小学校6年生の女の子がいじめで自殺したとの報道に驚きました。虐めについて幼児虐待死、老親虐待殺し、その他毎日の報道に残念ですが必ずと言ってもよいほどあります。人の命を余りにも軽く見たり扱ったりしています。60年前の戦争中でも命の大切さは自覚しつつ心に注ぎ込まれた大儀に命を捧げたのであって、お互いの命は大事にしました。現代人は命の尊さをどのように理解しているのでしょうか。
神様はノアとその子供達への祝福の言葉の中で人の命の尊さのよりどころを述べておられます(5節)。直訳すると人にも兄弟である者にも血を流すものは、人を殺す出来事は、その相手が誰であっても兄弟を殺すことを意味しています。数千年前に「命は神様からのものであり、神様に属するものである。人の命を侵し、踏みにじる者は神の所有権・主権を侵すことになる」と語っているのです。
また6節には、人は神にかたどって造られた存在です。神にかたどられて造られた人間の命を奪う者は、神様に反逆する者です。結論を言うと人の命を奪うことは神を冒涜し、かつ神様に戦いを挑むことでもあります。
飲酒運転で命を奪い、飲酒を問題にされることを恐れ助かるやも知れぬ人を置き去りにしてのひき逃げ事件も頻発しています。私達の身近に起きていることですが、世界のいたるところで強者によって弱者が命を落としています。私達はこれらの出来事を自分にはかかわりのないことだと無視してはならないのです。
現在は目先の利益・損得に心を奪われて、自分の国のことのみを優先させて他の国を踏みにじるものが横行しています。トルストイが戦争は国家が犯す最大の罪であると言ってロシア正教会から除籍されましたが、彼はその主張を最後まで翻しませんでした。彼の没後今年は百年目ですので、彼の戦争と平和を思い出していました。彼は命の尊さは、地位でも貧富の差でもなく、人間としての価値は同じだと言う信仰の立場を貫いたのです。
私たちキリスト者はキリストの贖罪の死をもって神の子とされました。キリストの血の代価と同じ価値と認めキリストの弟妹とされたのです。一人一人はキリストの血によって贖われた尊い存在です。私達は主にある兄弟姉妹と同じように自分自身も尊い存在であり隣人を自分と同じように愛するのです。エフェソ一章5節「キリストにおいてお選びなり、イエス・キリストによって神の子としようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」それだけではなく、㈼コリント六章16節「・・・私達は生ける神の神殿なのです・・・・」と父なる神・子なる神・聖霊が宿ってくださる聖なる尊い体なのです。
これらのことは神なき世界の人々に通用しません。世界の人々が、人間の命の尊さ何にも変えがたい価値を知り得るには、ノアやその他の族長のようにもう一度、神なきこの世界に神様をお迎えしなければならないと自分自身の心に語りかけ、「アーメン、主イエスよ、来てください(黙示録二十二章20節)」と主の再臨を待ち望んでいます。アドベント(待降節)にあたって主よわが内に宿りませと心から賛美し祈るものです。
主イエス様の公生涯に入られた30年前の事は聖書にはほとんど取り上げられていません。ルカ福音書2章には、「誕生の次第、8日目に割礼の日に天使が示した名イエスと名付けられた(21節)。モーセの律法が示す主のために聖別される生贄を献にげるためイエス様を両親はエルサレムに連れて行った。親子は律法に定められたことを皆終えナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。12歳の過越祭のとき両親と都に上られた。祭りが終え、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。イエス様は知恵が増し、背丈が伸び、神と人とに愛された(52節)。」と記録されています。
ルカはこの福音書の読者層を異邦人として、ユダヤの祭りの説明、ユダヤ人が律法に従って生活していること、イエス様がその当然の事として生後8日目に割礼を受けられ、肉の母と共にきよめの期間を守り罪のための生贄を献げねばならなかったことを記しています。また本書は主が語られたヘブル語・アラム語はギリシャ語で書かれ、旧約聖書は70人訳(ギリシャ訳)によっています。
二章41節:ユダヤ人男子は年に3度、除酵祭・七週祭・仮庵祭に献げ物を携えて神の御前に出なければならない。申命記十六章16節:タルムード(モーセ律法がまだ成文化されず十数世紀に口伝された習慣律)男子は13歳から律法を守る成人とみなされる。前年にその予習をさせるのが父の義務であった。イエス様が12歳になられた時毎年の両親巡礼に同行されたのです。祭りの期間が終わり1日路行かれ、両親はイエス様が見つからなかったので捜しながらエルサレムに戻られ、神殿で学者達と議論しておられる主イエス様を見つけました。母は「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです」するとイエスは言われました。『どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるのは、当たり前だと言うことを知らなかったのですか。』しかし両親にはイエスの言葉の意味が分かりませんでした。一緒にナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになりました。母はこれらのことをすべて心に納めていました。(聖霊降臨の時すべて理解できた)イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛されました。
イエス様は完全な人間として成長されました。知られているように人が成長するまでに第一反抗期(私は自立期と解釈する)肉体的に親から距離を置こうとします。親が言うことに反対する、まずいやと言う枕詞が付くほどです。49節には第二自立期(精神的に親から独立しようとする)であるイエス様がはっきりとご自分の意志を両親に宣言なさっています。これは主が大人になるために通過しなければならない道でした。私は第二反抗期を学寮生活で過ごしました。しかも戦争中でしたので、反抗する相手は親でも上級生でもなく学則と言うものに友人達と一緒に反抗しましたが、十分な独立が出来ず常に主流派に組する事が出来ずに野党的言動でした。十分な人間成熟が出来なかったのです。
ヘブライ書四章15・16節「この大祭司は(主イエス様)私達の弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私達と同様に試練にあわれたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」神の御一人子であり私達と同じように肉体を持たれ生活なさったイエス様から恵みを十分にいただきましょう。
11章に述べられたように、旧約時代のおびただしい信仰者達の証人の群れに囲まれています。この証人は新約時代の証人(マルテュウスμαρτυσ)が加えられます。勿論私達の教会の信仰の先輩方も加わって、信仰の創始者また完成者であるイエス様を目指して、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、忍耐強く走りぬく私達を見つめ励ましておられます。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」十一章1節
信仰とは何か知る最上の方法は、信仰に生きた人々を知ることです。旧約時代の代表的な人々を選び、彼らの生活のどの部分が信仰によって賞賛されたか証しします。「昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰がなければ、神に喜ばれることは出来ません」証人の原語は殉教者とも訳せます。36〜38節のような拷問、迫害を受けても信仰によってすべてを乗り越え、その信仰のゆえに神に認められました。キリストがおいでになり、十字架の死を通して罪が赦され聖霊による聖めの恵みに預かるまでは、モーセを通しての律法遵守と罪の赦しのための犠牲を献げるのみでした。
私はキリスト者生活の中で、信仰によって生きた先輩の信仰者に囲まれて今に至ったことを心から感謝しています。
父は私が5つの時アル中で働けなくなり、台湾台中の製糖工場を退職して鹿児島に帰り、家を建て父を親戚に預け、母は生活のため社長のご好意の言葉を思い出して台中に戻りました。藤山雷太社長は「2人の男の子を抱えて生活するために教会に行きなさい。そこには、父、兄、姉になる人々が助けてくれます。生活は社宅中心に助産婦をして助けるように便宜を図りますから」との勧めを受けました。やがて日本基督教団の鎌田牧師が教会を辞して、保育園を建て理想とする幼児教育をはじめました。母の仕事の関係で、一日中保育園、教会学校、牧師館にいる機会が多くなりました。母はゆとりができると親戚の子弟を呼んで中等教育を受けさせ、何時も10人あまりのにぎやかな生活でした。敗戦後療養所にいてもキリスト者の交わりが密でした。
青山学院で財部師、高橋師と出会ったことも素晴らしいことでした。彼らは御茶ノ水の橋の下で戦災孤児と生活し指導していました。やがて財部師は次郎長一家と名乗る10歳以下くらいの子供達を引き取って施設に入るまでお世話をしました。次は施設を出た子供たちの世話をするとて私にも参加しないかと電話がありました。「資金の準備にと働く人はいるのか」と聞くとゼロ、しかし「神様が必要としておられるから必ず出来る」というのです。私と同じ考えですので、賛成して参加しました。彼は信仰によって三軒茶屋、経堂、成城の3箇所に二階建ての家を建て多くの人々を自立させました。この成功で今日本に66箇所の自立ホームが出来ています。彼の愛唱賛美歌は536番で、彼の信仰が分かります。
元住吉の兄弟姉妹方との信仰による交わり、働きを語ると限りがありません。私もあなた方も素晴らしい信仰の先輩方に囲まれ励まされています。それでお互いに愛し合って信仰の馳せばを主キリストを目指して走りぬきましょう。
