持った個人が聖さを持ってこの世の生活をしなければなりません。私はそのような意味において奉仕活動、社会事業、政治自体も愛に包括される故に、それに携わるものは愛に満たされるべきだと思います.そこに主の言われた『カイザルのものはカイザルに、神のものは神にかえしなさい』のみ言葉が成り立つのです。この世と自分との関係、自分と神との関係をはっきりと見極めてください。





【子供はまだ目を開きません】 列王下4章25〜37

 エリシャが預言者としてエリヤの後継者である事を示す賜物としての奇跡を通して、その事をここで語っています。この章では3つの奇跡を見ます。第一は預言者のともがらの未亡人が乏しさの中で、貸主が2人の息子を奴隷として連れて行こうとした事を聞いたエリヤは、彼女の唯一の持ち物は1壷の油(おそらく香油)でした。彼は近所の人から器を出来るだけ多く借りてそれのすべてのものに油を注ぎなさいと命じました。それらを売って難儀を解決し、その後の生活の糧とせしめましいた(1節〜7節)。第2は豊かで何不自由のないシュネムの婦人に独り子が与えられるとの彼の預言の実現です。第3は死んだその子を生き返らせた奇跡です。これ以外にも多くの奇跡がなされて、預言者のともがらの指導者として活躍しています。

 8節〜しもべのゲハジを伴ってのエリシャを食事に招き、屋上に休む部屋を作り歓待しました。神の聖なる人エリシャを生活の場ではない所に迎え、聖なるものを犯してはならないという配慮でしょうか、恒久的な壁の専用の部屋を提供したのです。彼はこのような婦人の行為に何か求めるものがあるのかとゲハジを通して「あなたはこんなにねんごろに、心を用いられたが、あなた為には何をしたらよいのでしょうか。・・・」自分は今の生活に感謝し満足している旨の答えをゲハジはもってきました。そして、彼は彼女には子供がなく、夫も年老いていますと言います。エリシャはゲハジに彼女を呼ばせました。彼女は来て戸口に立ちました。エリシャは「来年の今頃、あなたは一人の子を抱くでしょう」と告げました。彼女は「・・私を欺かないでください」と答えました。これは決して信じないというのではなく、子供が与えられないのは神様のご意思なのだから私は不平を言わず求めないのですとの意です。その頃ヘブル人は男の子が与えられないのは不幸なことだと考えていました。それでもこの婦人は神のご意思だとして無理に求めなかったのです。彼女にとって神のご意思が絶対的だったのです。

 18節、事もあろうことかその子が成長して、父を助けるべく畑にいたが「頭が、頭が」と父に言うので従者に母のところへ送らせました。そして子は母の膝の上で死にましだ。彼女はすぐにカルメル山のエリシャのもとに急ぎましだ。遠くからそれを見た彼はゲハジを遣わして家族の安否を問わせました。家族は皆変わりないと答えましたが、神の人の足にすがり付いて「・・・私を欺かないでくださいと申し上げたではありませんか。」それを聞いた神の人は杖をゲハジに託して子供の顔の上に置きなさいと命じました。それでも彼女は足を離さないので、彼は彼女についていきました。ゲハジは杖を顔の上に置いたが何の反応もありませんでした。引き返して「子供はまだ目を覚ましませんでした」と復命しました。

 エリシャは部屋の戸を閉じ二人だけになって主に祈りました。そして寝台に寝ている子供にかがみこみましだ。子供の体が温かくなったので、部屋の中を歩き回って再び子供の上にかがみ込むと、子供は7回クシャミをして目を開きました。彼はゲハジを呼びそして婦人にその子を引き渡しました。祈って与えられた事を実践に移した時神様が動かれたのです。

 この3つの奇跡はエリシャのカリスマと婦人たちの信仰が結びついて起きたものです。不可能と思われるところで、神様に出来ない事はないと確信して、祈りのうちに示された道を進む時、奇跡が起きてその恵みに与る事が出来ます。シュネムの婦人の信仰は熱心さと共に、助けて欲しいとの強烈な気持ちがエリシャを動かし、神様のご計画まで変更なさしめたのです。





【一粒の麦 地に落ちて死なずば】 ヨハネ12章20〜33

 主はご自分の時が来た事を悟られて、過ぎ越しの週の最初の日ザカリヤが預言したようにロバの子に乗られ平和の君としてエルサレムに入城なさいました。民衆は棕櫚の葉を手に取り、ホサナ(救い給え)・・・と主を歓迎して迎えました。ラザロの復活の奇跡が行われた事を知ったからです。ヨハネによるとイエス様の公生涯は2年前の過ぎ越しの祭りの時、神殿における宮清めに始まって、最期の過ぎ越しとしてエルサレムに入られたとし、他の3福音書はこの期間を3年としています。

 過ぎ越しの祭りの礼拝のために数人のギリシャ人がエルサレムに上ってきていました。彼達はギリシャ語が分かるピリポに「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼みましだ。ピリポはアンデレに相談しました。(ユダヤ人はあまり異邦人と関りを持たなかったからでしょう)二人はそのことをイエス様に告げました。このことが契機となって、重要な意味を持つ出来事になりました。ヨハネはギリシャ人たちと主との出会いには関心を示さず、ピリポとアンデレにお答えなさった事に注意を向けています。

 主は『人の子が栄光を受ける時が来た』23節と宣言なさいました。続いてイエス様の十字架の贖いが、ユダヤ人を初めギリシャ人すべての民族に及ぶ事を述べられるのです。キリストの十字架の贖いを信じる者は誰でも救われ光の子として永遠の命を得て、キリストの体なる教会の一員となることができるのです。主はそのことを21節から『はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛するものは、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は(捨てる・殺す)それを保って永遠の命に至る。25・・・』一粒の麦は地に落ちて死ななければ多くの実を結ぶことは出来ません。それと同じように神の独り子が贖罪の死を遂げられる事によって、多くの人に永遠の命が与えられるのです。

 イエス様の十字架の贖罪の死、死よりの復活は誰にも助力することは不可能でした。しかし聖霊降臨によって、十字架による贖罪、死よりの復活の事実を信じ、宣教の業によって全世界に述べ伝えられました。

 27節に「今私は心騒ぐ。何と言おうか。『父よ。私をこの時から救ってください』と言おうか.しかし、私はこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」他の福音書のゲッセマネの祈りより積極的表現です。この時を通過できるように私を助けてくださいと祈られるのです。父のご返事は『私はすでに栄光を現した。再び栄光を現そう』でした。咎なきお方が私達のために悩みなさるのです。

