日本ホーリネス教団
元住吉キリスト教会

 

2011年のメッセージ

【箱船による救い】創世記2章1節〜22節

1月1日

 1月1日 洪水が去り地は乾いていた。それを見たノアは神による天地の再創造を感じたと思われます。ユダヤ教には6つの祝日があります。その第一がヨシュ・ハシャブ日本の新年祭(正月)に当たります。しかし内容は全く違います。

 日本の正月は、お盆と同じく祖先の霊魂を祭ったり年頭墓参をしたりします。基本的には年神とか歳徳神(としとくじん)という神々を迎え、そのために家の中に年棚と恵方棚(えほう)を設け注連縄で飾り供え物をします。12月13日からはじめ30日で完了するよう準備をします。一夜飾りと言って現在のやり方は許されませんでした。元日になると先ず氏神に参り、又はその年の恵方の神社仏閣に参詣します。梯子参りはしてならないことになっています。お節は節供といい『神々に供える食物』の意味です。正月のもっとも大切な祭儀ですから、正月の正式食膳をオセチというようになり、オセチをいただくことは神人共食といって神々と一つになることを意味します。小正月15日で行事はほとんど終わります(年賀もそれまでに終えます)。

 ユダヤのヨシュ・ハシャブは、神が創世記1章のように世界万物を創造されたことを記念して神殿に詣で、神を賛美する日でした。新約にはこの祭りについての記事はありません。その他の五つの祭日は日を改めて述べます。

 ノアの箱舟の記事には日にちのことが詳しく述べられています。2月17日に雨が降り始め、神の命によりノアたちや獣・家畜が箱船に入りました。40日40夜雨が降り続き洪水が地に漲った。150日の後には水が減って、7月17日に箱船はアララト山の上に止まった。ノアが601歳の時、一月一日に、地上の水は乾いた。8章13節。2月27日地はすっかり乾きました。神の命令により家族と、すべての生き物が船から出ました16節〜19節。そして彼は直ちに祭壇を築いて礼拝をささげました。

 私達は年の初めにまず礼拝から始めるのです。ただ家内安全・家業繁栄を祈る初詣とは違いまして、主の救いの業・万物創造の業に感謝を捧げるのです。新年に当たって兄弟姉妹方にとられまして恵みの年でありますようお祈りします。

【預言とその成就】イザヤ書9章1節〜7節

12月18日

 音楽の母と言われたヘンデルと音楽の父と言われたバッハは共に1685年ドイツに生まれました。バッハが二度面会を申し入れましたが会うことが出来ませんでした。ヘンデルは1741年オラトリオ・メサイアMessiahを作曲しました。それはキリスト降誕・受難・復活の預言の3部53章からなっています。1部はキリスト到来の予言とその成就としての降誕。2部はメシヤの受難と復活。3部はメシヤのもたらした救いそれによる永遠の命をキング・ゼームス・バージヨン欽定訳聖書で100%用いて創作しました。

 一部の12章はイザヤ書9章5節の短い一節に欽定訳ではChildと最初の文字が大文字になっているのが12個もあります。これは神の偉大さを英語で表す場合に用いられます。一人のみどりごが我々人間に上から与えられました。天より肉体を取ってこられたイエス・キリストがチャイルドあかちゃんなのです。unto us a Son is given:神の御子が我々に与えられたのです。そして生まれた明確な目的と対象が示されます。未だ生まれていないインマヌエル(神我等といます)ともう成就した神の息子の誕生とみどりごの性質と働きが明らかにされるのです。

 その子の肩には実際の主権があり、全世界の政治、全世界の秩序を司りこれを動かしている統治者なのです。肩そのものが神を権威を示しています。世界は神の権威のもとにあるという事です。そして彼の名は驚くべき指導者です。霊妙なる擬士ワンダフル・カウンセラーなのです。不思議は人間には到底理解できない人知を超えた奇跡的な結果をもたらすと言う意味に使われています。カウンセラーなるこの方に相談する事によって良い道へと導かれる我々と共に居られる導き手です。

 我々が、このイエス様に祈り、すべてを打ち明け、進むべき道を尋ね求めるならば、神様はワンダフル・カウンセラーとしてお答えになります。大能の神・力ある神。

先週新聞でヒッグス粒子発見へ前進と報道されていました。宇宙創造はビック・バンで始まったのですが、質量を持たない素粒子が光速で飛び回っていたがヒッグス粒子が減速させ、万物に質量を与える(物質の基本)ことから欧米では神の粒子と呼ぶこともあるとの事です。物理学的にも神の存在の力を確信する宇宙学者が多いと言うことはうべ(諾)なるかなです。聖書は神の言葉が述べられ、科学書ではないと知っていても、胸のときめく報道でした。

 とこしえの父とはすべてをお委ね出来る、そして永遠に私の味方であり、保護者であり決して見捨てられることはなく、いつまでも私を見守り必要な助けを与えてくださる永遠の父がいてくださるのです。神の国の皇太子は平和の君です。すべてのことを平和的に進めることのできるお方です。常に聖霊が導いてくださる三位一体の神を私達は賛美するのみです。

 預言は成就します。それゆえに預言のみ言葉は到来したと過去形です。信仰とは神様のみ言葉を自分のうちに完結したと確信する事です。チャールズ・ジェネンズがヘンデルに渡した成句集はイエス・キリストを新約で語るよりも旧約の預言を主としたものでした。ヘンデルはメサイアを作曲創作する中で信仰を確立したようです。私はヘンデルのメサイアを聞くたびに救いにあずかった事を、ハレルヤ・アーメンと共に歌い感謝します。

【イエス・キリストの誕生】マタイ1章18節〜25節

12月4日

 マタイの福音書はユダヤ人に宛てて書かれたものです。彼らは系図を非常に重んじていました。又伝記を書く場合最初に系図を書くことが自然なことでした。パレスチナから離れて住んでいたユダヤ人も、その子供達の姓名をエルサレムに届けて系図に公式に記録したほどです。イエス様のご生涯記録を先ずユダヤの習慣に従って、アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図として述べられます。もう一つの系図はルカ4章にイエス様の系図として主が、およそ30才の時に宣教を始められた記録として述べられています。アブラハムより遡ってアダムから神に至っていますルカ3章。

 マタイはイエス様がダビデ王家の血統のメシヤ、ユダヤ民族の先祖アブラハムの子孫から起こされるメシヤとして宣言し福音書全体をこの系図で語っているのです。アブラハムに、神様は彼の子孫によって全世界を祝福すると約束された創世記12章。ダビデはイスラエルの歴史上もっとも偉大な王であり、その子によって王座が永遠に確立されると神様が約束されました。ユダヤ人はそのメシヤを待望していたのです。

 イエスはヘブル名イェシュア、ギリシャ語で救いを意味します。これは短縮形で元来はイェホシュア(ヤハウェは救いです)の意味です。この両者は日本語訳でヨシュアとなっています。キリストは70人訳(ヘブル語を公用語のギリシャ語に翻訳)ではメシヤをΧριστουクリストーこれは油注がれた者との意味です。イエス・キリストの系図は旧約と新約を結んでいます。

 ユダヤ人の系図には女性の名が記される例はほとんどありませんが、主のそれには4人の女性が出て来ます。タマルは舅との姦淫によってベレツとセラを産んだ創世記38章。ラハブは遊女ヨシュア2章。ルツはモアブ人、ユダヤ人の嫌った異邦人です。先祖モアブはロトの姉娘がその父によって産んだ子です創世記19章・ルツ記。バテシバはウリヤ将軍の妻で夫が全線にて戦っている時ダビデ子を産んだサムエル記下12章。この4人は系図の中の汚点です。

 これらの汚点を述べたのは、1)メシヤの血統の中に不倫の汚れ、ユダヤ人が軽蔑する異邦人の血が混じっていることを示します。2)罪に対する神様の恵みによる勝利を語るため。3)処女マリヤによるイエス様の誕生を不貞によると言うユダヤ人の誹謗に対して。マタイはアブラハムとダビデのメシヤの血統の中の汚点に注意を向けさせ、神様の選ばれた神の子の母、処女マリヤに対する誹謗を止めようとしたのです。

 アブラハムに始まる系図は上昇してダビデ王で頂点に達し第一区分は終わります。彼はウリヤの妻によっての背後には、姦淫と殺人と長子の死があります。ソロモンから第二の区分に入り14人の王がいます。歴代の王の大方は神様に背いて、ついにバビロン捕囚となり王座はなくなりました。エコンヤから第三の区分となり14代目にマリヤの夫ヨセフの名が記され、このマリヤからメシヤと呼ばれるイエスがお生まれになった。17節アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン移住まで14代、バビロンに移されてからキリストまで14代になります。七は完全数でその倍の14はより完全を表します。マタイの系図・イエス様を律法によるダビデの王位継承者と記しています。ルカのそれは実際の肉親関係の系図を記しているのです。

 マタイはヨセフ側の系図を述べ、続いてヨセフ側からの立場で処女降誕物語を展開しています。18節〜25節に述べられているのが先に述べたイエス様をマリヤの不貞の子とするユダヤ人達の誹謗に対してヨセフを通してのマタイの答えです。

【歴史と私の中へ】ガラテヤ4章1節〜11節

11月27日

 メソポタミヤでは粘土板に楔形文字(BC3500年頃)が書かれていた。考古学者達が発掘した文書の中に、BC7年に土星と木星が合(重なって大きく見える)が5月20日、10月3日、12月4日の三回あることを予測していた。ドイツの天文学者ケプラーが1603年クリスマスの少し前に土星と木星の異常接近がまるで一個の大きさの星のようになることを発見しました。他の天文学者たちもBC7年にそれが3度にわたって起きている事を発見しました。これがベツレヘムの星です。

 バビロニアの学者達が大きな星のたび重なる出現に驚いて、はるばるパレスチナへと旅しエルサレムにヘロデ王を尋ねたのです。その他聖書の記事や歴史上の出来事と照らし合わせるとイエス様がキリスト(油注がれた者・救い主)としてBC7年ベツレヘムに誕生なさったことは現在では通説になっています。

 教会暦は、Xマスの4週間前の日曜日(アドベント・待降節)から始まり、キリストの誕生を待望し、主をお迎えする準備をすることがアドベントなのです。日本では西暦と表記しますが、この暦を作ったのはディオニシウス・エクシグスがAD533年に発表したものです。聖書に出ている人物の年代など手落ちがあったり、紀元0年を失念していたりなどで主イエス様の誕生の年は現在までの研究によって先にのべたようにBC7年が正しいようです。

 このときから主の誕生年を基準として歴史の年代が定められました。イエス様の誕生日前をBC(before Christ)としご誕生以後をAD(ラテン語Anno Domini主の年)としました。即ち主の誕生年で歴史をわけたのです。神のお一人子が人類の真ん中にお出でになった事を語っているのです。