マノアの妻は不妊の女でした。主の御使いが彼女に現れて言いました。「・・・男の子を生む・・その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので・・・・彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの・・・」十三章1節〜
ナジル人(聖別された者)については民数記六章1〜21節に述べられています。男であれ、女であれ特別な請願を立て、ナジル人になるならばその期間中守るべき律法が3項目があります。1)ぶどう酒と濃い酒を断ち、またすべてのぶどうの実からなる飲料や食材をとらない(酒と縁の深いカナン土着の農耕神と絶縁を強調する)2)満願の日まで、請願中は頭髪を伸ばしておく3)請願中はたとえ身内の場合でも死体には近づかないこと、汚れている食物から遠ざかるのはイスラエル人として当然のことです(レビ11章)。
サムソンの怪力の源はナジル人の頭髪にありました。頭髪は神の命に与る身体の大事な部分で神へのふさわしい捧げ物であり、神様との交わりを著す象徴になっていました。彼はテムナに住むペリシテの娘との結婚を考えたが両親はしきたりによって反対しました。父母にはこれが主のご計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分かりませんでした。祝いの席を利用して、彼はペリシテ人を攻撃する口実を作り、彼らを多数殺しました。新婦が同席した友と結婚しました。サムソンはそれを理由に彼達の畑を焼き払いました。彼達は怒って彼女と父を焼き殺しました。サムソンはその報復として彼らを徹底的に打ちのめしました。ペリシテ人は当時軍事、政治上はるかにイスラエルに勝っていたので、ユダの人々は彼を縛って引き渡しました。サムソンが彼らの地に着くとペリシテ人達は歓声を上げて彼を迎えました。主の霊が彼に激しく下りました(十五章14節)。縄目が焼け落ちたように解け、彼は傍にあったロバのあごぼねで、ペリシテ人を千人打ち殺しました。
主の霊が彼に降り縛った縄は焼けたように縄目が解け落ちました。彼は見つけたロバの顎骨で千人を撃ち殺しました。
サムソンはペリシテの女デリラを愛しました。彼女は銀百枚で彼をペリシテ人に売り渡しました。彼の怪力の源泉を探らせようとしましたが、サムソンは3度まで彼女を欺きました。しかし愛をもって詰問されついにその秘密を明かしました(十六章4〜15節)。
ナジル人のしるしの刈ったことのない頭髪を失いました。同時に力をも失った彼は捕らえられ、両目を抉り取られ、牢につながれ、牛の代わりに、臼を引かされました。祭りの日、見世物として、ダゴンの神殿に引き出されたサムソンはその時、頭髪も伸び、力も元に戻っていました。彼は屋根を支える2本の柱を倒し、3千人のペリシテ人を殺し、自らも死にました。
40年前ごろ妻の好恵が映画教室で行った映画館で、来週「サムソンとデリラ」が上映されるので、見ると参考になるよと言われ待ち合わせて見た事があります。聖書の物語を映画に出来る国は羨ましい限りだとまず感じました。士師記を思い出しながら考えました。聖書には生涯ナジル人として過ごしたサムエル,バプテスマのヨハネたちの母親が祈って与えられて、告げられ、それが請願となり生まれた子達です。ナジル人として育てられ母親もその役目を果たしています。
士師サムソンが失敗したのは、神様とのナジル人としての約束を忘れ人間的な情に溺れたことでした。私は人間的に非常に弱いものですので、サムソンの失敗は私自身に対する警告であると戒めながら学んで今に至りました。
モーセの生涯を見ます。エジプトの王子としての40年は当時の最高のあらゆる教育を受けられました。そして恐らくエジプト軍の最高司令官として大勢の兵士を掌握・指揮したのではないかと思われます。同胞イスラエル人を助けようとしてエジプト人を殺し、王に追われ遠縁の親戚を頼ってミデアンの地へと逃れて、祭司のエテロの娘ツィポラと結婚し義父の羊を飼っていました。その荒野の羊飼いとしての40年間はモーセの霊的な教育の期間でした。神の民に対する指導力、忍耐、円熟さ、神のみ旨に従って行く意志力などを培いました。
80年の訓練教育期間を終え、神の召命を受け百数十万のイスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出す業を成しました。40年間うなじの硬い不信仰に陥りやすい民を導き神様の約束された乳と蜜の流れる地を目指して進みます。
1章ヨセフを知らない新しい王が、イスラエルの民の数が増し強力になり過ぎたとしてヘブル人の生まれた男の子は一人残らずナイル川に放り込め、女の子は皆、生かしておけと命じました。レビの家の出である夫婦は生まれた男の子が可愛かったので、3ヶ月隠しておいたが、隠しておれず、パピリスの籠に男の子を入れて葦の茂みに隠しました。
当時は神聖なナイル川の水で水浴びすることは体を清めるだけではなく、長生きすると信じられていました。ファラオの王女が日課の水浴びに来た時に籠の中で泣いている男の子を見つけ、王女は不憫に思いました。その子を見張っていた姉ミリアムは「・・乳母を呼んで参りましょうか」と申し出ました。「そうしておくれ(行け)」と言われて娘は母を連れてきました。手当てをもらい赤子を育てることになりました。神様のなさる見事な業です。わが子を賃金をもらって育てるのですから、その間にまことの神を教え民族愛を与えしめたのです。王女はモーセと名づけました。水の中から私が引き上げた(マーシャー)からモーセとしました。モーセ(ヘブル語でモーシェ)民をエジプトから引き出したことを意味します。
主の第二回目のお働きは3章のモーセの召命、続いて第三回目の出エジプトの出来事です。モーセは荒野における羊飼いの訓練で自分の弱さを自覚していました。民を救いなさいといわれる主に自分にはその力がないと告白しています。その彼に私はあなたと共にあると励まされます。そして民に告げる主の名を聞かれモーセに『私はある(エヒエー・アシェール・エヒエー)。私はある(エヒエー)と言う者だ』と答えられました。
彼はファラオ王の前に立って神の力による奇跡を行って、百数十万のイスラエルの民を奴隷から救い出して、エジプトを出て行きました。その時モーセは八十歳、アロンは八十三歳でした(六章6節)。
エジプトを出て三月目シナイ山に到着して、山に向かって宿営をしました。モーセは主のもとに登って行って、十戒を主から与えられた(十九・二十章)。それから約40年イスラエルの民はモーセの下、昼は雲の柱夜は火の柱に導かれ荒野の生活をなしました。モーセが(民数20章8〜13)の理由で(申命記34章)死んだ後、モーセの従者ヌンの子ヨシュアに導かれて約束の乳と蜜の流れる地へとヨルダン川を渡りました。
明治初期幕臣の子弟は要職に就けませんでした。彼たちの中から英語を学ぼうとヘボンやブラウン等の宣教師のところに集まってきました。やがて彼達はキリスト者になりました。そして後年横浜バンドと呼ばれました。聖書の日本版をと望んだがまだギリシャ・へブル・英語は不十分でしたが、漢文の素養は十分でしたので、漢訳の聖書から訳出しました。これが元約聖書です。旧約の部分は戦後口語訳聖書が出版されるまで使われていました。聖書の題目はそのままでした。士師記は旧約の第七番目の書です。
12人の士師がいて五番目に登場するのがギデオンです。士師とは後代の王のような存在ですが、彼達は他国と違って神政政治を守っていました。ギデオンは明らかに王政を否定しています(八章23節)。イスラエルが神様に叛くと、その審判として他民族の圧迫が来り悔い改めると、救助者をつかわすという申命記的歴史です。士師は裁判官より広く、指導者、保護者、救助者、であり、“さばきつかさ”とは狭義になります。イスラエルが危機的状況の時、彼達を救うために神様からの召命を受けて奮起し神様から力を受けて活動したのです。
ギデオンとは切り倒す人という意味です。六章11節主の御使いが彼に現れた時、侵略者ミディアン人から奪われるのを免れる為、酒ぶねの中で小麦を打っていた。気の小さい彼に「勇者よ、主はあなたと共に居られます」12節〜14『あなたはその力をもって行くが良い・・・あなたはイスラエを・・救い出すことが出来る。私があなたを遣わすのではないか』彼は主に対して「私を遣わすしるしを見せてください。」神様は36節〜40節と彼に応えられました。(羊の皮の奇跡)
七章『・・民は多すぎる・・心おごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう』主の命じられたようにすると恐れおののいた二万二千は山から帰り一万が残った。『まだ多すぎる』と言われる主に従いました。残ったものは三百人です。恐れているギデオンに、主は夜言われた『・・従者ブラをつれて・・』ギデオンが敵兵の夢の話を聞いて主の業を知り陣営に帰ると直ちに三小隊に分け(七章16節〜22節)、それぞれに角笛と空の水がめとその中に松明を入れさせ、敵を三方から囲み、松明をかざし、角笛を吹き「主のために、ギデオンのため」にと叫ばした。寝入りばなを襲われたミディアン人は同士討ちをして逃走しました。
勝利の指導者ギデオンに自分達の王になって欲しいと願ったが(八章22節〜23節)「私はあなた方を治めない。息子もあなた方を治めない。主があなた方を治められる」主が勝利をもたらして下さったのであり自分達の力ではないと宣言しているのです。
このギデオンも油断が罠となったことは信仰者が常に注意しなければならない事を心に刻み付けておかなければなりません。24節〜27節大祭司がまとうエポデをきらびやかに作り飾ったことが罠となりそれが偶像となりました。
士師記の中に出てくる勇士は自分の力でイスラエルを救ったのではありません。主から与えられた力がなさしめたのです。私は自分の弱さ知恵の足りなさを自覚していますので祈りつつ毎日を歩んでいます。
預言は預言者の人格と区別して考えることは出来ません。神様は人物を通して、また人物に直接関係のある出来事を通して、選民イスラエルに語りかけます。ホセアは神様が選民に対して持っておられる無限の愛(ヘセド)に最初に気づいた預言者です。そして相手を呼び求める愛の精神が彼の預言を貫いています。選民イスラエルに対する神の愛、これがホセアの預言の使信です。