 私達は命を得る為にどうすればよいのでしょうか。自分中心に生きる自我を殺せばよいのです。私達は祈りのうちにも自我が死なねばならないのです。十字架に情と欲とを殺さねばならないのです。自分中心の祈りではなく、隣人のためのとりなしの祈りが必要なのです。そのとき自我に死んで真実の愛が与えられるのです。一粒の麦を地に落として死なねばなりません。

 私は若い時、賀川豊彦先生の「死線を超えて」を読んで社会問題に目が開かれ、政治に深い関心を持ちました。彼は自分を殺し、すべてを捨てて困っている人を助けました。賀川師の幅の広い、優しく、人の心にしみ込んで行く説教は今でも忘れる事が出来ません。賀川師といえば私はこの一粒の麦地に落ちて死なずばのみ言葉を思い出します。





【私に聴け】 イザヤ51章1節〜8節

 旧新約聖書は聴くという事を非常に大事にしています。ご存知の通り耳に入るものは何でも聞こえます。話を聞きながらそれを録音して後で聞くとこんなに雑音があったのかと驚きます。聴くは聴診器である箇所を集中して聞くように聴く事です。文章では通常聞くと書き、特別の時聴くと書きます。聖書も「聞く」と書いてありますが、聴く事であると心して読んでください。

 イザヤは「義を追い求め、主を尋ね求める者よ」と並行的に義と主を表現しています。神は隠されたものとして人には見ることができません。十戒が与えられたあの箇所でも濃い雲のうち、雷と、稲妻との中から語られています。ただ人は義においてのみ主なる神にお会いできるのです。ヘブル語の義の原意は正しい、正義の意味になります。人間の心と言葉と行為は曲がりくねって方向が定まりません。これをまっすぐにするのは神様が与える義のみです。神の義を追い求める事は、主を求める事を意味します。

 この者達よ、私に聴け、あなた方はどのような場所・境遇から救い出され取り出されたか考えてみなさい。あなた方の祖先・信仰の父と、あなた方を産んだサラを、私は独身の時に召し、祝福して子孫の繁栄を約束した。主はイスラエルを慰め、罪によって荒れ果てた地や、砂漠をエデンの園・主の園のように回復される。そしてその中に喜びと楽しみがあり、感謝と歌の声が聞こえる。

 私の民よ、私に聴け、耳を傾けよ(傾聴せよ)私が与えた律法の道を歩む事がもろもろの民の歩むべき模範となり、右にも左にも曲がらないまっすぐな道に進み、救いの業がなされるのです。7節「義(主)を知る者、心のうちに主の戒め律法を蓄える者は私に聴け、私の義・正義はとこしえに永らえ、主の救いはよろず世に及ぶ」と宣言なされます。

 シェーマーといえば旧約を学んだ人はすぐ申命記6章を開きます。モーセはヨルダン川をわたることは許されませんでしたので、主がモーセを通して民に告げられた命令を彼たちに伝えました。十戒を告げた後、6章1「これはあなた方の神、主があなた方に教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなた方が渡って行って獲る地で、これを行わなければならない」そしてシェーマーです。「イスラエルよ聴け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛さなければならない。・・・子らを教え・・・これについて語らねばならない・・・あなたの家の入り口の柱と、あなたの門とに書き記さなければならない」

 イエス様がマルコ12章28節以下、すべての戒めの中でどれが第一のものですかとの質問に答えられ『イスラエル聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛せよ、第二は、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ。これより大事な戒めは外にはない』と、お答えなされました。旧約の多くの戒めはこの二つに纏められると、主は言明なされているのです。世界には細則を入れると十数万の法律があるといわれます。それもすべてこの二つに集束されますのでこの二つを実践すればよいのです。それが聖書に聴く事に繋がります。





【さあ来て朝の食事をしなさい】 ヨハネ21章1〜14

 ヨハネ福音書は20章で完結しましたが、同じ著者によって21章は付録として追加されました。その第一の理由は15節以下に述べられます。三度主を否認したペテロが、主から弟子達の牧者として任命された経緯を述べ、第二に自他共に認める愛弟子ヨハネについて主のいわれた言葉が誤り伝えられていた事を訂正する為でした。20章での主イエス様の復活顕現はエルサレムかその近郊でした。21章ではガリラヤ湖畔でありました。14これで復活の主が弟子たちに現れたのは三度目でした。

 20章の復活は、最初はマグダラのマリヤ(弟子ではない)他の二つは弟子達に対するものです。イエス様は十字架の上で殺されて、弟子達は失望落胆していました。イースターの朝、マグダラのマリヤの知らせも、自分達の目で確かめた主の復活、クレオパのもたらした報告にも、彼達は確信を持ち得ないほど打ちひしがれ、ペテロは他の六人の弟子達と共に、故郷のガリラヤに逃げ帰りました。

 3「私は漁に行く」とペテロが突然言うと、彼達も「私達も行こう」と船に乗り込みました。しかしその夜は何も獲れませんでした。得たものは疲労と不満だけでした。イエス様が湖畔に立たれ『子達よ、何か食べるものはあるか』と言われました。「ありません」と答えました。すると岸辺に立つその人は『船の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』そこで、網を打ってみると、魚があまりに多くて、網を引き上げる事が出来なませんでした。ヨハネはルカ5章1〜11の主との出会いを思い出して、ペテロに「あれは主だ」と言いました。真っ先に反応したのはペテロです。裸だったので上着をまとって水に飛び込んで一瞬でも早く主のもとに行こうとしました。主との最初の出会いの時にも、「・・私は罪深い者です」と主にすぐ告白しています。私は主との出会いを経験した時に、献身を誓いましたが、生きて宇品港に上陸して以来いろいろ工作して、逃げようとしていましたが、逃げ切れず。52年前に元住吉に遣わされました。その時からペテロのように直ちに実践できる信仰者にしていただきたく祈りつつ歩んできました。

 漁師の経験や常識に基づいての働きが失敗した時、主イエス様のみ言葉だからと行動に移す事は困難な事だったでしょう。努力して安定した生活をしていても戦争などで、苦労して建てた家も貯金も国の為と無理して買った国債もみな失い丸裸にされました。現在の社会も苦労に報いられない状況です。しかし聖書は復活の主のみ言葉に従えばあなたの労苦が無駄になることはないと言います(コリント前15章58)。

 ペテロたちは一晩漁して収穫ゼロと気落ちしていた時、岸辺からの言葉に従って網を打ったところ魚が多すぎて船には引き上げられないので、曳いて行き岸に引き上げてみると153匹の大きな魚がいっぱいでしたが網は破れていませんでした。153匹とは、1から17までの自然数を全部足した数が153です。アウグスチヌスは律法が10、聖霊の賜物恵みの数が7、この二つを足したものが17、律法と聖霊の恵みによってキリストに導かれた人々を意味すると、エロニムスは当時知られていた魚の全種類を指し、イエス・キリストの下に全世界の人が集められる教会の普遍性をさすと言っています。(新聖書注解による)へブル語やギリシャ語のアルファベットその一つ一つが数字を表すと解釈すると、ゲマトリア(文字の数値変換)によって変換された聖書の言葉は数字を表しており、その法則性を見出すときに、人間には出来ない事で驚かされます。

