旧新約聖書は、眠りについて三種類述べています。生物としての眠り、霊的に怠惰な眠り、死としての眠りです。パウロが第二回の宣教旅行の途中に開拓したまだ若いテサロニケ教会で、親しい人々の死に接した教会の人々が悲しんでいるとの報を聞いた彼は、「眠りについた人々については無知でいてもらいたくない。私達は望みを持っているから悲しむ必要はない」と述べるのです(13節)。
あなた方が信じているように、主は十字架で死んで復活されました。それと同様に神はイエス様にあって眠っている人々をも、イエス様と一緒に導き出してくださいます。天使と声とラッパの鳴り響くうちに主が再臨なさるその時、キリストにあって死んだ人々が最初によみがえり、神の栄光のうちにそれらの聖徒たちを従えておいでになる主と地上にいる聖徒達も神の栄光の中に、先によみがえった方々と神の栄光の中(天から下り雲に包まれて空中で)再会できるのです。
「時」に対して、χρoνωσ(クロノース:時の流れの長さ)、καιρωσ(カイロース:時の質的面、ある出来事が起きる機会)の2種類の言葉があり、これを合わせて1つの言葉としてテサロニケで使われています。前テサロニケ五章に1)時と場所は主も言われたように誰にも分からない。主の日・再臨は盗人が夜来るように来る。人々が平和だ無事だと言っている矢先に・・突如として滅びが襲ってくる。テサロニケの信仰者は主の再臨を信じてはいましたが、その日は自分達に生きているうちにあると思っていたので先に眠った人々はどうなるのかと心配していたのです。再臨の時と場所は聖書のどこにも示されてはいません。
ただ「何時そのことがおきても良いように霊的に目を覚ましていなさい、油断をしてはならないと信仰と愛の胸当てを身につけ、救いの望みのかぶとを被って、慎んでいよう」と勧めるのです。初代教会の信徒は再臨がすぐ来るとの強い切迫感を持っていたので激しい弾圧の中でも望みを捨てることなしに励ましあって苦難を乗り切れたのです。
私達はキリスト者の象徴として十字架を考えますが、当時のキリスト者は周りの人に気づかれないように「魚」をマークとしていました。魚はギリシャ語でιχθυσイクスース(イエス・キリスト・神の・子・救い主の頭文字)そして彼達は自分達の故郷は天国(神のみもと)にあると信じ、主が言われたよう地上に蓄えた宝は朽ち果て、天に宝を蓄えたものは朽ちないとお互い愛し合う生活をしていたのです。
私達の信仰の先輩者方は天に宝を積んで神のもとへと凱旋されました。やがて主の再臨のときに神の栄光の中で再会できます。そのことに望みを持って、互いに慰めあうのです(18節)。キリスト者は永眠の別れの時に再会を約してお互いしばしの別れをするのです。礼拝は地上と神の元とに分かれていますが共に礼拝しているのです。
3章1節:さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
へびに姿を変えたサタンの誘惑は、「ほんとうに神が言われたのですか」という、とても小さな声掛けでした。サタンの働きは神の側にいる者たちを神から引き離すことにあります。そのサタンが最初にしたことは、小さな神への疑い、疑問を起こすことでした。この小さな事が最も効果があることをサタンは知っていました。「こんなことをして、あなたは本当に救われているの?」「信仰があなたを縛り付けているのでは?」、「あなたには神様を信じる資格がない」など様々なささやきが信仰生活を営む中で心に沸いて来ます。しかし、それらの誘惑に私たちは立ち向かっていかなければなりません。
私たちの信仰が感情の上にもし建てあげられているならば、誘惑の言葉に勝つことはできません。しかし、神の言葉である聖書に私たちの信仰を立て上げるならば、例え感情がゆすぶられようとも誘惑を退けることができ神から離れることはありません。
3章8節:彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
神の命令に背いた人間を待っていたのは、神の顔を避けるということでした。神の声から逃げることでした。彼らは以前のように神と親しく交わることができなくなっていました。それが神の言葉に従わなかった罪の結果でした。
3章7節:すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
二人は目が開かれて善悪を知りました。そして、彼らは自分の本当の姿を知りました。それは神と共にいられる美しさではなく、心の醜さ、神と共にいることのできない姿でした。へびの言葉はある意味では真実でした。しかし、善悪を知るようになることが人に不幸をもたらす事になることは隠して誘惑したのでした。
キリスト者を神様から離そうとする誘惑は、私たちに回りに満ちています。小さな神様への疑いが、やがて神様に背を向ける者にしてしまいます。神様に向かう道以外の道は、例えそれが目に麗しく見えたとしても、その行き着く所は滅びです。神様からしっかりと目を離さずに信仰の道を歩んでいきましょう。
旧約は新約によって輝きを増し、新約は旧約によって理解を深めます。人生の黄昏を迎えた私の心の目には薄暗くなった夕空を背景にカルバリの丘の三本の十字架が見えます。真ん中の主は『こと終わりぬ』と言われ、首をたれて息を引き取られておられます。過ぎ越しの祭りの前日でしたので死体を十字架に残しておくまいとピラトに願って、両側の二人の足を折って殺し、主はすでに死んでおられたので足を折ることはしませんでした。しかし、一人の兵卒がやりで主の脇を突き刺すと、すぐ血と水とが流れ出ました(ヨハネ十九章34)。
ヨハネは「それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたが信ずるようになる為である。これらのことが起こったのは、『その骨は砕かれないであろうとの聖書(詩篇34篇20節)『主は彼の骨をことごとくまも守られる。その一つだに折られることはない。』の言葉が、成就するためである。』と語調を強めています。預言者のゼカリヤは「・・彼らはその刺した者を見るとき、一人子のために嘆くように彼の為に嘆き、うい子のために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ」(十二10)。この預言のようにやりで脇を刺されました。私は聖餐式のたびにこの流されて血を思いこの血によって救われ聖められたことを覚え感謝します。また水は洗礼式で救われ義と認められることの証でありキリスト者になった証をするものです。
その水は『・・・・ヤコブも飲んだこの井戸の水を飲むものは誰でも、また乾くであろう。しかし私が与える水を飲む者は、いつまでも、渇くことがないばかりか、私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、湧き上がるであろう』と(ヨハネ四14)でサマリヤの女に語られたその永遠の命に至る水です。これまた感謝の限りです。
栄光の雲に囲まれて天の父の元に行かれた主は、(使徒行伝一9)雲に迎えられて見えなくなったように再臨の主は同じ神の栄光の雲に囲まれて、(黙示録一章7節)すべての人の目に見え、特に主を刺した人々は、現実に地上に来られた主を仰ぎ見、地にある諸族は胸を打って嘆く事が述べられます。主を刺したもの達と複数になっているのは、主を卑しめ迫害、侮蔑した人々を指しています。その時胸を打って後悔、嘆いても、遅いのです。そして、「しかり、アァメン」とその通りそうなのだと、ヘブル語とギリシャ語と重ねて言います。主の再臨の時に嘆く事のないようにと、最初の『見よ』と共に彼は強く悔い改めを勧めているのです。
今いまし、昔いまし、来たりつつある方、忠実な証人、死人の中から最初に生まれた方、地上の諸王の支配者であり、αでありβである主が、パトモス島に流刑になっていても主の日に礼拝しているヨハネに与えられた黙示預言のみ言葉が続くのです。ヨハネ黙示録22章のバックボンに当たるものは主の再臨に対する信仰望みがあることを忘れてはなりません。これを礼拝の中で読まれたのみで理解できた初代教会のキリスト者のように聖書に親しみたいものです。
13章3〜5節「イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。」
イエスの時代、道路事情は悪く、すぐに砂ぼこりが立ち上がるような道でした。しかも当時の履物はサンダルでしたので、道を歩けば足は埃まみれになり、真っ黒になってしまいました。裕福な家では玄関先に足を洗う僕が待ち、外から帰ってくるご主人様や、来客の足を洗うことをしていました。
イエスも弟子を連れ、福音を会堂で、あるいは道で語られ、日が沈むに合わせて、一日の働きを終え、夕食を取るために宿に着かれました。
ある聖書学者は想像を交え、「イエスは夕食の席にお着きになられた。そして、恐らくペテロが自分たちの師であるイエスの足を洗うという名誉に預かった。師であるイエスの足を洗い終わった後で、ペテロも他の弟子たちと一緒に食事の席に着いた。年の若い者、あるいは、イエスに付き従って来た人たちの誰かが、自分たちの足を洗う仕事を自ら引き受けてくれるだろうと、期待しながら、席に着いた。しかし、誰一人として、足を洗おうとする者がなく、結局、足を洗わないまま、全員が食事の席についてしまった。」と解説しています。
弟子たちの中には、誰が一番えらいのかと言う問いかけが、いつもありました。その気持ちが、足を洗うという僕の仕事に抵抗感を持たせたのでしょうし、まして、ライバルである他の弟子の足を洗うことに対しては特にその思いが強かったと思います。足を洗う事よりも、足を洗われる事を常に望んでいました。
イエスは弟子たちの様子をご覧になり、非常に悲しまれました。肉に支配され、縛られ、愛に不自由になっているのを哀れに思われました。その様な弟子たちに対して、十字架を前に、最後に伝えておきたい事を、自らが手本となり教えられました。仕える僕の姿をとり、弟子たちの足を自ら洗われました。
13章14節「しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。」
13章15節「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。」
イエスの伝えたかった事はお互いにへりくだり、心を謙遜にして、心から仕えあう事でした。イエスが弟子たちの足をお洗いになった様に、私たちもお互いに仕え合う事によって、イエスの栄光、神の栄光を現しましょう。
先日聖書は神様の緻密な数字による設計で書かれていると申しました。例として3と7の聖い数字と完全数について述べました。朝日新聞10月1日の天声人語に「ラッキーセブンの始まり、NY株式市場の市場最大の下げ幅は“777”ドル火元は米下院の共和党の議員の“7”割近くが反対に回り大統領の法案を否決した。米金金融機関の抱えた“7”千億ドルの不良債権を公的資金で買い取る策に、国民の反発は強い。米国の対策が動くまでは神頼み。それもこれも、楽してもうけようとしたツケだろう。元来7は神々しい数とみえ、戒めにも使われる。例えば“七つの大罪”に強欲というのがある。」私は筆者が聖書特に黙示録を読んだ人だろうと思いました。
1章だけでも「七つの教会」「七つの金の燭台」「七つの星」「七つ教会の御使い」と7が完全を象徴するものとして用いられています。3節に戻りまして、黙示録の中に「幸いである」が七つ出ています。これを探しながら22章全体を注意深く読んで下さい。それだけでも恵と平安を頂く事が出来ます。
今いまし、昔いまし、やがて来るべき者(来たりつつある)忠実な証人(殉教者)。モーセに『私は、有って有る者』エヒエー・アシェル・エヒエーと言う方がおいでになると1章で三度も言われています。7節『彼は雲に乗ってこられる』雲は神の臨在を表すものですが、これは当時の人が即物的に表現したものです。天にまします我らの父よと主の祈りをするその天の発想から雲に乗ってこられるとヨハネは言うのです。この同じ発想から空中再臨説が説かれますが、黙示録を学んで象徴的表現を理解すると良く真理を自己のものに出来ます。黙示録を自分達に都合よく解釈すると異端邪教(例としてオウム教)が出てくるのは旧約を知らないからです。ヨハネはダニエル書をそらんじるほど読んでいたと思われます。またゼカリヤ12章10節に然りアァメンと預言が実現し、キリストを十字架につけた者達その他すべての人が再臨の主を見て嘆くのです。
今いまし、昔いまし、来たりつつある方を礼拝しているもの達に与えられた黙示預言を読む幸いな者に、『忠実な証人、死人の中から最初に生まれた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから恵と平安とが。あなた方にあるように。私たちを愛し、その血によって私達を罪から解放し、私達を、その父なる神のためにみ国の民(王)とし、祭司として下さった方に・・・・』恵を頂くに何の勲もなく、神の平安の中におれない者にそれらを与えてくださった方に、世々限りなく栄光と権力があるようにと祈り、アァメンと祈るのです。
そして7節、ダニエルとゼカリヤが語るように十字架上で主を刺した者は主の再臨の姿を畏れ仰ぎ見、主に反対したすべての人は裁き主の前に悔いて嘆くのです。それに対して贖われたものは恵と平安の中で、全能者である神を讃美し、アァメンその通りですと祈るのです。
5章1節「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれる(と、)」
パウロは自らの過酷な体験を振り返りながら、神のために捧げて傷つき、今にも壊れそうな地上の幕屋である自分の肉体を見ながら、死後の命のこと、死後の体のことに思いを向けています。
私たちのこの体は病気や事故でいともたやすく傷つき、損なわれてしまいます。年齢を重ねるにつれ自然に体のいたるところに傷みが出てきます。地上の幕屋である私たちの体が土地の塵で造られている以上、この弱さ、このもろさを受け入れ、認めなければなりません。
弱さを持った体ですが、パウロが地上の幕屋と表現する通りに、神の民イスラエルと共に歩んだ幕屋と同じ場所であると言えます。私たちの体は神が住まわれる所であり、神と結びつく大切な場所です。そして神は私たちが弱いこの体を持って神を賛美することをとても喜んで下さいます。
キリスト者の人生は、土でできたもろい器である「私」と言う存在の中に尊い神の幕屋を建て、神と共に荒野である人生を希望の国を目指して進むことです。
5章1節「神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。」
救われ、霊の目を開かれたパウロは天にある望みに目を移します。キリスト者は地上の幕屋である体が壊れた後、それで全てが終わりになるのではありません。神から頂ことのできる建物、人の手によらない永遠の家を神から恵として頂けることを、パウロは信仰によって確信し、それを待ち望んでいます。
5章3節「それを着たなら、裸のままではいないことになろう。」
当時、教会の中に入り込み、教会を混乱させていたグノーシス主義では、肉体を悪と考え、体という牢屋からの解放を救いと考えていました。ですから、死後の体などはないとし、魂だけになると信じていました。パウロはこの教えに対して、イエスが復活した時に朽ちない体を持って、弟子たちの前に現れた様に、私たちの魂は、天の体を、復活の朽ちない体を、その上に着ることになると、述べています。
5章4節「それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。」
罪に汚れた、卑しい死ぬべき存在がイエスと同じ復活の栄光に輝く永遠の命の存在の中に取り込まれ、化学反応を起こしその本質から再創造され神と一体になる、これがキリスト者の祝福です。
5章5節「わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。」
そしてパウロはこの様に確信を持って言うことのできるのは、その保障として神が聖霊を私たちに与えて下さっているからだ、と言っています。聖霊が私たちに、この希望への確信を与えているのです。私たちの信仰が深く神に結びつく程に、この確信もさらに強くなっていきます。
死でさえキリスト者に絶望を与えることは出来ません。肉親や愛する方々との別れの悲しみは、私たちをその中に閉じ込めるものではありません。キリスト者は死の向こう側にさえ確かな希望を持てるのです。
1ダースは12個、1グロスは12ダース、1年は12ヵ月、午前午後は夫々12時間、数学の授業で10進法が合理的なのに何故ですかと質問をしました。「理由はないそのように定められているから覚えよ」と言われ、納得できずにいました。大学でギリシャ語とヘブル語を学んだ時それを知る事が出来て、計算された様に述べられた聖書に、数学好きな私は驚くと共に聖書の学びが面白くなりました。数字がないのでアルファベットの文字自体を両語とも数値に用いているのです。その後アラビヤ数字が導入されましたが、依然数値は保存され用いられました。
数字“七”が聖書では完全数であることを、70年前の12月23日に受洗する以前に牧師からきかされていました。神様は6日で創造の業をなさり、7日目に休みました。1週間が7日の理由です。何故カレンダーの週の初めは日曜となっているのでしょうか。主も弟子達も7日めの土曜に礼拝をして安息日を守られたが、主のご復活が日曜でしたので、その日を主の日としてそれ以来キリスト者は礼拝してきたのです。週の最初の日は日曜日主日なのです。台湾で使われる福建語では、礼拝日となっていました。月曜は礼拝一、その後は二・三・・と続くのです。宣教師がその様に教えその様に訳したのです。
黙示録には“7”が数多く出てきます。7は、隠された形で聖書中に多く存在します。創世記1章1節はヘブル語の七つの単語でなっています。同じ大きさの七つの円を一つの円の周りに残りの六つを隈なく接する事ができる。真ん中を安息日とし周りを創造の日とすれば、日曜日が創造の第一日である事、カレンダーの7曜表が分かります。黙示録には7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢、7人のみ使い等、そのほか多く出てきます。そしてそれぞれに深い意味があります。