私は始めて1章2節を読んだ時不思議に思いました。神様は御自分と選民の関係を夫婦のように見ておられますが、『行け、淫行の女をめとり・・・・』命じられた。姦淫は十戒の七番目の『姦淫してはならない』と示されているにも拘らず、神様がホセアに語られた最初の言葉なのにと感じました。おそらくホセアはディプライムの娘ゴメルが神殿娼婦であったにも拘らず愛しており、神様がホセアにあなたが愛している淫行の女をめとれ、命じられたのでしょう。2節の後半は『この国は主から離れ、淫行に耽っているからだ(偶像崇拝をする)』を見て納得できました。
偶像バアルは雨を降らせ豊作をもたらす神であり、牛がその象徴でした。バアルは所有者という意味で、地域ごとにバアルが存在しその地域を支配する主(ぬし)でした。バアル偶像はその配偶神アナトとの成婚の儀式が雨をもたらすとして、その祭儀には神殿娼婦が必要であり、女性にとってバアルに対する最高の奉仕で支配層の子女もその奉仕に当たったのです。このことがヤハウェ宗教に入りこみ宗教混淆シンクレティズムが起きていました。それに対して預言者は神からの警告を伝えるのです。
ホセアは不貞の妻によって三人の子が与えられました。神様がその子達に名をづけられました。4節第一子の名はイズエレル(神が蒔かれた)罪人に対する審判を象徴する名でした(6節)。第二子の名はロ・ルハマ(憐れまれぬ者)神と民の契約に基づく愛の関係の破れることを意味し(9節)、第三子の名はロ・アンミ(我が民でない者)神と民の関係が完全に断絶にまで来たことを示します。(ロは否定を意味します)
二章7ゴメルは夫と三人の子供を捨て、愛人と駆け落ちしてしまいます。しかしホセアの愛は彼女を求め続けます。ゴメルはついに奴隷に売り渡されてしまいました。主は再びホセアに言われた3章1節以下『行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように』そこで(2節)奴隷から買い取りました(主の贖いの予表)。そして彼女に言いました(3節)「お前は淫行をせず、他の男の(偶像)ものにならず・・」
今までのホセアの経験に、イスラエルと神様との関係が見られます。ゴメルは奴隷の身分になった時初めて夫ホセアの愛に気づきました。そして買い戻され再びホセアの下で(2章18節)「その日が来ればと主は言われる。あなたは私を(わが夫)と呼びもはや{(わが主人(バアル))とは呼ばない。私は、どのバアルの名をも彼女の口から取り除く・・・}14章4節「自分の手で作ったものを神とは呼びません」とイスラエルは罪を告白しました。神様は5節〜10節『私は背く彼らを癒し喜んで彼らを愛する。まことに私の怒りは彼らを離れ去った・・・』神の愛(ヘセド)はイスラエルの背きを赦し祝福してくださったのです。
預言者ホセアはBC8世紀後半に北王国イスラエルで活動し、同じ時期に南王国ユダでは預言者イザヤが活動しています。預言者(ナービー)は神に代わって語る者、神の口です。BC9世紀にエリヤと共に始まりバールの自然宗教に対して、ヤーウェ礼拝の擁護のため戦いました。彼らはイスラエルの良心でありその時代の宗教的、倫理的な罪悪を審判しそして救いの言葉も語っています。ホセアの時代は北王国のヤロブアム㈼治下で経済とバール宗教の栄えた時代に彼の活動が始まりました。
繁栄のために富と政治的力を得た支配階級は、イスラエルの平等主義的伝統を無視して農民を抑圧し、横暴と奢侈に耽っていました。特に首都サマリヤの都市貴族は贅沢の限りを尽くし、ベテル等のバールの聖所で盛大な祭儀を行い多くの犠牲獣を捧げ、彼らは貧しい人々の事は少しも考えませんでした。アモス書二6〜等。一方巨大なアッシリアの侵略の手が伸べられていました。このような背景の中でホセアは神の言葉を語るのです。
ホセアは宗教を愛において見た愛の預言者といわれます。おそらく旧約の思想の中で愛が信仰の本質的なものと述べたのは彼が最初です。神は愛のお方です。その愛は神ヤーウェと選民イスラエルの関係において考えられた。その神は近寄りがたい聖なるお方です(十一章9節)。
ホセアはこの愛をヘセドという語を使用し、この愛は神の側から言えば無限の恩寵です。イスラエルはこのヘセドの愛・恩寵を通して、その国家も宗教もすべてのものを与えられました。イスラエルは神の恩寵に対して感謝して忠誠を尽くすべきでした
。単に国にとどまらずイスラエルは神の家庭です。神と人、人と人とは一つ愛のうちに包まれなければなりません。神に対する愛は同時に人に対する愛です。神と民、との関係は、ヤーウェの無限なる恩寵に対する忠節なる応答です。神はイスラエルにすべてのものを与えました。それゆえに民は唯ヤーウェにのみ依存すべきです。
ホセアは彼らの罪は神の無償の恩寵に対して、不誠実な態度であると指摘しました。彼は民の神に対す反逆の姿を、彼の不貞の妻ゴメルにおいて見ています。彼は民が神に貞操を守らず他人の子供生んだ乱倫の妻である(五章7節)。夫なる神は、モーセを立ててイスラエルを奴隷の家エジプト国より購い出しました(十二章14節)。そして乳と蜜の流れるカナンの土地を与えました。ヤーウェは彼らの唯一の神でした。然るに民は真心を持って神を呼び求めません。その愛は朝の霧のように消え失せてしまいました(六章4節)。
ホセアを通して示された彼達の罪の審判の前に(六章1節)、「さあ、我々は主のもとに帰ろう。放蕩息子のように(ルカ十四章11〜31節)」「言葉と共に行動を起こすのではなく口先だけで悔い改めているのです(六章6節)。」「私の喜ぶのは愛(ヘセド神の恩寵に対する応答の愛)であって生贄ではない、神を知る(ヤーダー全身全霊を持って知る)事であって焼き尽くす捧げものではない。」彼達は形式的に悔い改め、偶像礼拝はやめず、神に犠牲を捧げていました。神様が求められるのは神様の一方的な恩寵に対する応答としてのヘセドの愛であり、神を知り(ヤーダー神の御心おきてを知って)行うことです。
私達が礼拝を形式的に守るのではなく、神の愛に応答する真実のヘセドの愛の行ない、神のご意思を知り実行する態度を持ってなすべきです。
65年前の本日ボッタム宣言を日本は受け入れ、連合国に無条件降伏をして敗戦国となりました。武装解除され軍隊は解体し組織的戦闘は終わりました。そして前面の連合軍に武器を引き渡して降伏捕虜となりなした。完全な敗北なのになぜ終戦と言うか分かりません。武器は天皇の物として菊の紋章が刻まれていましたが、鑢で削り取り塗油して箱に収め引き渡しました。敗戦なのです。悔しさは今でも忘れられません。学問・命・青春も捨ててのこの体たらくです。
長崎の市主催原爆死の慰霊祭で永井隆博士の弔辞に、人類はおぞましい戦争で多くの血を流しました。その戦いをやめるに当たって長崎で尊い聖い血を流すことで贖罪として戦争をやめられた。と言う意味の言葉を捧げられた事も忘れられません。
戦争は残酷です。和やかな倹しい家庭を・青春を謳歌している者達を引き裂いて戦いのことを学ばせ、国に殉ずるよう洗脳し多くの血を流す破目に陥れられました。
天皇の言葉の意味は分かりませんでしたが、解説を聞いて無条件降伏であることが分かりましてショックを受け呆然となりましたが、やがてこれで死ぬことはなしに生きていけるのだとの希望が(長い間考えもしなかった)心の底から湧いてきて思わず隣の部下の手を握って今からやる事が沢山あるぞと叫びました。
1945年の10月頃であったと思いますが、日本国内閣の平和宣言と書かれた華語の新聞を見てそこに「我等は剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。我等は剣を他国に向けず。もはや戦うことを学ばない」と述べられているのには感激しました。次の日曜日、日本キリスト教会の礼拝に出席したとき先輩の兄弟があれはイザヤ書の2章の言葉だよと教えて下さり、続けて内閣の中にキリスト者がいるのだなと言われ驚きましたが、帰国してあの文書は内閣顧問の賀川豊彦牧師が書いたものと知り、なるほど戦時中平和を説いたとして渋谷憲兵隊に留置された者としてお書きになったのだと納得できました。今まで軍国主義の塊のような者まで私は平和主義者であった民主主義は大いに実践しようと変わり身の早いそのさまに驚かせられることでした。
1946年(S21年)11月3日日本国憲法が公布され翌年5月3日に施行されました。第9条の「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」これは人類の理想です。すべての国が国の基本法である憲法の中にこれを入れ実行すれば世界の平和が来ます。実行不可能なことだと実社会・政治の世界では、解釈改憲が行われ日本は軍備を持っていない筈なのに世界有数のハイテク軍隊を(自衛隊)持っています。日本は実に面白い国です。防衛庁を省に昇格させながら9章憲法改正の手続きが出来ないのです。
憲法第二章九条は世界にまれなそして歴史に見ることの出来ない日米合作の奇跡的傑作品です。イザヤ書二4・ミカ書四3『主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣をあげずもはや戦うことを学ばない』このみ言葉の実現を祈るのが65年目の敗戦記念日に当たっての私の祈りです。
祖国日本が平和国家として存在することが世界全体に幸福をもたらすことです。そのためにもイザヤ書二22『人間に頼るのをやめよ鼻から息をしているだけの者に。何処に彼の値打ちがあるのか』軍備に頼る危険性が述べられています。
疑い深いトマスと言われていましたが、歴史的に見ると神様の深いご計画の下にトマスはいたのだなと改めて感心させられます。67、8年ほど前のことですが歴史研究室で、景教の本に出会い感銘を受けノートをとったことを時々思い出して細かい事を知りたく古書を手にしたく思いつつ今に至りました。ある兄弟が『聖書の国日本』は面白いですよと貸してくださいました。目次を見て驚きました。私の捜し求めていたものが平易に書かれているのです。インドからシルクロードを通って中国・朝鮮を経て原始キリスト教がAD199年にクン・ユエ(夕月国)の人が日本にきたり、603年には景教(ネストリアン)教会が京都の葛野に建てられた。5百年ごろには約2万人の景教徒が来た。彼達は大工・建築業者・医者・看護師・伝道師・家庭教師・牧師・学者・馬・山羊等自給自足できる一団でありということです。詳しいことは次回に譲りトマスに戻ります。