 復活の主は死に打ち勝ちすべてに勝利されました。そのみ言葉に従う事が人生において153匹の大収穫を得る秘訣です。人間的な努力経験を超えた主に従う事こそが私達の労苦が無駄にならない道なのです。

 主は疲れきった弟子達のために炭火をおこされ、その上に魚がのせてあり、パンもありました。そして『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われました。私たちが毎日の生活に心身ともに疲れた時、主は炭火を準備なさり『さあ、来て、私の備えた食物(心と肉体)を摂り元気になり、健康を取り戻しなさい』と招いておられます。





【私達は新しい生命に生きる】 ロマ6章1〜14

 現在私達は神様の恵みの中に生きています。旧約の時代に生きた人々には律法が与えられ、それを厳守できた人のみ義(正しい)とされる事になっていました。しかし、律法は罪を増し加えるのみでした。新約時代に入ると、恵みが増し加えられました(5章20)。それはイエス様をキリスト(救い主)と信じる信仰による恵みによって、義とされることによってです。

 キリスト者とは、キリストの中に生きて、イエス・キリストにありて生きる事です。キリストと霊的に一つとされるのです。旧約の律法によって罪に定められた者がキリストと一つにされた事によって罪から解放され、新しい生命に生きる者とされたのです。今までは罪に支配されていたが、今や私達は義によって支配され、私達の主イエス・キリストにより、永遠の命をうる事が出来たのです。

 パウロはこの素晴らしい恵みによる業を三つのたとえで語ります。第一がバプテスマにより(1〜14)、第二は奴隷によるたとえ(15〜25)、第三は結婚の掟によるたとえ(7章1〜6)です。浄土真宗の開祖親鸞の歎異抄に「善人なほもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」しかるを世の人は常に曰く、『悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや』これはそれまでの仏教にはない発想法です。悪人が救われるには六字の名号の念仏を唱えればよいのです。そして阿弥陀仏に帰命すればよいと説きました。南無は帰命する(仏陀の救命に帰依する)これは他の念仏教に影響を与えた。これには人間の努力、修養などが必要なのです。

 パウロは6章3『・・キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けた私たちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。4「私達は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きる為なのです。」6章8「私達は、キリストと共に死んだのなら(洗礼を受けた)キリストと共に生きる事にもなると信じます」と証をし、宣言します。主イエス様は私たちに命への道を与えなさる為に十字架の死を通過されたのです。私達は善行を積んだり修養努力をする必要はありません。神様の恵みよって与えられる信仰、それによって与えられる神の義、イエス様をキリストと信じる信仰によって、この命の道を進むことが出来るのです。

 バプテスマはガラテヤ2章19・20の経験をすることです。「私は神に対して生きる為に、律法に対して律法よって死んだのです。私はキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」。この経験を直ちにする方もおられるでしょう。私のように9年もかかった人間もいます。戦争の為教会に近づけなかった点もあります。時間の問題ではありません。恵みによって信じる信仰が与えられるか否です。それゆえに私達は聖書を学び、より近く神に近づこうと祈り、主の前に出る礼拝を厳守するのです。

 私達は十字架によって開かれた生きた生命の道を、敬虔な思いと喜びと感謝をもって、主を仰ぎ見つつ歩みたいものです。





【悲しみの人】 イザヤ53章1節〜12節

 主は悲しみの人で、病を知っていました。彼はわれわれの病を負い、我々の悲しみをにないました(3・4節)。このみ言葉の重さは、死を潜り抜けられた者にとっては切実なものです。私は、去年の10月人間ドックにて腫瘍マーカーが癌の数値を示した時、ついに来たかという感じがしました。入院して精密検査を受けました。その結果を持って、部長、担当医、薬剤師の3人が病室に来られ病状を詳しく説明をされ、私は覚悟しました。私の心を過ったのはこの3・4節のみ言葉でした。と同時に、「私は残された時間何をすればよいのか。主は私の病を負い、それだけではなく立ちすくむ私に代わって悲しみまで担ってくださる。私は癌に侵されたことを悲しむ必要もない。すべて主が引き受けてくださる。」感謝という言葉で表すよりほかはありませんでした。周囲の人に「今までと変わりない生活態度ですね」と言われ、戸惑うほどです。

 神の御独り子イエス様が人間と変わらない姿でこの世に来られ、私たち以上に生きる悩み苦しみを経験なさいました。そして人類の罪の贖いのため、受けなくてもよい鞭打ちの刑(これのみで死ぬ人もでる)を受け、兵士たちからは茨で編んだ冠をかぶせられ頭から流れる血、全身からは鞭打ちによって裂かれた肉と血で真っ赤です。その上唾され、侮辱の極みです。十字架を負わされふらふらとゴルゴダの丘に向われるイエス様、カルバリーの丘に到着すると、痛む全身を無理に伸ばし十字架に押し付けて釘付けるのです。

 その息絶え絶えの中で、主は十字架につけようとする人のために『父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです』(ルカ23章34節)。私達の罪と咎の贖いとして十字架に釘付けている私自身のためにとりなしの祈りをされておられるのです。贖いとは奴隷などを代価を払って買い取るとか、物々交換をすることです。私の罪と人生の生きる苦しみ悲しみなどが、十字架上でイエス様の死によって交換されたのです。53章を声を出して読んでください。み言葉そのものより主の贖いの意味を受け取ってください。

 ガラテヤ5章24節の『・・自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである』2章20節の『私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた紙の御子を信じる信仰によって、生きているのである』

 私達の苦しみ罪を悲しまれる主の前に、我何をなすべきか、問いかけざるを得ません。





【激しく泣くペテロ】 ルカ22章54〜62・31〜34

 ペテロは純粋でイエス様を深く愛し信仰の人でした。また単純で行動力に富んでいて向う見ずの点もありました。31〜34。『シモン・・・私はあなたの信仰がなくならないように祈った。それであなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい』と主は言われました。ペテロはとんでもない事だと「・・・獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒行く覚悟です」すると主は『・・・今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度私を知らないと言うであろう』と言われました。ゲッセマネで主が逮捕されようとした時おそらくペテロでしょう、剣を振り回しています。弟子達はみな逃げさりましたが、彼はただ一人心配で見え隠れしながら後をつけ、大祭司の中庭に入り込んでいます。