神の御言葉は計算され、設計されて書かれている事に感嘆します。機会を見て詳細を学びます。1章3節に神から与えられる三重の幸いが述べられます。3は三位一体の聖い数字です。聖い神から与えられる幸いです。神が僕(しもべ)たちに示す為キリストに与え、キリストがみ使いを遣わしてヨハネに伝えられました。彼は神の言葉と、イエス・キリストの証と、自分の見たすべての事を証しした1章1・2、1)
1)この預言を朗読する者2)この命の言葉を命をかけた礼拝で耳で聞いて分かった人々おそらく私達よりも教育もなく聖書も手に出来なかった彼達は黙示録を理解し、3)その一つ一つの命の言葉を心に留めて実行したのです。その者たちは神の幸いを受けて、いまから述べられる神の国の住人になるのです。この三重の幸いに預かった人は、マタイ5章のマカリオイ(幸いである)と9つ述べられているが、具体的にそれらを実行し白い衣を着て神の御国で神様を讃美できるのです。
一つだけ取り上げてみましょう5章3『幸いだな!心の貧しい人達は、天国は彼らのものである。』心はプニュウマ霊です。罪を自覚し(心の貧しさ)その罪が十字架によって取り除かれた人は幸いだなーと主は言われたのです。幸いだなーと感嘆の言葉を頂くには、三重の恵を頂く事です。神のみ言葉に聞き入る(聖書を読む)そして頭でなしに霊に留め、み言葉による生活をする事です。
ローマ人への手紙はパウロの記した手紙の中で代表的なものです。この手紙には、自然啓示(自然界を通して神がご自身の姿を示している事)、義認(神の前で罪なき者とされる事)、原罪(罪の本質)など大切な教理が書かれています。
11章25節「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、」
神はアブラハムを選び、彼を通してイスラエル民族に神の民となる特権をお与えになりました。そして旧約時代を通して、神はイスラエル民族がご自身の本当の民となるようにと導きました。しかし、神に選ばれた民族であるイスラエルは神の導きに心を頑なにし、神に背を向けた歩みをしました。神は繰り返し預言者を民に遣わしましたが民は彼らの忠告を聞き入れることをせず、自分たちの欲するまま神なき歴史を歩みました。それは新約時代になっても変わりませんでした。
神は選民イスラエルの心の頑なさのため、救いの御手をイスラエルの上から異邦人の上へと一時的に移され、ここに異邦人に救いの門戸が開かれた、とパウロは解き明かしています。イスラエル民族の不信仰が結果的に異邦人の救いの出発点となりました。
11章25節「兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。」
異邦人キリスト者が神の恵みを受けて救われたのは、イスラエルの不信仰が根底にあるとパウロは述べました。ですから彼はローマ教会の異邦人キリスト者に対して、自分たちの神への熱心さで神の救い引き寄せたと思うことのないように諭しました。
私たちキリスト者はパウロが諭す言葉に耳を傾け、救われたことに関して謙虚になることが大切です。神の救いのご計画において、選民イスラエルに代わり神の子となるチャンスの中に生かされています。また個人の救いにおいて、私たちよりも人として尊敬されている方々、優しさや思いやりにあふれている方々が神の救いに預からずに私たちが神の子になっています。
これらのことを思う時、私たちは自分が救われたこと、神の救いに選ばれたことを本当に謙遜を持って、感謝と喜びをもって受け止めなければなりません。救いへの感謝を忘れたり、救われるだけの価値があるなどと考えることは神の恵を深く味わうことから私たちを遠ざけてしまいます。
旧約の最後の預言者マラキ以後約4百年間神の預言が与えられませんでした。その間支配権を獲得しようと内紛が繰り返され、神様の支配は遠のき不義な者が繁栄し、神に従う者は苦しむ有様でした。神様の御心を多くの人々は求めたが沈黙されたままでした。民はこの現実に対する疑問について神様に解決を求め続けました。そこで、彼らに対する答えが黙示文書として多く示され、これが『黙示文学』とよばれるものです。黙示録はその中でも黙示文学の形式をとった新約唯一の預言書です(一章3節)。
『今いまし、昔いまし、やがて来る方』は原文では『私はアルパαであり、オメガωである』が先に述べられます(8節)。αは最初の文字でありωは最後のそれであり、神は無限であり究極の存在である事を表します。その神様がキリストにこの黙示を与え、キリストが、み使いを遣わして、僕ヨハネに伝えられたものです(1節・2節)。
ヨハネは神の言葉とイエス様はキリスト(救い主)と証をしたゆえに、エーゲ海の小島パトモスに流刑になっていたその所で、すぐにも起こる(神の時)べき事を僕達に示す為に与えられた黙示です。キリストを証しすることはドミチアヌス皇帝の治下では死を覚悟しなければなかったのです。65年前の日本でも天皇を現人神とし礼拝しない者は治安維持法違反として、3年以上無期もしくは死刑と脅されました。証とは神の言葉とイエス・キリストのあかし、即ち、自分が見たすべてのことキリスト経験を言い表す事です(2節)。
彼は1)この預言の書を朗読する者2)これを聞いて3)その中に書かれていることを守るもの達は幸い(マカリオス)ですと語り、『・・・私達を愛し、その血によって私達を罪から解放し、私達を、その父なる神のために、み国の民(王)とし、祭司として下さった方に、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。』キリストに贖われたものは皆祭司である事を忘れてはなりません。牧師は皆さんの代表・代理人として祭司としての役職を負っているのです。キリスト者は臨終に接したとき牧師がいなくとも牧師の委任を受けて洗礼式を執行できるのです。
自由に向って解き放たれた者は神の祭司とされるだけではなく、私たちは王とされるのです。キリストを王として迎えるところで、臣下として仕えるのみではなくて私達も王となるのです。罪にも死にも自由になっています。私達は神の僕(奴隷)ですが祭司として神に仕えています。祭司は自分の為だけに生きるのではなく、人々の為にも生きています。祈る事をしない人々の代わりに神の前に祈るのです。私のような人間でも祈祷表に従って牧師の勤めとして毎日1時間余祈ります。
宗教改革者マルチン・ルターが「キリスト者の自由」と言う書物の中で私達はサタンから解放され、またローマ教会の職種の束縛を逃れ私達は王であり、神の祭司であると信徒皆祭司を説いています。
初代教会では礼拝の中で手紙が読まれています。黙示録22章全部がそのまま1回で読まれたようです。当時のキリスト者は10名前後で隠れて礼拝を守っていました。彼達は真剣に聴いて理解が出来たのです。それまではシナゴーグで毎週聖書のみ言葉に親しんでいたゆえでしょう。私達も旧新約聖書を常に通読する習慣を持ちたいものです。黙示録を注解抜きで理解できるほど聖書に親しんで欲しいものです。私は2週間22章全体を何回も読みまして恵を頂き感謝しています。しばらくの間黙示録を学びますので少なくとも週に1回は読んで下さい。余り黙示録の連続説教がなされないのは難しいと敬遠されてきたからです。この中にはキリスト教のエッセンスが述べられています。先輩達は弾圧の中で黙示録を読む事で希望を見出し信仰を維持する事が出来たのです。
3章14節「こういうわけで、わたしはひざをかがめて、」
3章15節「天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。」
パウロは囚われているローマの獄中から、ひざをかがめ、祈りを捧げています。この祈りは、3章1節「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ」からの続きで、2節から13節は挿入になります。ですから、神様がその恵みを持ってあなた方異邦人を省みられ、そして、その宣教の使命を神様から託されたことゆえに喜んでローマの獄中でイエス・キリストの囚人となっている私パウロがひざをかがめて父なる神にあなた方の事を祈ります、と言う意味になります。
この祈りの冒頭に、異邦の民に対する神様の愛とパウロの愛を知ることができます。
神様は、約束の民であるアブラハムの子孫だけを顧みられるのではなく、エペソの教会の人々を初めイエス・キリストへの信仰を持つ霊的なアブラハムの子孫に対しても、その恵を豊に注ぐためにパウロを異邦人の使徒として選びました。ここに異邦人への神様の恵みのみ旨を知ることができます。また、パウロ自身も、その身に降りかかる困難に耐え、異邦人に対する救いの業に愛と情熱を傾けました。
異邦人に対する神とパウロの愛がエペソの人々に励ましと勇気を与え、更に信仰の道を前進させました。そして、それはエペソにとどまらず全世界へと広げられました。
パウロは信仰によって世界に広がって行くキリストの救いを見ていたと思います。それは国境を越え、時代を超え、アジアの端にある小さな島国に住む私たちをも見ていたのではないでしょうか。そう思う時、神の愛とパウロの愛は聖書によってパウロの時代に私たちが生きているがごとくに、私たちにも今、届けられているのです。
3章16節「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、」
パウロはエペソのキリスト者が様々な試練の中で気落ちしないようにと励ましましたが、その励ましは人の言葉や働きかけによるものではなく、神の御霊によってなされるようにと祈っています。人の言葉によって確かにその時には励ましを受けますが、人の言葉は時間とともに力を失って生きます。しかし、神の祝福、慰めや励ましは、父なる神から御子イエス・キリストを通して、御霊によって私たちに注がれます。ですから、その力はいつまでも続くのです。そして、父なる神の祝福は内なる人を強くして下さる事です。内なる人とは十字架の贖いによって新しくされた人であり、また、信仰によって私たちの内にお住いになるイエス・キリストのことです。このことが、私たちの力、慰め、勇気の源になるのです。
3章17節「また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、」
キリストの内住はパウロにとって知識ではなく、体験でした。
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ2:20)
この体験を自分のみならず、エペソのキリスト者にも体験して欲しいとパウロは願っています。それは一時的に住むという言葉ではなく、永住もしくは定住すると言う言葉が使われています。キリストが心のうちに住むと言うことは永遠に住み続け、心の王座に常に着いて頂く事なのです。
このことを知識で受け止めるのではなく、パウロと同様に、体験として私たちの信仰の生涯になくてはなりません。「キリストが、わたしのうちに生きている」ことを実感できたキリスト者は神の祝福をより豊に頂くことができます。
エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン書は獄中書簡と呼ばれ、パウロがローマで獄中生活を送っていた時に書かれたものです。獄中の中でパウロは、コロサイの教会に異端が起こり、教会が混乱していることを知りました。そのため、コロサイの教会、エペソの教会など小アジアにある近隣の教会に手紙を送る必要性を感じ、この手紙を書いたと考えられます。
5章11節「実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。」
植物が芽を出し、成長して花を咲かせ、豊な実をならせるには、太陽の光が必要です。パウロは私たちがキリストの実を結ぶためにも、闇の業に加わらないように注意を促します。
5章5節「あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。」
これらの事を指して、闇の業とパウロは言っています。そして、このような事を避け、また、その仲間に加わらないようにと忠告しています。
この世の人々と付き合ってはいけないと言っているのではありません。その行いに注意し、その影響から身を守りなさいと言うことです。消極的な勧めではありますが大切なことです。
人の意志は弱いものです。楽な道があればそちらに傾いて行ってしまうし、多くの人が行けば自分だけ違う道に行くことをためらい、皆について行ってしまうことも多いです。ですから、加わらないという消極的な対応も私たちにとって必要な知恵です。そして、このことも世に対する立派な証しになります。
そして、積極的にはそれらの神の目に正しくないことを指摘することです。この事は教会外の人々に対してもそうですが、教会内の兄弟姉妹に対しても同じ様に行わなければならないことです。
(ヤコブ5章20節)「かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。」
罪を指摘することはとても辛いことですが、それはその人を滅びから救い出すことであり、そのことは信仰共同体の一員としての大切な役目です。
5章13節「しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。」
5章14節「明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう。」
私たちがイエス・キリストの光にさらされる時、自分自身の罪がよりはっきりと分かってきます。パウロは自分自身のことを「罪人の頭だ」と言っています。パウロがイエス・キリストへの信仰を持った後、他の誰よりも罪を犯しているとは考えられません。そうではなく、光がその輝きを増すほど自分の罪深さが分かってくる、自分の罪が見えてくるのです。そしてその解決を聖霊の導きにより、神の恵みによって解決をする時、私たちの信仰は今よりも高められたものになっていきます。自分の罪深さが分かれば分かるほど神の恵みの大きさもますます大きくなってくるので。
イエスの教えを直接受けた使徒を始めとする多くの初代キリスト者が天に召され、次の世代へと信仰が継承されていく中で、イエスの教えから離れた考えを持つ人々が現れ教会が混乱し始めました。この偽教師たちは、イエスが神の子であることなどを否定しました。しかも、彼らの中には道徳的にキリスト者としてふさわしくない生活をしている者もいました。使徒ヨハネはそれらの異端者に対し、正しい教会の信仰を守り、その信仰に基づいた聖い生活を教える必要に迫られ、この手紙を書くに至りました。
5章1節「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。」
イエス・キリストの十字架の贖いを信じ、罪が赦され、新しく神の子として生まれ変わった者は、神から生まれた者であって、兄弟姉妹を愛することができる、とあります。つまり、イエスを信じ続けるキリスト者は兄弟姉妹を愛する愛が備えられる、ということです。
私たちが信じる神の本質は愛です。使徒ヨハネも「神は愛なり」と記しています。私たちは、イエス・キリストを信じ、受け入れた時、神の恵みとして、聖霊なる神を心に頂きました。そして、私たちの内に宿る聖霊なる神が愛なる神ゆえに、その聖霊の働きとして、私たちは他者に対して愛を注ぐことができるようになるのです。
人は本来、愛の欠けた存在であり、その本質は自己中心な者ですから、人から本当の愛が湧き出てくることは難しいことです。ですから、人が生まれたままの状態でいるならば、その人は愛から離れた存在のままです。しかし、その様な者であったとしても、キリストへの信仰を持った瞬間から、人に愛が生まれます。なぜなら、愛の源泉は、内にいます聖霊なる神にあるのであって、その方を内に宿したからです。自分からではない、神の愛が内から流れ出ていくようになるのです。
5章2節「神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。」
5章3節「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。」
ある時、イエスは、律法学者に一番大切な戒めは何ですかと、問われた時、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。」と、答えられました。
神様が人に望む一番大切な戒めは、お互いに愛し合うことなのです。それは、どんな献げ物に勝るものです。つまり、キリスト者が愛し合い、いたわり合う事こそ、神の子の証明になるのです。
5章4節「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である」
5章5節「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」
そして、教会というキリストの共同体が愛し合うことで、その周りにいるこの世の人々に対して、真の神の交わりがここに存在することを力強く証します。そのことによって、神をまだ知らない者が、イエス・キリストをほめたたえるようになるのです。それこそ、キリストのこの世に対する勝利です。教会に集う人、全てが、一人も漏れることなく、愛を持っている、喜びを持っている、平安を、寛容、親切、善意、誠実、柔和、そして、自制を持っている、それが教会外の人々に知られ、ここに真実があると多くの人々が認める時、これこそが信仰の勝利、神の勝利なのです。
詩篇二十篇7「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし我らは、我らの神、主(ヤァウエー)のみ名を誇る」私は敗戦63年を迎えるに当たって、人間が戦車や馬を持って他国に優位さを誇る事の虚しさを改めて自覚しています。特に戦争を知っている世代がいなくなり悲惨な戦争を知らぬ指導者たちが増え、核武装をすべしと言い出す政治家も出てくる始末です。米民主党の大統領候補が当選後、核を見直すと言っている事は良い事ですが世界の大勢は武力外交を是としています。平和憲法、第九条を持つ日本が武器を持たない平和国家の姿を見せるべき時ではありませんか。