ヨハネはディディモ(双子の意)と呼ばれるトマスが、週の初めの日(日曜日)に復活の主が来られた時、ユダヤ人を恐れて鍵をかけておそらく礼拝を守っていたその時、彼はその場にいませんでした。その事をほかの弟子達が「私達は主を見た」と彼に告げました。彼は「釘跡に指を入れ、この手をわき腹に入れて見なければ決して信じない」と言いました。次の日曜日、戸に鍵をかけて弟子達が家の中にいました。復活の主がおいでになり真ん中にお立ちになり、『シャローム』と言われました。それからトマスに言われました『あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい。信じないものではなく、信じる者になりなさい。』トマスは答えて「私の主、私の神よ」といった。イエスはトマスに言われました。『私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』このときから聖書の記事からトマスの名が消えてしまいます。
歴史の中に景教という形で彼の働きが見えてきました。初代教会の信仰者を悩ました問題はグノシス派が述べる仮現論です。霊的存在であるキリストの人間的生(誕生や十字架の死・復活等)は仮象であるとしてイエス様の受肉を否定するドケティズムに対して、このトマスの言動が仮現論に対してイエス様の身体性を示し、また神性をも示す大きな証です。私は主のお働き十字架や聖霊降臨を体験した人々は幸いだなと思っていました。『私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである』のみ言葉と、トマスの理性的な実証主義によって見事に解決され。「私の主、私の神よ」と信仰告白した事実の前に己が信仰を深められた若い日の自分を感謝をもって見ます。
その後トマスはインド、マルコはエジプト、ペテロはバビロンへと宣教師として奉仕しました。トマスの宣教はシルクロードを沿って中国に至り景教として全土に受け入れられました。景とは光を意味し光の教えとして受け入れられました。なお達磨(インド語)は仏教の神話の中に取り入れられたトマスです。七転び八起きは主のために七回倒されても八回目にも起きなければならないから来ているのです。トマスはマドラスの丘で殉教しました。彼の宣教は景教として仏教また文化・思想にも大きな影響を与えています。ローマ教会はネストリアンを排除しました。マリヤを神の母、煉獄を認めないとして東西教会は分裂しました。ネストリアンは東教会に属しています。
新聞に毎日のように、「目よりうろこ」との見出しの記事があります。それを見るたびに60数年前この言葉が不思議で辞書を引いたとき、新約聖書のパウロの回心時の出来事と知り驚くと共に、日本と聖書の関係に深く興味を持ち、歴史学の研究室で日本の考古学の本を漁りました。神道に対する影響、仏教の教えの中に聖書の教えが入り込んでいること等、目を見張るばかりでした実に目からうろこが落ちるとはこのことだと思いました。上記の辞書によると(新約の使徒行伝からパウロの回心の事)「あることをきっかけにして、急に真相や本質が分かるようになる」とあり、改めて使徒行伝を読み直したことがありました。
パウロはパリサイ派の熱心な学徒で将来の指導者と目されていました。彼は聖書を通してキリスト者は神を冒涜するものだと断じて、エルサレムの信徒を捕らえて投獄していた。ステパノの殉教も彼の扇動によるもののようです。エルサレムの信徒は難を逃れ地方に散りましった(結果としてキリスト教が地方に広がった)。パウロは彼らを追って殺そうと意気込んで大祭司の許可書を受け取りダマスコに向かいました。その途上の出来事です。突然天から光が彼を照らしました。彼は地に倒れその彼に主はなぜ私を迫害するのかと言われ、目が見えなくなった彼に、町に入ればなすべきことが知らされるとのお言葉で彼は町に入り、3日間断食して祈っていました。一方主はアナニアにサウロの上に手を置いて祈ることを命じられました。命じられたようにするとサウロの目からうろこのようなものが落ち元通り見えるようになり、直ちに洗礼を受け、あちこちの会堂で「この人こそ神の子である」と、イエス様の事を宣べ伝えた。キプロス宣教からサウロはポウロと改名しました(十三章9節)。
その後主がアナニアに言われた『行け。あの者は、異邦人や王達、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である』のように彼は告発され逮捕されるたびに王や総督などに、回心の証を弁明と言う形をとり説教しています。神様のご計画の奥深さ不思議さを改めて知り感銘を深めます。
二六章2節でパウロは「アグリッパ王の前で弁明させていただけるのは幸いであると思います」と語りまず自己紹介をして、ダマスコ途上における復活の主との出会い、目からうろこのような物が落ちて目が開かれ、真理を知りそれを語った事でサドカイ人達に復活はないと訴えられているのです。「預言者たちやモーセが必ず起こると語った以外には、何一つ述べていません。つまりメシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を告げることになると述べたのです」。
アグリッパ王はパウロに「短い時間で私を説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」と言ったパウロは『短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を、聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが』王も総督達も彼の無罪を信じたが、彼はローマ人の権利として皇帝に上訴しているので釈放されない。彼は皇帝にも福音を語るつもりであったのでしょう。
彼は何処でも何時でも、復活との主との出会いを証し続けたのです。結論はガラテヤ二19・20を語るのです。私もそのようにします。
新約聖書には長い説教が三つあります。イエス様の山上の説教(マタイ5・6・7章)、十字架の前夜弟子達に、遺言としての説教(ヨハネ14・15・16章)、そしてこのステパノの説教です。ステパノは長老達、律法学者達に扇動され、最高法院(サンヒドリン)に引いて行かれ、偽証人を立てて、聖なる場所(神殿)と律法をけなしたと訴えられました。大祭司(イエス様の裁判と同じカヤパ)「うったえのとおりか」と尋問しました。イエス様は告発に対して始終沈黙を守り、弁明もなさいませんでした。しかしステパノは弁明を始めました。
彼はイスラエルの歴史とイスラエルの歴史に神が介在されることから初め、アブラハム、イサク、ヤコブ、12人の族長、彼らは神様との契約の、肉体のしるしとして割礼を受けました。アブラハムの生活が示しているのは、神の召命、約束、割礼の契約です。イスラエルは神の恵みにことごとく依存していることを示しています。
9節からヨセフについて、彼は兄弟達にねたまれエジプトの奴隷に売り飛ばされました。人間の罪悪も神様は善きに変えられ、エジプト王の次の位に上げられました。それは神が彼と常に居られ、恵みと知恵が与えられたからでした。兄達はヨセフだと知って彼の報復を恐れたが、ヨセフは創世記五十19「恐れることはありません。私が神に代わることが出来ましょうか、あなたがたがは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民を救うために、今日のようにしてくださったのです。神が私をあなた達より先にお遣わしになったのです。私をここに遣わしたのは、あなた達ではなく、神です。(四十五章4〜8節)。
イスラエルの民が増えて国中に広がりました。ヨセフを知らない別の王が先祖を虐待して、乳飲み子を川に捨てさせました。その一人モーセ(引き出すの意)パロの皇女が拾い上げ自分の子として育て、エジプトのあらゆる教育を受けさせ、素晴らしい話や行ないをする者になりました。キリスト教信仰を両親より(三歳ぐらいまで乳母として)受けました。信仰と理性とこの世の学問の合体が出エジプトに大きな助けになっています。彼は事件を起こしミディアンの地に逃げた40歳のときです。それから40年たった時、シナイ山の近くで芝の燃える中から主の声を聞きました。33節で主は『履物を脱げ、あなたの立っている所は聖なる土地である・・・』神殿のみが聖い場所ではなく神のみ声を聞くところこそ聖いところなのだと言うのです。
出エジプト後の荒野のエクレシアεκκλησια(教会・集会)でのモーセが伝える律法を守らず、偶像の御輿を担ぎまわり犠牲をささげました。それまでは幕屋によって導かれていたがソロモンが神殿を建てました。神は人の建てた家にはお住みになりません。あなた方の祖先が迫害しなかって預言者が独りでも居たでしょうか。正しい方が来られる事を預言した人々を殺し、そして今や,あなた方がその方を裏切る者、殺す者となりました。天使達を通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。
聖い所と律法を汚したという告発の弁明を通して旧約より見事な弁明説教です。初代教会の人々がシナゴーグぐらいにしかない聖書を如何に大事にしながら学んだか、私達も負けずに学び、信徒の世話役のステパノのような証・弁明・説教が出来るように祈りつつ励みたいものです。パウロはステパノを殺すことの扇動者でありました。