 火にあたっていると主がペテロに言われたとおり三度主との関係の質問を受けます。三度目には「あなたの言っている事が分からない」彼が言い終わらないうちに鶏が鳴きました。主は振り向いてペテロを見つめられました。その瞳は咎めておられるのではなく愛に輝く目でした。嘘も方便だと主を心配する気持ちで一杯だったペテロ。うそも主を思う意味で許されるとの考えにサタンの働きかけによる罪である事も理解できました。と同時に主の言葉を思いだし、そこにいたたまれず、外へ出て激しく泣かざるを得なかったのです。

 イエス様は危険を冒して中庭に忍び込んでいるペテロを発見し、愛の目を彼に注がれたのです。ペテロが外に出て激しく泣いた(マタイ26章)のは主の瞳に満ちた彼に対する赦しと愛に感動したのです。数時間前に警告を受けていながら、主を三度も否定した彼を、責めたり叱ったりなさらず愛のまなざしを注がれたのです。

 彼の失敗・罪は許されました。そのとき弟子としてのペテロの方向が定まったといってもよいのです。主は彼に言われました。32節。主イエス様はペテロが信仰を失わないように祈られました。他の弟子たちのためにも祈られます。そして今も私達のために祈ってくださりそのことを私達は信じています。主はペテロが、イエス・キリストに対する正しい信仰がなくならないように祈られるのです。そうですペテロや外の11弟子達が間違った信仰に進まないに祈られるのです。

 ペテロはこの主のお祈りによって立ち直る事が出来ました。自分の力で出来たのではなく、主が祈られて与えられた信仰であり恵みである事を知るのです。彼は立ち直る事が出来たのです。だから彼は失敗した弱さを知る兄弟姉妹を力づける事が出来るのです。例え誰が信仰から離れても、自分が主に祈られて立ち直ったように兄弟姉妹のために祈って立ち直させる事が出来ます。執り成しの祈りをするのです。

 主を三度否定した彼に主は私を愛するかと(ヨハネ21章)三度わたしはあなたを愛すると答えしめしました。「主よ、あなたはすべてご存知です。私があなたを愛している事は、お分かりになっています」その彼に主はなすべき業、私の羊を飼いなさいと命じられました。私たちが主の愛に立ち返ったとき、それぞれの立場で何をなすべきか、主ご自身が直接教え、それを実行する信仰と知恵と力を与えてくださいます。それぞれに主の与えなさるご命令は次の機会に学びます。





【疑わないで信じるなら、その通りに成る】 マルコ 11章20〜26

 若い頃から聖書を読んでいて、分からない事や納得できない事が多数ありました。そこを含めて聖書全体を何十回も通読するうちに理解できて、ただ驚くばかりでした。イエス様のなされた奇跡の中で唯一の裁きでイチジクの木が呪いによって枯らされた事です。何故だろう。この前後を見たとき分かり、聖書は何としても通読に限ると強く自覚しました。

 イエス様は受難週の月曜日、ロバの子に乗られてエルサレムに入城なさいました。主を取り巻く群衆は、熱狂して主を迎え棕櫚の葉をかざして、「ホサナ(どうぞ救ってください・今救ってください)ホサナ・・・」叫んでいました(9・10節)。主は黙々と宮に進まれ、宮のすべてのものを見まわった後、12弟子と共にベタニヤに出て行かれました(11節)。

 翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、主は空腹を覚えられ、葉の茂ったイチジクの木を見つけられ、実がないか探られたが葉のほかなにも見当たりませんでした。主がその木に向かって『・・・お前の実を食べる者がないように』といわれるのを弟子達は聞きました。それから主は宮に入られ、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出し、両替人(神殿で使用する貨幣と両替する)の台や、はとを売る(犠牲にする)者の腰掛を覆しました。宮の庭を近道に利用するものをお許しにならなりませんでした。それは昨日宮のすべてを見まわった時、ユダヤ人が形式的に神を崇めているが、霊的には神を利用しているさまをご覧になり心痛めておられたので、宮潔めをなさったのです。決して暴力を振るって悪を駆逐されたのではありません。

 エルサレムの神殿では、拝礼する人々が犠牲の動物を携えてきても、祭司の調べに合格したものだけが捧げられました。あらかじめ祭司と取引した検査済みの犠牲の動物を買った方が便利でしたのでそれを商う人々や、神殿に納めるユダヤのシケルに両替する商人が多くいたのです。主は『私の家は、すべて国民の祈りの家と、となえらるべきである(イザヤ5,6、7)』と教えられ宮を盗人の巣としてはならないと、宮潔めをなされたのです。

 翌朝先のイチジクの木のそばを通るとのろわれた木は根元からかれていました。それを見たペテロの言葉に主は『神を信じなさい(神の裁きをも含めて)・・・・』山は困難の象徴として用いられました。『自分の祈ったとおり成ると、心に疑わないで、信じるならその通りに成る。そこで、何でも祈り求める事は、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りに成る』と言われました。祈りは、神様に対する具体的な信頼の表現です。祈り求めたことは既に得られたと信じることです。そして祈った事が現実になるのです。これは枯れたイチジクの木の教訓です。

 私は聖書の言葉がそのときには分からなくとも、それには意味があるはずだと受け入れる事にしています。70年近い信仰生活でそれが間違っていなかったということを数多く経験しました。心に疑わなければ、神のみ言葉は必ず実現します。





【主のみ翼の陰に】 詩篇57篇1〜11

 野にいる小鳥が、雛を巣で抱き育てている時、嵐が来ると親鳥は自分自身びしょぬれになり震えながらでも雛の体温を保つ為、嵐が去るまで羽を広げて雛を守ります。このことを知っていたダビデは、「自分を滅ぼす嵐が過ぎ去るまでは、主のみ翼の陰を私は避けどころとします。わたしの魂はあなたにより頼みます。神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。」と祈るのです。

 この祈りの歌は、サムエル記上24節の出来事の時に歌われたものです。「聖歌隊の指揮者によって、・・・・・ダビデが洞に入ってサウルの手を逃れたときによんだもの」と表題に有ります。

 サウル王はイスラエル軍の精鋭の中から三千の兵を率いて、ダビデとその従者を追ってエンゲデの荒野に向かいました。王に歯向かう意思のないダビデは、主により頼むより外に道がないと、詩篇57篇の祈りがなされたのです。あわれんでくださいと、二度も祈ったその時、洞窟の奥にダビデたちが息を潜めていたその場所に、ただ独りで用を足すべくサウル王が入ってきました。ダビデの部下たちは、今こそダビデの命を狙う敵を撃ち殺す神様が与えた摂理の好機だと彼にささやくのですが、彼はそれを退け、サウル王の上着のすそを切り取ったのみです。しかし、ダビデは5節で、そのことに心に責めを感じて、6・7節で従者達に言って、彼たちの殺意を許しませんでした。上着は王としての権威を示すものであり、体の一部とまで解釈されていたのです。