63年前、日本はボッタム宣言を受諾し、無条件降伏をしました。そして連合国に武装解除され、私も悔しい思いをしました。翌年帰国した時瀬戸内海で雪の積もった木々を見て、漢詩の国敗れて山河ありを感じ広島の大竹に上陸、DDTで頭から体中真っ白にされ、窓ガラスがなく板を打ち付けた客車に乗せられ東京へと向かう途路、広島で占領軍の列車待ちで長い停車をしている時ホームから何もない原爆のジェノサイド(大量虐殺)の姿を見、やがて来た占領軍の客車は皆一等車、蒸気で暖房が入っているのをみて、決定的に敗戦を実感しました。その後会う人すべてと言っても良いほど終戦と言い、私は敗戦と言い続けるおかしい人と思われました。
私はイザヤ二章1節〜4節「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向って剣を上げず最早戦う事を学ばない」を信じ我が祖国が平和国家になったのだと嬉しく思いました。復学して学んでいる時、憲法改正についての国務大臣の特別講義の中にこの言葉があって武装放棄する条文が憲法に謳われることを知り感謝しました。私は今中原の九条を守る会と東京のそれの発起人になっています。私達の学生時代は夏休みも、日曜もなく軍事訓練と陣地構築に動員され、ほとんど本を読む暇もありませんでした。敗戦半年前に徴兵延期が取り消され、程なく召集され軍隊生活を余儀なく死を覚悟の毎日でした。
戦う事を学ぶとは多くの人を殺すかの学びです。一般社会では一人殺すと殺人罪で三年以上無期もしくは死刑ですが、軍事訓練は如何に人を殺すかを学び、多く殺した人は英雄となり胸には煌びやかな勲章をぶら下げるのです。ホセア一章七節「だが、ユダの家には憐れみをかけ彼らの神なる主として、私は彼らを救う。弓、剣、戦い、馬、騎兵によって救うのではない」と、大国と同盟を結び人間の武器で戦い、滅びゆくイスラエル王国の惨状の中でホセアは神の言葉を語るのです。
神の戦いは、原潜、原爆,軍艦、飛行機、火機で戦うのではありません。これ等の武器を捨て、愛と和解を持って救われるのです。世界にシャロームを来たらせるのです。そのサマはイザヤ三五章「荒野と乾いた地とは楽しみ、砂漠は喜びて花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う」。今度は軍事を学ばず全人類を生かす事を学ぶのです。今世界は温暖化、また人間の自然収奪によって、歴史の終末に向っています。隣国の中国では首都の傍にまで砂漠が迫り大河であった黄河は一滴の水も流れていない状況で、その大気汚染は日本にまで悪影響を与えるほどです。これは現在世界中に起きている事です。しかし主の救いの業は主の再臨の時、地上に千年王国を立ち上げ、贖われたものの幸いを見るのです。ほんとの平和が来るのです。「贖われた者が歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る」。イザヤ三五章10節主のもたらされる平和を喜び楽しみましょう。
八月は私にとりまして追憶の月です。南国の殺伐とした赤土に取り囲まれたトンネル陣地で楽しかった学園生活を思い出しながらしばしの間現実逃避をしました。その思い出の懐かしい友人たちも戦死して戦後会うことも出来ませんでした。元住吉での開拓時、海に山に野外礼拝を共にした兄弟姉妹方は日本全国の教会に散っていきました。そこで信仰の芽を広げておられる事は懐かしく感謝な事です。それらの事が心に沁みる月です。
モーセに率いられたイスラエルの民は、シナイ山にて十戒が神より与えられそれを守る事で祝福を受ける契約が結ばれました。神は契約で誠実(ヘセド)に愛(ヘセド)を示されています。民は神の愛を全存在をもつて知り(ダース)誠実(ヘセド)をもって応答しました。
ホセアはイスラエルの民が十戒で禁じた偶像礼拝に走った事でイスラエルが壊滅した事を語り、悔い改めて神に帰ってくれば、祝福が戻ってくる事を勧めましたが、アッシリアの圧力を受けると貢物をささげ、属国のようになりそれが国民の重荷になると隣国のシリヤと同盟を結びアッシリアに対抗しましたが、シリヤの首都ダマスコが陥落すると、エジプトと同盟を結んでアッシリヤに対抗しようと試みました。がエジプトの援軍が来る前に首都サマリヤが陥落壊滅し民は捕囚としてアッシリヤに連行されイスラエルは滅びてしまいました八章9・10。十二章2、風はエジプトを指し、熱風は(砂漠から吹く風)アッシリヤを指しています。油をエジプトに貢ぐはエジプトとの密約をいいます。ホセアは風を追うようなむなしい、大国依存に反対した。それはヤハウェへの不信頼を意味し同盟の相手国からの偶像移入が起こることの拒否でもありました。
神と民との関係は夫婦のようなものであり他の異性との関係は淫行の罪に当たります。詰り偶像礼拝は夫なる神を裏切る事であって、ホセアの妻ゴメルが神殿娼婦となり、やがて恋人を追って行き、ついに奴隷に売り飛ばされた事と同じです。ホセアは三章2節、『イスラエルの人々が他の神々に転じて・・・・にも拘らず。主がこれを愛されたように、姦夫に愛せられる女、姦淫を行う女を愛せよ』と。神から命じられました。ホセアのゴメルに対する愛をご自分の愛から認め、命令としたのです。
イスラエルはバアルの偶像や金の子牛の偶像の前に跪く事で『あなたは私のほかに、何者をも神としてはならない』十戒の第一の戒めを破りました。その結末はイスラエル国家の消滅の罰です。それでも神は失われたその民を愛して、終わりの日に彼たちは回復される(三章5節)。ホセアはゴメルを2節金や物で買い戻しましたが神は主の十字架の血をもって買い戻し、私たちともども神の子としてくださったのです。
主の再臨の時に救いの完成があります。救われたと言う事は、再臨の主の御前で救われた者として認められる事を信仰の目を持って信じることです。ヘブル十一章1「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認する事である」ホセアが預言するイスラエルの回復は現実の世界では実現していません。が再臨の主の前で私達の救いと同じように回復されるのです。
三章1〜5節:ゴメルは神殿娼婦になり主人以外の子を産み、恋人の後を追っていったが、やがて彼女は奴隷に売られてしまいます。まだ彼女を愛しているホセアに神様は一節のように言われました。そこで彼は二節「・・・彼女を買い取った」そして二章14節のように荒野に導いて行き、ねんごろに三章3節を語りました。このホセアの行動はイスラエルがヤァウエーを捨ててバアル偶像に走ったにも拘らず愛し続けた事を預表したものです。
一章においてゴメルが生んだ子供はロルハマ(憐れまない)と名づけられその女の子が乳離れした(約3年)後に、身ごもり神様はロアンミ(我が民ではない)とその男の子に名づける事を命じられた9節。『しかし、私はユダの家をあわれみ、その神、主(ヤァウエー)によって救う。・・・・・・』一章7節。
そして“ロ”(否定:〜〜でない)で始まる名前から、“ロ”が取り去られ、あなた方の兄弟に向って「アンミ(わが民)」と言い、あなた方の姉妹に向っては「ルハマ(あわれまれる者)と言え(二章1節)と救いの実現を見ます。
六章1〜3節:彼達は口先だけでは悔い改め、主を知ろう、切に主を知る事を求めよう、主は明け方の光のように現れ雨をもって潤される(豊作)と言います。その様な言葉は民の魂の奥深くから出てきたときに神の受け入れられる強固で永続的な愛をもって神を知る事が出来るのです。しかし、その言葉態度に対して神様は4〜6節と話されます。日が昇ってくると消え去る雲や霧のように希薄でもろい民の愛は移り変わる状況に対して抵抗力のないものです。民は愛が全くなかったわけではありません。変わることのない永続的な愛がなかった、神と民の関係における強さと継続性がなかった、感情の変動に応じて気まぐれに動く愛は恐ろしいものになります。
神様の求められる愛を知らなければなりません。ホセアは愛ヘセッドは神様と人の間の関係の誠実さであって、感覚的には全身を絞って出てくる愛情です。神様はこのような神の愛を知る(ダーアス)愛は両者の間の知識、了解のうえにあって全く一つになるものです。全存在を持って知る事です。頭で知る事だけではありません。このヘセドとダーアスが6章6節『私は慈しみ(ヘセッド)を喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知る(ダーアス)事を喜ぶ』です。形だけ繕った燔祭カーリール全部と言う意味、犠牲獣を全部焼いて捧げる事よりもその真実を知って神の示された愛に応答する真実の礼拝をすることを神様はお喜びになるのです。
私たちは聖書・神のみ言葉をよく聞いて、神さまを自分の全存在を、もって知らなければなりません。そうして知った神の愛に応答することが真実の礼拝です。
ルターの宗教改革以降、プロテスタント教会が受け継いだ礼典は洗礼式と聖餐式の二つです。
出エジプト記の12章は過ぎ越しの祭りについて記されたものです。
エジプトで奴隷生活を送っていたイスラエルの民はその苦しみのゆえに天に向かって叫び声をあげます。神はその嘆きの声を聞かれ、イスラエルを顧み、預言者モーセを民の上に立てイスラエルをエジプトから導き出そうとしました。
神によって心頑なにされたエジプト王パロは神の九つの不思議を見てもその心を変えることをせず、イスラエルをエジプトに縛り続けました。ついに、最後の十番目の奇跡が全エジプトに予告されました。エジプト中のパロの子供から奴隷の子供、家畜の子供にいたるまで全ての初子が殺されるというものでした。この時、神はこの恐るべき災いから逃れる術をモーセを通してイスラエルの民に伝えました。
それは傷のない雄の子羊を殺し、その血を家の入り口の二本の柱と鴨居に塗ることでした。そのことによって、死の災いがその家の中にまで入ることなく、その家を通り過ぎていくというものでした。また、その殺した子羊の肉をその夜に残らず家族で食べなければなりませんでした。
この様に子羊が殺され、その血が家の入り口に塗られ、その血塗られた家の中でその肉が食べられる。そのことによって、神の裁きから家の中にいた者は全て免れると同時に、エジプトの奴隷のくびきから解放されることができました。殺された子羊の血と肉が神のもたらす災いから自分を守り、奴隷のくびきからの開放をもたらす力になりました。
新約聖書の光でこの過ぎ越しの祭りを見ますと、そこにイエス・キリストの姿を垣間見ることができます。
イエス・キリストは過ぎ越しの子羊の様に一度も罪を犯されなかった傷のない子羊であり、私たちのために十字架の上でご自身の血を流し、ご自身の肉を裂かれました。
そのことによってイエスを信じる者は魂の滅びという、永遠の死の災いから守られ、同時に罪の奴隷からの開放の宣言も受けるのです。
イエスと弟子たちが守られた最後の晩餐は過ぎ越しの祭りであったと思われます。イエスと弟子たちの最後の食事がくしくも、過ぎ越しの祭りと重なっていることに偶然ではない何かを感じます。
いずれにしても、過ぎ越しの食事が落ち着いたところでイエスは過ぎ越しの祭りに勝る新しい契約を弟子たちと、そして教会と結ばれようとされたのです。
11章24節「わたしを記念するため、このように行いなさい」
聖餐を守り行うことはイエスご自身が私たちにお命じになられたことです。人のねたみのために、人の持つ暗闇のために人の手に渡されようとしている時のことでした。
私たちの住む真の神を知らない世界において私たちが聖餐を守るのに似ています。困難の中にあっても聖餐を守ることによって、神の臨在と恵に触れることができ、その信仰的体験が信仰の力になるということです。
11章24節「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」
言葉を補うならば、あなた方の贖いのための、あるいは、あなた方の身代わりに死ぬ、わたしのからだ、となるでしょう。今私があなた方に手渡すこのパンはもう少ししたらあなた方が神に対して負っている罪のために身代わりとなって十字架にかかって裂かれて死ぬわたしのからだです、と言われたのです。
11章25節「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」
同じ様にこのぶどう酒はわたしが十字架の上であなた方のために流すわたしの血です、と言われました。
パンを食べぶどう酒を飲むことで、それらは体内に吸収され体の栄養となってわたしたちの体を作ったり、活動のためのエネルギーとなります。
聖餐におけるパンやぶどう酒は単なる十字架の象徴ではなく、キリストが罪の贖いのために差し出された肉と血とに一体になったという確信を私たちにもたらすものです。そのためにイエスは聖餐を制定されたのです。
共観福音書はマルコを底本として、マタイは旧約を知っているユダヤ人に対して、ルカはポウロやその他の弟子達から聞き集めた事どもを加え聖書の語る異邦人向けとしました。共観とは一緒に見る事ができる意です。それぞれイエス様の生涯の出来事を省略や追加があったとしても大体同じ内容、順序で述べられています。
マタイは収税所に勤める役人でした。弟子達の殆どが漁師であったので、マタイは文章を書くに適していたようです。彼は、ユダヤの王として生まれたイエス様を旧約の預言にあるメシヤとして示す事が目的でした。預言が成就する為であつたがマタイのキーワードになっている事でも理解できます。
マルコ7章にある主とカナン人との物語で主は異邦人を差別しているのですか、他のところでは異邦人を癒されているのに何故この所は差別らしく語られているのですかと、メールで質問がありました。み言葉の強調点は何かが分かりますので、予定していた説教はよして変更しました。異邦人の信仰に焦点が与えられているのです。
主は十字架の準備の為また弟子達に心備えをなさろうと、民衆とパリサイ人を避けて誰にも知れないように寂しい外国の地に入られたのです。しかしこの外国の地にも、主は助けを求める切なる願いの人から逃れる事は出来ませんでした。重い病を持つ娘の母親がイエス様の行われた奇跡の事を聞いていたのでしょう。彼女は彼達に付いてきて22と叫び続けた。弟子達はうるさいので主に癒して追い払ってくださいと頼みました。それに対して24節と答えられました。(拒否されているような言葉でも目は優しくその顔には温かさが満ちていた)ユダヤ人から冷たくあしらわれ、女性から男性に声をかけることは無作法とされた時、25〜27の会話は、主イエス様が彼女の信仰を引き出したものとして注目すべきです。彼女の必死な気持ちがユーモアを持ってお頼みすることが出来ました。このギリシャ人は1)娘に対する深い愛がありました。沈黙する主イエス様にひざまずいて礼拝し、この異国人の冷淡そうな取り扱いにもめげずに、主の言外にある愛にすがるのです。愛は何ものにも耐えることが出来ます。2)イエス様に接するうちに信仰が与えられた。主は彼女の願いをかなえる前に信仰を与え祈らしめました。3)信仰は礼拝をしました。最初は叫びながら主を追ったが、やがて跪き叫び願いは祈りとなりました。4)祈りは希望を持つて真剣に主に語ることです。形式的なそして文学的な美しいものではなくありのままの自分の熱望です。
これ等の事が主のみ言葉28『女よ、あなたの信仰はみあげたものである。・・・』娘は癒されました。マタイの語るこの物語はパリサイ人や律法学者の形式信仰に対応するものであり、み言葉は頭に蓄えるものではなく実践である事をカナンの女を通して主は示されています。そして歴史的に敵対した民であっても愛をもって接すべき事を弟子達に教え、やがて全世界に宣教に出て行く備えをなさしめられたのです。
ユダヤ人に書かれた福音書にマタイはカナンの女の信仰を意識して取り上げたのでしょう。彼は預言を引証しつつ、キリストの言葉を纏め神学の萌芽を見せている事にも注目してください。メッセージは皆様の疑問、問題提起に対して牧師は祈りのうちに神様の言葉を述べるものですので、直接・間接的にお伝え下さい。私は人間関係、神様との関係で大事なものは応答だと考え。関係論をすべての面で大事にしています。
ガリラヤ湖は山に囲まれているため突然激しい風が湖に吹き付けることがありました。その強風のため弟子たちは舟をこぎあぐねていました。日が落ち暗い中、弟子たちの行く手をはばむ強い風が船を激しく揺さぶりました。激しい疲労が彼らを襲います。ついに暗闇と荒れる波と吹きすさぶ風によって、彼らの心は恐怖に支配されてしまいました。死への恐れ、この先どうなるのか全く分からない恐れが重くのしかかってきます。
弟子たちが恐れ怯えている中、湖の上を何かが船に近づいてきました。荒れ狂う湖の上をあたかも凪のように何事もないかのように向かってくるものがいる。自分たちを滅ぼしに来た幽霊と思ったかもしれません。彼らたちの恐怖は最高潮に達しました。
その時、大きな風の音の中に、はっきりとわが主の声を聞きました。
6章20節「わたしだ。恐れることはない。」
彼らたちが恐れていた幽霊の正体はイエスでした。
マタイ、マルコによればイエスが船に乗り込んだ時、風がやんだと記されています。
マタイ8章には、イエスが弟子たちと一緒に船に乗っておられる時に暴風に遭遇し、あわて怯える弟子にイエスが掛けられた言葉が記されています。
「イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、おおなぎになった。」(マタイ8:26)とあります。
彼らが恐れた風と波の正体はイエスのご支配に下に置かれているものに過ぎません。それはイエスのお心一つで荒れさせることも凪にさせることも自由にできるものでした。イエスに大して何一つ害を加えることができないものを弟子たちは怯えていたことになります。
私たちは自分が恐れているものの正体が分かれば、いたずらに恐れる必要がなくなり恐れから開放されていきます。
