二四29〜51節。この世の終わり即ち終末に備えるキリスト者は、忠実で賢い僕です。賢い僕は何時主人が帰ってきても言われていたように実行していました。この賢い僕の行為をさらに強めているのが、十人の乙女の喩です。
36「その日、その時は、誰も知らない。・・・唯、父だけがご存知である。人の子が来るのはノアの時と同じだからである」。それ故に霊的に目覚めていなければなりません。二五章には天国の喩が3つあります。「十人の処女」「預けられたタラント」「最も小さい者の一人に」です。このいずれも二四章の主の終末預言と関連しています。
私達は主の御降誕と主の御再臨の中間に生活を営んでいます。私達はアドベントを守り主の御来臨を待望しクリスマスを楽しみにしていました。主は預言の通り人としてベツレヘムに2千年前にお出でになりました。しかしヨハネ十四2〜3『私の父の家には住む所がたくさんある・・あなた方のために場所を用意しに行く・・場所を用意したら、戻ってきて、あなた方を私のもとに迎える・・・』神の右に登られた主は御再臨の約束をなさっています。わたしたちは「既にこられた時」と「やがて来られる時」との中間にいるのです。
主の御来臨を待ち望みつつ、主をお迎えする姿を、この乙女達に見ることが出来ます。彼女達の持つともし火は、人間の知識と能力を意味します。ともし火だけを持った乙女達はいざ花婿なる主がお出でになったときに、油が尽きて火は消えていました。あわてて油を買いに行った時に祝宴が始まり扉は閉ざされてしまった。賢い5人の乙女は壺に油を持っていたため、ともし火を点して花婿なる主をお迎えして共に祝宴に列することが出来ました。十人は揃って主を迎えに行ったが油(聖霊)をもっていなかった者は御再臨に間に合わなかったのです。全員肉体の疲れから寝込んでしまったのは咎められません。心は熱していても人間の肉体は弱いのです。ゲッセマネの園で寝込んでしまった弟子たちに温かいお言葉をかけられた主のお言葉です。
主の御再臨は最後の審判と聖霊に満たされ救われたキリスト者を見る事ができます。油断していたおろかな乙女達は、うっかりして余分の油を持っていなかったのではありません。文字通り油断したのです。油(聖霊)を断つては、ご主人様と呼びかけても手遅れになります。13『だから、目を覚ましていなさい。あなた方は、その日、その時を知らないのだから。』
必ず主は帰ってこられます。僕たちの目には隠されていますが、主は共に居てくださるのです。遅れてもその時が来れば、私達にもはっきり見えます。その時がわかりませんので、油断禁物です。タラントの譬えのように私達にそれぞれのタラント(才能、能力)が与えられています。それらを大いに働かせて帰って来られた主イエス様から『忠実なよい僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』とお褒めの言葉を頂く幸いを味わいたいです。24〜26「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り・・・・・・」主人は答えた『怠け者の悪い僕だ。・・・』『この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣き喚いて歯ぎしりするだろう。』と叱責を受けないように行為しなければなりません。
目の覚まし方ですが、ホルモンと言うギリシャ語はさめているとの意味です。ヒロポンでさめているのとは違います。前テサロニケ五10「主は、私達の為に死なれましたが、それは、私達が、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」私は主と共に生きたいです。
マタイ1章18〜25男の子はイエスと名付けられた。この子はイザヤ章に預言された「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その子はインマヌエルと呼ばれる」この名は「神は我々と共におられるという意味である」。養父ヨセフは信仰の篤い愛情の深い人で、イエス様を守り生活の術を教えられた。
さてイザヤの預言するインマヌエルは、イム(と共にの意)ヌー(私達)エールは一般的に神を表し、この3つが結合した語です。(十戒の4戒神エホバの名を妄りに口にあぐるべからず。聖書はエホバをその意味の主と訳している)旧約の信仰者はいつも神がともにおられることを信じ確信しています。主が共におられるなら、たとい目前に危機が迫っていたとしても、安心があり、希望がありました。
私はフレデリック・ヘンデルの作曲のメサイアを聞くのを楽しみにしています。次の聖句のコーラスが始まると手を休めて心躍らせながら聞き入ります。オラトリオはドイツ語の歌詞が多いのですが、ドイツ人のヘンデルが英語のキング・ジェームス版で作曲しています。9章5節『ひとりのみどりごが私達のために生まれた。一人の男の子が私達に与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、驚くべき指導者(ワンダフル・カウンセラー口語訳は不思議な助言者。文語訳は奇妙また議士)力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。』8章10節『戦略を練るがよい、だが、挫折する。決定するがよい、だが、実現することはない。神が我等と共におられる(インマヌエル)のだから』
サムソンの父マノアが主のみ使いに「お名前は何とおっしゃいますか・・・」と言った。主の御使いは『なぜ私の名を尋ねるのか。それは不思議と言う』と答えた。マノアが子羊と穀物の献げ物を祭壇に置くと炎が天に上るとき、主のみ使いは、その祭壇の炎と共に登って行った。サムソンは神様が共にいてくださって、彼が助けの必要な時に神の霊が激しく降って大きな力が与えられました。
マタイ1章のイエス・キリストの誕生に当たってヨセフに伝えられた人間としての名前はイエスですが、神様の命名は「主の預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」。23節『見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。神は我々と共におられると言う意味である』インマヌエルの神様とは人間の手も届かぬ天のかなたに唯、神として君臨し、冷然と支配し、裁き、恵みを人間に与えると言うのではなく、ナザレのイエスとして一人の人間となって、私達の持つ一切の重荷や悲しみをそのまま経験し、背負って下さったのです。ヘブル4章14節「大祭司であるイエスは、私達の弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点において、私達と同様に試練に遭われたのです」。
神共にいますとは二千年前のベツレヘムの馬小屋の馬槽に唯一度だけあったのではありません。現在の複雑な社会で重荷を負い苦しむ私達の真ん中に神が人となられてお出でになっておられるのです。クリスマスが私達にうちにあるのです。イエス様が私達の心の中心に臨在して下さるのです。
二千年前宿屋の主人は部屋が塞がっているとヨセフ達を断っています。私達は今自分の心を点検して、罪やこの世の思いなどに心が満室でイエス様を拒絶するようなことがあってはなりません。インマヌエルのイエス様を私のうちにお宿り下さいと心の扉を開いてお迎えするのがクリスマスです。黙示録三20「私は戸口に立って。叩いている。だれか私の声を聞いて扉を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう」感謝して己が幸を祝わずやとクリスマスをインマヌエルの主と共に迎えましょう。
イスラエルの人々は、又も主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを40年間、ペリシテ人の手に渡された1節。マノアの妻は不妊の女であった2節〜5節、主の御使いが彼女に現れて言った「・・・あなたは身ごもって男の子を生む。その子は胎内にいる時から、ナジル人(主のものとして身を聖別するために特別な誓いをした人民数6章バプテスマのヨハネもナジル人)として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼はペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」。17・18節マノアは「お名前は何とおっしゃいますか。・・・」と言った。主の御使いは『なぜ私の名を尋ねるのか。それは不思議と言う(イザヤ九5インマヌエル・イエス様を示す)』と答えた。24・25この女は男の子を生み、その子にサムソン(神の人、神に仕えるものの意)と名付けた。子は成長し主はその子を祝福された。主の霊が彼を奮い立たせはじめた。ナジル人は主の使いが述べるように1〕酒を飲まない2〕汚れた物を食べない3〕頭にかみそりを当てないとの3つの禁令があったが、女性関係においては自由であった。
14章彼はティムナでペリシテ人の娘に目を引かれた。両親の反対にも拘らず「私は彼女が好きです」と結婚することなりティムナに向かう途次、若いライオンがほえながら近づいてきた。そのとき主の霊が激しく降り、手に何も持たず子山羊を裂くようにライオンを引き裂いた。結婚して、しばらくして彼女を迎えに行った。ライオンの死骸に蜜蜂がいて蜜があった。彼は宴席でなぞかけをした。7日目に客達は妻を責めて脅迫した。それで彼女は泣き縋りしつこくせがんだので謎を明かした。彼女はそれを彼達にそのまま伝えた。彼達は言った「蜂蜜より甘いものは何か獅子より強い者は何か」「私の雌牛で耕さなかったなら私のなぞはとけなかっただろう」主の霊が激しく降り、アシュケロンにて30人を打ち殺した。15章妻を他の者と結婚させたので、怒ったサムソンはジャッカル3百匹を捕らえその尾と尾を結びそれに松明を取り付け火をつけて、それらを畑に放した。ペリシテの麦畑、ブドウ畑、オリーブの木に至るまで燃やしつくした。
ペリシテはユダ族の前に陣を敷いて。サムソンを引き渡せと迫った。ユダの人々はサムソンを説得して、新しい縄2本で彼を縛り引き渡した。彼がレヒにつくとペリシテ人は歓声を上げて彼を迎えた。そのとき主の霊が激しく降り縄目は解け落ちた。彼は真新しいロバの顎骨を見つけ、これで千人を打ち殺した。