 キリスト誕生の年としたのは偶然とか便宜上から来たのではありません。今年は中国では孫文が起こした改革百年を記念して辛亥革命を祝いました。皇帝が即位するとその在位中年号を定めます。明治、大正、昭和、平成などのように、これは日本だけしか通用しません。中華民国暦は孫文が大統領になった年から数えて百年目です。これは台湾だけに使われています。主の年ADは歴史の中にキリストがお出でになった事実ですし暦の中心がこの事実をかたり世界全体に通用するものとなっています。

 国が興り、滅びます。王が即位して栄華を誇っても革命で追われたり殺され年号と共に去ります。確かにベツレヘムの馬小屋に子供が生まれたことは羊飼いのほかには誰も知らなかったのです。もし有名人の子供でしたら生まれた年ぐらいは誰かが覚え記録されていたでしょう。しかし4章4節「時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」。これは当時の世界では小さな出来事でした。

 しかしこの幼子の誕生を歴史の中心であると信じる人々がおこり、それを事実として受け取り救いと光が与えられました。私自身は死よりほか選択のないどん底の人生の中で主との出会いを経験しました。私の人生のBCからADへと主が私の中に誕生してくださったのです。ガラテヤ4章19・20節「私はキリストと共に十字架に死んで・・・キリストが私の内に生きておられるのです。・・・・」 皆様の現在はBCの状態でしょうか イエス様をキリスト・救い主と告白してイエス様をご自分の中にお迎えしているADでしょうか。

【新しい天と新しい地】黙示録21章1節〜8節

11月6日

 10月31日はルターによる宗教改革記念日です。またハローウィン万霊節は聖徒の日の前夜祭です。中世欧州では煉獄(カトリックの死亡者がいる所)から霊魂が一時的に開放され地上に戻る日とされ、カボチャでランタンを作って墓地に置いたアイルランド由来の迷信です。この日にカトリック教会では聖人の遺物が展示されました。これをルターは偶像としてこの日に宗教改革ののろしを上げたのです。プロテスタントでは11月の最初の日曜日を聖徒(主にあっての死者は聖徒であり、既に神のみ手のうちに抱かれている)たちを記念して礼拝の中で記念会を行います。

 私達は今朝先に主の下に行かれた兄弟姉妹方を偲び懐かしい思いを新たにこの記念式を執り行っています。三沢史郎兄、水口虎三師、安斉司郎兄、量美根姉、福島美智子姉、工藤珠子姉、原祥治兄、石井千代子姉、深佐房枝姉。遠藤善教兄、深佐好恵師、遠藤うん姉、中村安雄兄、佐川春男兄、水口ミキ師、財部実美師、深佐新太郎師、中村力造兄、高木辰彌兄、本田愛子姉、津田卓兄、私は在りし日の皆様の信仰生活が一つ一つ胸に湧き上がってきます、新しい天のエルサレムは「神が聖徒と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり。彼らの目の涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きもない。最初のものは過ぎ去ったからである」黙示録21章1節〜4節神の国エルサレムの一端です。

 ルカ16章19節〜31節主イエス様は二つの物語を融合されています。この様な例え物語はルカの中にいくつか見ることができます。どれも大事なのは最初の物語のどんでん返しとなった最後のものが重要なのです。金持ちの思いやりのなさとか貧しい人の忍耐深さなどが問題ではありません。確かにアブラハムが言うように「・・・お前は生きている間によいものを貰っていたが、ラザロは反対に悪いものを貰っていた。・・・」でした。金持ちは5人の兄弟にこの苦しみは味わさせたくないから、ラザロを遣わして生活を悔さめさせて欲しいと願いますが、アブラハムの答えは「モーセと預言者の言葉(神のみ言葉)に耳を傾けなければ無理なことだ」でした。

 マルタとマリヤの弟ラザロが主のみ手で蘇った時、多くの人は信じないで、むしろ指導者達は主を殺すことの相談を始めています(ヨハネ11章)。聖書の述べる神のみ言葉を無視することは奇跡的出来事を見ても神を信じることは不可能だと述べているのです。

 キリスト者は親しい兄弟姉妹方としばしの別れをしで、再び神の元で会うことができるのです。聖書を通して神との出会いを経験してください。主を知らず聖書も見ないで死去なさったかたはハデスαδη(黄泉の世界)において救いの手があるかもしれません。

 ラザロと5人の兄弟のようなことにならぬようにと主は語っておられます。ルカは13章〜19章において神の国について話されていますが、16章の富める人と貧しい人との例えが要であることに目を向け耳を傾けてください。そしてモーセと預言者の言葉即ち聖書を信じて神の民に加えられ、懐かしい方々と再会いたしましょう。

【3人の友とヨブの独り言】ヨブ記2章11節〜13節

10月30日

 ヨブは財産を失い、愛する10人の子供を奪われたが、彼は「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名は褒め称えられよ」罪を犯さなかった。又サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。彼の妻はその瀕死の重病を見て余りの酷さに「・・・神を呪って死ぬ方がましでしょう」と言った。ヨブは答えて「お前まで愚かなことを言うのか。私達は、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」彼は唇を持って罪を犯さなかった。ヨブの妻に対する言葉はサタンに対する勝利の宣言です。

 彼の妻の立場から言えば、財産を失い愛する子供達を奪われ、一人頼りにする夫は重病で苦しんでいる。信仰とはこれほどの大きな犠牲を 強いるものなのか、信仰などは持たない方が幸福ではないか、信仰とは命がけで信ずる価値があるのだろうか。ヨブの信仰に巻き込まれた彼女の言い分は、妻の仮面をかぶったサタンの言葉と解しても良いでしょう。又彼を慰めようと来た3人の友の言うことも、ヨブに対するサタンの誘いの言葉ともいえます。サタンは敗北以後姿を見せません。

 友人に姿を変えているのです。友人達はお互いに連絡を取り合って遠方はるばるやってきてヨブを慰め励まそうとしたのですが、ヨブと見分けがつかないほどの心労と病気のさまを見て言葉も出ず彼の前に黙って座するほかなかったのです。第一と第二の試練において、試練の解釈と言う神学的な問題、彼の信仰について彼を悩ます対話者はいなかったのですが、三人の友が神学的対話者として現れると、これまでヨブの心の中に閉じ込められていた思いが噴出し、彼にとって第三回目の今までと違った試練へと入るのです。

 彼達は苦難の中にあるヨブを、神との正しい関係に立たせることによって、彼に確信と希望を持たせるとの目的を持って、遠くの国からやって来たのですが、ヨブの苦しみその悲惨さの故にその現象を把握できずお見舞いの言葉も発することが出来ません、ヨブと共に地面に座するのみでした。

 通常お見舞いに来た人がまず言葉を述べるのですが、想像を絶する苦しみの前に言葉を失ってしまったその時、3章原語では口を開いて答えたとなっています。友人達の沈黙に答えたようですが、内容は彼の独白です。

 1節〜10節は彼の心の底にあるわだかまる暗黒の深さをみることができます。3節「その日は闇となれ」これは創世記1章3節闇の中で『光あれ』神の言葉に対する挑戦のように感じます。それほど彼は暗黒に落ち込んでいたのです。

 11節〜26節なぜ(何ゆえ)ラームマー、が6回語られます。ヨブの嘆きは二つの「なぜ」11・20節に要約されます。一つはなぜ死んでしまわなかったのか二つ目はなぜ苦しみながら生きていかなければならないのかとの問いと言うよりも嘆きです。彼は苦しさゆえに死に対する憧れを驚くほど率直に述べています。

 光と命と言う神の賜物と神の僕の苦悩を如何に調和するかとの問いに如何に答えられるかでしょうか。25・26節はこの様な疑問の故に安らぎを奪われたヨブの姿を見ることが出来ます。友人達との対話でヨブの信仰、希望が明らかにされて行きます。4章以下で、対話の持つ力を見ることが出来ます。

【神に許されたサタンの試み】ヨブ1章6節〜21節、2章1節〜10節

10月16日

 旧約の三大詩篇は、詩篇、箴言、ヨブ記です。之は新約にない旧約の独特な文書です。三大詩歌のほかに哀歌、と雅歌は全部が詩です。その他散文の中の詩を集めるならば旧約の三分の一は詩文体で書かれていると言われるほどです。神の大いなる御業がなされると、被造物は之を褒め称えざるをえません、神がイスラエルを救われた時彼達の内に神を賛美する歌が生じたのです。その詩は神殿で歌われ、個人的なものも歌われてきました。

 ヨブ記はヨブほど「無垢で正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きてきた」。主の御前に主の使いが集まり、サタンもその中に来ました。6節〜12節までの神とサタンの対話は、読者には知らされていますが、ヨブと友人達には最後まで隠されているので、ヨブの苦難の由来は分からないでいました。ヨブ記を理解するにはこの部分は大事なものです。サタンは全地行き巡る主の目の役を負い、人間世界を行き巡り人の罪を訴えようとするのです。

 彼は神とヨブとの契約関係に目標をおき攻撃します。神はサタンに向かってヨブは神との契約関係で良き僕であることを語られたのです。サタンは9・10節「ヨブは利益もないのにヒンナーム(いたずらに、あに求むることなしに、いわれもなくと訳されている)神を敬うでしょうか」と答えていますが、ヨブは神に求めることがあるから敬虔な道徳的な生活をしているので。神はその代価として、ヨブ自身、家族・財産(神が与えた)の周りに垣を設け、それを守ったと三回も繰り返しています。

 それだけではなく彼の家庭がますます栄え豊かに成っていると言うのです。信仰的・道徳的な彼の生活は報酬を期待しているので、精神が生活を作るのではなく生活が精神を作るから毎日の食に追われている者には信仰は意味を成さないとヒンニムの一語が語りサタンの宗教観・道徳観が示されています。人間あっての神でありその逆はない、神を中心とする旧約の神信仰を否定するものです。

 サタンは神の許しを得て、ヨブの家庭と財産を奪うのです。12節〜19節僕たちの報告に対して、ヨブは21節「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う、主の御名は褒め称えられる」と言った。サタンの目論みはヨブの信仰に敗れました、2章1節〜10節サタンはヨブのことを報告すると共に皮には皮を、と申します。彼の肉体に苦痛を与えると、あなたを呪うでしょうと言って、彼を打つことを許されたが命を奪うことは許されませんでした。

 彼は出て行って、ヨブの頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。9・10節彼の妻は「どこまで無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったがヨブは答え「お前まで愚かなことを言うのか。私達は、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」彼は唇を持って罪を犯すことをしなかった、又もサタンの計画は崩れました。