かつて飢饉のためにエジプトに寄留したイスラエルの民は神に祝福され、エジプトの民を上回るほど増えました。その為ヨセフのことを知らない新しい王が起こるとイスラエルの民を恐れ、彼らを労役で苦しめ始めました。神は彼らの嘆きを聞かれアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされました。
時に、ミデヤンの地で祭司イテロの羊を飼っていたモーセは羊を追って神の山ホレブまで来ました。その時、燃える柴の中から神はモーセを呼ばれ、モーセにイスラエルの民をエジプトから連れ出すようにとお命じになりました。
そして「その名は何ですか」と聞かれたらば何と答えたらよいのですか、とのモーセの問に、神はモーセに「わたしは、「わたしはある」という者である。」(出エジプト3:14)とおっしゃられました。それはイエスが弟子たちに言われた「わたしだ」と同じ言葉になります。
6章4節に「さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。」とあります。出エジプトを記念するお祭りです。民が出エジプトに思いを寄せている中で、イエスが「わたしだ」と、モーセに語った神と同じ様にご自身をお示しになったことは大変意味深いことです。
このときイエスは、あなた方にとって私は教師であり、主である。しかし、私はそれ以上の存在である。天地とそこにある自然さえも従わせることができる存在、全ての造り主であると暗示されたのです。
イエスのいない人生の旅は試練、困難、悲しみ、悩み、苦しみなどが起きると、嵐にあった船のように大きく揺れ、不安と恐れに支配された暗闇の人生になってしまいます。
しかしイエスに自分の人生の船に乗り込んで頂くならば嵐は止み、穏やかな凪へと変わって行きます。それは、嵐さえもご支配なさっているイエスを船にお迎えしたからです。そして必ずや私たちの目的地である天の御国へ到着することができるのです。
ホセアは北王国イスラエルで活躍した預言者です。同じ時期南王国ユダではイザヤが預言活動していました。北王国イスラエルは、BC13世紀にエジプトを脱出し40年間の荒野の流離の後、約束の地カナンに定住しました。それから約2百年間、12部族による連合政治の時を持ち、BC千十年ごろにサムエルの反対にかかわらず民は神様に強要してサウルを王として北方を支配する王国を作りました。
次の王ダビデは南方を支配していたが北方も支配して全イスラエルの王となりエルサレムを首都としました。息子のソロモン王の死後、王国は南北に分裂して、南王国ユダはエルサレムを首都とし、ダビデ契約(神との)により王は世襲でした。北王国イスラエルの王権は神の権威の支えがなく王制は不安定で革命などで交代し、首都もシケム、テルザ、サマリヤと変わっています。政権で最も安定していたのがヤロブアム二世の治世で経済の繁栄と共に、バアル偶像礼拝が盛んでした。この時期がホセアの初期預言者の生活でした。北王国の民はエフライムが中心でしたのでしばしば北王国はエフライムとも言われます。
北王国はアッシリアの圧力で多額の貢金を納めて従属国となったが、エフライムとシリアは反アッシリヤ同盟を作り、南王国ユダにも加わる事を要求したが拒否されたので、733年両国はユダに攻め込みました。好機とアッシリヤはシリヤを滅ぼし北王国の3分の2の肥えた地を占領し民を捕囚として連れ去りました。最後の王ホシュアはエジプトと組んで独立を企みましだが、アッシリヤの報復によりサマリヤは蹂躙され北王国は滅亡しました。約30年間ホセアはこのことを預言したので亡国の預言者とも呼ばれています。
彼は自分の私生活を通して預言をし、それはヤハウェとイスラエルの関係を示す象徴行為として語られています。1章2節の意味を長い間色々調べてみたが納得できるものに出会いませんでした。私の想像を交えた解釈は、ゴメルに惚れ込んで神に懇願するホセアに対して先を見ておられる神は、2節イスラエルが偶像に走って私を裏切るように、ゴメルもバアルに奉仕する神殿娼婦になって裏切ってでも愛し通せるなら受け入れよ、私が背く民を受け入れるようにと言われたのだと思います。
偶像バアルとその配偶神アナトとの結婚の儀式は農作に必要な雨をもたらすと信じられていました。その祭儀には神殿娼婦が必要とされていました。北王国はバアル宗教を受け入れ利用しました。それがヤハウェ宗教に入り込んで宗教混淆(シンクレティズム)がおきました。北王国は肥沃な土地が多いのでこれは大きな問題でした。
ホセアは神とイスラエルの契約関係を夫婦関係と見て、神礼拝をなしながらバアル礼拝をすることは姦淫の罪として激しく裁き、神殿娼婦との関係おも責めています。二章4離婚訴訟の告発です。告発する事によって、罪を認め悔い改め、バアル礼拝の為顔や胸につけた飾りを取り除き神に帰るようなさしめる為です。二7・10ヤハウェの賜物である事を知らないでいます。バアルが与えたものではないと言い切ります。
民にその様に思わせたのは、神を知る知識と律法を教えなかったと祭司を責め、四14娘や嫁の淫行を責めず、親の背信、祭司が神殿娼婦と共にバアル礼拝をしている責任を問題にしています。当時、女性の姦通は死罪とされたが男の異性関係は問題にされませんでした。神殿娼婦の利益は祭司の収入であり犠牲者は、娘たちや嫁たちであるとホセアは彼女達を擁護しています。
主の下に悔い改めて帰ってくると二18・19バアル(主人・所有者支配者)との服従関係は終わり、新たに愛情を持って夫(イーシ)と対等のヘセド(契約に基づく堅固な愛・慈しみ・愛・恵と訳される)によってまことの契りを結ぶ事が出来ます。神の十戒の契約への忠実さを示す事がヘセドです。エジプトから救い出した唯一の神に対する愛、その契約愛を持って隣人を愛する。これ等がヘセドの愛です。ヘセドの愛とダアス知ると言う事については次回に。
4章46節、47節「さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところに行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。」
彼はカペナウムにあるヘロデ宮殿に使えている身分の高い役人です。その彼がイエスに助けを求めに来ました。王宮に仕える役人としてイエスに助けを求めに行くことはその立場を危うくしたかもしれません。そのうえ、身分の低い一般庶民の若者、しかも医者ではなく大工に重病人の癒しを頼みにいくなど、最初は彼の自尊心や経験が許さなかったかもしれません。しかし彼の息子への愛情は彼に一切の社会的立場や、自尊心、イエスに対する先入観、偏見を捨てさせました。
また彼は自分の愛する子どもが死にかけているのに何もすることができない自分の力なさ、限界をこの事を通し、心底わかりました。
イエスの滞在しているガリラヤのカナとこの役人が住むカペナウムは、直線で30km程離れています。中途半端な気持ちだったなら、途中で引き返し、別の治療を試みたことでしょう。しかしこの時の彼は、自分の中にもはや頼るものが何もない空っぽの状態だったからこそ、イエスに最後の希望を託しひたすらイエスの下へと急ぎました。何もないこと、何もできないことが彼をイエスに強く結びつけたのです。
4章48節「そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」
息子の癒しを求めて来た役人に対して、イエスはこの様に言いました。
かつてイスラエルの民はモーセによってエジプトから導き出される時、10の奇跡を体験しました。その後、荒野での生活が始まります。するとすぐに、エジプトでの奴隷のくびきから解放され自由の身になった感謝を忘れ、荒野での生活に対する不平を口にし、神によって立てられた指導者モーセを非難します。それは、やがて神への非難へとなっていきます。ほんの少し前に体験した神の数々の奇跡は、彼らたちの信仰のどこに息づいているのでしょうか。
いくら神の奇跡を見ても、それによって神への畏敬の念を持ち続ける、神を恐れ敬い続けるようにはなりません。私たちは神の奇跡を体験すれば神を信じることができると錯覚をしてしまいます。見て信じる信仰は、例え見たものが神の不思議な業であろうとも、それによって神への信仰に必ずしも硬く結びつくということはありません。確かに神信仰へのきっかけになります。また信仰が強くなった気持ちになります。しかしそれは一時的なものであり、困難がその人の人生に降りかかるといともたやすくその確信は崩れ、不平が口に上るのです。見て信じる信仰は砂の上に建てた信仰かもしれません。
この役人は、イエスの「しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」との言葉にも屈することなく、なおも執拗に4章49節「主よ。どうか私の子どもは死なないうちに下って来てください。」
と言ってイエスに食い下がります。彼の息子が直る唯一の道はイエスに来て頂く事だと信じていたからです。しかし、イエスの言葉は、4章50節「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」でした。彼の期待を大きく裏切りました。絶望に絶望が重なりました。イエスに病気の息子のところに来て頂き、息子の上に手を置いて癒してもらう、それは彼が求めていた事でした。
彼はこの時、これまでにない大きな決断を迫られました。自分考えを捨て、「帰りなさい。直っている。」と言う言葉を信じて、その言葉のみを携え病気の息子の所へ帰るか。選択を誤れば、最愛の息子を失うことになるかもしれません。彼はイエスの顔を見つめながら決断をしていきます。
4章49節「その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。」
おそらく慈愛に満ちたイエスの顔に、その慰めと確信に満ちた言葉に全てを委ねる決心をしたのでしょう。見て信じる信仰から聞いて信じる信仰へと変わった瞬間でした。ガリラヤの人々が大工のイエスから預言者イエスへと考えを切り替えることができなかったのと反対に、彼は180度、信仰に対する姿勢を変えました。
彼の息子はイエスが言葉をかけられたその時刻から快方に向かっていったと聖書はしるしています。役人はまだ見ぬ癒しの奇跡を見ずに信じました。イエスの言葉を信じたのです。そしてイエスの言葉を信じた者だけが許される神の不思議な業に預かることができたのです。
神様は律法をモーセを通して、すべての言葉と、すべての掟とを民に告げました。民は同音に答えていいました。「私たちは主の仰せられた言葉を皆、行います」そして朝早く起きて山の麓に祭壇を築き、主に燔祭(焼き尽くす)を献げさせ、酬恩祭(和解の献げもの)として雄牛を献げしめました。その時、モーセはその血の半ばを鉢にいれ、又その血の半ばを祭壇に注ぎかけました。そして契約の書をとって、これを民に読み聞かせました。すると彼らは答えていいました。「私たちは主が仰せられた事を皆、従順に行います」そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言いました。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいて、結ばれる契約の血である(24章8節)」。
契約の内容は十戒を中心とした掟です。出エジプト記二十章『私はあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである』を前文として十の戒めが延べられ、その後の章でそれに基づく雑則が述べられます。基本的な律法は次の二つです。『あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(申命記六章5)』『自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。私は主である(レビ十九章18)』です。主イエス様がマルコ十二章29以下でこれに勝る掟は他にないと言明なさっておられます。この動物の血で結んだ契約を守る事が出来なかったので、神様はこの世を愛されて、独り子を与えられました。そしてイエス様を十字架に上げてその血をもって第二の契約である新約を神の民と結ばれたのです。
第二契約の必要の為(ヘブル八章7):永遠の大祭司として独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得させる新しい契約の仲介者となられました。最初の契約(旧約)の下で犯された罪のあがないとして死んで下さったヘブル九章15。雄山羊と若い雄牛の血によらないで、ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです(九章11・12)。
旧約は律法を通して、罪を自覚せしめ、その度ごとに犠牲の動物の血を流さねばならなりませんでした。大祭司でさえも年に一度至聖所に入るには自分の罪の贖いの動物の血をささげなければならなりませんでした。その上で民の罪の贖いの犠牲を献げ続けました。
主キリストは罪は犯されず罪のないお方でした故に、動物の犠牲の血を必要とはされず、十字架上で流された血を携えられて、至聖所に入られイエス様をキリスト救い主と信じる者に永遠の命を与え、神の国に入る特権を与えてくださったのです。旧約時代のようによい行いをしなければ天のエルサレムの住人になれないことはありません。
旧約時代の義人は律法を遵守する事によっていたのですが、新約時代は信仰によって義人とされるのです。ローマ三章28「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」。イエス様こそキリスト救い主と信じ神様が備えておられる恵に与りましょう。
聖書の示す命への道、天のエルサレムへの道は二つあります。律法によって神の義を得る道とイエスの十字架の贖いを受け入れて神の義を得る道です。前者は旧約聖書に啓示され、後者は新約聖書に啓示されています。
12章18〜21節の記事は、モーセによってエジプトを導き出されたイスラエルの民が、シナイ山で神から律法を受ける場面です。神の顕現に触れた民は、あまりの恐ろしさに神の臨在に触れることを自らの死と結びつけ、神の言葉を直接聞くことを求めなくなりました。
神は恐ろしい存在、その臨在は死をもたらすものとしか民は受け止められませんでした。そして神に近づくことを止めました。民は、神の戒めである律法を受け取ることが出来ました。しかし、一方で怒れる神の印象しか残りませんでした。愛の神、慈しみの神、平和の神、を知ることはありませんでした。
12章22節「しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。」
しかし、イエスの十字架の恵みに預かった私たちキリスト者は、恐れを与えるシナイ山に近づいているのではありません。天のエルサレムを目指し、それに近づいています。
キリスト者の国籍は天にあります。すでに霊において、天のエルサレムの住人となっています。私たちはその都を目指して信仰の道を歩き始め、その途上にあります。まだ到達していませんが、すでにその都に入るパスポートはイエスから頂いています。ですから、そのパスポートをなくさない限り、神の都は私たちが到着するのを歓迎してくれるのです。
12章26節「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」
これは、ハガイ書2章からの引用です。ペルシャの王クロスによって、バビロン捕囚から開放されたユダヤの民は、エルサレム神殿の再建に取りかかります。しかし、ユダに残っていた民やサマリヤ人たちの妨害に会い、その工事の中断を余儀なくされます。20年近くが経ち、神は預言者ハガイを通して、ユダの総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアに語られました。
神殿再建の情熱が失われ、神殿は荒れたまま放置されている。意気消沈し、希望のない民に対してハガイは、この世界が真の神を中心として再構築される未来像を語っています。
パウロはこのみ言葉を、神の再臨の意味を加えながら語っています。神が再臨される時、かつてシナイ山で地を震わせたように、今度は地のみならず天もその威光ゆえに震える。神の審判の時です。天も地もそこに存在する全てのものが神の前に引き出され、その存在が白日の下に明らかにされて神の審判が下されます。
12章27節「この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、」
12章28節「こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」
その時、揺り動かされないものがあると言います。それは神の国だとパウロは述べています。神の国に入ることのできるパスポートを持っている者は、例えどんなことが起ころうとも、決して動かされることはないのです。
イエスキリストへの信仰を持ち続ける限り、突然、神の前に出て神の審判を受けようとも、イエスの十字架の贖いというパスポートを頂いているで、神の国への入国が無条件に許可されます。だからこそ、天のエルサレムを目指す歩みは神への感謝が生まれてくるのです。
私たちは、イエスの十字架の贖いが与えられています。ですから、恐れなく確信を持って、天のエルサレムへ向かって行くことができます。地上の人生は色々な事が起こりますが、その中にあっても私たちを平安へと導く神の導きは確かにあります。
互いに信仰を支え合い、励まし合いながら、神の国の希望を失わずに地上の生涯を全うしましょう。
ダビデ王の子ソロモンの時代は大いに栄え国は豊かになり、父王が望んでも許されなかったヤァウエの神殿を建てることが出来ました。しかし晩年多くの妻妾が持ち込んだ偶像によって神を蔑ろにした結果、北王国イスラエルと南王国ユダに分裂しました(BC928)。イスラエルの首都はサマリヤ、ユダのそれはエルサレムでした。同胞であり、しばしば敵対しながら、同じ信仰を奉じた二王国は、もはや和解する事はありませんでした。イスラエルはエフライムとも言われています。