 このことでダビデは、サウル王に密かに無言の抵抗の姿勢を示すと共に、その上着の一部を手元に置くことによって、後でサウル王に見せて彼に殺意のない敵意のないことを示しました。この上着の一部が無言の抵抗のしるしであり、王に対する服従の象徴でもありました。神様が油を注がれて王とした者を尊重する神に対する従順の姿勢です。

 これが57篇のわたしをあわれんでくださいと祈る彼の姿の現れです。神により頼み神に保護され神のみ翼の陰を避けどころとしている彼が、いかに悪意敵意を隠さないサウル王が無防備でいるところを殺す事は神に対する反逆だと、王の上着のすそを切ったのみでも自分を責める信仰の人です。現代に生きるキリスト者も持たねばならないものです。

 思慮のない人間は、敵対関係のものを徹底的に攻撃、叩き伏せるか、相手に屈服し盲従するかのどちらかです。敵意を示す者にはつつましく抵抗して自分の意思をはっきり伝える事は大事ですが、同時に悪に反抗するのではなく主に委ね、じっと神の時を待つことが信仰者の取る道です。これが平和を作り出すことです。祈る。信仰を持つ。そこには神の時を忍耐して待つことを意味している事を忘れてはなりません。

 ダビデは57篇の祈りの姿勢の生活をもって、王となりました。それだけではなく主イエス様の肉の祖先となりました。それによって主イエス様がダビデの子とまで呼ばれるようになったのです。





【御心のままになし給え】 マルコ14章32〜42節

 ある高名な説教者がイエス様の祈りで神から受け入れられなかった唯一の祈りはゲッセマネの祈りだと、自分の耳を疑いました。人間イエス様の『アバ、父よ、あなたには、出来ない事はありません。どうか、この杯を私から取り除けてください。しかし、・・・』このしかし以前のお言葉をさしているのでしょう。祈りがここまででしたら、独り言の世界での言葉で終わり、祈りは成り立っていません。

 この祈りは、しかし以後の言葉が発せられて、神様との対話となり祈りが成立するのです。前半だけでは人間イエス様の願いで、ごく自然な事です。人間の経験・知識では当然の願望です。それゆえにこそ人間の合理性が、神のみ言葉、神に対する絶対服従の妨げの壁になるのです。人間は神様のみ言葉に応答する存在として神に似せて創造されたのですが、始祖アダムとエバが蛇(サタン)の誘惑に負けその罪の為、神様の『あなたは、どこにいるのか』問いかけの真意を知らず、エデンの園の木の間に隠れアダムはトンチンカンな答えで対話が出来なくなり、祈りそのものも罪の為、独り言になりやすくなったのです。

 主は『しかし、私の思いではなく、みこころのままになさってください』と切実な祈りをなされ、父との対話が回復されました。このゲッセマネ(油絞り)の園で汗を血の滴りのように絞り出しての祈りこそ、十字架の勝利を得られた場所であるといっても過言ではありません。33節で弟子達を置いて、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて祈り場に行かれましたが、主は恐れおののき、また悩み始めて彼らの言われました。『私は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目を覚ましていなさい(祈っていなさい)』人間イエス様の願いは苦い杯(十字架刑)を取り除いて欲しいという事です。しかし主は個人の願望を超える父なる神のご意思を第一としたのです。神の御心に応答したのです。

 私たちキリスト者は独り言の世界に住んではなりません。キリスト教は交わり(コイノニア)の宗教です。独りで聖書を読み礼拝していても信仰の維持は困難です。教会がないという無教会の方々も日曜日には聖書の学びの時を持ちます。組織作りをしませんが、交わりは大事にしています。兄弟姉妹達との交わりの中で神のみ言葉を聴き、お互いのとりなしの祈りをしなければキリスト信仰ではなくなってしまいます。

 主は祈りの場に弟子達の代表者として3人を伴われました。私はモーセを思い出します。出エジプト記17章8節以下。アマレク人がレピデムで戦いをイスラエルに挑んできました。ヨシュアが戦い人を率いて戦いました。モーセはアロンとホルと丘の上の頂に登りました。モーセが手を上げていると(祈っていると)イスラエルが勝ち、疲れて手を下げると、アマレクが勝ちます。そこで二人がモーセの腕が重くなって手を下ろさないように支えたのでアマレクを打ち破りました。神はモーセに『これを書物に記して記念とし、ヨシュアの耳に入れなさい。・・』モーセは祭壇を築いて「主の旗に向かって手を上げる、主は世々アマレク(敵対する者)と戦われる」と言いました(16節)。

 ところが主イエス様が人間の合理性と、神様のご意志との闘いで血の汗を流して祈っているその時、弟子の代表者たちは肉体の疲れゆえに眠り込んでいました。この弟子たちが、アロンやホルのようであったら主はどれだけ力づけられた事でしょう。翻って主が人類の救いの為血を流されたのに、私は一体何をしているのか。この歳になって心痛むことしきりです。





【主が命じられたように行った】 出7章1節〜8節

 出エジプトの出来事で疑問を持った事があります。神様は2節と二人に命じておられながら、3・4節ではパロの心をかたくなにし、あなた方の言う事を聞かないであろうと前後矛盾している事です。しかし注意して読み直すと、二人を通して奇跡の業を行い、エジプトにとっては、それが大いなるさばきとなり、ヤァウエーの神を知るようになり、イスラエルにとっては、エジプトからの脱出が神の力と恵みである事を経験する事であったのです。

 神様がご自分の計画を成就される第一の手段が、パロの心をかたくなにする事でした。そうすることによって神の力が、しるしと不思議と大いなるさばきで表され、神ご自身の民・選民・イスラエルを奴隷の地エジプトから救い出されたのです。旧約では出エジプトの出来事を述べる時には、奇跡をしるしと不思議と共に使われています。不思議はある奇跡の業を目撃した者の驚きを示しています。しかし奇跡は単なる不思議だけではなく、神の臨在のしるしでもあります。またそのなされた奇跡そのものに重要性があるよりも、それをなされたお方の恵みと力を示される事に大きな意味があります。

 神様はモーセ達を派遣なさった時、彼に二つのしるしを与えられた。パロはモーセがほんとに神の使者であるか、その証拠を見せよと迫りました。モーセにはそれを示す力が与えられていました。それは神の大いなるさばきとしてのしるし、十の災害を下す力でした。それによってエジプトは主の力を知るようになり、イスラエルは主の差し伸べられた手によって救い出され神の恵みに与るのです。