 信仰と幸福は切り離せません。山上の説教で、心の貧しい人々は幸いである。悲しむ人々は・義のため迫害される人々は・・・・幸いである、生活の中ではこの様なことで幸いとは感じえません、例えば通常は病弱は不幸な事です。そこに信仰が入り込むと健康な時に知りえなかったこと見えてきます。ご利益的信仰を一概に非難できませんが真実の幸福とはヨブのような信仰を持つ事です。その真髄は難しいですが、友人達との対話より学んでゆきたいと思います。

【神とヨブその間に入るサーターン】ヨブ1章1節〜12節

10月2日

 旧約において第一にモーセ五書(創、出、レビ、民、申命)第二に歴史と物語(ヨシュア、士師、ルツ、サムエル、列王、歴代、エズラ、ネヘミヤ、エステル)第三に詩歌と教訓・知恵文学(ヨブ記、詩篇、雅歌、箴言、伝道コヘレトの言葉)第四に預言(イザヤ、エレミヤ、エレミヤ哀歌、エゼキエル、ダニエル、ホセア以下12預言書)39巻から現行の聖書は成り立っています。ヨブ記は内容的には詩歌ですが教訓・知恵文学も含んでいます。五書、歴史、預言は民族的な要素が強いですが、知恵文学は他の書と比べると個人的傾向が著しいです。特にヨブ記は個人の苦難、義人の苦難が主題です。しかし彼の背後にはユダヤ民族の苦悩があったのです。

 知恵文学において他の諸書と同じく神の啓示です。神から人間の方向へと貫かれてはいますが、それと共に神の啓示を人間がどのように受け止めるかに重点が置かれています。特にヨブ記においてそれを強く見ることが出来ます。この書がユダヤ教徒、キリスト者に重く見られているばかりか、一般の文学者や思想家に問題とされてきました。信仰の書、神義論として神学でも論じられるのみか、ゲーテのファウスト、ミルトンの失楽園、哲学ではライプニッツ、キェルゴールらの思想がこの書とのかかわりを持っている一例です。

 1章には第一、第二の試練について語られ1説には「ウツと言う地にヨブという人がいた」。ウツという地は今日のアラビヤの地であり、知恵の国として有名でした(列王記上10章)住人はエドム人でセム族であるからヨブもエドム人でして、セム族でしたがヘブル人でもユダヤ人でもありません。2章の後半に出てくる彼の3人の親友テマン人エリファズ、シュア人ビルダー。ナアマ人ファファル達もヘブル人から見ると外国人です。ヘブル人の名は意味があります。例えばアブラムは「高い父」モーセは「引き出す」 預言者のエリヤは「ヤーウエーは神」その弟子エリシャ「神は救い」の意味です。

ヨブ(イッヨーブ)については「憎まれた者」「愛された者」との解釈がありますが意味はハッキリしていません。このヨブは無垢な正しい人で、神を畏れ。悪を避けて生きていました。1節正しいはターム全くと訳し、傷も病もない完全な動物の献げ物を意味します。

之は祭儀的であり道徳を意味するものではありません。ヨブが神に対して素直であったとか、誠実であったと言う事です。神を信ずると言うことは、旧約では神を畏れると表現されていて、新約では神を愛すると言い換えられています。旧約では神を愛すると言う事よりも神を畏れることの方が信仰の根本的なものとなっていのです。ヨブの家庭は幸福な家庭でした。男の子7人、女の子3人、ヨブと妻を加えると12之は完全数・聖数で家畜も多数いました。以上は地上の場面です。

 天使達が神の前に集められ天上の会議が始められました。それにはサタンも加わっていました。サーターン(ヘブル語)には敵と言う意味もあり、人に対しても使われる場合があります。サタンには神に対する奉仕に定位置はなく、地上のどこにでも自由に行き、人間の弱点、欠陥等に目をつけ摘発暴露することが彼の任務でした。ヨブは正しいと褒めなさる神に対して、あなたが何重にも垣を廻らして守られているからだとサタンは反論してヨブを試みることを許されました。之がヨブの第一・第二の試みとなります。

【審判の日来る】マラキ3章13節〜24節

9月18日

 17・8才の頃、(ダンテの神曲)、ミケランゼェロが人生の苦しみと不正への憤りを感じつつ(最後の審判)を描いたといわれる一連の絵画を見たり読んだりしました。

 その頃善を行って貧しい生活をしている者、芳しくない行為をして裕福に暮らしている者、生まれながらに差別のある社会の矛盾を感じ、神様は愛であるのになぜという気持ちがありました。そして死後の世界で善悪の裁きがあることは当然だと思っていました。そのとき私はどちら側にいるのだろうとの考えに愕然としました。旧約の十戒など守っているからと言っても不安でした。聖書は悔い改めて主に従えと説くが、どうしたらよいか分かりませんでした。その時水口牧師が、神に立ち帰れとマラキが述べていると教えてくださいました。

 3章6節〜12節、神から離れている自分を見出しました。その原因は罪でしたが、私の神に対する問いと言うより抗議は、丁度当時の人たちと同じ問いでした。どのようにして立ち帰ればよいのかです。神と隔てられているそれが罪だと示され善行が救いでないことに気づかされました。この悔い改めの警告を受け入れて、それ以来遵守しています。

 13節ひどい逆らった言葉を主に言っていたが、厚かましくもどんなことを言いましたかと開き直る有様でした。14節「神に仕えることはむなしい。たとえ、その戒めを守っても万軍の主のみ前を喪に服している人のように歩いても何の益があろうか。むしろ我々は高慢な者を幸いと呼ぼう。彼らは悪事を行っても栄え神を試みても罰を免れているからだ(しかし12節諸国の民は皆、あなた達を幸いな者と呼ぶ。あなた達が喜びの国となるからだと万軍の主は言われる)」

 19節〜24節主の日が来る。その日には生ける者も死ねる者もすべて再臨の主の前に立ち、最後の審判を受けるのです。「炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべて藁のようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。しかし、わが名を畏れ敬うあなた達には義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。・・・・・・」

 新約に入ると主もその日をお語りになり、多くの書簡も取り上げています。特にヨハネの黙示録には、裁きの様子、結果が詳しく述べられています。20章7節〜15節サタンの裁きその結果、死んだ者も命の書に書かれている者はそれに基づいて裁かれます

21章・22章には再臨の主と共に住む新しいエルサレムが美しく描かれています。 終末は必ず来ます。その日には善悪が裁かれます。マラキが語る言葉に耳を傾け毎日の生活を見直しましょう。祈りながら聖書通読、自分の出来る奉

【献げ物によって私を試みよ】 マラキ3章6節〜12節】

9月4日

 主はあなた達を愛してきたと言われたが、彼達はどの様に愛を示してくださったのかと反問します。神の民の道徳的宗教的退廃の原因は神の愛に対する誤った理解による不信でありました。その不信が群れの中に傷の無い完全な雄の動物を持ちながら傷のあるもの不完全な動物を、民も祭司も主に献げ不正な礼拝をささげているのでそれを主は受け入れられませんでした。

 そのような状況の時マラキは3章1節「主は使者を送り、主の道を備える。そしてあなた達が待望している主が突然、神殿に来られる。・・彼は(火によって)精錬をした金や銀のように汚れを取り除き、正しい献げ物をして真の礼拝をする主の日が来る」と預言します。それは新約にて実現しました。バプテスマのヨハネが主の道を整え、その道筋を真っ直ぐにする主の先駆者として来たり、その後主イエス様がお出でになりました。

 レビ記22章18節〜20節「献げ物は主に受け入れられように傷のない牛、羊、山羊の雄を取る。あなた達は傷のあるものを献げてはならない。それは主に受け入れられないからである」と述べられています。マラキの時代には傷物の献げものを民も祭司も気にせずにいたのです。民は1章6節〜8節「どのようにして御名を軽んじましたか」主はそれに対して『あなた達は、私の祭壇に、汚れたパンを献げておきながら、われわれはどのようにしてあなたを汚しましたか、と言う。・・・・・病気である動物を献げても悪ではないのか・・・・』祭司達も毎日の献げ物も値の安いものを購入して献じて神に対する敬虔さを失っていた。

 それらの事がやがて神殿の庭で、商人達と祭司達が手を組んで、商人達の手を経たもののみを祭司達は受け取り献げものとしました。ヨハネ2章13節〜22節穏やかな主イエス様が縄で鞭を作り羊や牛をすべて境内から追い出し、献金の両替人の金を撒き散らし、その台を倒し、はとを売る者達にすべて運び出すこと命じ、『わたしの父の家を商売の家としてはならない(たの福音書では強盗の巣とした)』と言われ宮清めを成された。これらの出来事はレビ記を知り、マラキの預言を信じていた人たちには理解できた事です。民達も遠路動物を引いてきて厳密な検査を受けるよりも、商人たちから傷物でも安く手に入れて祭司に犠牲の献げ物とするほうが楽でした。

 民達は神様の命令で神殿に収入の十分の一を献げる事になっていましたが、それを実行する民が少なく、神殿の礼拝にも差支えが出るようになってしまい、神に仕えることが産業と定められたレビ族は神殿を去って他の仕事を求めざるを得なくなりました。イスラエルの12部族は十分の一を神殿にささげることによって自分達の代わりにレビ族が神様の奉仕に専念できるように定められていたのです。

 民数記3章7・8節「彼らは(レビ族)アロンの共同体のために臨在の幕屋を警護し、幕屋の仕事をする。すなわち、臨在の幕屋にあるすべての祭具を守り、イスラエルの人々のために幕屋を守り、幕屋の仕事をする」ことを神はモーセを通して命じられています。

 マラキはこれらのことを正しい礼拝に戻すべく3章10節「十分の一の献げ物をすべて蔵に運び私の家に食物がある様にせよ。之によって、私を試してみよ・・・必ず、私はあなた達のために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう」と神様のお言葉を伝えます。次回はこの点を詳しく述べます。

【裁きの神はどこにおられるのか】 マラキ2章1節〜17節

 17節までに4回“契約”と言う大切な言葉があります。神と人との関係、人と人との関係を成り立たせる基盤としての契約は聖書の宗教の中心をなします。マラキはそれらが形骸化・空洞化されていることが当時の危機的状況を展開している重大な問題だと思っていました。

 2章1節〜9節。神がレビと結んだ契約を破棄した状況のもとで祭司達に命令が下されます。1章1節託宣(マッサー)宣告とも訳せます。之に習うように2章1節の命令はレビと結んだ契約を保つために宣告を伴った命令が下されるのです。もしこの命令を聞かなければ、祝福を呪いに変え、いや既に既に呪いに変えてしまいました。