イスラエルはアッシリアの圧力を受けていたが彼たちの遠征で、アラブ人が弱体化していたその時ヨアシとヤラベアムが、対シリヤ戦争に勝利を得て著しい繁栄と平和を来たらせました。王と民衆は物質的繁栄に目がくらみ、イスラエルが永遠にいたる神との契約を忘れてしまい偶像に走りました。このような状況下に預言者アモスとホセアが神の言葉を伝え真っ向から彼たちに反対をしました。
一般的に言って預言書は預言者が書いたものではなく、預言者が神から預かった使信を弟子たちが記憶されたものを筆記し、編集したものです。丁度主イエス様の語られたことを弟子たちが記憶し編集された福音書と同じです。イエス様の書かれたものはありません。
ホセアの場合は解釈や、適用などが記されていない事など、彼の生存中に書かれたものでしょう。彼はイスラエルの最後の時、その首都において預言を述べたと思われます。アッシリア軍によって、首都サマリヤが陥落し崩壊した時に、その記録はユダに運ばれそこで歴史書、宗教的文書として纏められのです。口伝としてだけでなくある程度文章化されていた筈です。
一章から三章はホセアの言葉ではなく第三者が書いたものであり、4章以下が彼の生活の中からの預言です。ホセア書がかかれた目的とか、述べられる使信についてはホセアの人格と区別して書かれたものではありません。神は人物を通し、ご自分の民イスラエルに語りかけられる、ホセアはこのような人物でした。彼は神がその民に抱いている無限の愛に気づきそして相手を呼び求め続ける愛の精神が、彼の預言を貫きイスラエルに対する神の愛、これがホセアの預言の使信であります。
神はゴメルとの結婚を承諾されました。やがて彼女は偶像教に走りその教義として神殿娼婦として奉仕をし始めました。神殿娼婦と一つになることで神との一体を表し、その媒介を勤める事で祝福を受けるとしたのです。愛するが故のホセアの苦しみです。それが生まれてきた子供の名前に現れています。神の命令によって最初の子はエズレルと名づけました。アハズ王と妃イゼベルのバール信仰の故に彼たちのサマリヤにいた70人の子供がエヒュによって虐殺された地名です。二番目の娘はロルハマ(憐れまない)ロは反意語。と名づけ、第三番目の子にはロアンミ(私の民ではない)と裁きの名が述べられます。しかし一7「主によって救う、私は弓、つるぎ、戦争、馬および騎兵で救うのではない・・・・」。一10「あなた方は生ける神の子であると言われます。そしてユダの人々とイスラエルの人々が共に集まり・・・」
ついにゴメルは姦夫と逃げ奴隷に売り渡されてしまいまし。彼は買い戻しに行って彼女に言った「あなたは長く私のところに留まって、淫行をなさず他の人のものになってはならない。私もまた、あなたにそうしよう」。日夜子供を否定として呼ばせたホセアの悔い改めでしょう。神の愛は裏切り続けるイスラエルを赦すのです。(続く)
パウロは、イスラエルの人々が神の義を手に入れることが出来なかったのは、それを心から求めようとしなかったからではない、神の義を追い求める方法が間違っていたからだと言っています。
10章5節「モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いています。」
イスラエルの民は律法を守ることによって義を得ようとしました。しかし彼らは義を得ることはできませんでした。彼らの失敗は彼らが律法に対し不熱心であったからではなく、神の正しい知識に基づいたものではなかったからだとパウロは言っています。
10章6、7節「しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。」
この聖書箇所は、申命記30:12,13からの引用です。申命記の中で、モーセは、「あなた方に与える神の命令は難しく理解が出来ないものではない。それは、天にあるのではないので、天にまで上って行って取ってくることはないし、地の果てにあるのではないから、そこまで行って持ってくる必要もない。」と言っています。
神が私たちに願っていることを知ること、またそれに従うことは私たちから遠く離れたことではなく、私たちがそうすることは不可能なことではないと教えています。
パウロはこの聖句を自己義認という視点で用いています。それは、「自分の義は自分の力で手に入れることができると言ってはいけない。人の知恵と力、行いで獲得することが出来ると考えてはいけない」とパウロは言います。
自分の力で義を得ようとするならば、十字架上で示されたイエスの愛、父なる神の愛を無にし、神の恵みを必要のないものにしてしまうとパウロは訴えます。
神の前にへりくだり、自分を憐れみ、救って下さいと願うことが神の義に近づく第一歩です。
10章9、10節「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」
「義と認められる」ことと「救われる」ことは同じことを意味しています。どちらも神の祝福の中に入ることです。その神の祝福の中に入るためには「心に信じる」、「口で告白する」ことが求められています。パウロは、律法によってとは一言も書いていません。神の一方的な恵み、赦しによってのみ、永遠の命の道が開かれ、それを受ける私たちに条件は付いていません。ただ、信じ、告白することのみです。
パウロは以前、キリスト者を迫害していました。彼はそうすることが神に仕えていく道だと信じていました。その信念の通りにキリスト者を捕らえ、苦しめました。そのパウロがダマスコに行く途中で、復活のイエスに出会い、瞬く間にキリスト者へと代えられ、反対していたイエスを述べ伝える使命に生きることになりました。
パウロは神の子になりました。しかし、なぜキリスト者を迫害した自分が何の咎めも受けずに神の子とされたのか、どうしても理解が出来ませんでした。律法によれば、それは不可能なことだからです。パウロは悩み、そして気付きました。救いが自分の行いではなく神の一方的な恵みによってもたらされるのならば、そしてその一方的な恵みが無条件の赦しを伴うならば、自分が救われたことは決して不思議なことではない。救いは神の無条件の赦しの恵みによって与えられる、自分はただそれを感謝して受け取ればよいとパウロは恵みの信仰に立ちました。
聖書Bibleはギリシャ語で、タ、ビブリア(書物複数)からきています。旧約聖書は、律法トーラー、預言書ネビーイーム,聖文書ケスービームの三つに分類されます。39巻はパレスチナのユダヤ人によってAD(主の年)一世紀末に確定され、ユダヤ教とキリスト教の聖典となっています。このほかエジプトのユダヤ人は、別にいくつかの書を加えギリシャ語で編集し(70人約聖書)カトリック教会もこの拡大された旧約を使っています。また旧約の影響の下にイスラム教があります。
旧約にはイスラエルという小民族の18世紀にわたる歴史{BC(主の誕生前)18世紀〜1世紀)}が述べられています。エジプト、アッシリア、バビロニア、ペルシャ、ギリシャという大国が次々と歴史から消えていっても、イスラエルは神に向って歩み続けました。彼達は有為転変の連続する信仰の道を示し、神様が彼たちと契約し、どのような時代にも神が彼らと共におられることを確信した信仰の歴史が旧約です。
特に天地創造の出来事は目撃者がいない状況の中で起きていて、人間の歴史理解を超えたものです。到底人間の言葉で語りえない、絶対の言葉の無限の内容が、あえて人間の言葉で語られています。歴史の事実としてあった事でありますが、科学的にこれは語りえないものです。神が事実創造者であるならば、神意外にこの歴史的事実を語りうるものはいません。神がそれを人に知らせようとするなら神が直接に啓示されなければなりません。それは神が啓示を与えられたのですからその神への信仰によってのみ知りうる事なのです。
聖書は物理学や化学等の科学の本ではありません。神の啓示の本であり、人類の理解を超えた歴史書といってもよいものです。さまざまな時にまたさまざまな人によって書かれ加筆修正されていますが、39巻という膨大な書物はそれぞれがイスラエルの信仰を表現しているのです。
聖書の最初の一章はBC6世紀に書かれ、二章はBC10世紀に書かれたといわれます。この二つの章は創造者神をたたえる一大叙事詩であり、宇宙がどのように創られ、人間がいかに地上に誕生したかを説明するものではありません。詩的表現で、すべて被造物が、人間の幸福のために神から与えられた事を述べているのです。創造を解明するのは科学の役目です。聖書は唯一の神は哀れみ深い方で太陽や月に代表される自然を人間の幸せのために、無償で創造されたものといいます。
1節混沌とした、闇の世界は聖霊によって覆われていた。父なる神は・・創造し始められたとき・・・『光よあれ』といわれこの世を光と闇に分けられた。聖書の最初に三位一体の神が示されている事は驚くべきことです。ヨハネ一章1節〜5節言葉は神であった・・・すべてのものは、これによってできた。出来たもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。・・・・(創世記一章25節)『我々にかたどり、我々に似せて、人を創ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう』と神は人を創造された。・・・男と女に創造された。
人間は快適さを求めて人間の幸せのために創造された自然を破壊したり、殺し合いをしたり、人間間の格差を作り出して、働きたくとも働けない人を生み出し、住みにくい世界を展開しています。創世記の初めに人類は帰らねば、黙示録に示される裁きの終わりのときを来たらせます。聖書の最初の幸せを黙示録の終わりにもその幸いさを実現させなければなりません。
ペンテコステはイエス・キリストを信じる弟子たちに天から聖霊なる神が注がれて、今までとは違う新しい恵みによる救いの時代が幕開をした日、キリスト教会がスタートした記念日と言えます。
1章5節「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
十字架の死によって私たちの罪の贖いを終えられ復活されたイエスは、その後40日間弟子たちに現れ、神の国の確かなことを証しされました。そして、天に戻られる時、ご自身の代わりに弟子たちのそばにいて導き、励ましと慰めを与え、宣教の力を下さる方をイエスは送ると約束されました。
2章2〜4節「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊にみたされ、」
この時、イエスの約束が現実のものとなりました。
2章4節「御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
1章8節「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」
聖霊を受けるとイエス・キリストの福音を語りだす、福音に生きる者になると聖書は言います。それまでの弟子たちはパリサイ人や律法学者たちに隠れて自分たちの信仰を守るという消極的なものだったと思われます。しかし、聖霊が注がれたとき、弟子たちの内面に強烈な変化が起こり、新たなる人格の創造がなされました。その新しき人は聖霊の力によって不安恐れを吹き飛ばし、イエスを大胆に語るということを始めました。聖霊の力は、私たちに福音を語らせるのです。
2章11節「私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
そして福音を語る私たちを通して、神が褒め称えられる。神が褒め称えられるように、私たちは語る者になるのです。私たちが隠れていて、黙していては、どうして神を知らない者が神を知る様になるのでしょうか。私たちがイエスを紹介せずして、どうして神が褒め称えられる様になるのでしょうか。
私たちが自分の力で語らず、与えられた聖霊によって語るならば、宣教の情熱が失われることはなく、疲れることもないはずです。
2章1節「みなが一つの所に集まっていた。」
イエスの約束を信じる。そして、それを待ち望むことが聖霊の力を受ける秘訣です。彼らはその約束がどの様に実現するか何時実現するかは分かりませんでした。しかしイエスの約束を疑うことは、もうしませんでした。私たちの日常生活には、神から目をそらせる様々もので満ち溢れています。目を奪われ、イエスから目をそらせてしまうと、私たちに見えるのは私たちを沈めようとする波風だけになってしまいます。疑うことなく信じ続ける大切さ、イエスを見続けることこそが聖霊の力を受けるために必要なことです。
また彼らは心を一つにして祈っていました。私たちが聖霊の力を得るには、あるいは頂いている聖霊の力に満ち溢れるには、心を注ぎだした祈りを積まなければ、それを頂くことは難しいです。私たちが聖霊の力に満たされた信仰の生涯を送るためには、祈りはなくてはならないものです。同じ様に、教会が大きく展開するためには、聖霊の豊な注ぎを受けなければなりません。このことにおいても、教会が祈りを積むということでしか得ることができません。
2000年前のペンテコステを覚える今日、聖霊の力を頂いて信仰の喜びにあふれたいと願います。
私は憲法記念日の前後に必ず日本国憲法公布記念式典の「本日、日本国憲法を公布せしめた」から初め御名御璽で終わる勅語です。日本国憲法百三条の最後まで読むことにしています。改憲論者と話をして驚く事は、それを最後まで読んでいないムード的改憲論なのです。ゆっくり読んでも三十分しかかかりません。ついでに明治憲法(大日本帝国憲法)を読んでも7・8分です。日本国憲法は国家が契約によって成立していると言う社会契約論を基にしています。契約は神と人との人格関係の基に成立し、聖書は信仰と生活の唯一の規範とするキリスト教信仰によっています。何故日本人の多数が憲法違反、法律を大事にしないか、契約の思想が希薄だからです。
5節主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思い計る事が、いつも悪い事ばかりである事を見られ、人を造ったのを悔いて心を痛められました。一章26『われわれのかたちに、われわれにかたどって、人を造り、・・・』とすべての被造物を治めることを命じられ、すべてのものを見られて、それらは極めてよかったと満足されましたが、アダムとエバは神様の命令を破り、エデンの東に追放されました。彼たちの子供のカインは弟アベルを殺して最初の殺人者となりました。それ以来主が嘆かれるように人類は神を無視する生活を進行せしめました。神は創造の傑作と喜ばれた人類の堕落のさまをご覧になって苦しみぬいた据えの決断を下されました。
神が創造されて天地は、穢れもなく輝いていた。その素晴らしい世界を神はご自分に象って造った人間にお委ねになりました。そしてアダムとエバを祝して『生めよ、殖えよ、地に満ちよ、地を従わせよ、・・・』と神は言われました。しかし人間は、神のご期待に応えず、自らの欲望の充足を求め、勝手に生き、そのおかげで輝いていた世界も穢れに満ち暗い状態に陥りました。期待した子供に裏切られ、傷つき、悩み苦しみ、自分の子育てに間違いがあったのではないかと自分を責め、この子にどのように接すればよいかと悩む親のような神様の姿を見ます。
これ以上人間に期待できないと判断された神様は創造されたものをすべて地上から拭い去ります。創造したことを悔いると言われ実行なさろうとされましたが、ノアに目を留められました。彼はその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であり、神と共に歩んだ人でした。神様はノアに命じて箱舟を作らせ、生き物の番と息子たち、セム、ハム、ヤペテ夫妻をその中に入れた。そして神様はノアと契約を結ばれました(18節)。
神様がすべてを地上から拭い去ったら世界はどうなるのだろうか、その時神様の思いを自分の思いとして従うノアがいたのです。神様の天地創造の大方針に従う、正しく全きノアと契約を結ばれるのです。崩れ去ろうとする神様のご計画が神様と共に歩み、神様の思いを自分の思いとして生きようとする彼によって遂行されるのです。人類の滅び生物の生も実現するのです。
神様の希望がノアによって実現しようとするのです。人類の救い、生物の救いが、神に従うノアの箱舟によって、救いの業がなされるのです。今現在イエス様の十字架があの時代を救った箱舟以上の大きな働きをするのです。ノアは神様の命令で箱舟を作りました。私たちは主の命令に従って自分を捨て己が十字架を負って従っていくのです。そのことが自分だけでなく人々の救われる道に繋がるのです。
私たちの信仰は聖書の知識や聖書に従った行いゆえに得たものではありません。パウロは、神からの恵み、プレゼントとして信仰が与えられたと記しています。信仰生活においても同じことが言えます。私たちの努力によって十分にできるようになるのではありません。神からの助け、つまり聖霊の助けが必要です。
16章:26節「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。」天に戻られたイエスはご自身が約束した通り、聖霊を弟子たちに注がれました。神との新しい関係が始まった瞬間です。その日を境に、弟子たちは聖霊の導きとイエスの名の下、自らの言葉によって直接父なる神に祈ることができるようになりました。「父よ」と語りかけることが出来るようになったのです。
旧約聖書時代のイスラエルの人々が願っても叶わなかった父なる神との親しい交わり、その特権が今の私たちに与えられています。
16章27節「それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。」イエスを愛し、イエスが神の子であると信じることによって、父なる神はその人を愛して下さる。イエスへの信仰が父なる神に愛される唯一の条件になっています。ですから、私たちがイエスの言葉に耳を傾け、イエスに従って人生を歩んでゆこうとする時、父なる神は私たちに心を留めて下さり、父なる神との交わりへと導き入れて下さいます。その交わりを聖霊が助けて下さり、私たちの祈りの声を、その思いや願いを真実なものへと導き、父なる神に届くようにして下さるのです。父なる神は祈りを聞き、天にある全てのものをもって私たちの人生を祝福して下さいます。