 6節.モーセとアロンはそのように行いました。すなわち主が彼らに命じられたように行いました。彼らがパロと語った時、モーセは80歳、アロンは83歳でした。10節モーセとアロンはパロのところへ行き、主の命じられたとおりに行いました。神様はこの時のために、モーセを40年間パロの娘の子として訓練、教育され、後半の40年間はミデアンの地で羊飼いとして主人に仕えさせ、宗教的・人格的な教育を施されました。そのようにして選民を奴隷から救い出す器としてパロの前に立たせられたのです。

 私をモーセにあやかるように述べるのは、おこがましい事ですが、戦時中の出来事、結核で療養所に入院した事、小学校の教師をした事等。今にして思えば元住吉での開拓伝道をなすべく訓練なされたのだと驚くべき不思議な事どもです。私のように記憶力の弱い、それでいて傲慢な人間をゼロからたたきなおして信仰に生きるよう導かれた神様のみ業は私自身にとって、不思議な奇跡であると感謝せざるを得ないのです。

 モーセが80歳にして、神様の命令を行うべく、パロの前に立ったように、私もいける限りこの元住吉教会でご奉仕をさせていただきたく願い祈っています。(先主日18日、わたくし80歳になりました)





【あなた方が信じるためです】 ヨハネ13章1節〜20節

 昨年ユダの福音書と称するパピルスに記された文書が見つかり、識者の間に話題となりました。ユダは自殺して書く暇はありませんでした。グノーシス派の人がユダの弁明のために書いたものです。

 日本のグノーシス研究の第一人者荒井献氏が「ユダとイエスとの歴史的関係が覆されたとは言えず、彼が弟子でありながら何らかの理由でイエスを裏切り、当局に引き渡したとの史実性は否定できない」と述べ続いてユダの復権に意味があるとすれば、「正当的教会が自らの罪を負わせ、スケープゴート(贖罪の山羊)として追放しようとしたユダをイエスの愛弟子に回復させた点」と「初期のキリスト教に多様性があったことを明らかにした点だ」と語っています(キリスト新聞)。

 1節「過ぎ越しの祭りの前に、・・自分の時が来た事を知り・・彼たちを最後まで愛し通された」夕食の時、悪魔はすでにユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、主はユダを含めて弟子達の足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいで拭き始められました。ペテロは恐縮して、「私の足は決して洗わないでください」という彼と主との問答が繰り広げられました。イエス様の洗足の意味は、イエス様の真の贖いの死を信じる者の完全な潔(きよめ)であり、このことを通してお互いの間に愛を行うべき責任を与えられたのです。

 何ゆえ主はユダの裏切りを承知されていながら、12弟子に加えられ愛し特別に用いられたのかは人知には計り知れない事です。詩篇41篇『私のパンを食べている者が、私に向かってそのかかとを上げた』ユダが裏切りの第一歩を踏み出す前のユダのみに分かる言葉です。今かかとを上げたがまだ主人を蹴倒す馬ではない。やめなさいという主の愛の忠告です。主が弟子の足を洗われました。ユダが裏切る者である事を知りつつも他の弟子達と同じように彼の足を洗われたのです。主イエス様のお言葉は単なるお人よしの言葉ではなく、聖書の言葉の成就である事をご承知でユダに対するご警告なのです。それでもユダによる裏切りによって、十字架の死がやってくる事を知っておられました。

 このユダに対するご忠告は失敗だったのでしょうか、そうではありません。弟子達が予想もしない十字架の死が突然やってきても、弟子たちが主のご使命を信じるためでした。19節『・・・いよいよ事が起こった時、私がそれである(モーセに告げられた出三14)を、あなた方が信じるためである』十字架の出来事が、モーセが経験した神・経験と同じ神・経験をするためなのです。

 主の体・教会にもいろいろな人がおられます個性の違いだけではなく、共に礼拝を守り、讃美し、祈り、交わりを持っていても、ユダが不満を持って主を裏切り交わりから出て行ったように、交わりから出て行く者も出ます。しかし主にある教会は『私はある』といわれる経験をするのです。それだからと言って教会が分裂・騒動を起こさないように信仰から外れた妥協はしてならないのです。信仰に立っているならば教会に残された者たちが『わたしは有って有る者エヒエー・アシェル・エヒエー』といわれる神を信じる事が出来ます。

 主は弟子の一人に裏切られて十字架の死を遂げられた。神はそれをあがないの死と受け入れられ、十字架の死は私の贖いであると信じる者を救い永遠の命を保障なさったのです。ユダの裏切りに残された者が、イエス様のお言葉を信じ神体験をして、すべての真理を知る事が出来るのです。





【来たれ真実の平和よ】 イザヤ2章1節〜22節

 本日は建国記念日です。日本書紀に神武天皇(架空の存在)が元旦に橿原に宮を建てたと書かれその日を建国の日としました。本来はお正月に祝うべきものです。明治初期には歴史の記念日は何でも西洋の暦に換算する事が流行っていました。それで2月11日を、明治5年に政府が神武天皇の即位の日と定め、敗戦に至るまで紀元節として祝ってきました。私は新生日本の建国日は8月15日だと考えています。

 その日を境として殆どの日本人が、民主主義者・自由主義者・平和主義者になりました。9月には内閣声明で、永久に戦争をしない平和国家建設を誓いました。私はビックリしました。それにはイザヤ書の2章4節が謳われていたからです。『その剣を打ち変えて、鋤とし、その槍を打ち変えて、かまとし、国は国に向かって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いの事を学ばない』とありまして、国民は大歓迎で声明に賛成しました。その延長上に明治憲法を廃止、新憲法が制定されたのです。新憲法の要は前文と第9条です。私達のように学びや、また職場から大勢の若人が戦地に赴き、血を流し無念のうちに命を落としました。その無念さが生み出した平和です。この犠牲によって廃墟の中から今の繁栄、平安な日本が築かれた事を忘れてはなりません。私は自分自身の戦争中の苦しさ情けなさを土台として平和を語り続けているのではありません。苦しみ悩みもがきながら将来のある若い命を捨てざるを得なかった仲間、まかり間違えれば私も同じ運命をたどったのです。現在の若人に同じ苦しみを味わって欲しくないのです。

 2章1節、若いイザヤは先見者として示された神の言葉を見て語るのです。聖書は過去を語る時それを前とし、将来のことを後と語ります。現代人は未来を前に見て、過去のことを後のものとして忘れ去ろうとします。聖書はその正反対の見方をしています。後に続く未来も大切です。そこに来るものが重要だからです。イザヤにとってそれがいつ来るという事は問題ではなく、その内容と、それがいつか来るという確実性と終末に生きる態度こそ重要でした。主の山において見た幻は、同時代の預言者ミカも預言者の共同体の伝承の中に、御霊に導かれてイザヤと同じように見ているのです。ミカ4章1〜5.北王国のヤラベアム王と南王国のウジヤ王時代の平和と繁栄が見せ掛けで一時的であると見て終わりの日の近い事を予想して預言するのです。