使徒言行録には三つの大きな説教があります。それは2章のペテロ、7章のステファノ、26章のパウロのアグリッパ王での前での弁明の形の説教です。パウロはそのほか機会あるごとに証をしています。第一の説教(二章14節)聖霊に満たされたペトロは11使徒と共に立って声を張り上げて話し始めました。他の弟子達は他の国々の言葉で話し始めました。現在的に言うと同時通訳でしょう。バベルで言葉が乱され世界に散らされたが、聖霊降臨によってキリストの福音が全世界の人々を統一する唯一の言葉となったのです。教会は聖霊降臨によって福音を全世界に宣べ伝えるように委ねられました。聖霊降臨によって弟子達そして教会は福音宣教に乗り出すのです。
無学な彼達の話を聞いた人々の中には「・・葡萄酒に酔っているのだ」と嘲る者も居ました。ペトロの説教はそのあざけりに応える方法で始めるのです。朝の祈りの九時前には食事をしない習慣ゆえに酒に酔っているのではなく、ヨエル二章28節〜32節の預言から聖霊降臨による終わりの時代に神のみ言葉により、『・・・その時には、私の霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。・・・主の名を呼び求める者は皆、救われる』と酒に酔っているのではないと答えて説教の本題に入ります。
内容は1)ユダヤの人々に14節 2)イスラエルの人たちへ22節 3)兄弟達に29節 4)イスラエルの全家の人々の四部分に分けられます。ヨエルの預言を説明して、22節のナザレのイエス様こそ、神から遣わされた方です。神さまはイエスを通して行われました。㈰奇跡と㈪不思議な業と㈫力あるしるし(この三つはギリシャ語では奇跡を意味する)この神様のご計画によりあなた方に引き渡されたのですが、律法を知らない者達の手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを・・復活させられました。詩篇十六章8節〜16節「イエス様は神の右に上げられ約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。私達は皆そのイエス様の復活の証人です。」
ペテロは説教の結論として『神が主としメシヤとなさった方を、あなた方は十字架につけて殺したのです』彼達は罪を悔い改めて主の名によるバプテスマを受けて、ヨエルが預言したように、イエス様の贖罪を信じて、主の名を呼び求める者は皆。救われたのです。
使徒言行録は別名聖霊行伝と言われるように、イエス様が弟子達に約束された聖霊を祈り求める弟子達に与えられ、イエス様の復活と救いの業としての十字架の福音を聖霊に導かれて多くの人に宣べ伝えた記録です。
続けてステファノの説教とパウロの証、説教を宣べます。
ノア一家は主の命令により作った箱舟によって洪水から救われました。そして主は彼達と祝福の契約をなさり、そのしるしとして虹を雲の中に置かれました(9章)。メソポタミヤにノアの息子達セム、ハム、ヤペテの子孫達が住み着きました。10章4節彼らは「さあ、天まで届く塔の町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言って、れんがを焼き(それまでは天日で固めた)塔を建て始めました。神は9章1節『地に満ちよ』と言われる言葉は地を十分に用いて、祝福の生活を保障されたのですが、彼たちは自分の力能力で事をなそうとしました。それは神に対する反逆です。『・・皆一つの言葉を話しているからこれをはじめたのだ。我々(父・子・聖霊の三位一体の神)は彼らの言葉を混乱させ(バーラル)、互いの言葉が聞き分けられないようにしよう』言葉に意味の通じる民族のみで全地に散って行きました。本来祝福を受ける一体性が罪の方への一致と団結となってしまったのです。
新約の使徒達は、主のご命令を守ってエルサレムの二階の部屋で祈っている時、聖霊降臨がありました。イエス様が14章5節『エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなた方は間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。』8節『あなた方の上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。そしてユダヤとサマリヤ全土で、また地の果に至るまで、私の証人になる』この主のいわれるとおりペンテコステの日、24節・・“霊”が語らせるままに、ほかの国々言葉で話し出しました。5〜12節天下のあらゆる国から帰ってきて信心深い人々がエルサレムに住んでいたが、聞いた人々は驚き、怪しみ、とまどいました。弟子達がガリラヤの無学な漁師達であったからです。しかも話す内容は旧約を引証してイエス様こそメシヤ・キリストと語るのですから、この日が教会の誕生日です。
主イエス様が教会について語られました(マタイ16章13〜20節)。特に18節『私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩(ペトラπετρα)の上に私の教会を立てる』この岩は16節シモンペトロの「あなたはメシヤ、いける神の子です」の信仰告白の上に教会が立てられるのであって、ペトロ個人の上に立てることは意味していません。
聖霊に満たされた弟子達、信徒達は、あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシヤとなさいました。悔い改めてイエス・キリストの名によって罪の許しを受け、聖霊の賜物を受けなさいと世界の隅々まで、聖霊の賜物であるみ言葉を告げ知らせたのです。
日本にプロテスタントで最初に来たベッテルハイム(1816)那覇で飢えと迫害に耐えながら路傍伝道をなしたが実を結ばず、4福音書を琉球語に訳しました。ヨハネ1章初めに賢いものござった・・の訳には彼の苦心を知りました。これは香港で出版され、後にシカゴで日本語に翻訳され出版されました。私は台湾で日本語は理解できないのですが礼拝は欠かさず守っていた老婆が手にしていたローマ字の台湾語の聖書とペンアン(平安)ハレルヤの挨拶は忘れられません。これを訳したトマス・バークレーの伝記を読んで言葉の持つ力と五旬節の聖霊の働きの強さに強い驚きを感じました。現在でも台湾は長老派の教会が多くあります。それはトマスの働きに負う所大です。
ペンテコステに与えられた聖霊の言葉は世界中で活躍しています。大きな力です。
自分は一生懸命に奉仕しても失敗に終ってガックリした時に私の心に浮かぶ言葉は、シモンに語られたルカ22章の31〜34です。とくに32節『・・私はあなたの為に、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』シモンは主と共に死ぬ事も厭わないと覚悟を述べたが、主の予告は『今日鶏が鳴く前に三度私を否むでしょう』でした。その通り54節〜61節ペテロは三度主を知らないと言った時、主が振り向いてペテロを見つめられました。彼は主のみ言葉を思い出して外に出て、激しく泣きました。
復活の主はペテロの心を見通しておられました。主はガリラヤの山で会うことにして弟子達を先に行かせました。弟子達はガリラヤ湖で漁をしていました。主は湖畔で疲れて漁から帰る弟子達のために食事の準備をなさっておられました。弟子達と朝の食事を終えられた時、ペテロに主を愛すると三度言わせてヘロデの庭で三度主を否んだことを取り消して、彼の信仰を復活せしめました。このヨハネ21章の主のお心使いにはペテロでなくてもこの方について行こうと決心します。私もペテロと同じです。
その後主はご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒達に示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。彼らと食事を共にしている時、こう命じられた『エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。・・・・・』使徒1章4〜5節
使徒達は昇天なさった主を見送って、オリーブ畑の山から都に入り泊っていた家の上の部屋に上がりました。使徒2章1節〜4節で命じられたように心を合わせて祈っていました。すると五旬際の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っている家中に響きました。そして、炎のような舌が分かれ分れに現れ、一人一人の上にとどまりました。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し始めた。使徒達が語る故郷の言葉を聞いてあっけにとられた人々は驚き怪しんで、「・・・皆ガリラヤの人ではないか。どうして私達は生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」、当時の世界と考えられた多くの国の言葉を聞くことが出来るのだろうと驚き戸惑ったのです。
するとペテロは11人と共に立って話し始めました。彼たちは主の十字架刑の後人々を恐れて家の戸に鍵をかけて潜んでいましたが、聖霊降臨によって聖霊に満たされた時、信仰に立ち。主の祈りに応えて、兄弟達を力づけるため(ルカ22章32節)声を張り上げて主イエス様こそメシアであると証の大説教をしたのです。他の弟子たちも同じような説教を多くの国の言葉で語ったのです。聖霊によって誰にもわからない異言を語ったのではありません。この弟子達が(使徒2章36節)「・・だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、メシアとなさったのです」人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペテロとほかの使徒達に、「兄弟たち、私達はどうしたらよいのですか」と言いました。38節でペテロは彼らに言いました。「㈰悔い改めなさい。めいめい、㈪イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪の赦していただきなさい。そうすれば、㈫賜物として聖霊を受けます。・・・つまり、私たちの神である主が招いてくださる者なら誰にでも、与えられているものなのです」私達は十字架の主を私たちの罪ゆえに殺したことを告白するのです。そして、この三つの道を通らねばキリスト者にはなれないことを知るべきです。