私達は出19章5・6節、前ペテロ2章5・9節などに示されている万人祭司を信じていますので2章に述べられる警告は私達にあてられているものとして受け取って下さい。

 レビと結んだ契約は命と平和のためであり、神に対して畏れをもたらす(6・7節)ものなのです。祭司は神の真理を語らねばならなりません(8節)。「だがあなた達は道を踏み外し教えによって多くの人を躓かせ、レビとの契約を破棄してしまった・・・・・あなた達を民のすべてに軽んじられる価値なき者とした。あなた達が私の道を守らず人を偏り見つつ教えたからだ」 

 10節「我々は皆、唯一の父を持っているではないか。・・・なぜ兄弟が互いに裏切り我々の先祖の契約を汚すのか。11節・・・真に、ユダは主が慈しんでおられる聖なるものを汚し、異教の神を信じる娘をめとっている。」「主はもはや献げものが見向きされず、あなた達の手から受け入れられないからだ。あなたたちは、と問うている。それは、主があなたとあなたの若い時の妻との証人となられたのに、あなたが妻を裏切ったからだ。彼女こそ、あなたの伴侶、あなたと契約した妻である。・・・あなたは若いときの妻を裏切ってはならない。16節私は離婚を憎む・・・・あなた達は自分の霊に気をつけるが良い。あなた達は裏切ってはならない」

 あなた達は、自分の語る言葉によって主を疲れさせている。それなのにあなた達は言うどの様に疲れさせたのですか、と。あなた達が悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるとか、主は彼らを喜ばれるとか、裁きの神はどこにおられるのか、などと言うことによってである」

 自分達は神に従い律法を守っているとする彼達の不実、裏切りに対して3章1節、「使者を送る。彼は私達の前に道を備える。あなた達が待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなた達が喜びとしている契約の使者。見よ、彼が来る、」と万軍の主は言われる。

 イスラエル共同体の中でおおっぴらに不敬虔な者たちが主の目に良しとされるとか主に喜ばれるとか、皮肉を言っているが、彼らは自分の罪深さには無自覚・無感覚であることは棚に挙げての言い分です、彼達は神がいるとしても善悪に無関心な神であって正義を重んじる神はどこにいるかという気持ちを表しているのです。これら彼らの傲慢な心から起きているもので、その根底には神の愛に対する無理解があるのです。次回は彼らが神に帰る道を述べます。

【平和の福音を喜ぼう】 イザヤ52章7節〜15節

 私には忘れられない66年前の1945年8月15日です。14日夜班長14名が中隊事務室に集められ明日は陣地守備とトンネル陣地構築は休み。正午に天皇直々の放送で命令が伝達されるので完全武装で集合と中隊長から伝えられ解散しました。玉砕命令かな等話し合いつつ内務班に帰りました。分隊長全員集合とて隊員は何事だと緊張して待っていました。彼達に命令を伝達しました。

 翌15日正午、予想外の晴天霹靂です。それは昭和天皇の詔勅で敗戦が告げられたのです。私は今までの苦しみはなんだったのか、日本国はどうなるのかなど考えているうちに悔しさで涙が流れ全員涙にくれていました。台湾軍司令官の命令があるまで持ち場を離れるな、徹底抗戦の準備を怠るなと部下の気持ちを引き立てよとのことでした。しかし夜になると山上から見る家々は灯火管制が解除され明々としていて戦争の終わりを告げるようで、之で生きることが出来ると内心ほっとしました。翌年3月復員船は瀬戸内海に入り雪景色の中緑の鮮やかさに国敗れて山河ありと将来を考え身震いしました。

 天声人語によると琉球諸島の周辺を航海した英国軍艦が、帰途、セントヘレナ島へ寄港した。艦長からナポレオンは沖縄には武器が無いと聞いて驚き、「武器が無くてどうやって戦争するのだ」「いえ、戦争と言うものを知らないのです」「太陽の下、そんな民族があろうはずが無い」との話を述べていました。沖縄では自分の身を守るために武器を使わない空手術が広がったと言われます。

 私は戦争を経験して平和と言うものがいかに、人々を幸せにするか痛感します。戦争をする場合、指導者は必ず自分達は正義のために戦うと言います。聖戦という名の下に一般民を虐殺します。軍隊と言う組織は国を守るという大儀名分の下、まず自分達を守ります。世界のどの軍隊も当然として自分達を守りその結果国が守られると確信しています。

 第二次世界大戦は、広島・長崎への原爆投下で多くの悲惨な犠牲者を出して終わりを告げました。原子力は平和の力と破壊力の両刃を持つものです。人知を持って制御しなければ牙をむき被害の甚大さは広島・長崎の原爆、福島原発事故が物語っています。私は大竹に上陸して東京に向かう途次,広島に1時間余り停車した折ホームから一面焼けたただれ緑も無い広島の悲惨さを見て胸を痛め、絶対に戦争はしてならないと思いました。そして敗戦の9月末頃?の内閣声明の平和宣言の中にイザヤ書2章4節『(主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる)彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。もはや戦うことを学ばない』が引照されていることに改めて強く感銘を受けたことを今でも鮮やかに思い出します。

 旧約ではシャロームとメヌーカー(・歴代22章)が平和を意味します。シャロームについては聖書研究会にて詳しく学ばれましたが、一言で言いますと私達の生活の全領域にわたって、神様の御意志に基づいた真の望ましい状態を指します。真の平和は神様から与えられるものです。

 新約時代の教会において、ユダヤ人が待望しているシャロームは、神様の救いとしての真の平和が人間イエス・キリストの十字架によって神との敵対関係から和解へと導かれました。同時に、それに基づいて神様との間のみならず、人間相互間の平和が与えられたのです。当時のパックス・ローマナの見せ掛けの平和とは一線を画するものです。

【神の愛を巡って】 マラキ書1章1節〜14節

 旧約の大預言者はイザヤ・エレミヤ・エゼキエルこれらにダニエルを加えます。それ以外に12小預言書の預言者がいます。これらの預言者の最後にマラキがいます。旧約はこれらの預言者の説教の集大成で終わります。預言者とは、神の言葉を語るために神によって呼び出された人々です。マラキとは「わが使いの者」と言う意味です。マラキの預言の特徴は神と民の対話、そしてその間を取り持つ仲保者としての預言者マラキがいる事です。神と民の間には内容的には対話が出来ない断絶状態であったので、この断絶に橋をかけることが彼の役目でして、新約の主キリストが神と罪人の仲保者となられた模型でもあります。

 対話は多くの場合、神の側からあります。それに対して民は「どのように」とか「なぜ」「どんな事をあなたに言いましたか」と反抗的な反問が3章と言う短い本書に8回も民からあがっています。彼達の行為がこの様な不信の言葉として表現されたのではのではないでしょうか。  律法を遵守する努力をして神に従っても報われず。富める者は自分の利益のみを計り、経済上の利益を計算して異邦人の女をめとった、そのために若い頃から苦楽を共にしたユダヤ人の妻を離婚することまでした反教的な人々は豊かになり、多数の民は貧困の状態にありました。

 その様な状況の中で公然と律法を無視する者、ある者は彼らに反感を持ちつつも、それらの者達が豊かになることに苛立ちを感じていた。それらの者達は主に忠実だと自任していても、神は少しもそれに報いてくださらないことに疑問を覚えていた時に、マラキが神よりの答えを受けて預言をしたのです。

 問題は神の側にあるのではなく、民の側に三つの問題があったのです。1)神の愛について、2)神の正義について3)敬虔は現実の生活にどんな価値があるか。これらの疑問は忠実に主に従っていると自任する人々の中にあったのです。

 1節神の愛について神はあなた達を愛してきたと言われる。しかし、あなた達は言う、どのように愛を示してくださったのか、マラキは神の民の道徳的宗教的退廃の根本は神の愛に対する不信にあり、その不信の原因は神の愛についての誤った理解にあると言うのです。愛している(ヘブル語アーヘーブ)は新約の愛(アガペーαγαπη)にあたります。

どのように 人間の期待する愛を求めることはすでに不信仰なのですが神は不信を咎めず。エサウとヤコブの例を示されます。エサウはヤコブの兄、長男であることは当然相続者であると言う有利な立場であるが、神が選ばれたのはヤコブでした。神の選びの愛は人間の思いをはるかに超えたものです。ヤコブを族長として選ばれたことは多くの民の中から小さなイスラエルを選ばれた神の愛だと彼はのべるのです。この選びの例としてあげると、エジプトの奴隷からの救出、十戒を与え救いへの道筋を作られたのです。そして神は民と契約を立てられたのです。之は皆人知を超えた神の愛によるのです。然るに神に従っていると自負する人たちから、どのようにして愛されたかと反問が出るほど民の不信仰は根深かかったのです。神のご計画の奥深さを改め知り、神の全き愛はキリストの十字架を期待するのみでした。

【箱舟による救い】 創世記7章6節〜23節

 文明が拡大され歴史の進展は、そのまま罪の影響の拡大と、その深刻さを進展させました。アダムの長子カインは弟アベルを殺した最初の殺人者です。神様はアベルの代わりに男の子を与えセトと名付けられた。彼に男の子が生まれた。彼はその子をエノシュ名付けた。その時から主の御名を呼び(祈り)始めた。アダムの6代目にエノクが与えられた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。文明が拡大され都市化が進み生産手段の発達によって生活手段が上がったが、宗教・道徳・学芸などの精神的所産としての文化は人間の技術的・物質的所産の文明進展によってないがしろにされました。

 6章1節〜22節人の創造における神様のご計画は『あなた達は産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ』九7であった。残念なことに神様の祝福が即ち地に増えることが堕落による罪の増大となりました。5〜6節神様は地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって心を痛められた。

 ノアは神に従う無垢な人であった。彼は神と共に歩んだ。彼はエノクのように神と共に歩んだのです。その彼に神様はご自分のご計画を告げられます。罪の現実を神様は見過ごすことも、放置もなさらず、神様の厳粛な裁きが語られ、彼と家族が救われる道を示されます。それは信仰がなければなしえない事でした。

 神様はノアに言われた『あなたはゴフェルの木(糸杉)の箱舟を造りなさい。・・・17節私は地上に洪水をもたらし・・・・すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。・・』『私はあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁達と共に箱舟に入りなさい・・・21節』ノアはすべて神が命じられたとおりに果たしました。

 箱舟の建設について大きさは示されていますが、建築方法は示されていません。道具も機械もろくに無い時代です。恐らく山の中腹で真っ直ぐな糸杉を切り出し、家族で組み立てたのでしょう。常識として川の傍で船は作られるべきです。しかし神様の命令は当時考えられない大きさでした。それも人々が考えられた船頭が操るものではなく。波のまにまに流される箱舟です。この奇想天外の建設命令にノアは従ったのです、当時の人々には実に滑稽な出来事で笑い者にされた事でしょう。神様の命令に従うことは現在でも周りの人々から笑い者にされる事もあります。