16章ガザにて遊女との関係でひと悶着があり、その後ソレクの谷にいるデリラという女を愛した。領主達がデリラにサムソンをうまく言いくるめてその怪力がどこに秘められているのか探ってくれ、褒美をやると約束した。そのデリラの言葉に弓弦で縛る、次に新しい縄で縛る、三回目髪の毛7房を機の縦糸と共に織り込めばいい。しかし、いずれも忍んでいる者達が出てくるとすべてを振るい落としてしまった。15・16「あなたの心は私にないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか、もう3回もあなたは私を侮り、怪力が何処に潜んでいるのか教えて下さらなかった」と言って来る日も来る日もしつこく迫ったのでサムソンは耐え切れず死にそうになり、17 一切を打ち明けた。彼女の膝枕で寝ている時に髪の毛7房をそらせた。サムソンは主が彼から離れたことに気がつかず。力が抜けて捕らえられてしまった。
彼は目を抉り出され牛の代わりに臼を引かせられていた。ペリシテ人は神ダゴンに感謝の祭りをしてサムソンを見世物にしようとした。彼の髪の毛は伸び始めていた。そのとき主の霊がはでしく降り、それで建物を支える二本の柱を押し倒した。建物は領主達やすべての民の上に崩れ落ちてサムソンともども全部死んだ。
神様は人間のわがままをも用いてみ旨を行われます。サムソンの弱点の女性関係を利用なさってナジル人としての使命即ちペリシテの支配からイスラエルを救い出されました。神様からの力を自分の力だと傲慢になった者の悲劇です。
ヘブル11章は信仰によって神様に喜ばれる生活を成した旧約の聖徒達を見ます。この人たちはすべて、その信仰の故に神様に認められながらも、約束のものを手に入れられませんでした。神様は、私達のために、さらに勝ったものを計画して下さったので、キリストが来られ、全きいけにえがささげられ、永遠の贖いが完成し、大祭司キリストが天の聖所に着座された今こそ、昔の人々と共に神様の御許にはばかりなく近づくことが出来るようになったのです。
旧約の信仰者のおびただしい証人(マルテュスμαρτυσ殉教者の意)の群れが、見物人、応援団としてではなく、彼らの信仰は、その生と死とを通して、キリストにおいて実現されたものへとひたすら目指す生活をなし私達を励ましているのです。私達も昔の人々と同じように成就の時代にいる者にも忍耐が必要です。主の再臨を待つ者達には、信仰の生涯を走り続ける競争なのです。
信仰生活、という競争には、スポーツ選手の場合と違って、捨てるべき重荷があります。捨てるべき重荷は信仰競争者一人一人によって異なります。各自が自分の重荷は何であるかはっきり知らねばなりません。私は身の回りを整理していますが、思い出があってなかなか捨てられなくて時間だけ費やしています。しかし私には時間は余り残されていないのに関らずなのです。
信仰生活には競争の邪魔になる重荷は何としても捨てねばなりません。完全武装で行動する時60キロ近い武器などを身につけます。その際重荷を減らすため余分のものを排除します。足にまとわりつく罪があります。走ることを不可能にする不信仰の罪を先ず取り除かねばなりません。
競争には目標があります。私達には信仰の創始者又完成者で在られるイエス様が目標です。2節・・・恥を厭わないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。3節あなた方が、気力を失い疲れ果ててしまわないように、ご自分にたいする罪人達のこの様な反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。あなた方は未だ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことはありません。そのため神様は実の子として鍛錬し忍耐を与えなさいます。
霊の父は10節〜13節・・御自分の神聖に与らせる目的で私達を鍛えられるのです。神様の御国の祝福は、訓練を受けた者によってのみその価値が味わわれるのです。義という平和に満ちた実も獲得できるのです。
私は聖徒の日記念礼拝にあたって敬愛する方々と共に信仰生活に与った多くの思い出が脳裏に去来するさまざまなものに満たされ懐かしさで一杯です。先輩の信仰者は述べてまいりましたように、様々な主の訓練を受けられて今は主の御許に憩うておられます。私達も励ましあって彼達に見習ってこの信仰の馳せ場を走りぬこうでは在りませんか。
元住吉キリスト教会永眠者ご氏名
三沢史郎兄、水口虎三牧師、安斉司郎兄、量美根姉、福島美智子姉、金子淑子姉、
工藤須珠子姉、原祥治兄、石井千代子姉、深佐房枝姉、水口ミキ師、遠藤善教兄、
深佐好恵師、遠藤うん姉、中村安夫兄、佐川春生兄、財部実美師、深佐新太郎師
中村力造兄、高木辰彌兄、本田愛子姉、津田卓兄
ご遺族の上に神様の慰めがありますようにお祈りします。
一般にさばきつかさは、6人の大士師(オテニエル、エフデ、デボラ[とバラク]、ギデオン、エフタ、サムソン)と、6人の小士師(シャムガル、トラ、ヤイル、イブツァン、エロン、アブドン)に分けられます。大士師は大手柄を立てたとか、能力や立場において優越があったと言うのではなく、むしろ12部族のうちの一つの部族の代表者として登場しながらもさばきつかさたちの時代を表現するための最適な物語であった。小士師たちが聖書に記録されて以外に何の貢献もせず、何の重要な事件に関らなかったのではないと思います、12人のつかさたちはそれぞれの部族を代表して士師記を構成しながら、イスラエル全体の共同遺産として、証を立て、後世に『前預言書』の一部としてメッセージを伝えたのです。
メッセージの第一は神が出エジプト時に約束された乳と蜜の流れる地に侵入し土地を獲得完全に約束は成就した。この戦いの指導者はヨシュアではなく指導者は神様であり、しかも神御自身が戦われたのです。第二に実際に戦うのはヨシュアを指導者とするイスラエルです。この戦いは神の聖戦ですのでその方法はみ言葉通りになすべきでした。この聖戦は一つの宗教的行為なのです、第三に聖戦は歴史の中に展開しますのでイスラエルの民が聖戦に忠実に参加しているか否かがわかります。士師たちがヨシュアの精神を受け継いで民が主に背いたその罰の結果を解決すべく奮闘しています。
さてさばきつかさの三番目に登場するのはシャムガルですが、三31の1節だけでかたずけられています。彼の名は外国名で意味はわかりませんが、父アナトは祈りへの答えとの意味。四1、直訳すると「さらに重ねて、イスラエル人は、主の目の前に悪を行った」となります。主はカナンの王ヤビン(神は見破られるの意)の手に、彼らを、売り渡された。ヤビンの将軍はシセラ(戦場の意)でした。イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫んだ。ヤビンは鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエル人々を、力ずくで押えつけたからです。
ときに女預言者デボラ(蜜蜂の意)はミリヤム(モーセの姉)についで、旧約では女預言者と言われていました。彼女はラマとベテルの間にあるデボラのナツメヤシの木の下に座して、士師として民の求めに応じて裁きをしていた。6節彼女はバラクを呼び寄せ、主の命令を伝えた6〜7節 バラクは「あなたが共に来てくださるなら、・・・」デボラは「私も一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものにすることは出来ません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と答え、バラクと共に一万人をケデシュに招集した。
シセラは九百両の鉄の戦車及びすべての軍隊を召集し、キション川に向かわせた。デボラはバラクに言った「立ちなさい。主が、シセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主があなたに先立って出て行かれたではありませんか」主はシセラとすべての戦車、すべての軍勢を混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた。疲れきって天幕で熟睡している時へベルの妻ヤエルによって天幕の釘をこめかみに打ち込まれてシセラは殺された。23節神はその日カナンの王ヤビンをイスラエルの人々の前で屈服させてくださった。24節 イスラエルの人々の手は、次第にカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを滅ぼすに至った。4章は賛美歌
日本最初の聖書はヘボン博士等の指導によって横浜バンドの面々が漢訳聖書を日本語に訳しました。その後何回も改訳されましたがほとんど題名は変わっていません。ヘブル語聖書のハショーフェティーム〔士師(裁きつかさ)たちの意〕士師記となりました。ヨシュア記から歴代誌までは前預言書になっています。歴史も含まれます。神様は人なる預言者を通して語られるだけではなく、歴史を通しても預言を語られます。特にカナン定着からバビロン捕囚にいたるイスラエルの歴史は、特別な意味を持つ預言として、歴史そのものが語っています。
さて12人の5番目にさばきつかさとして登場するのはギデオンです。ギデオンとサムソンの物語は士師記の中で長いのですが、最も長いのがギデオンのそれです。信仰的に人々に影響を強く与えたのもこの二人です。
六1〜6イスラエル人たちは又主の目の前に悪を行った。そこで主はミデアン人の手に7年間彼らを渡された。イスラエル人が種をまくと、決まってミデアン人やアマレク人が侵入してきて、命の糧になるものは羊など何もかも残さず荒し取った。イスラエルの人々は主に助けを求めて叫んだ。主は彼らの助けを求めての叫びを聞かれ一人の預言者を遣わされ8〜10節と告げられた。
さて主のみ使いが来て、11〜18節ギデオンが侵入者に奪われるのを恐れて、酒ぶね(2平方m深さ60cmほどのものでぶどうの実を入れ、足で踏むと液が下の入れ物に流れ込む)の中で小麦を打っていた、御使いは言った「勇者よ、主はあなたと共におられます」ギデオンは反論した。14節主は彼の方を向いて言われた『あなたの力もって行くがよい。イスラエルを救い出すことが出来る。わたしがあなたを遣わすのではないか』彼は自信がない彼に証拠としてパンと肉の奇跡を見せられた。その夜主がバールの祭壇を壊しアシュラ像を薪として雄牛を焼きつくす献げものとしてささげることを命じられ彼は夜のうちにそれを実行した。ギデオンが角笛を吹くとその召集によって多くの民が集まった。彼は神様のお告げを信じたいので羊の毛皮の奇跡を2回も求め納得した。