マルティン・ルターはエルフルト大学の図書館で生まれて始めて完全な聖書を手にする機会を20歳(1503)のとき持ちました。丁度「サムエル記」1章ハンナの物語であったが鐘がなったので講義に出るため本を閉じました。彼はそれまで日曜礼拝で朗読される福音書しか知らなかったので、聖書の中にこのような美しい物語があるのを見て驚きました。後年同地のアウグスティヌス修道院で修道士になった時に与えられたラテン語の聖書を毎日貪る様に読んだのもその時に強い印象があったからでしょう。
1522年出版の彼の聖書では教理的に重要性でないとして、ヘブル、ヤコブ、ユダ、黙示録を付録のように編集し新約の最後に付け加えられました。そして「・・・ほかの書に比べてヤコブ書は藁の手紙でした。なぜなら、これは福音的性格を何ら持っていないからである」と述べています。この考えはこの当時の法王庁の指導方針に対する彼の経験があります。小学校のときから鞭を使っての教育、厳しい戒律に縛られたその後の教育、修道院における断食、徹夜、祈祷、読書という禁欲的な自己訓練、徹底的な懺悔、さまざまの罪の告解をしました。それても罪の不安から解放されない。ローマ巡礼もなした。個々の善行、功徳が人間の救い罪からの開放には至らぬことを知った。
その時。ハバクク二4を印照したローマ二17「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いて在るとおりです」。彼はこのみ言葉を通して十字架の贖罪によって長年苦しんでいた罪からの開放を経験したのです。ローマ法王・カトリックの教える修行とか善行などではない十字架の救いを信じることのみだと知ったのです。このことを宣言したのが宗教改革。プロテスタントの出発です。ルータは一般が救いを行いに求めていることの間違いを強調するため、ヤコブの説く信仰の裏づけとしての行為を軽く扱ったのです。決して藁のような軽い価値のない文ではありません。
初代教会が成長するに伴って、キリスト者の信仰生活の実践的側面が軽視されてきました。ヤコブはエルサレムから全教会の信徒に具体的問題を信仰を持って解決するよう勧めているのです。ヤコブの手紙にある「行いによる義」は約千四百年経たルータが取り上げたポウロの「信仰による義」とは対立するものではなく、一枚の紙の裏表のような関係であって切り離せないものであることが、ヤコブ書を注意深く読めば理解できる筈です。14以下は信仰のある者の行いについて語るのです。
14節信仰を持っている。信仰を持っていてもとは大きな違いがあります。私は信仰を持っているとは誰でも言えます。問題は「どんな信仰か」です。「私は神を信じている」という人は日本人には多くいます。問題はどんな神を信じているか、そこで自分でどんなに主張しても、「行いが伴わなければなんの役に立ちましょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。・・・・・」と彼は答えるのです。本書全体を一貫しているのは、実践して現れない信仰や思想は無意味だというのです。「主よ、主よ」と言ったとしても御心を行う者のみが受け入れられるのです。主の御心は御言葉を行う者になってほしいと望まれていることを忘れてはなりません。
主の十字架は旧約に予言されています。イザヤ53章4〜5「彼が担っていたのは私達の病彼の負ったのは私達の痛み・・彼が刺し貫かれたのは私達の背きの為であり彼が打ち砕かれたのは私達の咎の為であった。・・・彼の受けて傷によって、私達は癒された」の預言の通り主はゴルゴダ(サレコウベ)の丘で私達の病・痛み・背き・咎の為に十字架にかけられました。
私は1936年中国戦線が泥沼化し、世界戦争を予想される時、水口牧師が「今という機会を外すと洗礼を受けてキリスト者にはなれない状況だ。もしキリストに従っていく決心がついたら、今日12月23日クリスマスに受洗しなさい」とのお勧めで兄姉達と濁水の川で洗礼を拝領しました。まもなく戦時体制が強化され、月月火水木金金と日曜土曜日は無くなり礼拝には出席できなくなり、独りで聖書を読み讃美をしていました。キリスト教は交わりの宗教である事を痛感しました。教会の姉妹方の祈りと(兄弟方は戦争に駆り出されていた)貴重な「キリストに倣いて」を贈られ、何とか信仰維持が出来ました。私は信仰生活には主にある交わりが以下に大事であるかを痛感したので、戦後交わり・礼拝を大事にしましたし、牧会でも強調してきました。
負け戦が続きついに私達も徴兵延期が取り消され、学徒兵として上陸地と落下傘降下予想の陣地に配置され、想像も出来ないどん底の生活を強要されました。その中で教会学校で教えられた「困った時には㈰聖書を読みなさい㈪讃美しなさい㈫お祈りをしなさい」を思い出していつも肌身離さずにいたポケット聖書を開いて読み始めました。ローマ人への手紙八章28節「・・・ご計画に従って召された者達には、万事を益となるように共に神は働いてくださる」この乞食以下の生活がどのような益なのか、読み進めるとガラテヤ書二章20節「我キリストと共に十字架につけられたり、最早我生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり。今我肉体に在りて生くるは、我を愛して我がために己が身を捨て給いし神の子を信ずるに由りて生くるなり」。このキリストとの出会いのためこの惨めな生活だったのか、続けて五章24節「キリスト・イエスに属する者は肉と共にその情と欲とを十字架につけたり」私は感激のあまり生きて帰ることが出来たら牧師になりますと神様に約束してしまいました。
しかし広島の大竹港に上陸した途端に、献身から逃げる算段を始めました。神様のお導きは想像もできない方法で計画を実行なさいました。結核療養所での一年間の水口牧師からの毎日の聖書の学び、病人に対する聖書のお証、退院して結婚したときこれで牧師にならなくてよかったと思ったとき、母と妻好恵が協力するから神学校に行き牧師になるようにと、どんでん返しです。ルカ二三章25節のクレネ人シモンのようにキリストの後に従い死刑囚キリストの十字架を負って行く感じでした。牧師になるとちかって4・5年も経っていないにも拘らずです。しかしシモンが祝されたように強制されたような牧師生活が、自分中心で短気ですぐ怒りをぶちまける人間を作り変えてくださいました。強制されて牧師にならなかったらと思うと身震いします。
主に従っていくには自発的であれ強制的であれ、自分を捨てなければなりません。日本人のキリスト者として自分が自分の主となることを徹底的に拒否する事です。主が私のうちに生きておられるからです。
主イエス様は福音書に述べられている限り、父よと、天の父に呼びかけられておられます。おそらく30歳で公的立場にお立になるまでは 母様、お母様と呼びかけられておられていたと思いますが、カナの婚礼の席での最初の奇跡以後はペーテール(母)と呼ばず、グナイγυναι(女、婦人、lady)日本語の話し言葉では通常、女、婦人と訳します。主は母マリヤを尊敬して丁寧に呼びかけられているのです。しかし私は母よと言われない主によそよそしさを感じました。
十字架の下に母マリヤは嘆きながら主を見上げていました。彼女の内には幾つかの事が心に留められていました。天使ガブリエルがイエスの誕生を告げた際、ダビデの王座、永遠にヤコブの家の支配の約束、羊飼い、学者達が礼拝に来た時、シメオンやアンナが幼子を救い主だと告げられた時、主のなされた奇跡、多くの人に語られた説教の噂など聞いた時、天使が恵まれた女よと言われたこと等を思い出して、心から感謝していたのに、今マリヤはゴルゴダの丘の十字架の下に失望して立ち竦むのです。シメオンが言った「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」その通り主と共に釘づけられ槍で刺されるのです。
敵を赦し、十字架上の罪悔いる罪人にパラダイスを約束され、そして主を仰ぎ見る嘆きの母マリヤと目が合うのです。『グナイ、御覧なさい、貴女の子です』と言われ、そばに立つ弟子(恐らくヨハネ)に言われた『見なさい。あなたの母(ペーテール)です』イエス様の母マリヤに対する愛とお心遣いを知ったヨハネはその時から、イエス様の母を自分の家に引き取ったのです。
何故お母さんと呼びかけず、婦人よと呼びかけたのでしょうか?ルカ八19〜21母と兄弟たちが来たが、群集の為近づけなかったので、そこでイエスに「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは『私の母、兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになりました。この主のお答えの中に主の御心を知る事が出来ます。主は母マリヤと兄弟たちを愛していたが故に、冷たい非情な態度をとっておられるのです。
マリヤは人間的な母性愛から解放されなければなりませんでした。イエス様を自分が生んだ子としてみることをやめない限り、まことの神様に出会うことが出来ないのです。母マリヤはこの世の家族関係を清算して弟子達の間で彼たちの母として仕え新しい家族関係を作るのです。兄弟たちも同じように神の家族となることが勧められているのです。主の弟ヤコブは始め主を信じていなかったが主の復活後信じエルサレム教会の監督になり、大祭司アンナスに捕らえられ殉教しています。ヤコブ書の著者でもあります。
中田牧師が元住吉教会を去って弘前教会に派遣される時、私に一つ注文がある。それはもっと教会員に気づいた事は注意すべきであると言う事です。ただ祈っているだけでは駄目です。もっともその様な姿勢で自分は信仰を持てたし、献身も出来た。人によってははっきり言った方が良い場合もあります。しかし気が付いても黙って祈りつつ時を待つそれが先生の長所でもあり欠点でもあることを忘れないで欲しいと忠告されました。ほんとにその通りである事を承知しています。私の性格的な対人関係の弱さであることを知っているので主に委ねようとするのです。主だからこそ忍耐してマリヤや兄弟が気づくことを祈りつつ待つことが出来たのです。私はもっと真実な取り成しの祈りをなすべきです。そして主に忍耐心を持つよう訓練されなければならないと思っています。