 ノアは信仰を強く保持していたのです。彼は神様の命令を受けた時から箱舟は出来ると信じ、神様の御言葉通り実現することを信じていたのです、箱舟はどの様に進むか分かりません。神様にすべてをお委ねする事です、もし箱船でなかったなら、アララテ山上で転覆していたでしょう。神様のご計画は人間のそれに超えたもので想像以上のものです。

 私は今心を痛めつつ幾つかの問題を抱え祈っています。私はエノクやノアのように神様に従う生活が出来るように祈り、ヘブライ11章1節『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです』を信じ、彼達のように神様から祝福を受けたく望んでいます。旧約の箱舟の救いは新約において十字架を信じて救われることをあらかじめ教示されたものです。

【イスラエルの人々に語る神の言葉】 出エジプト19章1節〜9節

 イスラエルの人々はエジプトを出でて三月目シナイの荒野に着きました。モーセが山に登って行くと、主は彼に語りかけました。3節〜6節『・・・今、もし私の声に聞き従い 私の契約を守るならば あなた達はすべての民の間にあって 私の宝となる。・・・あなた達は、私にとって 祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である』8節民は皆、一斉に答えて「私達は、主の語られたことをすべて、行います」と言いました。

 二月戻って16章1節〜23節イスラエルの人々の共同体(ヘブル語カハール、70人訳ギリシャ語エクレーシア、ドイツ語ゲマインデORキルヘ、英語チャーチ)はインの荒野に着きました。共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べた「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだほうがましだった。あの時は肉の沢山入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに、あなた達は我々をこの荒野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」と言いました。

 モーセとアロンは神様の言葉を語った「夕暮れに、主があなた達をエジプトの国から導き出されたことを知り、朝に、主の栄光を見る・・・あなた達が主に向かって述べた不平を聞かれた。・・我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ」とモーセは言いました。

 12節『私は彼らの不平を聞きました。・・・・〔・・あなた達はこうして、私があなた達の神、主であることを知るようになる〕』と伝えた。夕方になると鶉が飛んできて、宿営を覆い朝には宿営の周りに露が降りました。露が蒸発すると大地の霜のように残っていました。彼達はそれを見て之は何だろう(マンフー)と言いました。それがマンナそしてマナとなった。之こそ主が与えられた食物としてのパンでした。うずらは普段余り飛ばないが 3・4月ごろ季節風に乗ってアフリカからヨーロッパへ移動する際今のイスラエル海岸付近を通ります。秋になると太ったうずらは逆に北から南に帰ってきます。丁度このとき風に吹き流されて疲れきった鶉が宿営を覆うたのです。神様のタイミングの良さは驚きです。ここに自然現象と神の奇跡的要素を見ることが出来ます。

 民数期11章、翌年の同じ頃のことが記されています。神様の恵みと必要を満たしてくださることを経験しながら又も奴隷の時が良かったと不平を述べます(2節〜6節)。怒りを発せられた主に対してモーセのとりなしによって31節の出来事が述べられます。鶉が何故宿営を覆うたのか自然現象を主が動かされたことが描き出されています。ここで30数年間の鶉の干物か塩漬けが出来たのでしょう。神様のご計画の奥深さを知らされ、いろんな問題にぶつかるたびに大きな励ましを受けます。

 出エジプトのいろいろの出来事は現在の私達の問題と形が違っても民の感じた問題、今の私達の日常生活の中で経験することと変わりはありません。それだけに生活問題を乗り切る秘訣を多く発見できます。イスラエル共同体の荒野での40年間の生活は信仰訓練でした。私達の生活も信仰生活の訓練が多いことを改めて知り、祈り特にとりなしの祈りの大事さを強く教えられます。

【荒野での共同体に対する訓練】 主エジプト16節章1〜24節

 イスラエルの共同体は前面には海が広がり、後ろからはエジプトの精兵が迫ってきた時、民はモーセにいいました。「我々を連れ出したのは、エジプトには墓が無いからですか。荒野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、〔ほうって置いてください。自分達はエジプト人に仕えます。荒野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです〕と言ったではありませんか」十四章11節。奴隷から救い出して欲しいと、うめいていた彼達を、心かたくななパロから十の奇跡を持って、救い出されたばかりの主に対する呟きです。これからの生活でこの様な不信仰は十回見られ、40年の荒野での訓練を経て、ヨルダン川を渡り約束の乳と蜜の流れる地へと入りました。

 15章22節〜葦の海から三日進んでマラに着いたが水がありませんでした。そこの水は苦くて飲めなかったのです。彼達は早速不平を言いました。モーセが主に向かって叫んだ、主の命令どおり木の枝を投げ込むと水は甘くなりまし。そして主はモーセに掟と法を授けました。26節『・・・主の命令に耳を傾け、すべての掟を守る ならば、エジプト人に下した病をあなたには下さない。私はあなたを癒す主である』

 エジプトを出て一月目にシンの荒野に入ると共同体全体がモーセとアロンに「・・・主の手にかかって死んだほうがましだった。あの時は肉の入ったなべの前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに、・・・・」主はモーセに対する不平をご自分に向けられたとされ、朝はパン(彼達は一体なんだろう[マンフー]と言ったのでマナと名付けた)を与え、夕方になると、鶉が飛んできて宿営を覆いました。朝には露が降りて蒸発するとマナ(パン)に成りました。之はヨルダン川を渡るまで40年間続きました(35節)。

 (17章1節〜15節)水が無いとまた同じような不平を言い、モーセを石で打ち殺そうとしました。モーセが手にする杖で岩を打つと水がほとばしり出ました。モーセの杖は神様の力を象徴するものであり裁きをもたらすものであったのです。モーセ五書は岩と言う語を多く使用するがキリスト・神を表したものです。民は荒野で十度も神様を試み主の声に従わいませんでした(民数記14章22節)。モーセに反抗しつぶやくことは主に対してなされた事です。

 アマレクが来てイスラエルと戦いました。戦える男子の中から選び出された戦士を引き連れてヨシュアが戦い、モーセは神の杖を手に持って戦場を見渡せる山の上で両手を天に向けて上げているとイスラエルが勝ち、手を下げるとアマレクが優勢に成りました。杖を高く山の頂で上げるとその主の旗印は今までの神のみ業を思い出させました。モーセが両手を挙げて祈ることは執成しの祈りを意味します。アロンとフルは両側からモーセの手を支え日の沈むまで、手はしっかりと上げられ、イスラエルは大勝しました。

 イスラエルの共同体は困難に遭うたび主の恵みの数々を忘れ呟きました。何故モーセのように祈らないのか、モーセの執成しの祈りがなければ彼たちの不信仰のため滅ぼされてしまった事でしょう。アマレクの戦いでモーセが主の旗・杖を高く上げての、モーセのとりなしの祈りがあるとき勝利しました。いかなる時にも主を仰ぎ見て祈ること、共同体(教会)のため兄弟姉妹のため執成しの祈りの大事さを示されて感謝あるのみです。

【モーセの召命】 出エジプト3章1節〜15節

 モーセの生涯を見ると神様のご計画、先を見通されての綿密なものであることに驚きを禁じえません。この事はキリスト者であれば自分の過去を振り返る時、あの事この事も主のみ手にある恵みであったと知り感謝せざるを得ないはずです。

 一章15節〜ニ章10節新生男児の虐殺命令から一人の男の子が葦の間の籠から王女によって救い出されモーセ(引き出す)と名付けられました。彼は40歳までパロの娘の子として最高の教育を受け、恐らく大勢の軍人を従え戦いも経験した筈です。彼はエジプト人がヘブル人を打っていたのを見て、そのエジプト人を打ち殺して砂に埋めました。パロはモーセを殺そうと尋ね求めたので、ミデアンの地へと逃れ祭司エトロの娘と結婚し、彼の羊の群れを飼っていました。

 モーセを追及していたエジプト王が死に、イスラエルの民は過酷な労働の故に神に助けを求めました。二章24・5節「神はその嘆きを聞きアブラハム達父祖との約契を思い起こされました。・・人々を顧み、御心に留められた」モーセは羊の群れを追って神の山ホレブ(後に十戒が与えられた)へ来ました。柴(アカシアの木)が燃えている不思議な光景を見届けようとしたそのとき、『モーセよ・・』と呼びかけられました。彼は「ここにいます(ヒンネニー)」続けて『・・足から履物を脱ぎなさい。・・聖なる土地だから。私はあなたの祖先の神である』と言われたので彼は恐れて顔を覆いました。主は苦しむ民の声を聞きました。彼達を素晴らしい乳と蜜の流れる土地に導き上る・・・今すぐ行きなさい。(40年前のモーセではなく荒野で霊的訓練を受けた今)彼はエジプトから逃れての40年自分の弱さ不信仰を自覚させられたので神様の任命の前に11節と言わざるを得ませんでした。

 弱さを告白する彼(エジプト王家の力を熟知している)に『私はあなたと共にいる(エヒエー)・・私が遣わすしるし(インマーク)である』彼はイスラエルの民が遣わした方の名は一体何かと問うでしょう。民はあなたに何と呼びかけるかとの問いかけです。主は『・・・私はあると言う者だ(エヒエー・アシェール・エヒエー)だ』と言われました。この神名は「私は存在していた」「私は存在している」「私は存在を続けるであろう」を意味します。この言葉からヤーウエーと神様の名を示す言葉が出ています。

 モーセは神様に逆らって、しるしを求め、「口下手だからほかの人を遣わしてください」と言う彼に怒りを発して言われた『あなたには雄弁な兄アロンがいるではないか。今彼はあなたに会おうとして、こちらに向かっている。彼に語るべき言葉を彼の口に託すが良い・・・』神様はすべての人の長所と欠点をご承知で用いてくださいます。     

私もイエス様との出会いを経験した時、生涯をささげて従いますと誓ったのですが、敗戦になり帰国した時、口実を作って主との約束から逃げ回っていました。結婚することとなってこれで家庭に責任が出来たので、このまま働けばよいのだと安心して一月たちました。母と妻が突然牧師になると言っていたことに協力するから聖書学院に入学したら、の言葉が青天の霹靂で情けないことに逃げる口実も見出さず、献身する破目になりました。しかし之が神様のご計画であったことを元住吉の開拓伝道で知る事になりました。戦争の事も教育に携わったことも結婚も開拓伝道もすべて私の信仰の霊的訓練、実践であった事、家族に犠牲を強いた事、兄弟姉妹方の祈りと支えが在った事等が今の私を作り、ここに元住吉教会が存在できたと感謝しています。