イエスは、よく民衆や弟子たちから離れられて、一人祈りの時を持っていました。十二弟子を選ぶ時など、大きな決断をする時には特にその様にされてきました。夕食での告別の説教が終わった後、イエスは心を注ぎ出して父なる神に祈られました。イエスにとって祈りは、父なる神との愛の交わりであり、父なる神と一つになることでした。また、それは慰め、励ましまた力を受ける場でした。
32節「しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。」ご自身の思いを託した弟子たちが恐れのあまり自分を一人残して逃げ去ろうとも、イエスは一人ではありませんでした。父なる神が常に身近にいました。だからこそ、父なる神の励ましを受けて十字架に真っ直ぐに進んで行くことができました。
私たちもイエスと同じ様に父なる神と共に生きています。一人であって、一人ではありません。私たちも聖霊の助けによって、父なる神と直接、深く、親しく交わることができ、父なる神を身近に感じることができるのです。そしてその結びつきこそが私たちに励ましや慰め、満たしを与え、進むべき道を教えて下さるのです。
33節「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」本当の神を知らない世界にあって真実の神に従って行く時、様々な試練に出会います。家庭で、会社や学校で、また暮らしている地域で、どんな場であっても信じ従うゆえに試練や困難、無理解は起こってきます。しかし、イエスは言われます。あなたの内にある聖霊の助けによって、あなたは父なる神様と交わることができるのですから、父なる神から力を受けなさい。私はあなたの罪が赦されるために十字架に掛かることにしたのだから、もう世はあなたに勝つことはできない、雄々しくあれ、とイエスは言うのです。
私たちに与えられている聖霊は、私たちの信仰を助けて下さいます。それは、父なる神との交わりが豊になる様に祈りを導き、また、父なる神がどんなときにも共にいて励ましを与えて下さることを確信させて下さいます。聖霊により頼んで、神の恵みを更に深く知る者にして頂きましょう。
十二章1〜3主はアブラムを祝福し、祝福の基とすると約束されます。彼は神のみ言葉を信じ、父祖の地ハランを神の示す地へといで立ちました。信仰の父といわれる所以です。イサクもその祝福の権利を受け継ぎました。イサクは年老い、目がかすんで見えなくなっていつ死ぬか分からなくなったので、長子エサウを呼びいつものように野に行って、シカの肉を弓矢で得て、私の好きな食べ物を作り、食べさせよ、死ぬ前にあなたを祝福しようと言いつけました。それを聞いていた二人の母リベカは弟ヤコブを愛していたので策略をもうけて、長子の権利と神の祝福を奪ってしまいました。ヤコブは兄に殺される事を恐れ母の忠告に従って、ハランのラバン(リベカの兄)のもとに逃れました。彼はその娘、レアとラケルのために14年それから6年ラバンの羊を飼っていました。レアと二人のつかえめビルハとジルバ等によって十一人の子と多くの家畜を所有するほどになりました。
故郷に帰ろうと兄エサウの住むエドムの地に入るヤボクの渡しに到着しました。彼は兄に対して自分のした仕打ちゆえ非常に恐れ、多くの家畜を五つの群れとし群れと群れの間を保ち、三つの組に分け、エサウに会うたびにヤコブよりの贈り物だとこれを渡し、兄の気持ちをやわらげようとしました。家族も皆ヤボクの渡しを渡しヤコブは一人残りました。
彼はイサクの持つ祝福の権利をだまして取ったことなど、神様に対して改めて祝福をいただかなければ、安心してヤボクの渡しを渡り、恐れる兄の前に立てないのです。祝福とは、他者の繁栄を望み、願い、実現させる事です。聖書は神が自然、人類、安息日、諸国民、個人を祝福されその言葉は常に実現されます。
解消されない不安の故にヤコブは切実に祈りの必要性を感じたのです。彼の徹夜の祈りは天使が彼と格闘するようなものです。彼は祈りの中で神にしがみつきそれを離そうとする天使との戦いです。彼は自分自身の中に巣くう、貪欲さ、狡賢さなど、それらが招いた今の恐れ、また人間自体の祝福を求める強さなどが、26『夜が明けるから私を去らせてください』と言わしめたのです。ヤコブは応えた「私を祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」すると彼に向って『あなたの名はなんと言いますか』彼は「ヤコブです」と答えながら、自分の歩んできた今までの人生を省みて、自分は人を押しのけてでも自分の幸せを追ってきました。生まれたときから兄の踵をつかんでいたように。踵(アーケーブ)からヤコブと言われた事など悔い改めざるを得ませんでした。
名前を教える事は、身分を明かし、相手に完全に身を任せる事を意味します。また責任をも委ねる事にもなります。名前を知る事は、相手に対してある種の権力を行使する事にもなります。そして名を変えることは新しい人格が付与される事になります。名を消す事はその人の存在を抹殺する事でもあります。
ヤコブは一晩の祈りの格闘で悔い改め新しい人格として生まれ変わりました。28節に『あなたはもはや名をヤコブといわず、イスラエル(神は争われる。神と争う、神が治める)と言いなさい。お前は神と人と闘って勝ったからだ』と言われて彼を祝福しました。彼の祖父アブラム(父)がアブラハム(多くの国民の父)として永遠の契約を立てられたように。
ヤコブがイスラエルと主によって改名された事は、主イエス様をキリスト救い主と信じ、信仰告白した者を祝福してくださることを指し示します。そればかりか、私たちを多くの人々の祝福の源としてくださるのです。
人間と言う生物は必ず死にます。人にはその死が何時だか知りません。しかし主はこの世を去って父の御許とに行くべき時が来た事を知られて、弟子たちを最後まで愛され彼たちの足を洗い始め、手ぬぐいで拭き始められました。それは最後の晩餐の中での告別説教(遺言)の開幕を示す愛の手本です。ローマ法王が世界中から集めた貧しい人々の足を金のたらいで洗う行事とはかけ離れたものです。主イエス様の謙遜を示すと解釈する人がいますが、イザヤの預言する主の僕。神が人の子となられた愛を語っています。主の死に与るバプテスマがこの洗足に現れているのです。
上着を脱ぎ(脱ぎ捨てられ)それはご自分の命を投げ捨てられる象徴でもあります。奴隷の姿になられ手ぬぐいを腰に巻き、たらいに水を満たして弟子たちの足を洗い始められました。おそらく筆頭のペテロから始めようとされたが恐縮して固辞したので彼は最後になったのでしょう。ギを見ますと8節の足を洗うはヌウフオーになっていますが、14節では『私が、あなた方の足を洗ったからには』エゴ・・ヌウファと私が、あなた方の足を洗うと、私を強調されています。
洗足の直前に弟子達は誰が一番えらいだろうかと議論をしています。その時主は『・・指導する人は仕える者のようになりなさい。・・・私はあなた方の中で、いわば給仕する者である。』ルカ22章26・27給仕する者とされる者について語られているが、これは洗足とは直接に結びついてはいません。ところで主がヨハネ13章14『主であり、師である私があなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない。私がした通りに、あなた方もするようにと、模範(手本)を示したのである・・・・』洗足の業は主の謙遜ではなく、主の愛から行われたことを知る事が出来ます。
洗足時に語られた事が、主の新しい掟としてとして与えられました。34節『互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。』
互いに愛し合うならば、それによってあなた方が私の弟子であることを、皆が知るようになる』これらの出来事主の言葉が十四章〜十六章の告別説教・遺言となったのです。が、その時は弟子達はそのことに気づいてはおりません。遺言に有るように聖霊が彼たちに真理を示した時、初めて主のみ言葉の意味、主の愛、十字架の救い、恵の数々を知り、また信じることが出来ました。
主の靴の紐を解くことの出来ない(洗礼者のヨハネが主の前で語った)それにも及ばない、あなたと私の足を主は洗ってくださいます。私たちは感謝と喜びを持って主の愛に浸りましょう。そしてその主の愛を持ってお互いに仕え合いましょう。
イエス様の十字架の周りには多くの人がいました。ある人々は嘲笑悪口を浴びせ、他の人は愛のイエス様の苦痛の悲惨な有様に心張り裂けるような思いで見つめていました。両者に共通する事、それは人類の贖罪のための代理死であることをその段階で知り信じているものは皆無であったと言う事実です。人間はすべて罪人であり、神様が人の死を赦すためには、代理の犠牲の供え物が献げられなければなりません。しかし、レビ記の動物犠牲とか、有限な人間では代理犠牲は不適切です。人は自分自身の罪のために死なねばなりません。イエス様のみが、人であり神の子であり、完全無傷で穢れがない故に、代理の贖罪死が相応しいのです。このことは主の復活を信じた人にのみ示された恵です。
先ず主の十字架を無理に負わせられたクレネ人のシモンです。父にイエス様の有様を聞かされ育つたアレキサンデルとルポスは主の贖罪を信じています。主を十字架につけた兵士と隊長の百卒長は『父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』のとりなしの祈りから最後までを見届け、百卒長は一部始終を見ていて、神を崇め39節で「本当にこの人は神の子であった」と言っています。
イエス様の左右につけられた正真正銘の悪人は、通りかかった人々と共に「・・・十字架から降りてきて、自分を救え」とののしり、祭司長、学者たちは一緒になってかわるがわる「他人を救ったが、自分自身を救う事が出来ない。イスラエルの王キリスト、今十字架から降りてみるがよい。それを見たら信じよう」と嘲弄して言いました。
また遠くの方から見ていた主と共にエルサレムに上ってきた女達、そのはるか先に主を捨てて逃げた十人の弟子たちもいたことでしょう。やがてヨハネや母マリヤを中心とした女性たちが十字架のそばに近づいてきて、イエス様の語る言葉を聞いた。苦痛の中から母マリヤに語り、ヨハネにその母を託せられました。
主の十字架によって贖われ永遠の命に与った者と、永遠の滅びに至るものとをここで見ることができました。私自身はクレネ人シモンと同じです。戦争中、クリスチャンであるという十字架負わされ、しぶしぶ主に従いやがて、月月火水木金金となり土曜日曜日がなくなりました。旧新約聖書をもって教会学校の教師をなしたり、礼拝に出られなくなったこと、弾圧で教会が解散させられた時、悔しくはあったが負わされた十字架がなくなって、ホッとしました実に情けない人間です。
しかしそれもつかの間、イエス様との出会いを通して献身をするという重荷を負わされました。そして元住吉の開拓伝道という重荷をその上に重ねられました。私にとってそれらの事を通してこそ元住吉教会がキリストの体であり、私自身の命になったのです。この元住吉教会の為なら何でもします。また出来ます。そのためなら自分では死ぬまで続けたいと願い思う牧師職を捨てるにやぶさかではありません。それもまた私の十字架ですから。「イエスは弟子たちに言われた『誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい(マタイ16章24節)。』」
イエス様はいよいよご生涯の目標である十字架に向って進み始められました。それは先ず十字架の苦難の予告から始まりました。マルコは三度までそれを伝えています。(八章31節、九章31節、十章33〜34節)歴史の中で多くの人が自分はメシヤであると声高に叫んでいますが、主イエス様はご自分が真の救い主・キリストであることは人々に語られませんでした。弟子たちに人の子は(主はご自分のことを指して)必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目によみがえるべきことを教えられました。このことが明らかになったのは復活後で、それまではご自身の事は誰にも言ってはいけないと、彼たちを戒められました。
ひそかに弟子たちに告げられたときは、ご自分の言葉ではなく、29節のペテロの「あなたこそキリストです」との信仰告白があって始めて十字架の死と三日後の復活が彼たちに教えられたのです。彼達は主のみ言葉の意味は復活の主にお会いするまでは理解できませんでしたが、主を救い主と告白した者にのみひそかに語られたことは信仰者の特権であると感謝します。
必ず苦しみを受け・・・よみがえるべきと、イエス様のご受難と十字架は偶然起きた事でなく父なる神の定められことであり主のご生涯の使命であることを語られているのです。(必ず・・・・べきである)と言う事はイエス様こそキリスト・メシヤ・救い主である事と十字架の苦難と死そして復活と必然的に一連の出来事である事を示しています。
キリスト救い主とはローマの支配から救い出す支配権の奪取ではありません。イザヤが五三章で語る苦難の僕として世の人々に仕え、十字架で贖いの死を甘受される事を明らかにされておられるのです。キリストの十字架は私たちから見ると罪の身代わりですが、神の側からは救い主としての使命とその成就の啓示です。
ガラテヤ二章20節に「私はキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」を経験する者にのみ主の示される罪よりの救いがあるのです。そのために八章34『自分を捨て、自分の十字架を負うて私に従ってきなさい』の主のお招きになるみ言葉に従順に従わなければなりません。
十字架上の主イエス様のみ言葉は四福音書に七つあります。各福音書はそれぞれの観点から十字架を語っていますので、み言葉もそれぞれに述べられています。故にそれを順序良く並べます。 第一. ルカ23:34『父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです』神の人間の罪に対する赦しの真髄であり、執り成しの祈りです。
第二. ルカ23:43『あなたは今日私と一緒に楽園にいる』人間の救いの意味を知ります。赦しを受ける人間について教えます。
第三. ヨハネ19:26〜27母マリヤに『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』弟子に『見なさい。あなたの母です』弟子は主の母を自分の家に引き取りました。
第四. マルコ15:46とマタイ27:46『わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか』私たちが叫ばなければならないものです。主の十字架の死を啓示する言葉です(詩篇23:1)。
第五. ヨハネ19:28『渇く』人間イエス様の肉体の臨終の姿です(詩篇69:22)。
第六. ヨハネ19:30『成し遂げられた』主によって救いの業が成し遂げられた宣言です。
第七. ルカ23:46『父よ、私の霊を御手に委ねます』主は神の霊によって生き、霊によって死に救いを実現されました。(西谷氏十字架上の七つの言葉を参考)
十字架上の死によってイエス様をキリスト(救い主)と告白する者は、キリストと共に十字架の上に死に、墓に葬られた主と共に甦り永遠に生きるものとされたのです(ガラテヤ二20)。
救いをより深く理解する為に第四のみ言葉を取り上げます。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』昼の12時になると、全地は暗くなり3時まで続きました。3時に主は大声で叫ばれました。地上の暗黒の極みで、神の御独り子が父なる神に向って『なぜ、私を見捨てるのか』と迫るのですが応えはありません。
主は最後の苦しみの中でも、み言葉が湧き出してくるのです。詩篇22篇1〜2の言葉です。苦しみの中でのそのみ言葉によって聖書にどれだけ親しみを持っておられたか知る事が出来ます。このみ言葉は人としてイエス様の心痛の極みの言葉であり、どのような理由があろうとも、父に見捨てられた子の悲しみの叫びです。この言葉が発せられたこの場所が主イエス様のご生涯の中心場面です。
斯してすべてを成し遂げられ、第七のみ言葉『父よ、私の霊を御手に委ねます』詩篇三一5。父なる神への絶対的信頼の表明となります。
主は十字架の死によって万人の救いを成し遂げられました。議員のヨハネがピラトから主の遺体を受け取り岩に掘った新しい墓に葬りました。祭司長やパリサイ人は三日目によみがえるといわれたことを思いだし、墓の前に番兵を置き、墓の石に封印しました(マタイ27:62以下,28:11以下)。それも無駄であり、復活の証明になりました。
コリント第一・15章に、「キリストの復活についてそれが信実であり、キリストが復活しなかったら、私たちの信仰はむなしく、私たちは今なお罪の中にあることになる。」とパウロは述べます。キリストの復活こそ十字架の救いの証明なのです
主イエス・キリストの復活の前の週間を受難週といいます。受難はパッションと英語で言います。ラテン語のパシオ苦難を語原とします。英のパッション通常は熱意、情熱、熱心、などを意味します。イエス様は神の正義・愛に対する熱情の故に、ピラトの審判、反対者の十字架の要求によって苦難を受けられたのです。主のご生涯にとって受難週の意味が深い事は、福音書の三分の二を占めている事でも分かります。キリスト教の中心は、キリスト(神に油注がれた者、メシヤ、救い主)です。キリストの十字架上の苦しみと死、キリストの復活こそがキリスト教の中核です。