七1〜7節主は『民は多過ぎる敵に勝つと自分達の手で救いを勝ち取ったと私に向かって心おごるゆえ去るものはさらせ』と、2万2千人が去って1万人が残る。未だ多いと言うことで選ばれたのは3百人。不安を持つ彼にその夜9〜15節主が言われたので敵陣に降ってゆき敵兵の語る話を15節聞き、彼は、その夢と解釈を聞いてひれ伏し、イスラエルの陣営に帰って、言った。「立て、主はミディアンの陣営をあなた達の手に渡して下さった」3小隊に別れ、水がめを空にし中に松明をいれ全員角笛を持ち敵陣を包囲し、合図で甕を割り松明をかざし角笛を吹き鳴らし「主のために、ギデオンのために剣を」と叫んだ。あわてた敵は同士討ちをして敗走した。かくして雲霞のごとく攻め寄せたミデアン人は歴史の世界から消滅しました。
主が共におられる時には臆病者でも神からの知恵が与えられ大いなる働きが出来ることを私に示し励ましていることを知り、感謝の限りです。特に不信仰な者をいろいろと助けの手を伸ばされて押し出して下さったことを数多く経験した私にはギデオンの物語は大きな力でした。
神様は80年後にイスラエルの民が奴隷からの救出を求めることを見通され、モーセをパロの娘の養子とし、40年間、当時の最高教育を受けさせました。そして、荒野での羊飼いとしての40年は、彼の霊的な指導力、忍耐、円熟さ、神のみ旨に従って行く意志力を培われました。
モーセはしゅうとでありミディアンの祭司であるエテロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴(アカシヤの木)が燃え上がっているその炎の中に主のみ使いが現れた。彼が見ると柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは道をそれてその不思議を見ようとして近づいて行った。それをご覧になった神様は、柴の中から彼を呼んで『モーセよ、モーセよ』と言われた。かれは「ここにいますヒンネニー(私は逃げ隠れもしない)」と答えると『・・・足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから』聖なる土地だからあなたの足から履物を脱げには、先ず、自分がしもべ(奴隷)である事を受け入れること。僕は普通靴をはいていない。第二に古代のこの地方の人々は聖い場所に入る時には靴を脱いだ。靴を脱ぐとは聖所に対する畏敬の思いだけではありません。聖なるお方の前に立つ者の心構えを表明しています。
この元住吉教会は、今までに、二度新築献堂しましたそして四回増改築をしました。その度ごとに祈り苦心しました。それは借金をしないこと借金すると後で教会員が苦労し信仰にまで影響を与えることを見てきたからです。お金の苦労は祈りをもって私が責任を持つことにしました。二番目は履物を脱ぐかそのまま会堂に入るか否かです。便利さは後者です。しかしモーセに命じられたのは荒野ですが神様の臨在のあるところはみな聖所なのだから会堂は不便でも下足はやめようと最終的には今の形になりました。
神様はモーセに御自分のご計画を打ち明けて今から彼がなすべき事を示されます。エジプトにいる神の民が苦労しで助けを求めているからあなたを遣わすと主は命じられましたが、自分はそのような器でないとモーセは辞退するのですが、神様は『広々とした素晴らしい土地、乳と蜜の流れる地に私の民を連れてゆきなさい。私は必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである』3章12節。
モーセが問う神様の名についてお答えになった『私はあってあるものエヘイェ・アシェル・エヘイェ』神の御名をあらわす聖四文字YHWH(ヤハウェ)はエヘイェの子音HYHに由来すると言うのが定説です。ユダヤ人はヤハウェと発音することは十戒の戒めにもありますように恐れ多いので、アドーナーイと読み替えています。
私は主と訳されている部分でヤハウェーと訳すことは大事なことと思います。在ると訳されている動詞の形はハーヤー存在するですが、「わたしは存在していた」過去。
「わたしは存在している」現在。「わたしは存在を続けるであろう」未来のどの意味にも取れます。神様はどこにでもいらっしゃいます。私達が何時どこでも聖霊に導かれて聖書を学び祈る時その場所は聖なる場所で主が臨在してくださる聖所であります。
士師記には12名の士師の働きが述べられます。サムエルは預言者であり、最後の士師です。士師はヘブル語でショーフェート裁きづかさと訳され、他民族より圧迫を受けた時これを救うため神様から力を受けて奮起した人、民を裁く人であったが、むしろ民族の指導者、救助者、保護者、支配者でした。王の出る前の王の役目をした人。預言者ナービーは神に代わって語る者、神の口、彼らがよく用いた「主はこう言われる」はその使命を表しています。
サムエルは年老い、裁きを行う代理として二人の息子を任命したが、彼らは不正をなし裁きを曲げた。イスラエルの長老は全員集まり、サムエルに申し入れた。1)あなたは年を取られ、代理の息子達はあなたの道を歩んでいない。2)今こそ、他の国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。彼らの言い分は士師(神の力を受けて立った人)を排除して他国のように王を求める民は悪だとサムエルは感じたがそれを長老達に語る前に、主に祈っています。
主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい(9節・22節と三度)彼ら退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、私を捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい』
サムエルは王を要求する民に神の言葉をことごとく伝えた。イスラエルが王政を採用することは『あなた達は王の奴隷にとなる』結果を生むこととなり17それが王政の本来的な条件であるので、それに驚いて助けを求めても「あなた達は、自分で選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなた達に答えては下さらない」18
士師と王の本質的相違は神の力を受けて立ったか否かです。王政は常時、国家を外敵に対して確固たる防衛態勢に置き、カリスマ的指導者亡き後も恒久的な常備軍と政治組織機構とで国を守ることが必要です。これを支えるため年貢を納め、徴兵、徴用など必要となり、封建的家臣と国家公務員の扶養は当然のこととなります。これが王政の正状態です。
外敵と戦うために王政の利点を主張する長老達や民と、庶民に弾圧的搾取的な王政の不利を主張するサムエルとが対立している。11節〜17節。民はサムエルの声に従おうとせず、言い張った。「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み。我々は戦うのです」19節・20節。それまでは外敵の侵略があるときに神が士師を選び主が先頭に立ち常に勝ちを収めていた。彼達は戦車も武器などは皆無であったが、敵は圧倒的な兵器を持って彼たちを苦しめていた。サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れた。主は『彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい』先に述べたように主は三度彼らの声に従えとサムエルに命じられた。サムエルは心ならずも神に従いました。かくして9章でサウルが油を注がれて王となった。王政の故もあって、やがてイスラエル王国は滅亡しました。
山上の説教において八福の教えの第七はマタイ五9『平和を造り出す人々は幸いである。その人たちは神の子とよばれる』平和を造り出す人は、英ピースメエカーと訳された平和はユダヤ人によってシャローム、として、人間の最高の幸福をつくり出すすべてのものと理解されていたとバークレーは言います。この平和の根源は神にあり。神様から送られた主イエス様が平和をつくる者となられました。
前721年にアッシリヤに攻められサマリヤは陥落し、イスラエル十部族は捕囚に連れ去られ、南王国のユダも風前の灯になりました。勝利に傲慢になったアッシリヤはユダ王国の攻略にとりかかったがその前にバビロンに滅ぼされてしまった十33〜34「万軍の主なる神は斧を持って・・聳えたつ木も切り倒され、高い木も倒される。・・・・レバノンの大木も切り倒される。」
主が林の木を切り倒し、切り株だらけになった時人の目から見るなら、それは全く何も無くなった絶望的有様でした。しかし神様はその絶望の中、切り株から新しい芽を萌えさせられその根から一つの若枝が育ちその上に主の霊がとどまった。ここでダビデの根株と言わず、エッサイの根株と言っているのは、エッサイはべツレヘムの羊飼いにか過ぎなかった。「エッサイの子」と言う呼び方には軽蔑の意味がこめられています(サムエル記等)。イザヤはインマヌエル(神が我等と共におられる)がダビデの家から生まれることを予測していたが、罪と背信のダビデの家でなく新しい時代にふさわしいメシヤ像を預言しエッサイの子と述べているのです。
十一6〜10は主によってもたらされる平和が述べられます。メシヤ来臨の結果は、地上の平和だけではなく,被造世界におけるいにしえへの回復です。肉食獣が草食獣に転換します。イザヤは堕落以前の被造世界を考えていたのでしょう。そこではすべての動物は草食で、弱肉強食の世界ではない、すべては平和でありすべてが善かった。そして人は創造の冠であり、創造物を治める存在なのです。
被造世界の平和から人間社会への平和へと言い及んでいるのです、毒蛇やマムシは人間を指し真実の平和は傷つけあう人々が存在しない世界を意味します。イザヤはそのような世界を見ていたのです。
世界の憲法学者が日本国憲法を世界中の国が採用すれば平和は必然的に成り立つと述べる学者が大勢います。強引に力を鼓舞するアメリカでも日本国憲法には一目おいています。ですが残念なことに日本自体がこの優れた世界の宝物を破棄しようとしているようです。中国の老子が「知恵出でて太偽あり」と言っています。昔人間が素朴であった時は平和であったが、後世、人々が智巧を出すに及んで不自然な人為が出て、大いなる詐偽を生じ、世の中が乱れてしまったと言うのです。