【救いときよめ】 出エジプト14章5節〜31節

 出エジプト記に見られるイスラエル民族の歩みは、私たちキリスト者の歩みの見本であり教訓であり警告であり又励ましでもあります。彼達はヨセフの事を知らない王によって奴隷とされ圧迫を受けていました。苦しみあえぐ彼達は神様に助けを求めました。神様はこの事を予知され、モーセを引き出し、王女の息子として40年間を最高の教育訓練を成され、次の40年間はミデアンの砂漠の地で祭司エテロの羊飼いを成しながら霊的訓練をつんだモーセを遣わされ、民を奴隷から救われ、約束の目的乳と蜜の流れる地を目指してエジプトを脱出させられました。

 神様はモーセを通して十の奇跡を持ってかたくなな王を説き伏せて彼達は急遽エジプトを脱出しました。民が逃亡したとの報告を受けた王は奴隷としての民を失ったことを後悔して、戦車や軍隊を動員し、意気揚々と出ていったイスラエルの人々の後を追いました。宿営している彼達に軍勢が迫るのを見てモーセに「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか、・・・・・荒野で死ぬよりエジプト人に仕えるほうがましです(奴隷のほうが良い)」奴隷から解放されて意気揚々と出てきた彼達の言葉です。この不信仰なかれらに神の業をお見せになるために、彼らを導く天使が昼は雲の柱夜は火の柱をもって導き、近道を通らず、葦の海に通じる袋小路になる荒野の道に迂回させられたのです。神のみ使いは移動して後ろに立ち、両者の間には真っ黒な雲が立ち込め近づくことが出来なかった。パロ軍は闇の中、イスラエルは光の下にいたのです。

 モーセが手を海に向かって差し伸べると海が二つに割れたたので乾いた地をイスラエル人は進んで行きました。パロの軍勢は後を追って入っていったが、神様は戦車の車輪をはずし進みにくくされました。神は自然現象をここで用いられ二百万人余りのイスラエル人を救い、モーセが神様のご命令で再び海に向かって手を差し伸べた時水が元に戻りパロ軍は全滅し、民は救われました。いわばイスラエルは水のバプテスマにあずかり、選民として救われた証を立てることができたのです。モーセと民はヤァウエの救いの業を賛美しました(15章)。

 彼達は救いの経験奇跡を多く受けたにも拘らず、主の御意志に逆らいます(民数紀3章)。神様に命令により12名の斥候がカナンの地に遣わされました。彼らはその土地の果物を見せ、そこは乳と蜜の流れる地でした。しかしそこは難攻不落の都市で住民は強い・・動揺する民をカレブは静め、断然上るべき・・とモーセに進言したが、悪い情報に民は組し神様に反しました。神様は『・・偵察した40日の一日を1年として荒野にて40年間罪を負い20歳以上の者はカレブとヨシュア以外は約束の地に入れない・・』とモーセを通して言われた。かくしてイスラエルの共同体は荒野の40年の信仰の訓練に入ることになりました。

 40年後モーセが120才で死んだ後共同体の民は約束の地を望む所に至りました。『・・民とヨルダン川を渡って約束の地に行きなさい。・・強く雄雄しくありなさい(ヨシュア記1章)』。と主はヨシュアにいわれました。ヨルダン川の水は堤を超えんばかりに満ちていたが主の契約の箱を担ぐ祭司達の足が水際に浸ると、川上から流れる水はせき止められ、契約の箱を担いだ祭司達が干上がった川の真ん中に立っているうちに民はみんな渡り終えると、主の箱と祭司達は民の先頭に立ちました(3章・4章)。

 出エジプトが第1の救いであり、ヨルダン川渡渉が第2の回心きよめの恵みです。

私達は水のバプテスマに預かり、十字架の血潮に洗われてきよい者とされ、神様に選ばれたものとして、きよい神様の前に立つものとされるのです。

【自分を捨て主に従う】 ルカ9章21節〜27節

 予科3年の倫理学の課題が「僕の人生」でした。私はルカ9章23節〜25節『人もし我に従い来たらんと思わば、己を捨て、日々おのが十字架を負ひて我に従へ、おのが命を救わんと思う者はこれを失ひ、我がために己が命を失ふその人は之を救はん。人、全世界をまうくとも己を失い己を損せば、何の益あらんや』のみ言葉を中心として人生論を展開しました。日を経て、研究室に本を借りに行った折、教授が「おい、深佐お前はクリスチャンか」との問いかけに驚いて「はい、そうです」と答えたところ、「私は父が早く死んで、母が女子大学の教授をしながら私を学校に行かせた。熱心なクリスチャンで、母の勧めで中学5年までは日曜学校、礼拝に出ていたがその後はご無沙汰してついに信仰は持てなかった。君も母だけだと聞いている。お母さんを悲しませたらいかんよ」と言われ粛然としたことは今も忘れられません。

 (マタイ16章13節〜27節)イエス様が御自分のご受難を弟子たちに打ち明けられた時ペトロは主をいさめ「主よ、とんでもない事です。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた『サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている』それから弟子たちに言われた。『私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい・・・・人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。・・・・』  16節で「あなたはメシア、生ける神の子です」とペトロが信仰告白をした際、『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。・・・・・私はこの岩の上に(信仰告白)教会(エクレーシアεκκληασια選ばれた者たちの集まり)を建てる。・・・・』このときから、長老、祭司長、律法学者達から多くの苦しみを受けて殺され、三日目に甦ることを述べ始められた。そこで先ほどのペトロの人間的愛また彼の善意が神様の計画を邪魔するサタンと退けられたのです。主は人間的幸いを捨て十字架に直進されました。

主は私達にのみ自分を捨て己が十字架を背負って従えと命令されたのではなく、ご自身が人々の罪を十字架へと負われて進まれたのです。私達が自分の命を救おうとして信仰を捨てることは真の命を捨てることになります。私達は時として人間の名利名誉を求め、欲心に従って自分の命を滅ぼしてしまいがちです。それで何の得がありましょうか、その命は全世界をもってしても買い戻すことは出来ません。ここから人の命は世界よりも重いという言葉が生まれたのです。

しかも、最後の審判の日は必ずやって来ます。その際キリストと私・あなたの関係が問われます。キリストの十字架が誰のためであったか応答が求められます。その日人は救いと滅び。天国と地獄の報いに二分されます。

私達が主イエス様の弟子になり神の子とされるには自分を捨て、誰でも持っている自分の十字架から逃げることをしないで、日々自分自身の十字架を背負って模範を示された主に従って行く事です。

【成し遂げられた】 ヨハネ19章28節〜30節

 主の天使が夢に表れて言いました。マタイ一章20節「ダビデの子ヨセフ、・・・マリアは男の子を生む、その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。・・・(見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエル{神が我々と共に居られる}と呼ばれる)」イザヤ七章14節の預言の通り神の御子がこの世においでになりイエスと呼ばれました。

 イエス様の十字架上の七つのお言葉は四つの福音書に散らばっています。御言葉の順序では無く、その一つ一つの意味に注意すべきです。しかもその御言葉は釘付けられ肉は裂かれ血が流れている苦痛の中で語られておられるのです。その中の幾つかは、旧約の言葉です。私達も常日頃から聖書に親しんでいなければ、非常時に力にはなりません。

 ヨハネ一九章26節 イエス様は十字架上から母を弟子に、又、弟子を母に結びつけ聖徒の交わりの中に入れられました。この交わりは血肉によってつくられるものではなく、主のみ言葉によってつくられたエクレシア(信仰の共同体)の始まりです。主は母が愛弟子に引き取られたのをご覧になりました。そして、エクレシアを聖霊に委ねられて御使命の罪の贖いの業へと進まれるのです。

 私達が神様の前で叫ぶ声を主は身代わりとして叫ばれました。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ、わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』マタイ二七章48節、詩篇二二篇1節。主は、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』ドウフォーδυφω。と言われ詩篇六編91節 こうして聖書の言葉が実現しました。そして、人々は酸いぶどう酒をいっぱい含ませた海綿ヒソプにつけ、口元に差し出しました。主はこのぶどう酒を受けると、『なしとげられた、テテレスタイτετελεσται』と言い、頭を垂れて息を引き取られました。

「テテレスタイ」は文語訳では『事終わりぬ』口語訳『すべてが終わった』共同訳『成し遂げられた』となっています。神様の救いの業がイエス様の十字架の死によって、主が神様から託された使命を成就なさりすべてが終わったとの宣言です。この死の中で神御自身がご自分の力をもって出現し、活動されました。しかもそれは我々のためでありました。

 十字架の上で起こったことは、我々自身の上に起こる事です。主の十字架の死によって我々が救われ、神様の支配の下に連れ戻されされたのです。又この十字架の上で起こったことは、我々に代わって起こった出来事です。神様は我々人間に果たしえないことを我々のために代わってしてくださったのです。罪によるサタンの支配から神の一人子が取り除いてくださったのです。

 ヨハネは「御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである」(三章17節) とキリストのご生涯の意味を述べております。主のご降誕も死も復活も昇天もすべてが私達の救いのためですが、十字架がその中心であり頂点です。そして主は十字架の上でテテレスタイ使命はすべて成就しましたと神様に報告復命、又サタンに対する勝利の宣言をなさいました。

 サタンはペテロを利用してまで十字架の実現を阻もうともしました。主は『サタンよ退け・・・・』と叱責されるほどでした。主は十字架に向かう妨害誘惑を排除なさって我々の救いのために死に向かって前進なさったのです。

【執成しの祈り】 ルカ23章32節〜38節

 キリスト教は愛の宗教である事は多くの日本人に知られています。山上の説教を読んだ事のある方から、マタイ5章44節『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』とイエス様が言っておられるが、人間に実行不可能な要求ではないかと質問と言うより詰問されたことが何回かありました。それは43〜48節全体から見ないで44節だけ見ることからおきる疑問ではないでしょうかと、答えていました。

 イエス様はお言葉通り行動なさっておられます。ルカ23章26節〜38節「・・・そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた」そのときイエスは言われました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』。民衆は立って見つめていました。議員達も、あざ笑って言いました。「他人を救ったのだ。もし神からのメシヤで、選ばれた者なら、自分を救うが良い」。兵士達も侮辱して「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」十字架につけられている犯罪人達も、イエスをののしりました(マタイ27章44節)。自分を十字架に釘付ける者嘲る者達のためにルカ23章34節と父なる神様に執成しのお祈りをなさるのです。これこそ敵を愛する真実の愛のご行為でないでしょうか。イエス様に敵対して嘲り,侮辱する彼らのために父に執成しの祈りをされるのです。

『父よ。』主イエス様は、十字架につけられ、苦い杯の最後の一滴まで飲み干すことを命じられても、決して父なる神への信頼と服従を失いませんでした。その主が私たちキリスト者に『アバ父よ』と呼び求めることをお許しになり、『我らの父よ』と主の祈りを教えられました。 『彼らをお赦しください』執成されたのは直接十字架に関係した者だけではなく私達すべてです。何人もキリストの十字架の前に罪なしとは言い得ません。彼らと同じ罪を私もあなたも持っています。キリストが執成されたのは二千年前のエルサレムの彼らのみではなく十字架の前に立つ私とあなたです。