主は受難週に先立たれエリコで取税人ザアカイのうちに泊まって、エルサレムに上られる時、常に立ち寄られるベタニヤに来られました。安息日が終わって重い皮膚病を主に癒されたシモンの家で、主と12弟子、マルタ、マリヤ、ラザロの姉弟らが出席してシモンの饗された夕食の席につかれました。おそらくシモンの妻(であろう)マルタが主の食事の世話をしていました。マリヤは主に対する感謝ゆえに高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、主の頭に注ぎ、足に塗り、自分の髪の毛でそれを拭きました。するとその香りが家いっぱいになりました。イスカリオテのユダは憤慨して、3百デナリ(労働者の一日の賃金は1デナリ)で売って、施しをしないのかと責めました。しかしこの愛の行為が主の葬りの備えになったのです。
翌日主はロバの子に乗ってエルサレムに入られました。甦らされたラザロの事で民衆は棕櫚の葉を取ってホサナ(今救いたまえ)と叫んで万歳万歳と主を向かえたのです。これはゼカリヤ九章9・10の預言「シオンの娘よ、大いに喜べ、・・・柔和であってロバに乗る。ロバの子である子馬に乗る。わたしはエフライムから戦車を断ち、エルサレムから軍馬を断つ。また戦弓も断たれる。彼は国々の民に平和を告げ、・・・・」の成就です。彼達が平和の君を迎えた時、エルサレムの西の入り口からは、ピラトが軍馬にまたがって、世界を制覇したローマ軍を率い、帝国の威光を背にしてきらびやかに、しかし民の声は聞こえず、イエス様のエルサレム入城とは対照的です。
イエス様の人気は祭司長やパリサイ人が恐れるほどでした。ところが4日後、ピラトの裁判の時には、学者たち指導者の扇動にのって、ピラトでさえ無実とする中十字架につけよと民衆が叫び始めたのです。暴動化を恐れたピラトが手を引いたので兵士も民衆も主を侮り、鞭打ち刑に処し、茨の冠を被らせ、主に十字架を担がせゴルゴダの丘へと引き立てるのです。ホサナ、ホサナと歓呼の声で迎えた同じ口が十字架につけよと叫ぶのです。心移ろい易いのは人の常です。私は戦時中戦後心変わりするさまを見てきました。残念な事ですが教会の中でもキリスト者の交わりでも見てきました。主の十字架を負う事をしないことから起きるのです。
マタイ十六章24主は弟子達に言われた『誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい』この言葉を実践するのであれば信仰生活の中で心移ろうような事は起こりません。続けて『自分の命を救おうと思うものはそれを失い、私のために自分の命を失う者は、それを見出すであろう。たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したらなんの得になろうか。・・・・』
私は11歳のクリスマスに、いかなる事があろうとイエス様に従っていくことを誓い受洗しました。それを実行するには確かに自分を捨てなければなりませんでした。自分を捨てることが私には重い十字架でした。転びつつ、ふらふらしつつどうにか主に従うことが出来て感謝しています。
教会ではイースターの前の金曜日を、聖金曜日と呼んできました。それは万人の罪の身代わり(贖い)として主イエス様が十字架で身を裂き、血を流してくださった感謝の気持ちから良い日として記念してきたのです。ドイツ語では嘆きの金曜日(カールフライターク)また(ゴッテス・フライターク)神の金曜日とも言われます。
モーセは十戒を通して神との契約を結びました。私たちは律法を守る、神はそのことで祝福を与えると言う約束・契約をしたのです。人間は生まれながらに罪を犯す存在ですので、レビ記に述べられる動物を殺して、その命の源であると考えられた血を祭壇の元に注ぎました。そして肉を全部焼ききって罪の贖いとしました。動物を捧げる前に燔祭の獣の頭に手を置きます。これは礼拝者が捧げものと一体であり、捧げるものの思いをそれに託する事を意味します。
常燔祭は毎日朝夕に民族を代表して祭司がこれを行いました。燔祭の捧げもの(オーラー)は動詞アーラー(上って行く)神の元に行く捧げ物です。血を器に受けこれを祭壇の周りに注ぎます。ちなみにこの血はケデロンの谷に流れます。
1) 酬恩祭、自発的捧げもので一部を神の前で食する。神との親交を意味している。
2)愆祭(けんさい)、とがの償いをする(賠償を伴う)人に対しての過失であっても、ヤァウエーを傷つけるものと考えた。イザヤ五十三10。神の僕は民の罪を贖う為、自分自身を捧げ愆祭とする。『彼を砕く事は主のみ旨であり、・・彼が自分をとがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ・・・・・』
3)罪祭、神の罪に対する扱いは赦しです。赦しの媒介として罪祭がある。罪のために捧げる動物犠牲には社会的地位、身分によって、牛、羊、山羊、鳩・家鳩と贖罪の犠牲が変わります。犠牲の頭に按手、罪の告白、奉献者による屠殺、会衆の場合は代表者が屠殺する。その他、現在の感謝・指定献金のような素祭、揺祭、挙祭がある。
イエス様の犠牲死を述べる前に犠牲を考えてみましょう。何かの正義のために命を献げることを犠牲と言います。イエス様がご自身の命(血)の代価を払って、世の人を救い出してくださったことが贖いの死です。ルカ二十二章20節に、『この杯は、あなた方のために流す私の血で立てられる新しい契約である』と過ぎ越しの最後の食事でおっしゃいました。ヘブル九章12節に、「やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所に入られ、それによって永遠の贖いを全うされたのである。」私達の罪の身代わりとしてご自身の血を犠牲として払われたのです。
十字架上で主は七つの言葉を発しておられます。最初のお言葉はルカ二三章34『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです』イエス様が私の救い主として十字架につけられました。私の罪のためであると悔い改めるもののために主は血を流されたのです。その流された犠牲の血が祭壇に注がれ、私たちを罪から贖い、永遠の命を与えてくださったのです。
レビ記に動物を犠牲として捧げる細かい規定が述べられていますが、新約のイエス・キリストの十字架の贖いの預形(預言のように形で示す)である事を読み取ってください。それが主の十字架で流された血であり、裂かれた肉である事を指し示しています。
私は出エジプト記に記されているパロの前での十の奇跡七章〜十二章、紅海が二つに分かれイスラエルが渡った後に進入したエジプト軍が全滅した記事が、神の起こさせた自然現象であるとの著書を見て驚いた事が有ります。先日私の81才の誕生会を熱海で開いてくださった時、出エジプトの出来事が映像化された録画を見せていただき、四十数年前の書物をはっきりと理解できて感謝でした。
BC15世紀頃、エーゲ海のサントリニ島が大噴火して、現在のサントリニ諸島となりました。その噴火が地中海を隔てたエジプトに大きな影響を与えました。火山灰がナイル川に赤いプランクトンを発生せしめ川を血のように染め、川中の魚が死滅、三日間の暗闇があり、病人が出たり、蛙の大発生があり、害虫が国中に広がり、天候の激変があり、長子が亜硫酸ガスで死亡した(当時の習慣では上の子は下の方に寝る)過ぎ越し等の奇跡は自然現象と説明の出来る事でした。パロはこれ以上の奇跡による被害を恐れ国民も早く出国して欲しいと、請い求め、金銀をイスラエルに与えた。彼達はパロの心が変わらぬうちにと出国しました。
最後の奇跡が行われる前に神はモーセを通して命令されました。子羊の血を一束のヒソプを取って門の柱と鴨居に塗らなければなりません。敷居も門の一部であるが足で血を汚してはならないから塗ってはなりません。門柱にはその家の住人の名が記されていました。あがないは血でもってなされ、イエスキリストの贖罪をも表しています。種入れぬパンを焼き(醗酵させている時間がない)苦菜を添え子羊の肉は焼いて食し、残ったものは火で焼き尽くさねばならなりません。食するときは腰を引きからげ、足に靴を履き、手に杖を取って、急いでそれを食べなければならなりません。これは主の過ぎ越しです。『その夜私はエジプトをめぐって・・・・神々の審判を行うであろう。私は主である』。十二章。
当時エジプトから約束の地カナンに至る道は三通りありました。地中海よりの道(ペリシテの道)第二はシュリヘの道、かってハガイが女主人サラから逃れて帰国した道、第三は巡礼者の道、ラメセス(イスラエルの住んでいた町)からスエズ湾の先端を経て紅海の先端エラテまで半島を横切る道です。イスラエルはこれらの既成の道を通ってはいません。初めシュリヘの道を進んだが先導する神の雲の柱は突然北方に向きを変え、湖沼地帯へとペリシテの道より地中海よりの道なき道へと彼らを導かれました。軍司令官の地位にあったモーセは驚いた事でしょう。パロ軍勢によっては袋の中の鼠同様ですから、案の定シルボニス湖畔に達した時、敵軍はすぐ後ろに迫ってきた。前は海、後ろは敵と進退ここに窮まれりです。早速民は叫んでモーセに「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、私たちを携えだしたのですか・・・・」十一・2。彼たちに出エジプトの感謝があれば神に祈るはずでしたが、不満噴出です。モーセは「あなた方は恐れてはならない。かたく立って、主が今日、あなた方になされる救いを見なさい・・・」先立つ雲の柱は民と軍勢の間に立ちはだかり、パロたちは暗黒の中で立ち往生していました。21節、モーセが主の命令に従い手を伸べると海は(湖)二つに割れて海底は乾いた地となりました。
地中海に面したシルボニス湖の水はサントリニ大噴火で島が陥没して、諸島が出来ました。その際葦の海と言われるところの水は引いてしまいました。津波の前兆です。急いでイスラエルは渡ったが、その干潟に突入したエジプト軍は津波で全滅しました。十四章13『・・・・主が今日、あなた方の為になされる救いを見なさい。今日、あなた方はエジプト人を見るがもはや永久に彼らを見ないであろう・・・・』民は神のみ業を見たのです。十五章モーセと民の感謝の讃美歌です。私たちは生活で二進も三進も行かなくなったとき、神を仰ぎ見て祈るのです。紅海すら二つに分けた主は必ずみ手を差し伸べてくださいます。
イエス様は少年の時ヨセフを失い三十才に至るまで額に汗して家族の為に働きました。母マリヤと弟妹達がそれぞれ生活できるようになったので、ご自身のご使命のために活動を始められました。ガリラヤを巡り歩かれて、シナゴーグ(会堂)で教え、御国の福音を宣べ伝え、また民衆のありとあらゆる病気や患いを癒されました。これは教会が果たさねばならない三重の働きでもあります。即ち教育・伝道・癒しの業(社会奉仕)ではないでしょうか、当時の会堂では礼拝、教育、裁判の三機能を果たしていました。礼拝は祈祷、律法と預言書の朗読、説教から成り立ち、説教は会堂管理者が適当と認めた場合誰でもすることが出来ました。また多くの癒しがイエス様によってなされ、これらのイエス様の評判が隣国のシリヤにまで広がって、大勢の群集が集まってきて主イエス様に従いました。
マタイはイエス様の教え、福音宣教については、五章〜七章に、病気の癒しについては八章〜九章に述べています。マタイ福音書の特徴は、教育面特にイエス様の教えられたことを多く述べている事です。これは現在の教会の教育面の不足が指摘されていると思います。教会の幼稚園は多く有ります。確かに幼児教育はなされていますが、教会がその経済に助けられているのが現状でしょう。青年教育成人教育にいたってはそれぞれの方の忙しさにかまけてなされていません。唯一の教育は教会学校で熱心な教師によって行われていますが、教師たちの悩みは生徒たちが集まらないと言う事です。これらの事は教会全体で取り組むべき事でしょう。
教育とはどういうことでしょうか考えてみましょう。英語でエデュケイション、独語エルチィエンといいます。欧州の各国語の教育は、ラテン語のエデュコー(外へ引き出す)を語源としています。人間のありのままの姿を理想とする方向にその素質を育て引き出し成長させる事を意味します。例えればありのままの素質は土です。それに肥料を与え改良されたよい種を蒔く、太陽にたっぷりあて、水をまくなどしてよい環境を整えます。雑草を害虫も駆除します。そのように世話する事で種は育ち、花を咲かせ、よい実を結ぶのです。教育によって打ち立てられる教養と言う言葉は英語でカルチャー独語ビルドゥングといいます。語源はラテン語のクルトゥル(耕す)です。心を耕す人、植物の世話をする人、形成する人がいなければ教育は出来ません。キリスト教教育はこのようにして文化、道徳を、世界に特に明治以後の日本に根づかせた事を忘れてはなりません。
モーセ(引き出す)は水の中からパロの娘によって引き出され、エジプトの王子として最高の学術、軍隊などの指揮法を身につけられました。その上でイスラエルの民をエジプトの奴隷から引き出し(出エジプト)荒野で40年間教育し、約束の乳と蜜の流れる地に入りました。うなじの固い強情な民を父なる神様はモーセを通して信仰をはぐくませられたのです。
私は今一度教会の原点に帰ってイエス様の三年間の伝道・教育・肉体の健全化(癒し)の三重の活動を教会はなさなければならないと思っています。
伝道、社会への働きかけは次の機会に致します。
主の十二弟子達の中核になった四人の召命の出来事が公のご生活に入るに当たって述べられます。彼達はイエス様に前にお会いしてお話を伺った者達でした。アンデレとシモンペテロ(先に主が命名された)の兄弟が、ガリラヤ湖で投げ網を打っていました。ルカ5章では彼達は夜通し働いたが何も取れないでいた。主の言われたとおり網を下ろしてみたところおびただしい魚の群れが入って網が破れそうになった。そこで岸で網の繕いをしていたヤコブとヨハネを呼び寄せて引き上げた。ここで四人に『・・・今からあなた(方)を人間を取る漁師にしてあげよう』と主に従うように招かれた。彼達はすべてを捨ててただちに主に従った。またマタイ九章9、収税所に座っているマタイに『私に従ってきなさい』と言われると彼は立ちあがって主に従った。
弟子達の従事していた仕事はおもに漁師です。彼達は弟子になるためのよい素質を身に着けていた。1)忍耐強い。魚がえさに食いつくまで忍耐強く待つことが出来た。人をすなどる為には、待たなければならない。伝道や教育は成果がすぐ現れにくいものです。2)挫けない精神が必要です。成果が出なくとも何度でもやるべきことは実行する。信仰生活は失敗しても落胆せず。祈りつつ挑戦し続ける事です。3)勇気が必要。福音を述べるためには、自分の名誉も時には命をも懸けねばなりません。4)時を見分ける。漁をするには天候、夜昼を見分け特に潮の流れを見際わめて網を下ろします。語るに時あり、黙るに時があることを知っていなければならないのです。5)魚によって餌を変えねばならない、弟子は自分の限界を心得ていなければならない。相対する人によって接触方法を変えねばならないのです。6)水中からは屈折の関係で陸にいる者をよく見ることができるので、身を隠さねばならない。弟子は自分の姿、自分の知識などに視線を集めるのではなく、イエス・キリストを常に示さねばなりません。
イエス様が弟子に求めたものは、平凡ですべてを主に捧げる人です。弟子達は無学で世に知られていない人々でした。主は言われた『私に従ってきなさい。あなた方を、人間をとる漁師にしてあげよう』自分で弟子になるのではなく、主が弟子にしてくださるのです。そのためにはすぐ網も船も父親も雇い人も、財産も捨て、主に従ってゆかねばならないのです。
私は主との出会いを経験したとき自分の意思で主に従って献身しますと誓いました。生きて帰国できましたが、十年余り理屈をつけて逃げ回りました。しかし想像もつかない方法で献身せざるを得ない事になりました。『私に従ってきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう』との招きで、すべてを主に捧げて元住吉に遣わされました。落胆を味わった事もありますが、祈りが聞かれ、また主に救われる方々に接する喜びを数多く落胆以上に味わいました。
私は明18日で81になります。これまでの人生は喜びと感謝に満ちた人生でした。それを支えてくださった多くの兄弟姉妹方に心からの感謝をしています。兄弟姉妹方に豊かな上よりの祝福を祈るものです。有難うございました。
新聖書大辞典によると、「死はすべての人間に降りかかってくる神秘的な事件であって、キリスト者とか否との区別はない。有神論者、無神論者の区別もない。世の人のみな行く道である。死は生物的現象であり、あらゆる生物に共通な自然的な、宇宙間の多くの現象の一つである」このような一般的な考えに対して新約聖書は、ロマ六章23「罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私達のイエス・キリストによる永遠の命なのです」と述べ、六章4では「私達は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死に与るものとなりました。それは、キリストの御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きる為なのです」と死を克服して永遠の命に与っていると述べています。
人間は必ず肉体は死にます。これが第一の死です。そして黄泉に行ってキリスト者はアブラハムの懐に憩い、この世の思いに満ちた生活をしたものは苦しみの中に置かれます。その場所がヘブルシオール、ギリシャヘデスです。イエス様も十字架の死の後三日黄泉に下られた。意味なしに黄泉にいかれたのではありません。おそらく十字架の贖いを知らずに黄泉に下った人々に旧約に預言されたメシヤの預言の成就を説かれたのではないでしょうか、私たちが愛するものに主の救いを伝えておく事は今実を結ばなくても、最後の審判の時霊的な死第二の死の審判が免れるやも知れずと私は信じています。
主イエス様がたとえ話で黄泉の事を語られています。ルカ十六章19節以下。金持ちと貧しいラザロの物語です。死んだ者は直ちに天国に行ったり地獄に行ったりはしません。全員黄泉ヘデスに行きます。救われた者は暖かいアブラハムの懐に憩い、主に反する者は暗い冷たい所でしばしの安らいを持ちます。カソリックでは、罪の贖いを果たすまで、死者の霊が苦しみを受け、これによって清められる場所が煉獄であるとしますが、プロテスタントは主をキリスト救い主と信仰告白し洗礼を受けた者はヘデス黄泉で憩うていると聖書の語ることを信じています。