日本国憲法の前文と第二章、戦争の放棄をぜひお読みください。平和の君イエス様を見つめてください。シャローム、ギはエイレネーειρηνη平和は神から来るものです。その平和は人間が英知を傾けて持続しなければなりません。平和を維持するには多大の努力が必要ですが、平和は簡単に崩れることを、歴史が語っています。
益田牧師とは1951年4月聖書学院に8名と共に入学しました。彼は2年後に渡米しました。その2年後元住吉の開拓を支えてくださったマチ師が渡米し、東と西側の夫々の神学校で学び、やがて結婚され、62年に帰国、中野に居を定め、開拓伝道を始められました。江副・松村悦夫両牧師を交え祈り始めました。益田牧師のEC教団の日本支部を立てあげられる様にとのことが祈りの中心でした。やがてそのためには4人でその業を協力してやろうと準備を始めました。盲人伝道の安田兄も加わり調布・中野、千葉の中間の元住吉か深佐の家で毎月祈り始めました。合同運動会・キャンプ・大学卒業祝賀会などを行ない、交わりを深くしていった。益田牧師が開拓伝道の関係で同盟教団に加わることになったので、FEMMYは解散して教団の働きに戻り、江副牧師はホ教団の委員長に就任、その後任として松村牧師が継いだが、聖書学院増改築で苦労し過労のため召されました。以上のような経過をたどりましたが、益田牧師の祈りはEC教団日本教区の確立でした。電話のたびにそのことを述べていました。私にはそのことを祈って欲しいとの彼の遺言的祈りの要請だと感じて祈っています。
ヘブル12章私達は信仰の先輩達の証人に雲のように囲まれていますが、人生の馳せ場にある私達に対して、応援をしたり見物をしているのではありません。信仰のあかし人たちの生涯が、約束のものを得ようとして忍耐して生活したことを指しながら11章までに述べて励ましてきたのだから、私達も先輩の証人と同じように忍耐が必要です。主の再臨を信じ待つ者には忍耐を持って、信仰の生涯を走り抜かなければなりません。競争に参加する者は目標を持たねばなりません。私たちキリスト者の目標は十字架の苦痛と恥とを耐え忍ばれ神様の右の座に就かれた信仰の創始者又完成者であられる主キリストです。
ロンドンのオリンピックであのわずかな時のため、涙ぐましい努力を重ねたことをTVの報道で知り、この箇所のことを考えていました。競技をする人は目標を見据えてそのために多くの犠牲を払っています。私達はすべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、主の鍛錬を耐え抜かねばなりません。霊の父は私達を子として取り扱われ鍛えてくださるのです。父は私たちの益になるように、御自分の神聖にあずからせる目的で私達を鍛えられるのです。鍛錬は私達には、苦しく当座は喜ばしいものとは思われませんが後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせます。主は私達が目標に到着できるようにと苦難を経て全うされる道、即ち主が先導された唯一の道、主によって完成された道、父なる神に対する信仰と信頼によって一貫された道を前進する事を勧められます。
先日オリンピックのメダリストのパレードが銀座で行われ数十万の群集が歓迎見物に集まったのには驚きましたが、神様の前で益田・マチ両牧師を交えた信仰の英雄の凱旋式を連想しました。二人の残されたこの経堂恵み教会と、特にEC教団の日本教区を強固に確立するのは皆様兄弟姉妹の成すべき主の定められた道であると私は確信し祈り続けます。そして私にできることがあればなしたいと望んでいます。私に残された時間は余りありませんが。
60年前、中野の教会青年会で賀川豊彦牧師をお迎えして特別伝道会をしました。その時賀川先生に聖句を書いてくださいとお願いしました。聖書に“野の花を思い見よ”と書かれ署名して下さいました。その日の説教題は“思い煩うな”でした。思いわずろうは(ギ語μεριμυνωメリムナオ−)いろいろな部分に分裂するとの意味です。心があれもこれも、今日のことも明日のこともと、多方面にわたってちぢに乱れる事をさしています。
主は美しく自然のたとえを通して、神様への信頼を単純、素朴に述べられます。ここでは七つの面から思い煩いの不必要を説かれます。第一、は自分の命・体について、人間の体は約60兆個の細胞で出来ています。命は母の胎内で一つの細胞が2・4・8と分裂して増え、それは約2百種類の役目を持って目・心臓などを造ります。神様はこの素晴らしい体を造られ何よりも大事にされておられます第二、は空の鳥を見なさい、あなたは鳥よりも価値あるものではないか、第三、自分の命を延ばすことは出来ないのだからご心配無用。思い煩いは寿命を延ばすどころか、かえって短くします。第四、野の花、野生のアネモネを指しているといわれます、この花は一日だけしか咲かず、枯れると焚き付けにされますが、神様が節理のみ手をもって人より劣っているものを人工美より美しく装うように配慮されます。第五、以上のことから (食べる)(飲む)(着る)ことの心配は全く辞めなさいと主は言われます。第六最も大事なものは「ひとつ」だけです。心配の不必要な、日々神の豊かさに与る生活をする事です。神の国を求めるとは神のみ旨に従って自分の生活を律することができ、人々の心が神のご支配に委ねられるよう働く事です。神の義とは普遍的に認められる神の公義の標準です。第七、だから明日のことまで思い悩むこと無用です。人生には人がコントールできないこと予測の出来ないことが起こります。未来を知る方に委ねなさいと言う事です。「その日の苦労は、その日だけで十分である」今日のことを思いわずろうことはやむを得ない事だと言外に含まれています。34節は有名な御言葉ですので誤解しないでください。思い煩いは今日一日で十分にして、明日・未来は主に委ねて思い煩いをしないということです。先ず第一に神の国と神の儀を求めるのです。そうすれば私達の必要はご存知ですのでそれに添えて神様は与えてくださいます。
私には、「空の鳥、野の花を思い見よ」は忘れられない経験があります。主との出会いを経験した翌朝、点呼の後、すずめの囀りが妙なる調べとなり赤土の中に一輪の紫色の花を見出し慰めをうけました。後年いろいろの小鳥を飼い益田牧師がこの家は動物園だと驚いたほどです。これが私の本に変わって行ったのです。イザヤ書53章にある荒野のサフランがあの時の花と知り、植物が大好きになりました。 この部分は素読でも意味がわかりますが、この中から幸福論その他多くのものを学び取ることが出来ます。
この箇所を読むだけでも神様が存在していると聖書が語り、一人一人の人間のことに配慮し、責任を負い、愛しておられることを知ります。心から感謝をするのみです。
1945年3月徴兵延期が取り消された。前年の12月に徴兵検査で甲種合格になっていたので、入隊することとなりました。子供の頃から満州事変・中国事変・太平洋戦争と青年期まで戦争で育ちました。私の人生の原点は戦争の影響下に決定的におかれています。明治憲法下に青年前期を過ごしましたが敗戦後新憲法の下に戦争のない生活を営むことが出来ました。しかし状況は逆戻りしつつあるように見受けられ心痛めています。若い人々は戦争を忘れているように見られますが、あの残虐さ非人間生活を味わわせてはならないと決意して批判を承知で平和運動に関ってきました。
イザヤ三十二15〜20 「ついに、我々の上に霊が高い天より注がれる。・・・・・・・ 17正義が造りだすものは平和であり、正義が生み出す者はとこしえに安らかな信頼である。18平和の住みか、安らかな宿憂いなき休息の場所に住もう。・・・・」日本の歴史上このみ言葉通り正義が生み出した平和は新憲法平和憲法にあります。憲法は国の基本法であり、権力から国民を守るところにあります。近代国家では国民の義務以上に国民の権利が強調されます。なぜならそれが正義であり平和の根本です。
私は日本国憲法の中心は第9条にあると信じています。イザヤ2章4節「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣をあげずもはや戦うことを学ばない」戦争の出来ない国にしたのは日本発案の平和憲法にあります。
改憲論者は9条を昔の憲法に戻したいのです。戦争の出来る国にしたいのです。これ以外は余りにも権力に偏っていたのでGHQが干渉したのは事実です。国民の権利を拡張したのです。確かに時代の進歩に合わせて改良しなければなりませんが、9条に手をつける目的がありありですので不便をしのいで改憲反対です。解釈改憲で防衛省まで作った権力機構は信用できません。
戦争中にはABCD包囲陣をしく鬼畜米英撃滅の標語の下、一億玉砕など叫ばれ軍部は敵対心をあおり続けました。マタイは自我を捨て、厳しい積極的善によって報復を断ち切る生き方を示します。この箇所ほどキリスト教倫理の真髄を示している箇所はないとバークレー聖書注解は言っています。『目には目を、歯には歯を』は古代オリエントのハムラビ法典にて同態復讐法とか同害報復法といわれる法律が習慣法の不公平さを抑えました。しかし主は積極的に敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさいと勧めます。当時の人は隣人とは同邦人を、異邦人を敵としていました。
隣人を愛し、敵を憎めと言われているが、主は敵を自分を愛するように愛しなさいと命じられます。多くの人々は敵を愛するなんて不可能な要求をしていると攻撃します。この攻撃は私も何度も経験しています。45節以下・・・自分を愛してくれる人を愛したところで何の報いがあろうか。そのようなことは収税人(ローマ政府の手先として嫌われてた)も同じことをしているではないか。
私達は愛において異邦人と同じであってはならない。私達の天の父が完全であられるように、私達も愛においても完全な者でなければならない。特に個人的な悪に対して手向かいせず主に委ねるのです。公の悪に対しては敢然と戦います。その点については私達は雄雄しくあり強くなければなりません。愛の生活には強い信仰が必要です。
夏が来ると思い出します。67年前の敗戦の年です。見渡す限り赤土にその中に緑の葉を覗かせる大根のみの灼熱のトンネル陣地に佇み頭から地下足袋まで真っ赤に染めて死より他考えられず将来の夢も捨てざるを得ない自分を思い出します。生きること命をもつことが出来ない現実の中で、私は幸いにも歩兵操典など軍関係の本に混ぜてポケット新約聖書を忍ばせて持ち込み、隠れて読んでいました。ヨハネ3章が励ましになった事は忘れられません。