 預言者達は排他的なナショナリスムには立っていません。「すべての国は従い、多くの民は、主の道を教えられ、その道を歩む」2〜3。本物のナショナリストは排他的ではなく、他者を敵視する事はありません。この本物の愛国心から出てくる思想が4節なのです。形式的な平和思想とはかけ離れています。ですから憲法第9条は理想論であって現実的でないというのです。『彼(主)はもろもろの国の間にさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる』主に従い、主の道を歩む者のみが実践して知る道なのです。主に選ばれた神の国を愛する者においてのみ実践可能なのです。

 日本が60年間平和を保ち繁栄してきたのも戦争をしなかったからです。主の教えである道を、理想論とせず憲法を掲げていたからです。4節の言葉の精神を生かしてきたからです。しかし残念ながら現在の情勢は正反対の道を進み始めています。これを食い止めるにはキリスト者を1人でも多くして、主の教えに従い主の道を歩む者で教会を満たさねばならないのです。真実の平和は主にのみあることを確信するものです。





【パロとエジプトに対する十の災い】 出10章21節〜29節

 私は出エジプトで神様がモーセを通してなされた十の災いを読んで不思議に思った事がいくつかあります。神様は民の嘆きを聞かれ、しり込みするモーセをパロのもとに送りイスラエルの民の救出に当たらせられたのですが、パロが出発を許可したのに何ゆえ主はパロの心をかたくなにして、脱出を拒ませイスラエルの民の労働を重くし、より以上の苦しみに追い込まれるのか、十の災いよりも全能の力でパロを動かし苦しむ民を救わないのだろうか、モーセが主のご命令でパロの前に立って行った奇跡は何の意味があるのだろうか等等です。

 学者たちもこの十の災いは何だったのかと理解しようと種々の解釈をしています。幾つかを紹介します。

 1)それは現実的なものではなく、すべて空想であるとする。

 2)エジプトの周期的な気候と同じ順序で行われたとする例は以下のとおりです。(A)6月ナイル川の水位の最も低い時に発生しやすい赤い藻のせいである(水が血になった)(B)7月増水の後、かえるが多く陸地に上がってきた。(C)8・9月暑い夏にはブヨとアブ、ハエが多く発生する。(D)10・11月ナイル川が氾濫し洪水がおきて湿気がひどく、動物などが疫病や皮膚病に悩まされる。(E)1月大麦が穂を出す頃、霜や雹などで害を受けやすい。(F)2月早春に植物が芽吹いた時、トノサマバッタ(旧約はイナゴという)の発生で大被害を受ける。(G)3月熱風が砂嵐を起こして暗闇が続く事もある。(H)過ぎ越しの祭りによって季節を知る事が出来る。

 BC15世紀頃、エーゲ海のサントリニ島の火山が噴火して、火山灰(ナイル川が血になる)や大津波(紅海渡渉)などの影響があった。(新聖書注解による)。と説明されています。

 無理してこれらの災いを科学的に証明しなくとも、それらの奇跡の意味を見極めればすべて神様の綿密なご計画のみ業と知り信じることが出来ます。当時のエジプトは日本の八百万(やほよろず)の神と同じように多くの神々がいた。エジプトの古代遺跡はすべて宗教に関係したものです。

 九つめの災いは、エジプトの最高神ラーに対する3日間の暗闇はヤハウエーの全能を示すものです。また彼たちが神聖視していたナイル川が血に満たされたこと、呪術師が手品で蛇を出したが、アロンの杖の蛇がすべて呑み込んでしまったことなど。彼達はフェテシスム崇拝で自然物を拝んでいました。それらの彼たちが神とする物の上にヤアウエーの神があることをエジプト人にもイスラエルにも知らしめる為でもありました。この災いの神様の目的はまだまだあります。それらを知る時神様のご計画は深いところにあることがわかります。出エジプトを注意して読みますと、いたるところにうかがい知れない神様のご計画を見ることができまして、私達のキリスト者の人生に働かれる神様のご計画を知り感謝せざるを得ません。





【人間の考えと神様のご計画】 使徒行伝9章1節〜9節

 イエス様の十字架死、復活(AD29年頃)後3・4年はエルサレムでキリスト者が著しく増加しました。ユダヤ語を話す信徒は神殿で礼拝を続けていました。それゆえかユダヤ教から完全に抜け切れていないものも多くいました。また祭司たちの中にも多く信仰を受け入れる者たちが増えていました。ギリシャ語に堪能でヘレニズム(ギリシャ哲学・思想)によって福音を解釈していたデアスポラといわれるユダヤ人は自分達の会堂を持ち、伝道・教育をしていました。

 彼達はキリスト教の立場からユダヤ主義者が捨て去る事の出来ない神殿と律法に対する批判を繰り返していました。またローマの奴隷から解放されたリベルタンといわれる人たち自身も独自の会堂を持ち、ヘレニズムによるデアスポラと対立し指導者の一人ステパノと議論をしたが、対抗できなかったので捕らえさせ議会に引っ張り出し彼の証に難癖を付け、彼を市外に引き出して石で打ち殺しました。そのとき彼たちを扇動したサウロの足元に脱いだ上着を置きました。8章1節サウロはステパノを殺す事に賛成していました。このサウロが後の大使徒パウロです。

 その日エルサレム教会で大迫害が起こり、信徒の逃れた者はユダヤ・サマリヤに散らされました。その人々はその地で神の国を述べ伝えたので、多くの人がイエスの名によるバプテスマを受けました。

 サウロは、大祭司の添書を携えて、迫害と殺害の息を弾ませながらダマスコへと向かいました。熱心なパリサイ派である彼にとっては、旧約のヤァウエに対する反逆者を投獄し殺す事は神に忠実な行為であると熱心に迫害したのです。ところがダマスコの近くに来た時、突然光がさして、地に 打ち倒された彼に『サウロ、サウロ、何故私を迫害するのか』との呼びかけを聞きました。彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねました。答えは『私は、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町に入っていきなさい。そうすれば、そこで、あなたのなすべき事が告げられるであろう』・・・・彼は三日、目が見えず、食べる事も水を飲むこともしませんでした(断食祈祷をしていた)9章。ダマスコの主の弟子アナニヤが主の命令によって、「真すぐ」という路地に行ってサウロの頭に手を置き、聖霊に満たされるよう祈ったところ目からうろこのようなものが落ちて、元通り見えるようになりました。(目からうろこが落ちるという諺が出来た)サウロの回心です。彼は直ちにバプテスマを受けた。使徒パウロの誕生です。