イエス様の十字架上の第六のみ言葉は『成し遂げられたテテレスタイ(τετελεσται)』目的が完成したと言う意味です。最後のみ言葉『父よ、私の霊をみ手に委ねます』と言われ頭を垂れ息を引き取られました。主の十字架の目的は人類の贖罪でした。主の十字架の贖罪までは動物を犠牲として罪のはらう値は死として、旧約の律法は(主としてレビ記)犠牲としての動物のいけにえのささげ方が詳しく定められています。罪を犯して神に謝罪しなければならないのは人間ですが犠牲の上に手を置くことで一体化され、犠牲の動物の血を祭壇に捧げることで罪が赦されることが旧約の犠牲でした。
人は罪を自覚するたびに犠牲を捧げました。特に一年に1回大祭司が犠牲の血を携え、至聖所に国民全体の罪の赦しを願う為に入ることが出来ましたが、その前に罪人である自分自身の罪の犠牲をささげねば第二の幕を超えてはいることは出来ませんでした。この儀式を繰り返し行っているうちに形式的な儀式になってしまい無意味なものになりました。そこで神様は洗礼者ヨハネを遣わされ罪の悔い改めの人生に1回限りの儀式としてヨルダン川で洗礼を授けしめられました。そしてイエス様こそ聖霊によって洗礼を授けられ、ご自分を十字架に犠牲とし人類の罪を取り除かれる方だとヨハネは証したのです。
主が人類の贖罪を十字架でなさったことを『成し遂げられた』と宣言なさったのです。その時神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたのです(マルコ十五38)。大祭司が動物の犠牲の血を持ってのみ入れる至聖所に、主にある洗礼を受けた者は誰でも入り聖い所に立つ事が出来るようになりました(ヘブル九11〜14)。
十字架で贖罪の死を遂げられ、三日後によみがえられ、とこしえに生きる大祭司としての主を信じる者は聖い者として主の前に立つ事を許されるのです。主がご自身の血を持って至聖所に招きいれてくださるからです。
キリスト教にはイースター、聖霊降臨節、クリスマスという三つの祭日があります。前の二つは日にちも確実である事が分かっていますが、主の誕生の日付はいまだに分かりません。日本ではクリスマスが有名です。しかし教会では復活祭こそ最大なものでかつ大事なものとしています。
私達は死に打ち勝たれた主を信じその事を証しするものです。それがキリスト者です。パウロは㈼コリント十五12〜15で「キリストが復活しなかったなら、私達の宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です。さらに、私達は神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、・・復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反する証をした事になるからです」と述べています。
十字架の救いは復活で成し遂げられるのです。復活は私達に与えられている最高の恩恵です。
ヨハネ二十章24節〜29節トマスに主は言われた。『私を見たから信じたのか、見ないで信じる人は、幸いである』このみ言葉は2千年後の今でも信仰を持って復活の主と出会い幸いな人生を送ることが出来ると述べているのです。
イエス・キリストは午前九時に十字架にかけられ午後三時過ぎに『成し遂げられた』テテレスタイτετελσταιと言われ息を引き取られました。苦しい十字架の上で七つの言葉を発せられておられます。日本語では意味をハッキリさせる為長くなっていますが、主の苦衷の中で語られた原語は短いものです。私は2月頃からこの七つの言葉がいつも頭の片隅にあり、時には大きく響く事がありました。私は3月の始めに夕方から翌日の16時頃まで激しい嘔吐に悩まされました。苦しくて日課の一時間あまりの取り成しの祈りが途切れ途切れになり祈りは丸一日かかりました。あまりの苦しさでそのために祈ろうとしても言葉が続かず。ただお父様と呼びかけるのが漸くでした。54年の伝道生活で始めて礼拝を休まざるを得ませんでしたが、この程度の苦しみで取り成しの祈りが出来ない自分と、十字架の上での主のお言葉はご自分の為の祈りが無かった事とすべてが取り成しの祈りであった事に改めて十字架の救いを感謝しました。
マタイニ七章45〜56、『エリ、エリ、(はヘブル語)、ラマ、サバクタニ』は当時のユダヤ人が使っていたアラマイク語です。ダビデがソウル王に追われているときに歌った歌です。詩人は神が沈黙を守られるので自分は神から捨てられたと感じるが、それでも私の神と呼び、深い心のそこで神との関係を示す信頼の言葉です。何故・どうして、神との関係の断絶の意味が分からない、理由の不明な苦痛は耐えがたいものです。何故と問われつつ主がわれわれの絶望的な罪を負い、低く神無き所に下られた主を私は見るのです。
詩篇の22篇22節までは神に見捨てられたと感じつつも我が神よとなお神の助けを求めるダビデです。そして23節以下に絶望の中から救ってくださる神に感謝し讃美をするのです。そして23節自分を救って下さった神の証を兄弟たち(イスラエル)に伝え神を讃美するのです。エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニは22篇全体を表現しているのです。12時から3時まで暗黒が地上を包み人類の罪の暗黒の中で主は22篇を語られるのです。
多くの人は主の絶望の中の弱さだと解釈しますが、主は22編を追いながらついに十字架上の最後の言葉『父よ、私の霊をみ手に委ねます』πατερ εισ χειρασ σου(ルカ23章46、詩篇31篇6節)で神に対する絶対的信頼を十字架上の七つの言葉として締めくくるのです。
私達は『父よ、彼らをお許し下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです』πατερ αφεσ αυτοισ ου γαρ οιδασιν τι φοιουσιν罪深い私達のためにとりなして下さいます。その真実の神の愛アガペーの前に自分のほんとの姿、罪のかしらといっても良い己が姿を聖書を鏡として見ましょう。その贖罪の為『エロイ、エロイ、レマ、サバクタミ』『我が神、我が神、何故私をお見捨てになったのですか』と最低の所まで主を追い込んだのは私の罪ゆえであると告白し十字架のもとに私達の罪を置きましょう。そして『エリ、エリ、ラマ、サバクタニ』イエス様の絶望の中でも神を信頼して助けを求められたように、私達も神様を信頼して「私の霊を(すべてを)み手に委ねます」と信仰生活を送りましょう。
主は十字架を明日に控えゲッセマネの園で「アバ、父よ、御心なら、この杯を私から取り除けてください、しかし私の願ではなく、御心のままに行ってください」と三度お祈りになりました。しかし苦い杯の最後の一滴まで飲み干す事を命じられました。それでも父なる神に対する信頼と服従は揺るぎませんでした。翌日十字架につけられた時、『アバ、父よ、彼らをお許し下さい。・・・』と父にお祈りになっています。
イエス様は祈りのお方でした。福音書は主が祈られておられる事を数多く述べております。どの様な時にも祈られました。祈りがイエス様の力のもといでした。私達であったら、十字架刑という限界状況で祈る事が出来たでしょうか、祈る心も起きてきません。私達は限界を感じつつも祈りなさいと命じ模範を示される主に倣わなければなりません。祈りに覚えると言う事は、一縷の望みもおろそかにしない、そこにキリスト者の希望に生きる人生があるのです。
主は罵られ、あざ笑い「他人を救ったのだ。もし神からのメシヤで、選ばれた者なら、自分を救うが良い」兵士達も「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と侮辱し、十字架にかけられていた犯罪人の一人が主を罵って「お前は、メシヤではないか、自分自身とわれわれを救ってみろ」と。主が砂漠でサタンの誘惑を受けられた時と同じような働きかけです。その中で主はアバ、父よと祈られるのです。小突かれ、唾され、嘲弄され、侮辱され、手足を釘付けられそれでもなお『アバ、父よ、・・・』と祈られるのです。天の父よと呼びかけられるのです。
旧約以来のユダヤ人はただ神よの呼びかけで祈り始めていました。主は天の父よと祈られました。私達も主の教えられたように天の父、お父様と呼ぶ時誰でも天の父なる神様と人格的な交わり対話がなされ、主を長子とし主の妹弟となるのです。お互い主にある兄弟姉妹となるのです。
『父よ彼らをお赦し下さい』とりなしの祈りです。他者の立場が良くなるように言葉で仲立ちをすることです。この場合敵対して主を十字架に架け苦しめる相手のために『彼らは何をしているのか知らないのです』彼たちの罪を十字架の血による贖いで赦して欲しいとお父様に執成してくださるのです。自分だけよければよいと人を押しのけ続ける自分中心の罪が、主イエス様を十字架へと追い込んだのです。それをしたのはわれわれ自身です。その私のために『何をしているか知らないのですから、赦してください』と十字架上の7言葉の最初にお祈りの言葉を発せられたのです。
この執り成しこそ神様の愛です。執り成しの祈りをするためには相手の長所を見出さなければできません。祈りの究極は執り成しです。愛の実践です。私達の祈りには執り成しがどの程度占めていますか。私は祈祷表を基準として祈っています。結果として執り成しが非常に多くなりました。私は取り成しの祈りをしなければ寝ることが出来ません。
その様に天のお父様になしていただいた事を心から感謝しています。
私は旧約の人物ではヨセフ、新約では主からケファ(アラム語の岩)と言う別名を与えられたペテロ、日本人では賀川豊彦牧師が大好きで、私の若い頃からの信仰生活の目標です。今朝はヨセフについて学びます。37章から50章まで語ります。