三1〜15 主イエス様とサンヒドリン(ユダヤの最高宗教議会)の議員でありかつ律法学者であったニコデモとの会話です。彼はパリサイ派であった。パリサイ派は主イエス様に敵意をいだく偽善的宗教家として聖書は語っています。ニコデモは自分の内にある闇のような暗さを感じていたようです。2節ある夜人目を避けて主のもとに来て言った「ラビ(先生)・・・・」主は答えて言われた『はっきり言っておく、人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない』と彼に答えて対話が始まりました。主は5節『・・誰でも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。肉から生まれるものは肉である。霊から生まれた者は霊である。・・・・』自分の真実の姿を知ってそれを悔い、水(もの)で洗礼を受けたものは肉からうまれたもので、イエス様の霊の洗礼を受けた者は霊であると主は彼に語られた。ニコデモは「この年になって、もう一度母親の胎内に入って生まれることが出来るでしょうか」と反問しています。
テサロニケの手紙四23では全人格が守られるようにと熱烈な祈りの表現として、霊(ギリシャ語πνευμαプニュウマ英spirit)と心(φυχηプシュケーsoul魂、情感を司る)体(σωμαソーオマbody)も主は何一つ欠けたところのないものとして守り・・非のうちどころのないものにしてくださいます。生物としての人は肉と魂を持ちますが、人間になるには霊的存在にならねばなりません。
主キリストに出会って、霊によって新しく生まれなければ神の国に入れないと主はニコデモに語られたのです。彼は地上的な肉的な観念から離れえなかったのです。神の国に入るには主の示される啓示を信じて永遠の命を得なければならないのです。
ヨハネは三16をこの福音書の目的として示しますが、福音全体の真理の素晴らしい要約でもあります。キリスト教の本質はこの一節によって完全に示されています。神の独り子である方の死によっての永遠の命の賜物は、主イエス様を信じる者のすべての罪汚れを御自分のものとして、主は十字架の上で贖ってくださいまして与えてくださったのです。
私達は主こそ、イエス様こそ私たちを救って全く欠けたところのない。即ち霊と魂と体を全く聖いものとしてくださり、永遠の命を与えてくださり、神の国に迎えてくださるのです。キリスト者の最大希望はお互いこの永遠の命に預かる事です。この希望は死をも乗り越えるものです。私達はいつの日か主イエス様のもとで愛しい懐かしい方々とお会いできるのです。そのためにも三16を感謝して拝受したいものです。
出エジプトのモーセの生涯を見たとき、モーセの信仰は何処から来ているかと不思議でした。パロ王はヘブライ人を迫害している其のとき王の娘がナイル川から男の子を救い出した。ミリアムの機転で、王女は母ヨケペテを乳母として育てさせた。幼児を引き取った王の娘は自分の養子として王宮で育て彼をマーシャー(引き出す)私がこの子を引き出したと言いモーセと名付けた。40年後モーセがヘブライ人を王に敵対して奴隷から引き出した。神様の仕組まれたユーモアです。しかも死ぬべき運命におかれたわが子を王女から手当てを貰って育てるのですから。
モーセは当時の習慣で満三歳までは乳児・その後は幼児となり、その後王女の養子として最高の教育と訓練を受けた。両親の膝下で育てられたことが彼の信仰の原点であったのでしょう。両親は子供達に神様の教えよと命じられた戒めと掟と法を与えることは義務であった。申命記六1〜5、レビ十九18、モーセ自身が両親から受けた教えが下敷きになっているようです。このヤウエーの教えの上に王子の教育・訓練があり、40歳から80歳までのミディアンでの羊飼いの中での経験瞑想の中、燃える芝などの中での神様との出会いで信仰を確立したのでしょう。
マルコ十二28〜34愛児園でこのみ言葉を覚えてもらおうと言った時、先生達は長くて無理だと言いましたがお話をした上で数回言わせたら覚えて毎日の礼拝で声たからかに暗誦しました。その上に主の祈りをなし、信仰告白までするのには見学にお出でになっていた牧師も驚いていました。そして宗教教育の必要性を痛感したと言われるほどでした。これらの幼子達の将来にこのみ言葉が大きな働きをすることを信じています。
シェーマー(聞け)申命記六4と言えばイスラエル人たちは前記の申命記・レビ記が口に出るそうです。モーセ五書を大事にしている人たちですからこの二つのみ言葉は特別なものです。彼達は律法を守らねば神に近づくことが出来ないと信じていますので、律法主義者に陥ってしまい実行不可能から偽善者的信仰にならざるを得ないのです。{偽善者について主の厳しいお言葉がマタイ23章にあります}
律法を遵守しようとすれば成しえず。パウロが言うように律法は私達に罪を示し罪のはらう価は死である事を知り、ローマ七24「私は何と惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか。私達のイエスキリストを通して神に感謝します」律法は罪を示し、キリストの贖いを信じて永遠の命を得るか偽善の道に進むしかありません。
マルコ12章が述べるようにこれらの掟を守る事はどのような私達の犠牲にも勝る者です。この律法学者のお答えに主は『あなたは、神の国から遠くない』と言われた。私は今でも愛児園の子供が礼拝をしながら「私達の神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい」と暗誦していました、ほんとに主が言われるとおりに『この二つに勝る掟は他にない』この二つを心に刻み込んでおれば、自由に行動していても神様の御意志に反することはありません。また律法を犯すこともありません。これがキリスト者の自由です。
神殿の聖所までは祭司が奉仕のため入ることが出来ますがその奥は幕で仕切られた至聖所がありそこには年1回のヨム・キップル贖罪の日に、大祭司が自己の贖罪のために雄牛を贖いとして屠り、その血を携えてはいることが出来ました。レビ16勝1節〜19節
アロンを初めとする大祭司には、死と言うものがあるので、勤めを何時までも続けることが出来ず、多くの人たちが祭司に任命されました。しかし、主イエス様は永遠に生きておられるので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。この方は常に生きていて、人々のために執り成しをなしておられるので、ご自分を通して神様に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
七26〜28「この様に聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの人よりも高くされている大祭司こそ、私達にとって必要な方なのです。この方は、他の大祭司達のように、先ず自分のため、次に民のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえは唯一度、ご自身を献げることによって、成し遂げられたからです。律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いのみ言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです」この大祭司は八2〜6「人間ではなく主がお建てになった聖所又真の幕屋で、仕えておられるという事です。すべて大祭司は、供え物といけにえを献げるために、任命されています。それでこの方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司達が現にいる以上、この方は決して祭司でありえなかったでしょう。この祭司達は、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており。そのことは。モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けた通りです。神は「山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。しかし、今、私たちの大祭司は、それよりはるかに優れた勤めを得ておられます・・・」
九1〜12「・・・5節祭司達は礼拝を行うために、何時も第一の幕屋に入ります。しかし第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えていきます。・・・・・けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としてお出でになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、さらに大きく、さらに完全な幕屋を通り、雄山羊と雄牛の血によらないで、ご自身の血によって、唯一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
主は十字架上で、七つの言葉を発しておられます。最後のお言葉は『成し遂げられた。テテレスタイ τετελεσται』と一声大声を出されて息を引き取られました。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。マタイ二七50・51(聖所と至聖所を隔てていた幕)。この瞬間私達は聖い神の前に出る者とされたのです。ヘブル十19・20「兄弟達、私達は、イエスの血によって聖所には入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道を私達のために開いてくださったのです」
私たちキリスト者が、「イエス様は私の救い主キリスト」と告白できるのは流された血によって至聖所へと裂かれた垂れ幕主の肉を通って救いの道に導かれたからです。四15・16節「この大祭司は私達の弱さに同情できない方ではなく、罪を犯さなかったが、あらゆる点において、私達と同等に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、めぐみにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」この主の愛に対して私はどのようにお報いすればよいのでしょうか。
聖歌102「主は命を与えませり」を賛美しましょう。