 こともあろうに38節十字架に掛けられている犯罪人の一人が「お前はメシヤではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と主イエスを罵りました。するともう一人の方がたしなめて「お前は神を恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに、我々。自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして「イエスよ、あなたが御国においでになるときには、私を思い出してください」と言いました。するとイエス様は、『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われました。

 主の執成しの祈りによって時をおかずに、主をあざけっていた犯罪者が謙虚に信仰告白をして罪の赦しを得ています。救い・回心は主との出会いで直ちに起こる場合と、私のように求めていながらも5年かかる場合もあります。私の場合は母や水口牧師・兄弟姉妹がたのとりなしのいのりがあったのです。

今震災のために多くの方がボランテアを希望されていますが受け入れられるにはいろいろと障害があります。ラテン語のボランテァス(volantas自由意志)が原意です。今私達にできることは自由意志を持って執成しの祈りをなし。出来る事を今行為する事です。

【陰謀に陥れられたダニエル】 ダニエル書6章1節〜15節

 バビロン王ペルシャザル王は父ネブカドネザル王がエルサレム神殿から奪った金銀の祭具で千人の貴族達と酒を飲み、偶像の祭日の宴会をしている時、攻め込んだクロス王の軍勢によって殺された(五章1〜29節)。王国を継いだのは、メディア人ダリヨスでした。その治下でもダニエルは高位についたので彼を妬んだ他の大臣や総督達が陰謀をたくらんで、彼を失脚させようと、政務に関し彼を陥れる口実を探しました。

しかし、ダニエルは政務に忠実で、何の汚点も怠慢も無く、訴え出る口実を見つけることが出来ませんでした。話し合って6〜9「・・・・勅令による禁止事項をお定めいただこうということになりました。向こう30日間,王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の穴に投げ込まれると禁令を出しその書面に御署名ください。これはメディアとペルシャの法律として変更不可能なものとなり、廃止することは出来なくなります。」ダリヨス王は、その書面に署名して禁令を発布しました。

 ダニエルは王の禁令は知っていたが、家に帰るといつもの通り彼の神に祈りをささげました。彼は神を礼拝すことを第一として、妥協することをしませんでした。そうする事によって、自分が獅子の餌食にされることは承知していました。それでも彼は王に仕えるよりも神に仕えることに忠実でした。彼達(ダニエルとメシャク等3人)は早朝・真昼・夕方にエルサレムの神殿の方向に向かってひざまずき祈りと賛美をささげることを習いとしていました(11節)。大臣達はダニエルが王の禁令を犯して、いつものように神に祈りをささげるかどうか様子を見に来て、その現場を見、王のところにやってきました。大臣のダニエルではなくユダヤからの捕囚の一人ダニエルと言っている事でも彼らの悪意を見ることが出来ますし、この段階で王も彼らの目論みがわかったのではないでしょうか(13〜15節)。彼達は王に法律を確認させてダニエルに不利になるように訴えました。彼達のダニエルを失脚させる計画は一応成功しました。

 (15節)王は悩みダニエルを助けようと心を砕き日暮れまで努力しました。万策尽きた時大臣達が王に処罰の実行を迫りました。王はダニエルに「お前が何時も拝んでいる神がお前を救ってくださるように」と言って、石を獅子の洞窟の入り口に置き、王は自分の印、また貴族達の印で封印しました。

 眠れずに一夜を過ごしたダリヨス王は、夜が明けるやいなや、急いで獅子の洞窟へ行った。そして不安に満ちた声で「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前の神は獅子からお前を救い出したか」ダニエルは王に答えた22〜23「・・・・神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、私は何の危害も受けませんでした。・・・・」王はたいそう喜んで、洞窟から引き出されたが彼の身には何の害も受けていなかった。25節彼を陥れようとした者達は妻子もろとも洞窟に投げ込まれた.獅子は底に達しないうちに噛み砕きました。

愛児園でこれらの話をしました。幼児はシャデラクたちが炉の中から出てきた時、またダニエルが獅子の穴から救い出された時にも、大きな拍手をして喜んだ事は忘れられません。

 王は26節〜29節と語っています。私はダニエル書を読んだ少年期,私もこのようなほんとの信仰を持ちたいと祈りました。残念ながら未だその信仰に至っていません。

【たといそうでなくとも】 ダニエル書3章13節〜18節

 小学校4年生の頃でした。中国戦線が拡大され身近の人からも戦死する人が出始めました。学校では天皇のために名誉の死であり誇りとすべきことだと言われ、校門を出入りする時には奉安殿に天皇皇后のご真影(写真)と教育勅語が安置されているから最敬礼をするようにと教えられました。やがて天皇は現人神として宮城の方に向かって拝礼を命じられるようになりました。その頃日曜学校でダニエル書の話を聞きました。後で水口牧師に質問したら、今に判るときが来るから誰にも話しては成らないと硬く口止めされ真剣に語られた牧師の顔を今でも覚えています。

 二章1節ネブカドネザル王は、何度か夢を見て不安になり眠れなくなりました。そこで王は命令を出しました(2節〜17節)。侍従長アルヨクから事情を説明されたダニエルは、18節仲間のハナシヤ、ミシャエル、アザルヤと共に王の秘密を求めて祈りました。すると、夜の幻によってその秘密がダニエルに明かされました。ダニエルは(20節〜23節)神に感謝称えて祈りました。それから(24節26節)そして彼は王の夢の秘密を語り、その解釈を述べました。王はひれ伏して「あなたがこの秘密を明かすことが出来たからには、あなた方の神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない」と言って、バビロン全州を治めさせ、知者すべての上の長官としました。ダニエルは三人の友をバビロン州の行政官に任命してもらい、自身は王宮にとどまりました。

 (3章)王はドラの平野に約27mの高さ巾2.7mの金の像を造りました。州の高官をその像の前に集め除幕式を行い、「種々の楽器の音楽が聞こえたなら金の像の前にひれ伏して拝め、ひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉になげこまれる」と伝令が力をこめて叫びましだ。それで楽器の音楽が聞こえてくると人々は皆ひれ伏して王の建てた金の像を拝びましだ。カルデア人がユダヤ人を中傷して12節「バビロン州の行政をお任せになったユダヤ人のシャデラク、メシャク、アベデネゴの三人が王の命令に従わず、王様の神を拝もうとしません」19節王は怒りに燃え三人を王の前に引き出させました。 

 王は彼達に「・・お前達を私の手から救い出す神があろうか」と言う王に、16節「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。私達のお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から救うことが出来ますし、必ず救ってくださいます。たといそうでなくとも、ご承知ください。私たちは王様の神々に仕える事も、お建てになった像を拝むことも、決してしません」王は三人に対して血相を変えて怒り、炉を7倍(最大限に)せよと命じた。縛り上げた三人を炉に投げ込もうとした屈強の兵士達が吹きこぼれる炎で焼き殺されるほどでした。

 24節〜王は驚きの色を見せ「・・・・だが私には四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている」と言い、三人に出てきなさいと叫んでいる(26〜30節)」

 三人の信仰告白『たとえそうでなくとも、ご承知ください・・・・』を誤解しないで見てください。神は救う力がないので救い出すことが出来なくともの意味ではなく。もし神が救い出すことをよしとされないで救い出されなくてもと言う意味です。彼らは結果いかんにかかわらず、神を絶対的に信頼し、どこまでも神に忠実であろうとしたのです。そこから彼らの妥協のない態度が生まれたのです。

【ペテロの姑の癒し】 マタイ8章14節〜17節

 マルコ(一章29〜31節)とルカ(四章38・39節)の並行記事によるとイエス様は安息日にシナゴーグで礼拝されて、それからペテロの家に行き、彼のしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのをご覧になりました。ペテロの住まいはガリラヤ湖の傍であったので恐らくマラリヤであったと思われます。医者ルカはひどい熱といっています。マラリヤ蚊に刺されると悪寒と高熱に襲われ、黄疸になり患者は苦しみ、衰弱します。姑はマラリヤであったようです。マルコによると、主はその手をとって起こされました。主の愛は苦しみからの解放を望まれ癒されたのです。癒されると彼女は直ちに起きあがって主と弟子達を持て成した。主は病気を癒されたのみではなく、熱による体力の消耗・衰弱まで同時に回復なさったのです。

 当時は未だイエス様とメシヤは誰も同一視していませんが、マタイは一連の癒しの奇跡から主の僕としての歌のメシヤ預言イザヤ53章から4節を引用しています。ユダヤ教徒はメシヤ待望の信仰は熱烈でしたが、苦難の僕とメシヤを結びつけた形跡はありません。ところがマタイは17節で、苦難の僕の節を引用して主イエス様と直結させています。

 ペテロの姑の病と、イザヤが述べる、彼は私達の病を身に受け、その病を負うたと述べ、結びつけて引用しましたが、その病はもっと精神的な意味の言葉です。この旧約聖書の言葉は非常に重要なものです。イエス様のご活動がこれからだんだんとメシヤ即ちキリストであるということがはっきりしてきます。そのキリスト(メシヤ)告白とイザヤ書の苦難の僕とが結びつくという驚くべきことが起きてきたのです。

 メシヤ待望の拠り所になったのは、黙示文学(旧約聖書)の一つダニエル書です。これはBC二世紀頃に出来た新しい文書です。それによると人の子と呼ばれるメシヤが天から降ってきて、異国人の支配からイスラエルを解放するという意味での救い主です。神より隔てる罪よりの解放という本来の役目のメシヤである事と誤解されての主イエス様の公生活の困難さがあったのです。

 それでも主はダニエルの言う人の子という言葉を使って、ダニエル書の系統を継承しておられます。しかし同時に、ユダヤ教のラビも見向きもしていない,イザヤ53章を愛読・精読され、預言されている苦難の僕は、メシヤ・キリストの本質であることを確信なさったのです。これがカルバリーの十字架への道に繋がるのです。

 ペテロの姑の熱病からの癒しの奇跡を通して、メシヤ(キリスト)の本質が示されたこと、この8章17節はイエス様を理解し信じる事において大事な重要な言葉です。これは私達が信じ救われ、主の奇跡的な病の癒しがなされる根拠になる御言葉なのです。

 神様は人類に知恵を与えここまで医学を発達させてくださいました。それでも未だ人の手では解決できない病があります。医学の知恵を含めてそれらを主は十字架の上に負われて解決してくださるのです。