 キリストの大迫害者サウロが救われ、大使徒パウロとなったのは神様の長いサウロにたいするご計画でした。神の時来たったので、自然現象に干渉なさって彼を救い、異邦人に対する使徒と召されたのです。ステパノ殉教からその後の迫害の中で多くのことを学ばされていたのでしょう。サウロの迫害の計画を主は彼の回心の場とされたこれが神様の摂理です。摂理は聖書独特の神様の働きです。人の計画に対峙する神様の全知全能のご計画です。

 キリスト者は何方でもこの神様のご摂理により救われました。祈りつつ、み言葉に従えば主のご摂理のもとに最善な人生・生活を送ることが出来ます。祈る時自分の意思、考えではなく、神の御心であるならばなしたまえと祈る者は、神様のご摂理の中に置かれます。





【神は正しい者の道を知られる】 詩篇1篇1節〜6節

  詩篇は150篇から出来ています。その緒論、序章がこの1篇です。これは150篇の結びに呼応するものです。また詩篇全体の要約ともいえます。神の啓示としての律法にしたがって歩む者の幸い、神からの祝福を歌います。一方この律法を無視する悪い者の歩む道の滅びの末路が描かれます。

 内容に入りますと、1節と6節、2節と5節、3節と4節と神の正しい道を歩むものと、悪しき者の歩む道が、対置され示されています。まず1節に正しい者の消極的な歩みが「・・・歩まず、・・立たず、・・座にすわらぬ」として現れています。共同訳はヘブル語聖書の語順どおりに『いかに幸いな事か』と感嘆の言葉から始まります。この幸いの原意は『直くあゆむ』アーシャルという動詞からきていると言われます。したがって幸いとは静的なものではなく動的な人格行為です。主イエス様の山上の説教の最初(マタイ5章)幸いなるかなマカリオスと9回も語られておられます。 

 詩篇は悪人・罪人・嘲る者と歩み、立たず、座に着かず。悪の深みに入って行かない者は幸いだと消極的に述べています。6節:知っておられる。知的理解のみではなく人格的交わりを意味する。それに対して悪しき者のみちはほろびです。

 2節:幸いな者は消極的悪に組しないだけではなく積極的に神のみ言葉に従う事を喜ぶ。それに対して5節:悪しき者は神の裁きに耐えることが出来ず。罪人は神の選民の集いの中に立ち得ないで滅びに至る。

 3節:昼も夜も主のおきてを瞑想するような人は荒地の中を流れる水路のそばに生えている果樹のように時が来ると実を結び栄える事が出来る。悪しき者はこの反対です。命の水で養われていない者はもみがらのようなもので命がないゆえに、根づかず、風に吹き飛ばされてしまいます。

 4節〜6節までは悪しき者の歩む道が、滅びに至る事を実例的に、消極的行為、積極的行為を描き出しています。神に逆らう者の歩む道の末路は滅びです。

 『私は道であり、真理であり、命である(ヨハネ十四章6節』』イエス様の道とは神様が啓示されたみ言葉です。そのみ言葉を信じ、右にも左にもそれずに進み行くのです。その道が潔めの道です。キリストの道は2千年来いかなる時にも神の国をはるかに見ることのできたものです。

 幸いなるかな、主の道を歩む者は。6節にあるように私たちを知り深い交わりに与るのです。3節のこのような人のところにご自分の名前を入れられるよう、潔められた生活をしたいものです。





【アブラハムの子であるダビデの子】 マタイ1章1節〜17節

 ユダヤでは伝記を書く時、系図を書くことは自然であり大切な事とされていました。特にマタイはユダヤ人に対して福音書を書いたものですから当然の事です。ユダヤ人は系図を非常に大事にしていました。ヘロデ王はエドム人でしたので彼たちに軽蔑されると劣等感からユダヤ全国の家系図を焼き捨てるよう命じた。しかし家系図は公の場所に保管されていました。

 英語を学ぶには聖書が良いと聞いていたので、少し分かるようになって聖書を開いて早速この系図に躓きました。牧師から、聖書を通読する時、分からないところがあればそこを飛ばして読むように言われていたので、先に進みましたが、この系図が心の片隅に残りました。聖書を学ぶ事で何故新約聖書の最初に系図がおかれているかを知り、驚きをもってこの系図を旧約を参考に見直したことを今でも忘れる事が出来ません。第一、ルカ4章の系図は、ヨセフから遡ってアダムそうして神に至っていますが、マタイは、アブラハムからダビデ王を経て、ヨセフに至り、マリヤからキリストといわれるイエスがお生まれになったと述べます。第二、系図は14代ごと三つのグループに分けられている事。第三、通常の系図には女性の名が記されることはないのですが、4人の女性の名があります。

 ・・の子イエス・キリストの系図。マタイはイエス様こそダビデ王家の血統直系のメシヤであると語るのです。神様はアブラハムの子孫によって全世界を祝福すると約束された。その約束をイエス様において成就されたのです。ダビデはイスラエル歴史上の偉大なる王であり、その子(子孫)によって王座が永遠に確立されるのです。メシヤはダビデの子として来ることをユダヤ人は待ち望んでいました。イエス・キリストと見えるのは、この系図が旧約と新約つなぐ役目もしています。16ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父でした。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生まれになりました。15まではエレアザルはマタンの父、ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。マリヤからイエス様が生まれた。これは当時マリヤの処女降誕を否定する者に対するはっきりした否定です。

 第二、14代は完全数七の倍数でより完全を表している。系図が聖であり、完全である事を聖書を熟知するユダヤ人は読み取ります。

 第三、四人の女性。三節タマルはしゅうととの姦淫によって、パレスとザラを生んだ(創世記38章)。5節、ラハブはエリコの遊女(ヨシュア2章)。ルツはモアブ人律法に「アンモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子供でさえ、決して、主の集会に、入ることは出来ない(申命記二十3。6節)。」バテシバはダビデが忠実な部下のウリヤ将軍を戦死(殺して)させて奪った女でした。(サムエル下12章)この4人の女性はメシヤの系図の穢れです。あえてこの汚点が記されたのは、1)メシヤの血統の中に不倫の穢れがあり、異邦人の血が混じっている事で、ユダヤ人の高慢をくじく為であり。2)それらを赦す神の愛を語り。3)処女マリヤのよるイエス様の誕生が、マリヤの不貞によるというユダヤ人の誹謗に答えるためでもあります。マタイはアブラハムとダビデの血統の中の汚点に注意を引く事によって、神が一人子の母として選ばれたマリヤに対する誹謗を止めようとしているのです。

 この意味のない人名の羅列に深い意味を読んだ時、驚きと共に聖書の素晴らしさを知り、ますます興味を抱きます。