過越の祭り(ペサハ)はユダヤ人にとっての最大のものです。ヤァウエーの神はモーセの手を通して十の奇跡をもってイスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出された記念の日として代々にわたって守ってきました。12章1節〜20節。モーセはイスラエル長老すべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、1歳の傷のない雄の子羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。その血を鴨居と二本の柱にヒソプの束で塗りなさい。・・・主が巡られる時血を塗られた鴨居と柱をご覧になって、その入り口を過ぎこされる。滅ぼす者があなた方を撃つ事がない・・・・」21節〜23節
過越の食事については、家長は子らの問いに答えて、祭りと食事の意味を教える定めになっていました。(出十二26・27.十三8)福音書は、最後の晩餐の記事において主の言葉を多く述べられますが、特に(ヨハネ十三31〜十六33)と長い主の説教になっています。
主イエス様と弟子たちはエルサレムの二階座敷で、主が弟子達の足を洗われることをもって過越の夕が始められました。キリスト御自身が自ら生命のパンを裂き、契約の血としてのぶどう酒を分かち与えられました。そしてゲッセマネの祈りまで繋がります。この日から過越の食事が新しい意味を持つことになりました。
エルサレムの二階座敷は大きな部屋の上にそれより小さな部屋が重ねられたようになっていて外階段が入り口になっています。過越の期間中はエルサレムの宿屋はすべて無料でした。そしてそこで主と弟子達の祝宴が始まったのです。主は古代からの仕来りを用いてサクラメント(主によって定められた恩恵を受ける手段・方法)の深い意味をお示しになられたのです。
祭りの食事はエジプトの奴隷の鎖からの脱出を覚える日でしたが、この日の食事から新しい意味が与えられた。今や罪の鎖からの開放を記念する日となったのです。かつて死の使いを過ぎ去らせるためにエジプトでイスラエル人は鴨居と二本のはしらにヒソプの束で子羊の血をぬった。だがいまや神の子羊イエス・キリストの血に変えられました。そしてこの祭りのパンとぶどう酒が聖餐の恵みとして私達弟子に与えられたのです。
この聖餐は「主の死を記念し、告げ知らせる」ものとして守られるのです。裂かれた体と傷とその痛みに触れる時でもあります。聖餐式は過去の出エジプトの記念として守るのではなくて、復活されたキリストと、主の民との交わりが与えられる恩寵の通路となったのです。信仰を持って聖餐に与る者は、聖霊の助けと導きによりキリストと一体にされるのです。キリストの体に与ることは、キリストに繋がる他の枝と交わる事です。キリスト者はキリストのからである教会の構成員です。教会につながる兄弟姉妹の眼に見える関係が教会です。
人間は文字通り人と人の間に存在すべき関係として創造されたのです。現代は鬱などを病む心の病が増えていますが、精神科医は交わりこそ大きな働きをすると述べています。この罪の鎖を打ち砕き、キリストは十字架にかけられ、肉を裂き血を流すことによって、罪によって、私達を神からも兄弟姉妹からも離してしまった者を和解の業によってほんとの交わりへと導いてくださいます。あの最後の晩餐は十字架を意味する聖餐式であること心に銘記してください。
1738年5月24日にジョン・ウェスレーの第二の回心が起こりました。その夜彼はロンドンのアルダスゲイト街の小さな教会の集会に出席しました。そこである人がルターの「ローマ人への手紙のための序文」を読んでいました。信仰とは何であり、そして信仰のみが人を義とすると書いてあるあたりに来たとき、あの第二の回心(聖め)を経験したのです。彼はその日の日記に「私は私の心が不思議に温まるのをおぼえた。私は救われるためにキリストに、唯キリストのみに信頼した、と感じた。そして、この私の罪をキリストが取り去ってくださり、罪と死との律法から私を救ってくださったと言う確信が与えられた。・・・そこで、私ははじめて今私の心の中に感じた事柄を、公にそこにいるすべての人に証ししたのである」と書いています。私も彼と同じ経験をしました。機会を見てウェスレーの事と私の事を証しします。
さてエマオ途上の弟子たちに変わります。彼達はエルサレムから西に向かって日没の方向へと歩きつつ声高に話し合い論じ合っていたとき、イエス様御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められました。夕日がまばゆく照らされ主イエス様を見分ける事が出来なかった。キリスト者は消極的に生きる(日没の方向)のではなく積極的(日の出の方向)に歩まねば共に歩まれる主を見失います。二人が悲しみと失意の中でこの事を忘れていたのです。あの方こそイスラエルを開放してくださると望みをかけていました。その方は十字架に果てました。それで彼らの夢も希望も消えてしまったのです21節。そこでイエス様はモーセとすべての預言者から初めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれている事を説明されました。26・27節。
一行は目指す村エマオに近づいたが、イエス様はなおも先に行こうとされる様子だったので、二人は「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので主イエス様は泊まるために家に入られた。主は同じ方向に行く旅人のように振舞われ、彼達の中に割り込もうとはされず。彼らが招き入れてくれるのを待っておられた。神様は我々人間に自由意志を与えてくださった、私達はそれを、キリストを私の心にお迎えし宿っていただくために用いる事も出来れば、空しく過ぎ去らせる事にも使えます。自由意志はそのような意味で人を生かしもし死なせることも出来る最上のものでもあり非常に危険なものでもあります。二人は無理に主を引き止めたので復活の主にお会いできたのです。
主が通常の夕食でパンを裂かれた時、二人には主だとわかった。キリスト者は何時でも、どこでもキリストと共に歩み語り合うことが出来ます。私達の囲む食卓にもおられるのです。クレオパともう一人の弟子二人は「道で話しておられる時、又聖書を説明してくださったとき、私達の心は燃えていたではないか」と語り合った。そして時を移さず出発して、暗い危険な11キロの道を急ぎ、エルサレムに戻り集まっている人々に歓喜の経験を証しした。そこには同じ経験をした人々がいました。キリストについて共通の体験、同じ思いを分かち合う素晴らしい人々の交わりに入れられているのがキリスト者の集いです。それが教会です。私にとって主にある交わりの元住吉教会はいのちです。すべてです。
イエス様と弟子達は土曜日を安息日として礼拝を守っていました。金曜日に主は十字架にかけられて殺されました。弟子達は失望落胆しユダヤ人を恐れ自分達のいる家の戸に鍵をかけていた。そこにイエス様がお出でになり真ん中にお立ちになって『シャローム』(あなた方に平和があるように)と言われて、手と脇腹とをお見せになった。このときより弟子達は主イエス様のご復活を記念して日曜に主日礼拝をすることにしてこの夕べは第一回の夕礼拝でした。そこで主は、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなた方が赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなた方が赦さなければ、赦されないまま残る。』
12人の一人でディディモと呼ばれるトマスはイエス様が来られた時、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子達が「私達は主を見た」と言うと、トマスは言った「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、又、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」彼は特に疑い深く、人を信じることが出来ない男であったわけでもありません。彼は実証主義者で、目で見、手で触れてみなければ納得できなかったのでしょう。現代人のように批判的・客観的にものを考える人物であって単なる懐疑論者ではありません。自分の理性が承知するまでは、キリストの復活も、信仰の力も信じられないと言うのです。疑惑を持ちながらも黙っていて自分のうちにこもり、やがて不満を持ちながら去って行くのは正しいことではなく残念な事です。トマスはそうではなく、帰って来ました。
トマスのようにイエス様の復活は自分の目と手で確かめなければと言う疑問をハッキリと述べることが良いのです。彼の疑問は誰も証明し論じてトマスの疑問を解くことはできません。唯復活の主ご自身だけが解決できるのです。彼は主の復活を語る弟子達との交わりを避けて主日礼拝を守らなかった事です。十戒が命じる安息日(土曜日)を守ることをやめて主日礼拝を私達が守るのは、主の復活の記念日だからです。最初の復活祭から今日まで、弟子達即ちすべてのキリスト者が、復活の主を憶え、そのご臨在を確信する主日として守ったのです。トマスの失敗は、弟子達が復活の主にまみえた第一回の復活礼拝を守らなかったからです。
しかしこれはトマスだけではありません。今でも主日礼拝に出席しない人は、復活の主に接することが出来ません。そして愛を失い、疑惑が彼を覆い,兄弟姉妹を疑い、教会を疑い、神の言葉聖書まで疑います。
さてトマスは幸いなことに次の主日に弟子達の群れに加わり主日礼拝に出席したのです。26節〜29節戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエス様がお出でになって真ん中に立たれ、『シャローム』と言われ、トマスに語りかかられ27節『・・・・信じないものではなく、信じる者になりなさい。』トマスは「私の主、私の神よ」と信仰告白をした。イエス様はトマスに言われた。『私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである』これらのみ言葉は私自身にも語られた御言葉です。主の復活を信じることが出来ず。直接見ることが出来た弟子達は幸せだなと思っていた私に信仰を持って主との出会いを経験させられたと、心から感謝しています。そして主日礼拝の大事さを改めて示されています。