仏教においては、現世で死ぬと、来世が始まります。来世は天人ー人間ー修羅(魔類)ー畜生ー餓鬼ー地獄の六つのうちの世界の一つに行きます。それは現世で作った業(ごう)によって決まるので、裁判が必要になります。その期間が四九日とされ七人の裁判官が調べ裁きます。初・七日は秦広王。二・七日は初江王。三・七日宋帝王。四・七日五官王。五・七日閻魔王。六・七日変生王。七・七日泰山王。この泰山王が判決を下して、六つの世界に生まれ変わるのです。この裁判によい結果があるようにと七日毎に追善供養をするのです。
黙示録などによると主の再臨のときに最後の審判が下されキリスト者は主の復活に与り、主と共に千年王国を味わうとします。黙示録十九章には、サタンと反キリストの軍勢は打ち滅ぼされ、審判によって第二の死即ち永遠の滅びに至るとしています。その時、私たちキリスト者は霊において永遠の命に与るのです。
黙示録の述べる事に、目が開かれますと愛するかたがたに主イエス様の救いを伝えざるを得ません。私たち一人一人がアンデレのようにイエス様を紹介する為に「来て見なさい」と主の体である教会を指し示します。救いの業は主の愛のみ手にあります。
私たちが聖い神様に近づこうとすると、そうはさせじと足を掴んで引きずり降ろそうとする者の力を実感します。悪魔と言う霊的存在は昔物語だと思っている近代人は、サタンは誘惑する必要もないと傍観している事に気がつかないでいます。キリスト者でありながら、サタンの誘惑を受けた事がないとするならば、本気に神に近づこうとしていないと彼になめられている事に注意をしなければなりません。
三章16節では主がバプテスマを受けられ水から上がられると、神の御霊が自分の上に下ってくるのをご覧になり、天からの『これは私の愛する子、私の心にかなう者である』とのみ声を聞かれました。四章1節に御霊によって荒野に導かれ、メシヤ・キリストとしてサタンの誘惑に会われました。この世の物質世界の試みではなく霊的世界の出来事でして、後で弟子達に分かりやすく語られた物語です。このサタンの誘惑に勝たれたのは通常の旧約聖書のみことばをもってであり、メシヤに関してのみ言葉ではありません。これは私たちがサタンの誘惑に勝つ道をお示しになったものです。ここで主は聖書通読の必要性を暗示なさっていると思います。
第一の誘惑は四十日四十夜、断食をして空腹を感じたときです。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じて御覧なさい」あなたは神の子なのだからとのサタンの声です。イスラエルの民は四十年間荒野にてマナが神から与えられ飢えを克服しました。サタンはそれを思いつつ誘惑するのです。(出十六・七章)主は申命記八章2を持って答えられた。すると二度目も、もしで始まります。今度は聖書を用います。詩篇九一篇を拡大応用し、都合よく解釈して主に迫るのです。主は申命記六章16をもってサタンを退けられました。荒野で水が出るか否かで神を試みようとしたその時の再現です。第三も“もし”で始まります。今度は政治的支配、権力で世界制覇を施与と迫り、条件はサタンのまえにひざまずくことです。
主のご使命は苦難の僕としての道を歩み、十字架の贖いによって世を救うことでした。その困難な道を避けて、この世的な勝利を得よとの働きかけです。世界の歴史が語るようにこの世の支配、権力に対する欲望は悪魔的です。この悪魔と妥協し、その力を借りて直ちに世界を制覇したらどうかとの誘惑です。主は断固としてサタンを排除なさいました。『サタンよ、退け、主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよと書いてある』(申命記六章13)。出エジプトの四十年間、イスラエルの民は、これらの戒めを忘れて罪を犯しました。主はこのときのみ言葉をもってサタンの誘惑、試みを撃退なさったのです。人間イエスとして我々キリスト者にも、み言葉をもってサタンに勝利できる事を公の生活にお入りになる前に示されました。
イスラエルの民が四十年の荒野における生活で神の戒めを破り、約束の乳と蜜の流れる地に入れず、神様の祝福に与れなかった事を忘れてはなりません。伝道の道、教会の働きは困難です。この世の生活に負けてはなりません。み言葉を蓄えて、主に従って行けば知恵、勇気そして必要なものは皆揃えられます。
主の誘惑への勝利は私達のこの世におけるサタンとの戦いに大きな励ましです。感謝してその主のみ後に従いましょう。
イザヤ七章10節〜14節「・・・主は自ら一つのしるしをあなた方に与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる」。八章5節〜10節「・・・ユダに流れ入り、溢れみなぎって、首にまで及ぶ。インマヌエルよ、その翼はあまねく、あなたの国に満ちわたる。・・・・神が我々と共におられるからである」。イエス様が人としてこの地上においでになったクリスマスの福音は、『神我らと共にいます』と言う神様の人類に対する贈り物です。しかもその誕生は人々に疑問を感じさせるように、イエスキリストの誕生の次第はこうであったと不利な事から書き始めています(マタイ一章十八)。ヨセフとマリヤが神の使いの告げることを信じた事によって起きたことでした。それは主が預言者を通して言われていた事が実現する為であったのです。
この事実を通して神様はこの世を愛しておられる事を示します。すべての人と共に神がおられるとの意思表明でもあります。この世の人をどのような状況の中にあろうともすべて受け入れて下さるということです。愛する事は正しいとか価値がないとか相手を評価して態度を決めるのではありません。良いも、悪いも、価値の有無など関係なしにその存在そのものを丸々受け止める事です。
神が愛するとはそのようなものです。キリスト者だけではなく、キリストを蛇蝎のように忌み嫌う人々にも同じように注がれていますが、マリヤのように「私は主のはしためです。お言葉どおりにこの身になりますように(ルカ一章38)」。の信仰がなくては経験しえません。神は愛する事ですべてを受容してくださいます。この受容される神の前に出ますと鏡に映るように自分の心が見えてきます。聖い神様と余りに離れ、穢れた罪の姿が映し出されます。そのような自分を受け入れてくださる事により神様に愛されていることを知り、改めて自分自身の命の尊さを自己受容出来るのです。
ルカ十五章11節以下に主が語られた放蕩息子のたとえ話があります。弟は遺産を生前分与してもらい、それをまとめて遠いところに行き、放蕩に身を持ち崩して財産を使い果たし、食に窮し、豚飼いに雇われました。彼は豚の食べるイナゴマメで腹を満たしたいと思うほどでした。その時本心に立ち返り、父のところの雇い人は食物が有り余るほどあるのに、私は飢えている。息子と呼ばれる資格はないが、雇い人として雇ってもらおうと父の元に帰って行きました。父は遠くから彼を認めて、駆け寄り彼を抱きしめました。彼は飢えた時に、父と共にいたときの安楽さを思い、自分の身勝手さに気づきました。
神は共にいて私たちに恵を与えてくださると共に、私が何を考え、どのように行動をするかをも見ておられることを忘れてはなりません。時とすると、隣り人の心を邪推する事があります。それは案外自分の心が相手に投影されている時です。
インマヌエルの主は私たちを愛してすべてのこと事あい働きでよきにして下さいますが、また私のすべてを見ておられ厳しく裁かれることも、愛のみ手に支えながらも、甘えてはなりません。
預言者はその時代を背景として神様の言葉を語る為に遣わされたのです。現代の私達がその預言を知る為には、その時代の歴史的状況背景を知らなければなりません。預言者エリヤの時代は、結婚を通してイスラエル王家にバール信仰が導入され国民もバール信仰の偶像崇拝に走りました。預言者エリヤの一生はバールとの戦いでした。エリヤの言葉は受け入れられず。その結果北王国はアッシリヤに滅ぼされ多数の者が捕囚として連れ去られました。それを見ていたにも拘らず南王国ユダはアッシリヤが老衰期に入り一時の平和を迎えていて、油断からかバール信仰を迎え入れました。その危機状況の中、神様はエレミヤを遣わしてまことの神礼拝をなすべき事を語らしめました。
エレミヤの預言はBC627年から約半世紀にわたってなされました。アッシリヤを滅ぼしより強力な世界規模のバビロニヤ帝国がユダ王国の前に現れたときです。三章20節で「イスラエルの家よ、背信の妻が夫の下を去るように、確かに、あなた方は私に背いた」と主は言われます(ホセアも同じような預言をする)。民はバールを祭った裸の山で(イスラエルの恥じの象徴)哀願の祈り(表面的な)をしています。それはまことの神・主を忘れたからです。神は『背信の子供たちよ、帰れ。私はあなた方の背信を癒す』と言われ、民は「見よ、あなたの元に帰ります。あなたはわれわれの神、主であらせられます。・・・・25節」と形だけの悔い改めをします。
四章1節において、主は私の元に帰って来いと言われます。彼たちの悔い改めは実に美しい、彼達は涙を流して悲しみ祈るのです。悔い改めが言葉だけで終わるのであれば、情緒的なものです。神様のお嫌いになる、憎むべきもの(心のうちにある偶像)をためらう事なしに取り除く事が、三章22『背信の子供たちよ、帰れ、私はあなた方の背信を癒す』の主のお招きに応える方法なのです。
エルサレムとユダに形式的な悔い改めではなく、真の悔い改めを迫っておられます。感情的に涙を流して形だけのものではなく、捨てるべきものを捨てて神の元に帰るのです。感情の興奮は時間の経過と共に薄れます。感情の高揚と信仰と錯覚してはならない。3節私たちは古い心を捨てて神様から与えられた新しい土地を耕すのです。新しい生活を開拓するのです。
固い土(心)を粉々に砕き神の恵の水を心の隅々まで受け入れられように、そのため先ずなすべきことは茨を取り除く事です。茨の中に種をまいても育ちません。茨は完全に除かねばすぐ成長して収穫が出来なくなります。
割礼は契約の印です。心の割礼によって神様との契約を結ぶ時、雨が降り注ぐように主は恵のみ言葉を注がれ、神様の恵みが心の隅々までしみこんで行きそれが行為となって外に現れます。エレミヤは肉の思い、自分を絶対化することを取り除く本来の意義を正しく理解する事を求めたのです。
私達の新しい契約はイエス・キリストの十字架の血で救われ、きよめられ、血をもって署名されました。私達はイエス様を私の救い主(キリスト)と信仰告白し、洗礼をもって新契約を神様と結んだのです。それが新約(契約)聖書です。
成長のない信仰生活をしないためにも、新田を開拓耕さねばなりません。信仰を思い出にしてはなりません。新田を耕すことは求めることでもあります。聖霊を求める時み言葉が神の力となり私達を新しい人として下さいます。
バプテスマのヨハネは、世の罪を取り除く事の出来る唯一の人を指し示し、その準備のために水によるバプテスマを授けていたのです。それは後から来られる方が聖霊のよって授けるバプテスマを準備するものでした。彼はパリサイ人の使者達に、「私はその方の靴の紐を解く値打ちもない。・・・・私は、御霊が鳩のように天から下って、彼の上に留まるのを見た。・・・34、私はそれを見たので、この方こそ神の子であると証をしたのである」
その翌日ヨハネは二人の弟子たちと一緒に立つていましたが、イエス様が歩いておられるのに目を留めて言いました。「見よ、神の子羊」。その二人の弟子は、ヨハネがそういうのを聞いて、イエス様についていきました。(ヨハネは弟子が去るのをとめなかった)主は彼たちに『何か願いがあるのか』と言われました。「ラビ(先生)どこにお泊りなのですか」と聞きました。主は答えられて『来て御覧なさい、そうしたら分かるだろう』彼らはついて行って、そしてその日はイエス様のところに泊まりました。時は午後四時ごろでした(おそらく一人は著者のヨハネであろう)この二人が主の弟子になったのは、『来てごらんなさい』の言葉に応えたからです。翌日あと一人のアンデレが兄のシモンに出会って言った「私たちは今メシヤ(キリスト)に出会った」といって、シモンを主のもとに連れて行きました。使徒ペテロの誕生です。
その翌日主はピリポに出会って『私に従ってきなさい』と言われました。彼は主に従っているペテロ、アンデレと同じ町ベツサイダの人でした。このピリポがナタナエルに会って主との出会いを伝えたが、それに彼は反論しました。ナタナエルは「来て見なさい」と主をご紹介しました。イエス様の弟子になった人々は聖書の話を聞いて納得して弟子になったというより、主の下に案内され主との出会いを経験して弟子になったのです。現在でもキリストの体なる教会に来て見てキリスト者になる方が大部分です。個人伝道をしなければと張り切って聖書の話をすると空回りしてしまいます。
来て見なさいという教会が陰鬱で微笑みのない人間的に暗いものであるならば再び足を運びません。木佐貫姉からの11月のメールに、ブルセルの英国人の聖書研究会での事、ユダや人のクリスチャンの本に、今の教会に必要なのは聖書に基づいた教えRootsと、この時代を飛べるWings(活動できる)がバランスよく必要だとのべ、オランダ人の宣教師(日本語が上手)はキリスト者が悲愴な顔をしていたら、誰が教会に来るでしょうかと語った事等、強く心に響きました。来たりてみよというキリスト者と教会にしなければと思いました。
弟子の働きとして人を主に引き合わせる事だけで、聖書に出てくるのはアンデレです(六章八節)。大麦のパンと魚二匹を持っている子供を主のところに連れてくる事でした。そこに座った男の数は5千人ほどでした。それらの人たちが十分に食べた後食べ残したパンが12かごあったという奇跡を主がなされました。また12章22節、異邦のギリシャ人達がピリポにイエス様にお目にかかりたいと来たので彼はアンデレに相談し、二人で主のところにお連れしました。その時主は『・・・一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒の麦のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる・・・・・』と十字架での万民の救いを語られました。
元住吉教会が変わるとするならば一人一人がアンデレの働きをすることです。今まで何人の人々に「来たりて見よ」と語ったでしょうか、ご自分の心に尋ねて下さい。私たちは教会生活を楽しんでいるでしょうか。喜びに満ちた温かい教会作りをしなければならないときではないでしょうか。
このときの博士達は三人と2千年来言われてきましたが、捧げものが黄金・乳香・没薬の三種類であったことからその様になったと思われます。博士達と訳されているのは原語ではマギで、ペルシャにおける地位はイスラエルのレビと同様でした。このマギ達は哲学、薬学、自然科学に秀でていました。彼達は真理を探究する善良な人達でした。当時の人々は皆、占星学を信じ、星によって未来が占えると思い、ある星の下に生まれるとその星によって運命が定められると信じていました。星の動きは一定していて、宇宙の秩序を表すとしていた。そこに突然明るい星が現れ宇宙の秩序が乱されました。それは神が創造の秩序を破って、特別な事をなすと考えられていたのです。
バビロンやペルシャには、ユダヤ人の上流階級が捕囚として滞在していたのでメシヤ待望のユダヤ人の信仰は当然マギたちに知られていました。彼達はメシヤの星が昇ってくるのを見ました。中国の古い天文学表に、BC四年の二月頃に現れた彗星がエルサレムの方向に流れたという記録があるそうです。ユダヤ人はローマ帝国の隅々まで宣教して会堂が建てられていたので、聖書の記録は多くの人々に知られていたようです。
三人の天文学者はユダヤの星と言われる土星に木星が接近して異常な光を発した時、ユダヤに王が誕生したと信じて疑いませんでした。イエス様の誕生の年はヘロデが死んだのはBC四年、その前にベツレヘム付近の2歳以下の子を皆殺しにするほど念の入った虐殺です。イエス様もその中にいると思ったのでしょう。神様は博士達の礼拝が終わると直ちにヨセフに命じてエジプトへと避難させられました。イエス様の誕生の時はBC5・6年の頃と推測されます。
救い主としておいでになったイエス様に対する三種類の態度は人間すべてのイエス・キリストに対する反応でもあります。1)ヘロデの反応、(憎悪と敵意)自分の地位を脅かすものとしての恐れです。戦中、戦前には天皇の現人神に反抗するものとしてキリスト者は迫害を受けました。自分の思い通りの生活をしようと思う時、イエス様は邪魔ですので殺してしまえとなりました。キリスト者は自分本位のあり方を殺して、キリストの御心に従って生活しようと決心した人々です。二)祭司長、律法学者の反応(無関心)彼達は王の質問に対して、ミカ五章二節にベツレヘムに誕生すると答えているが、誰一人預言された場所に駆けつけるものはいませんでした。彼達は神殿の儀式、律法の解釈には熱心であったが、キリストには無関心でした。今でも自分の事には忙しくしていて、イエス様には無関心な人の多い時代です。三)博士達の反応(献げものをしての礼拝)彼たちは遠くからキャラバンを編成し犠牲を払って、黄金・乳香・没薬を献げて主を礼拝した。クリスマスは独り子を贈られた神様に感謝、讃美のうちに礼拝をする日です。
博士たちのように自分の大切なものを、主の足元に献げての礼拝を聖なる自分の身体を犠牲として礼拝するのです。ローマ十二章一節「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなた方のなすべき礼拝です」この献げものは礼拝の中で献金を持って印としてなされるのです。
イエス・キリストを通して神の愛を知り、その愛に触れた者は、神を畏れ、愛と讃美をもって礼拝するのです。これがクリスマスの礼拝であり、主日礼拝です。博士たちのように多くの犠牲を払って迫害の中でもキリスト者は主日礼拝を遵守するのです。
献金をなしうるものとされたことを感謝して献金をなし、それゆえに献金できる事を感謝して献金感謝祈祷をするのです。