37章ヤコブ(イスラエル)には12人の子がいましたが、ヨセフは年寄り子であったのでどの子よりも彼を偏愛していました。それを見て兄達は彼を憎み穏やかに彼と話す事が出来ませんでした。彼は父の命令でシケムにいる父の羊の群れを飼っている兄達を訪ねました。兄達はエジプトに向うイシマエル人の隊商に銀20シケルで彼を売り渡し、父には彼たちがヨセフから剥ぎ取った長袖の着物を雄山羊の血に浸して見せました。悪い獣が彼を食ったのだと父は嘆きました。
39章ミデアン人らはパロの役人、侍衛長ポテパルにヨセフを奴隷として売りました。主がヨセフと共におられたので彼のすることをすべて栄えさせられました。しかしポテパルの妻の悪巧みの冤罪で獄屋に下りました。そこでも主は彼と共に居られて愛しみを垂れ、恵みを与えられた。彼はどの様な仕打ちにあい立場が悪かろうと、人を恨むではなく、境遇を嘆き呟くこともなく全能力を今の成すべきことに打ち込んだのです。ヨセフと共に主が居られたのは常に主の前に行動をなし祈りつつ事に当たったからです。
王の給仕役と料理長がヨセフと同じ監獄に入れられ彼が世話をしていました。二人が同じ夜夢を見て悩んでいました。彼らに夢見る男ヨセフは「夢を解き明かすのは神のみです」といって二人の夢を解き明かしました。そして元の給仕役に戻った時私の冤罪を王から許してもらいたいと頼んだのですが、彼は王の前の仕事に復帰した時にヨセフのことはすっかり忘れてしまいました。40章しかしそれが幸いに転じました。
41章二年後パロが夢を見ました。王は心騒がせ学者・魔術師・賢者に夢の解き明かしを命じたが誰も出来ませんでした。その時給仕役は監獄の夢解きを思い出し、王に申し出ました。王の前に出て「私には神様のなさるご計画は到底人の及ぶ事では在りません」とヨセフは言い、彼は王の夢を解き神様のご計画を告げるのです。7年の大豊作とその後の7年の飢饉を神よりのお告げとして述べました。彼の夢の解き明かしに感嘆して王は自分の次の位に彼を任じました。
ヨセフの夢の解き明かしどおりに7年間大豊作が続きました。町々には海辺の砂ほど多くの穀物を蓄え、量りきれなく程になりました。7年の大豊作が終ると、7年の飢饉が始まりました。その飢饉はすべての国々を襲ったが、エジプトには、全国の何処にでも食料がありました。やがてそれも尽きエジプト始め各地の人々が穀物を買いにヨセフのもとに来ました。
42章ヤコブは10人の兄達をエジプトへ穀物を買うために行かせました。ヨセフには兄達だと分かっていました。兄達が語り合う言葉を聞き分けていたが通訳を入れていたので兄達にはヨセフだと分からなかったのです。彼たちはヨセフの計画でスパイの疑いを受けたが、ユダの嘆願を受け44章。もはやヨセフは平静を装っている事が出来なくなり自分の身を明かしました。そして45章7・8「神が私をあなた達より先にお遣わしになったのは・・あなた達を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせる為です。私をここへ遣わしたのは、あなた達でなく神です。・・・」そしてヤコブを始め一族70名をエジプトに呼び寄せました。
ヤコブが百四十七才で息を引き取り先祖の列に加えられると、兄達はヨセフの報復を恐れ、父の遺言通り私達の罪を許して欲しいと嘆願しました。それに対してヨセフは50章20「あなた方は私に悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救う為に、今日のようにして下さったのです」ヨセフは常に神との対話をしていたので主のご計画を知る事が出来、神の器として用いられたのです。
十戒の解釈が律法学者やパリサイ人と主イエス様の違いがはっきりした出来事です。十戒の目的意義を考えなければなりません。神の聖さの標準を示し、人々に不義を教え自認させ、各人の罪を定める役目を持っています。律法のおもな目的は、人間の罪の深さを知らしめる事によって、救い主キリストに私達を導く養育係の役目を持っています。一方主はマルコ十二章29〜31『第一のおきては・・・・私達の神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい(十戒の1〜4)第二のおきては、隣人を自分のように愛しなさい。(十戒の5〜10)この二つに勝る掟は他にない』十戒は救い主キリストに導く愛の掟です。
学者達は十戒を中心とする諸法規をモーセを通して神様が与えたそれらを罪と決めつけ罰するものとしたのです。主は神殿で民衆に座って教え始められていた。そこにパリサイ人達や律法学者達が、姦通の現場で捕らえられた女を連れてきてみんなの真ん中に立たせ(男は故意かどうかいない)「モーセはこういう女は石で打ち殺せと命じています(拡張解釈申命記二二章24)ところで、あなたはどうお考えになりますか」主を陥れる口実を得ようとして、石を投げよと応えれば愛を説いている日頃の事とは相反する。また死刑についてはローマ政府の権限の下にあるので、ローマ帝国の権威に立ち向かう事になる。どちらの返事をしても主は苦境に立たせられます。その様な悪意のある質問を突きつけ、律法の権威を認めるか、ローマ政府の権威を認めるかとの意地の悪い彼達の心を主は見抜いておられ無視されておられた。それは彼らの言動に反省の機会を与えようとなさった事です。
しかし彼らはなんらの反省も無く、ますますしっこく問い続けるので、主はやおら立ち上がられました。その判決は女に対する断罪ではなく、彼女を訴え続ける偽善者の輩の心に突きつけた鋭いお言葉です。『あなた方の中で罪を犯した事の無い者が、先ず、この女に石を投げなさい』神の律法を学び誰よりも知っていると思っていた彼らに罪意識が生まれてきたのです。そして彼らは年寄りから始めて一人一人次々と去って行き主と女のみ残されました。主は罰せられず、今後はもう罪を犯さないようにと言われました。罪意識を持ったことはよいのですが解決の道を求めなかったのです。律法を隣人に適用、断罪する彼ら自分自身は律法の前に立たず。他人の罪を責めるのです。
論語読みの論語知らずとはパリサイ人達のことです。先日も読みましたように、キリストの誕生の預言、ベツレヘムに生まれると言う事を知っても王も指導者達も動きませんでした。幼子主に礼拝をささげたのは羊飼いと異邦人の占星術の博士達だけでした。神のみ言葉を自分の為に聴くのではなしに、これはあの人に聞かせようあれはあの人にと、み言葉を自分に語られたものとして聴かなければ馬耳東風として何の感動も無く通り過ぎてしまいます。
律法によって罪を自認したのであれば悔い改め救いを求めて主の十字架を仰ぎ見るべきです。律法は私のためあなたのために与えられたものです。神の掟の前に粛然として立ち、その光で自分の全存在を照らしていただきましょう。自分のほんとの姿を認めましょう。そのことが主の恵に与る道です。学者達は律法で他者を裁きますが、主はそれで人を罪に定めません。
東方でベツレヘムの星を見た三人の(捧げ物の三種より)占星術学者達はすぐに旅立ちました。東方の国、アッシリヤ、バビロン、ペルシャは、かつてユダヤ人が捕囚になった地です。ユダヤ教のメシヤ待望についても十分に知られていた筈です。学者達が見た星について16世紀のドイツの天文学者ケプラー(惑星の運動の法則などを発見し万有引力理論の基礎を作った)彼の計算によるとBC7年、木星と土星が、1年間に3回も会合したと言います。東方やユダヤにも流行していた占星術によると木星(ジュピター)は王を意味し土星(サターン)は地の果てを意味していました。東方の学者(マギ)は地の果てユダヤに王が生まれたことの告示と理解したのです。
彼達は星に導かれユダヤに来てヘロデにユダヤの王は何処におられますかとの質問に自分の王の地位が脅かされると不安に感じ、またエルサレムの人々もヘロデの残虐さを知っているので同様に不安を感じました。ヘロデも民衆も主の生まれる所はミカ書5章1節で知られていました。マタイはこの預言が成就したと預言の言葉をそれに変えています。ヘロデはサンヘドリンの議員や、祭司長達や律法学者達を皆集めてメシヤ(キリスト)が何処に生まれることになっているのかと問いただしました。おそらく疑い深い彼は権威を持っものとしてその場所を確かめようとしたのでしょう。ベツレヘムと預言されている事を確実にした彼は早速自分の地位を脅かすものを排除する悪い計画を立て始めていました。
マタイは主を王と述べようとしての意図を見ることもできます。マギたちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」と質問を述べ十字架の上にもユダヤ人が苦情を言ったにも拘らずピラトは(これはユダヤ人の王イエスである)と書いた罪状書き板を掲げさせました(27章37節)。
遠くから訪ねてきたマギたちは予言の言葉を聞くと直ちにエルサレムに向かい主を礼拝してささげものを献げました。が預言の言葉を直ちに述べえたユダヤの指導者達もヘロデ王も動かず、王はマギ達をひそかに呼んで星の出た時期を確かめ、「行って、その子のことを詳しく調べ見つかったら知らせてくれ、私も行って拝もう」とベツレヘムに送り出しました。彼達はイエス様を彼達は見て喜び、ひれ伏して幼子を拝み、黄金、乳香、没薬、を献げました。これ等の宝物は天使が夢にあらわれヘロデの虐殺からエジプトに逃れる事を勧められたときの必要を満たしたのではないでしょうか。マギたちは「ヘロデの所に帰るな」と夢で告げられたので別の道を通って自分達の国に帰りました。それでヘロデは大いに怒ってベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を皆虐殺しました。
聖書を十分に読み覚えていることと信仰は別のことであることをマタイは語っているのです。マギたちはユダヤ教への改宗者かもしれませんが、律法学者達のように聖書は十分に理解していなかったにも拘らず、聞いていたメシヤの誕生を知ると大きな犠牲を払って遠い道を旅し、危険が待ち構えているかもしれないのに主に礼拝をささげ宝物を献げたのです。それに対して律法学者達は達預言を知っていて、マギたちにすぐ答えられたのですが、不信仰の故に行動には移せませんでした。知識が智恵となってそれを行為したときに始めて信仰になるのです。
聖書を読んで蓄えてください。そしてそれを実践する者になってください。