先週は精神的にも肉体的にもそのほか辛いことがありました。其のとき励まされたのが創世記のヨセフと弟子ペテロです。兄達に奴隷に売られ、冤罪で牢に降り、そこで王の傍に仕えた人の夢を解き、王に執り成して欲しいと願ったが彼はすっかり失念、それでもヨセフは奴隷の時も牢獄でも不満を述べず与えられた仕事を忠実にこなしていました。それで主が常に彼と共におられた。王が夢を見て悩んでいた時、給仕役の長はヨセフの事を思い出して王にいきさつを申し出て、王の夢を解いて、王の次の位に引き上げられました。神様の時は実に素晴らしいです。又復活の主のペテロに対しての愛の配慮とともに先に述べたヨセフのことが大きな励ましになりました。
素人のイエス様の命令に従って網をおろしたら、船に引き上げることが出来ないほど魚が取れた奇跡と、それに続く主が準備された朝食をとったときから「人間を取る漁師」として召された新しい弟子たちの生涯が始まりました。
13章36〜、18章15〜ペテロは主の裁判を案じつつ、大祭司官邸の中庭で火にあたっていた時、三度も主を知らないと言ったことは、イスカリオテのユダの裏切りのようにペテロは感じたことでしょう。主が復活されたと聞いたとき強い自己嫌悪に襲われて、エルサレムから逃げ出してガリラヤ湖に帰ってきたのです。
しかし復活の主は朝の食事を終え、火にあたりながらペテロに『ヨハネの子シモンこの人たち以上に私を愛しているか(アガパス・メーαγαπασ・με)』と言われた。ペテロは「はい、主よ、私があなたを愛していることは、(φιλω・σεフィロオ・セ)ご存知です」と言うと、イエス様は㈰『私の子羊を飼いなさい』といわれた。二度目にイエス様は言われた『ヨハネの子シモン、私を愛しているか(アガパス ・メ)』ペテロが「はい、主よ、私があなたを愛して(フィロオ・セ)いることは、あなたがご存知です」と言うと、イエス様は、㈪『私の羊の世話をしなさい』と言われた。三度目にイエス様は、言われた。『ヨハネの子シモン、私を愛しているか(フィレイス・メ)』ペテロは三度目も『わたしをあいしているか』と言われたので悲しくなった。「主よあなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを(フィロ・セ)あなたはよく知っておられます」イエス様は言われた㈫『私の羊を飼いなさい。・・・・・』
主はペテロが鶏の鳴く前に三度主を否認したと同じだけ『私を愛するか』と三度繰り返してたずねて、彼に忠誠と服従の決心を確認する機会を与えなさった上で三度新しい使命を与えられました『私の羊を養いなさい』と。いつも群れの先頭を歩まれた羊飼いキリスト、羊のために命を捨てられた良い羊飼いキリスト。ペテロにこの羊飼いの尊い責任を与え、群れの先頭を歩み、命を捨てよと命じられるのです。
ペテロのように躓き、裏切り、何度失敗しても、『私を愛するか』と問われる主に「あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることをよく知っておられます」とお答えして『私に従いなさい』とのご命令を頂きたいものです。
私はアガペー主の愛を思うときロマ8章20が心に浮かびます。「神を愛する者、すなはち御旨によりて召された者のためには、凡てのこと相働きて益となるを我等は知る」私達は神に愛されて始めて神様を愛し、隣人を愛することができるのです。
注、ギリシャ語には愛という概念を表すために、『エロス(常に自我の満足を求める。これが異性愛に用いられるようになります)ストルゲー(肉親間の愛)フィリア(友情のような愛)アガペー(与えることを望む思いやり、神の愛。先の三つを含有します(カリスマ)』
1章1〜4節 聖書は神は・・・語られた。と言う事実の上に立っています。かつて旧約時代)預言者達によって語られ、終わりの時代(新約)には御子によって私達に語られました。語り方が異なっても神が語られたという事実は変わりません。御子によって世界は創造されました。そして3節「・・・人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」
4章7・・・「今日、あなた達が神の声を聞くなら、心を頑なにしてはならない」・・・前に福音を聞かされた出エジプトのイスラエルは不順順のために安息に入れなかった。しかし、安息に入るべき人を求めておられる神様は荒野の悲劇から数百年たった後にも、今日心をかたくなにせず神様に従いなさいとお勧めになるのです。と言うのは12節「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃のの剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることが出来るからです」
さて14節 「私たちにはもろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、私達の告白する信仰を堅く守ろうではないか」。「この大祭司は、私達の弱さを思いやることの出来ないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、私達と同様に試練に遭われたのです。」聖歌99番。
私達は祈りの最後に主イエス様のお名前によって祈ります。それはヨハネ14章〜16章までの遺言的説教の中に三度語られておられます。㈰14章13・14節。㈪15章16節。㈫16章23・24節。イエス様の名によって祈れば何ゆえ父なる神様は私達の祈りを受け入れてくださるのでしょうか。主イエス様は人間として悲しみや悩み、飢えや渇き、怒りや疲労なども私達と同じように味わられ、それに打ち勝たれました。16
「だから、憐れみを受け、恵みに与って、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
不安と混乱の中で人は何に頼ってよいか困惑迷っています。虫が食い、さびが付き、盗人らが押し入って盗み出すような地上のものに頼ります。また親・子供・兄弟・配偶者など信頼しているであろうに、毎日の新聞には裏切られ殺されている記事が残念ながら見ることができます。これでも氷山の一角でしょう。しかし主イエス様は私達を見捨てて孤児とはしないとご遺言で述べておられます。ヨハネ14章18節。
貧しい生活も弟妹達に食べさせるためご自分は食事をなさらなかったことも在ったのでしょう。主のお話を聞いていて食事時になった折、弟子達が心配して語り合っていた時少年が大麦のパン五つと魚二匹持っていることをアンデレが報告したところ主は人々をそこに座らせなさいと弟子達に言われた。座したのは男だけで5千人であった。主はこの人々を飢えたまま帰す訳にはいかないと、給食の奇跡で彼達を養われました。
私達が主イエス様の名によって祈ると、主は御自分の人間として生活を通して、今この人は私の経験したあの辛さ・痛みを持っていると理解され父なる神に執り成して下さいます。それで私達は祈る時ありのままを申し上げるのです。イエス様が私のため執り成してくださるのですから。私達も兄弟姉妹のためのとりなしの祈りをするのは当然です。私は愛と恵みに富んだ主と共に在ることを感謝しています。
人は誰でも何かをする時、常識や経験又学んだことお用いて行動に移すものです。主に反感を持つ人たちの扇動によって、罪はないと宣言するピラトに対してローマ王こそ我らの皇帝であると言い彼を脅迫して十字架刑につけて殺させた。ヨハネ18章1〜16節、このことで失望落胆した弟子達は、三日目の日曜日の朝、マグダラのマリヤ達がもたらしたキリスト復活の知らせも、自分達も見た空虚な墓も、エマオ途上で主にお会いしたと言うクレオパ達の報告にも確信を持てずに、ちりぢりになったしまった。
ヨハネ21章1〜13節ペテロと前に漁師をしていた六人はガリラヤ湖に帰って来た。彼らも虚脱状態で何も手にできない有様でしたが、突然ペテロが「私は漁に行く」と言うと ほかの六人も「私達も一緒に行こう」と船に乗り込んだ。しかしその夜は何も取れなかった。岸に立っておられたイエス様が、『船の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れるはずだ』そこで網を打ってみると、魚が多くて引き上げることが出来なかった。その時3年前の同じような出来事を思い出したヨハネがルカ5章 ペテロに「主だ」と言った。それを聞くと彼は上着をまとって、湖に飛び込み少しでも早く主のもとへと泳ぎました。他の弟子達は魚のかかって重くなった網を引いて船で戻ってきた。数えてみると百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。しかも網は破れていなかった。153は実際見ていたこと岸から約百米など数字は事実を示しています。又この数は聖書の示す数字の意味でいろいろ素晴らしい解釈が出来ます。
又魚は弾圧の激しい時十字架のしるしを避けて、魚で示しました。魚はギリシャ語ιχθυεσイクスース「イエス・キリスト・神の子・救い主」ギリシャ語の頭文字をつないだものです。神を信じる者は神の子と聖書は述べています。つまり神の御子を信じる事によって神の家族に入れられた神の子達です。主に従うとき私達の労苦は無駄になる事はないのです。コリント前15章57・58節
ペテロ達は一晩中、自分達の経験と知識によって漁をしたが、徒労に終わり収穫はなく疲労のみ残って帰路につきました。彼達が努力に失敗した後、非常識と思われる主イエス様のお言葉があったのです。それに従ったとき前記の大収穫です。
前コリント15章1〜11節・12〜19キリストの復活は人間の経験、常識では理解できませんが、信仰の目を持って神の恵みにより弟子達はキリストの復活を信じたのです。キリストの復活を信じなければ私達の信じたこと自体が、無駄になります2節。14節。もしキリストが復活しなかったなら、私達の信仰はむなしく、私達は今なお罪の中にあることになります。7節
十字架の死だけであったら殉教者が死を持って信仰を維持できたでしょうか?私のような小さな信仰でもガラテヤ2章20「我キリストと共に十字架につけられたり。最早我生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり。今我肉体に在りて生くるは、我を愛して我が為に己が身を捨て給いし神の子を信ずるによりて生くるなり」。のみ言葉が与えられました。私が今信仰に生きているのは信仰と恵みを神から与えられているからです。自分の小さな経験や知恵で失敗して、人間的な試みを捨て神のみ言葉に従ったゆえです。主に従った事で私の人生の苦労は無駄ではありません。