【あなたが信じたとおりになるように】 マタイ8章5節〜18節

 私達の教団の創立者の中田重冶牧師が、ホーリネス派の重要な教義として主張した四重の福音(新生、聖化、神癒、再臨)があります。四23「イエスはガリラヤ中を回って,諸会堂で教え、御國の福音を宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された」同じ言葉は九35にも繰り返されます。この二つの間に主の福音伝道の教えと神癒の奇跡が述べられています。5章〜7章までは山上の説教が述べられ、8章から、第二の神癒の奇跡物語が始まります。

 先のハンセン氏病の癒しと、今度の百卒長の僕の癒しは神癒の奇跡であるように見えますが、先の皮膚病の救いは宗教的救いを含んでいたし、中風の僕の癒しも病気の治癒とは違った点を見ます。主人公が患者よりもイエス様と語る百卒長にあると言うことです。イエス様が僕を癒されたのが『帰りなさい。あなたの信じたとおりに、あなたになるように』丁度そのとき、僕の病気は癒された。百卒長は異邦人でありながら主の恵みを頂いたのです。

 主は彼に信じたようになるようにといわれた。なるは、事実そのようになると言うことです。事実と信仰の関係を見てみましょう。日本では信心と言われ、鰯の頭も信心からと言われます。信じさえすれば何でも神や仏になるのです。しかし事実としては鰯の頭です。信仰と言う言葉はキリスト教用語でして、日本では古来から信心と言ってきました。キリスト者でも信仰は事実を信じることですのに信心と同じように考え行動しがちであることは残念です。

 信心とは思い込むことです。信仰とは信じて仰ぐものです。仰ぐとは、自分の心とか心理状態を超えている外なるもの上なるものそれは客観的事実です。キリスト教の客観的事実は神の愛です。神癒、病気を癒される場合イエス様は人間を幸せにしようという神の思い神の愛を背負って苦しみにある人と共に歩まれるのです。

 人は罪の中にあって、聖なる神の前に立ち得ないものを神の愛の内に招かれてその愛の中に入って行きますが信じる態度で入って行くのです。これが信仰の姿です。百卒長が中風で寝込み苦しんでいる僕の癒しを主に懇願した。そこで主は『私が言って癒してあげよう』といわれた「主よ、私はあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。唯、一言おっしやってください。・・・・」主は彼の言葉を聞いて感心して言われた。8・9節『・・・私はこれほどの信仰は見た事がない・・・・』そして彼に言われた。『帰りなさい(彼の命令に対応して)あなたが信じたとおりになるように』丁度そのとき僕の病気は癒された。 彼の信仰はへりくだりでした。異邦人であり、救いを受けるには値しない穢れたものであると告白しています。第二にお言葉をください。そうすれば僕は直ります。軍人としての権威で部下は自分の命令を聞く。神の権威をもたれる主ならば言葉のみで癒されると確信しているのです。

 私達が信じているようになるのです。病気の癒しを祈っていても心のうちでつぶやく程度になり、果ては祈りは聞かれないと嘆くのです。祈る時にはヘブル書11章1節を信じ感謝しましょう。

【礼拝と三つの献物】マタイ2章1節〜12節

 イエス様は架空の人物ではありません。1節に「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と簡潔に歴史上の実在した人物であること語っています。今年はAD2011年です。これは世上でキリスト誕生を紀元1年とした数え方です。6世紀に神学者ディオニス・エクシグースが計算して定めましたが、ヘロデ王はBC4年春死亡、このヘロデが二章16節でベツレヘム在住の2才以下の男の子を皆殺しにしたので、当時のイエス様は2歳になられていたと推測できます。16世紀ドイツの天文学者ケプラー(惑星の運動の法則等を発見した。)彼の計算によると、BC7年占星学では木星(王)と土星(地の果てユダヤ)がその年、合(星が重なる)が3回(五月、十月、十二月)あった。これがベツレヘムの星だろうと言います。

 この星に火星も合したと言われますので、この輝かしい星を見た天文学学者達(マゴイμαγι)は捕囚になったユダヤの主要人物達が伝えたユダヤの宗教を知っていて、ユダヤの王として生まれる方の希望はよく知られていたのです。二章2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、何処におられますか。私達は東方でその方の星を見たので(民数二四17)拝みに来たのです。」彼達がエルサレムに来たのは首都に来れば分かると考えたからでしょう。

猜疑心の強いヘロデは自分の地位を脅かすものかと不安を抱きました。民はヘロデの残虐さを知っているので同じように不安を感じました。ヘロデは祭司達や律法学者達を皆集めてメシヤ何処に生まれることになっているか問いただした。彼達は「ユダの地、ベツレヘムよ、・・・私達の民イスラエルの牧者となる」ミカ五章2節.と書いてあると答えました。ヘロデは学者達をひそかに呼んで、見つかったら知らせてくれ、私も拝もうと言って彼達をベツレヘムに送り出しました。星に導かれて、彼達は家に入り幼子を拝し、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。祭司・学者達は誰一人メシアを礼拝するためには来ませんでした。天文学の学者達は預言の言葉を聞いていてそれを信じ危険な道をキャラバンを組んで、大きな犠牲を払って、たった一回の礼拝を捧げるべく誕生地も知らずに礼拝に来たのです。主を礼拝するには時間も金銭も献げなければ出来ないことをこの学者達が語っています。

 彼達は「ヘロデのところに帰るな」と夢で語られたので、別の道を通って自分の国へ帰りました。夢によるお告げの事は一章を見るとヨセフは正しい人であったので、天使が夢に現れて、インマヌエルなる主の誕生が告げられたのです。彼は旧約聖書・律法に忠実な人であった。偽占い師に対しての警告がなされ神様が命じもしないのに自分の意見を語る偽預言者に対する注意が申命記十三章・十八章に述べられています。

ヨセフは夢の中で告げられる天使の言葉を神からのものと信じたのです。マリアには天使が直接語ったがその後はヨセフに夢によって天使が現れて神の命令を伝えています。13節エジプト逃げよと言われ直ちに夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへと逃げてヘロデの殺害から逃れた。エジプトでの当座の生活は三つの献げ物で賄われたのではないでしょうか、ヘロデの死の知らせでエジプトからナザレにお帰りになった。第二の出エジプトとも解釈できます。ヨセフについてはこれからは述べられていません。

【見よ、すべてのものが新しくなった】 コリント㈼5章16節〜21節

 年賀状に17節のみ言葉が多く書かれていましたが、十年余見かけなくなりました。新しさを表すギリシャ語にネオスνεοσとカイノスκαινοσの二つがあります。ネオスはニュースの語源で、すぐに古くなる、変わりやすい一時的な新しさです。それに対してカイノスはいつまでも変わらない新しさを指しています。新約聖書の新もカイノスです。新しい約束を意味します。

 ㈼コリント六17「キリストに結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。(見よ)古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」、肉によらずして、信仰によって 新しく創造され被創造物です。天地創造に続く神様の創造です。キリストによる創造の業が始まったのです。それは21節「罪と何のかかわりのない方を、神は私達のために罪となさいました。私達はその方によって神の義を得ることが出来たのです。」主の十字架によって古い人間の罪過が滅びて新しい義なる神の子が創造されたのです。

 二千年前のイエス様に出会い十字架を直接に仰ぎ見なくても、そのイエス様によってもたらされた十字架の贖罪、復活の福音を信じるとき誰でも神の子とせられ新しく創造されて義とされるのです。私達は罪のため神様との間に大きな隔たりがあったが18節神は、キリストを通して私達を御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務を私達にお授けになりました。神様はキリストの贖いによって罪による隔たりを取り払い和解の業をなしてくださったのです。

 和解の福音は全人類に与えられる使信ですが、この務めはパウロに委ねられていると同時にコリント教会にも委ねられています。パウロはキリストの使者として、20節「・・・キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」各自の神様との和解が、兄弟姉妹との和解でもあります。

 教会の分裂はキリストにあっておきた新しい創造の業を台無しにしてしまいます。そしてキリストの体なる教会は成り立たなくなります。私達は主から託された和解の道を実践しなければならないのです。

【インマヌエル(神は我々と共にいます)】マタイ1章18節〜25節

 マタイはアブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図とユダヤの伝記を書く時に仕来りとしてまず戸籍を先に置いたのです。それはユダヤ人達にイエス・キリストがヨセフによるダビデ王の系列であることを示し預言にあるとおり救い主がダビデ王の子孫から生まれることを語っています。またルカは三22.23以下の系図では神の子であり人の子であることを述べます。両系図については機会を見て述べます。

 18節以下にイエス・キリストの誕生の次第が述べられます。マリヤの婚約者のヨセフが主イエス・キリストの養父となられたいきさつが述べられ、マリヤの宿す子は聖霊による神の御子であることを、天使の告げる神のみ言葉として彼は信じたのです。「・・・マリヤは男の子を生む。その子をイエス(ヘブル語ではヨシュア)と名づけなさい。その子は自分の民を罪から救うからである」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われてことが実現するためであった。イザヤ七14「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる」この名は「神は我々と共におられるという意味である」23節。

共にいます神とは恋人達が仲良くデイトする様な意味ではなく、もともと別々のもの、一体にはなり得ないようなものが、全く同一になってしまったと言うことです。ノーベル化学賞に輝いたクロスカップリング反応によって化合物合成をなしたものとは似てはいますが、ぜんぜん違います。

 クリスマスは天の父が私達罪人を救い、新しい生命を与えるために、罪と穢れのこの地まで降りてくださいました。これは助けの手を伸べたとか、同情して眺めていたと言うのではありません。ヨハネは1章でこの事を「言葉は肉体となり、私達のうちに宿った」宿るとは仮に現れたとかちょっと立ち寄ったのでなく、人間の中に入って人間のすべてを味わられたという事です。聖歌99番馬糟の中に、人となりたる、生ける神なれ、です。

 共にいるとは、神ははるか遠くの天で神として君臨し、支配し、裁き、また恵みを私達に与えることではありません。一人の人間として、私達の持つ一切の労苦、悲しみや病も経験なさりすべてを背負ってくださったのです。「大祭司イエスは・・すべての点で兄弟達と同じようになって、罪は犯されなかったが私達と同様に試練にあわれた」。とヘブルの記者は語ります。

 神が共にいますとは2千年前の、ベツレヘムの馬小屋で唯一度だけ起きたことではありません。神の愛は最初のクリスマスだけでなく今主は私達の重荷を負ってくださるのです。私達の生活における、心の痛み重荷、病も 主はご自分のものとして、共にいてくださるのです。私達はクリスマスの期間主が私と共にいてくださり私を理解し重荷を共に負ってくださることを特に覚えるのです。主が私のような人間のところにおいでになりました。それ故に己が幸を祝わずやと主を賛美して感謝せざるを得ないのです。町中にクリスマスの賛美歌が流れているのは実に幸いなことです。