主イエス様が、マルタ、マリヤ姉妹の弟ラザロが死んで4日後、墓の洞穴の前にたたれた。ヨハネ11章38節〜54節イエス様のなさったラザロの復活を目撃した多く人と、イエス様を信じそれを聞いた人々も、イエス様が過越しの祭りにエルサレムに向かわれることを聞いて都に集まって来ました。ヘンデルのメサイヤのハレルヤ・コーラスがこの情景を表している感じです。
イエス様は神殿を中心にした祭りを大事にされました。ユダヤには六つの祭りがあります。1)ロシュ・ハシャナ新年祭で9月。神による世界創造を記念します。2)ヨム・キップル贖罪日、9・10月頃。贖罪の為の断食と祈りの日です。3)スコット仮庵祭、3・4月頃、荒野の放浪を偲びます。4)パサハ過越祭、3・4月頃、エジプトの脱出を記念します。5)シャプオート5旬節、パサハの50日後、モーセの十戒を祝います。6)ハネカ光の祭り、ギリシャに対する勝利を祝います。最も大事にされたのがパサハ過越祭です。丁度キリスト教の祭りの復活祭のように大事なものでした。
主イエス様は福音を語ったガリラヤ湖畔、青少年時代をすごしたナザレ、マリヤ・マルタ・ラザロの温かいもて成しを受けたベタニヤではなくて、死に場所として選ばれたのはエルサレムでした。そこが首都であり神殿があり政治の中心であり聖なる都であったからではありません。ラメンタリ・エルサレムと嘆き悲しまれた都、預言者や遣わされた者達を殺した罪人、反逆の町だからでした。
ゼカリヤ9章9節に預言された通りに弟子達が服をかけしいた子ロバに乗ってエルサレムにお入りになった。人々は自分の服を前に敷き、野原から葉の付いた枝を取ってきてそれを敷いて主の前後に従い棕櫚の枝をかざして叫んだ。「ホザナ(救い給へ)主の名によって来られる方に、ダビデの国に・・・・ホザナ」彼達は神の国の到来を説かれた主の教えを信じることなしに、占領軍ロマから救い出すお方として歓呼の声を持って主を迎えたのです。威風堂々と軍馬に乗っての主に期待したのでしょうが、現実は小さなロバの子に乗られてとぼとぼと歩まれているのです。それであるから4日もしないうちに祭司長達の扇動で十字架につけよと叫ぶのです。ピラトは「一体どんな悪事を働いたと言うのか」と言う言葉を打ち消すように十字架につけよと激しく叫び続けるのです。彼達は救い給へホサナを政治的に受け取ったのです。神のみ言葉を御霊の光で受け取らなければ彼達と同じ間違いを犯します。
キリストは罪の都エルサレムにおける苦難と死を3度も予告なさっておられます。ペテロは主をいさめ「・・・・・そんなことがあってはなりません」主は振り向いて『サタンよ、引き下がれ。あなたは私の邪魔する者。神の事を思わず、人間のことを思っている』とお叱りになっておられます。主はご苦難と十字架は父なる神のみ旨であると確信しておられるのです。
私は信仰を持つまでは十字架を旗印とする教会に入ることが恥ずかしく周りを見て誰も見ていないと確かめ、又教会の前を通り過ぎて様子を伺って飛び込む有様でしたが。十字架は私のためであったと信じてからは私の誇りになりました。会堂の上にある十字架を仰ぎ見る時、今は信仰を鼓舞するものとなりました。
イエス様と12弟子たちは過越し祭りを祝うため神殿に詣で、定めによる食事をなさる予定で、エルサレムに向かわれました。都への近道のベタニアをいつも通るのですが、その日は都を一望できるべトラゲを通られました。そして主は『ああ、エルサレム、エルサレム・・・・』と涙の叫びを発せられました。マタイ21章37〜39ラメンタリ エルサレム(エルサレムへの嘆き)です。
エルサレムは預言者達を殺し、自分達のために遣わせられた人達を石で打ち殺す者達であったが、主は彼らを見捨てることなく雌鳥が雛を羽の下に集め、襲いくる危険から彼達を守ろうとされてエルサレムを幾度も訪問されました。しかし彼達は頑なに母鳥の翼の下に入るようにとの愛の招きを拒む、そのエルサレムを主は嘆かれたのです。
主が受難週を過ごされエルサレム郊外のカルバリーの丘を十字架の苦難の場所と選ばれたのも滅び行く魂が多くこの地に存在していたからでもあったからでしょう。今のまま罪の中で生活すると、拠り所である祈りの家・神殿はあなた方の住まいでしかなくなり、破壊される時が来ると述べられるのです。その愛する民衆から十字架に就けよとの叫びを聞かれた主はどのような苦痛を味わわれたことでしょうか。
その後弟子達の年長者であり指導者ペテロは手紙の中で、不当な扱いを受けている信者にたいして、それらのキリスト者(ここではキリスト者の奴隷)より先んじて受けられた主のご苦労の足跡に続くようにと主は模範を残されたと述べます。第一に主は罪もなく完全な方が苦しみを受けられたのです。第二に、キリストは苦しみに耐えた者の模範です。主はののしり続けられ脅かしの連続を経験されたが、それには反応されず一切を神様に任せ続けられました。耐えられたお苦しみはイザヤ53章に預言されています。
㈵ペテロ2章24・25わたしたちの摸範者としてのキリストの死を述べます。主は十字架にかかって、自らその身に私達の罪を担ってくださいました。私達が、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなた方は癒されました。罪を負うとは、祭司が犠牲を祭壇の上にささげる意味と(ヘブル7章27節)ささげられた犠牲が罪を負うとの意味があります。キリストはこの二つを成し遂げられました。キリストは十字架に、自らを罪人の立場におき、のろいを受けて身代わりになられました。
第二にキリストの死は私達が、罪に死んで義とされた生活を送るためなのです。そして主のうち傷のよって、たましいの傷が癒されるのです。
第三に、キリストの死の結果が述べられます。十字架の故に信者は神のもとに帰るのです.キリスト者の以前の姿は羊のようにさ迷っていたが、今は、魂の牧者であり、監督者であられるキリストのところへ戻ってきたのです。この牧者は詩篇23篇に述べられています。
主は十字架の上で私達に罪を贖われたのですが、贖うとは代価を払うとか物々交換をする事です。私の罪のために血を流され肉を裂かれる十字架の代価を払ってくださったのです。イザヤ53章とここを拝読しながら受難節を心して送らねばなりません。
22日灰の水曜日から受難週土曜日までの46日間(日曜日を除いて40日)をレント(4旬節、受難節)として、主の十字架の苦難を偲び、神の愛に感謝し、懺悔と祈祷の聖別された季節として守られてきました。勿論キリスト者にとって、キリストの十字架の苦難に感謝・思いを持つことは、受難節を問わず常に覚えることは当然の事ですがあなたは如何でしょう。
40章1節〜14節 ヨブは友人達の対話で自分は正しいと主張、彼達に反論していましたが、エリフが、・・・それゆえ人は神を畏れ敬う。人の知恵はすべて顧みるに値しないと彼が弁論を終わると、ヤァウエーは沈黙を破られて嵐の中からヨブに答えて仰せになった38章〜41章、ヤァウエーがヨブと一対一で向き合われたのです。38章2節『これは何物か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。私はお前に尋ねる、私に答えてみよ』と1章で私の僕とサタンに主は言われているヨブに対するお答えは厳しいものです。
ヨブは25章シュア人ビルダドに答えて27章5・6節「断じて、あなた達を正しいとはしない、死に至るまで私は潔白を主張する。私は自らの正しさに固執して譲らない。一日たりとも心に恥じることはない。」と断言しますが、人間存在そのものの原罪を認め19章25節〜27節「私は知っている私を贖う方は生きておられついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようともこの身をもって私は神を仰ぎ見るであろう。この私が仰ぎ見るほかならぬこの目で見る」。と主の十字架を信仰の目で見て予見しています。この信仰が旧約と新約を結ぶものです。その信仰にかかわらず。
40章においてヤァウエーは2節『全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責めたてる者よ、答えるがよい。』その主にたいして「私は軽々しくものを申しました。・・もう主張いたしません・・・」と言う彼に『・・お前に尋ねる。私に答えてみよ。お前は私が定めたことを否定し自分を無罪とするために私を有罪とさえするのか』と厳しく彼を糾弾なさいます。
ヨブは主に答えて42章「あなたは全能であり御旨の成就を妨げることは出来ないと悟りました。・・・そのとおりです。私には理解できず。私の知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。・・・あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目で仰ぎ見ます。それゆえ、塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」燃え尽きた情熱、炎も熱も失ってしまった冷たい灰の持つ深い意味を懺悔の言葉とした彼の信仰の奥深さを見ることが出来ます。自分を退けは口語訳の自らを恨みの方が原意(マーアス)をはっきりさせます。
主は三人の友人に対して『怒りおまえたちは、私について私の僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。自分の罪のために犠牲を捧げ、ヨブにとりなしの祈りを請い願えば罰を与えないことにしよう』と仰せられた。その事を実行した。そして、主はヨブの執り成しの祈りを受け入れられました。
ヨブ記の対話は、我と汝の関係を述べ、今ここに私の前に立たれる神様との関係を語り、幕を閉じます。2千余年前に哲学的神学的問題がこれほど深く取り上げられていることに私は感銘を受けます。
1955年糸川秀夫博士がペンシルロケットを発射して以来次々と大きくしたロケットを発射してその知識を蓄積しました。その蓄積がはやぶさを製作する知恵と凝集して、2003年に地球から旅立つて60億キロ7年の旅の末に小惑星「イトカワ」の岩石サンプルを持ち帰りました。知識が知恵と活用された結果が歴史的偉業となったのです。
知識[knowledge,ギγινωσκωギノスコー、ヤーダ(ヘブ)]と知恵{wisdomギσοφιαソフィア、ホクマー(ヘブ)}は混同されて理解されていますが、神の(主の)知識と聖書が述べるときは、神の知恵と同義に用いられ、知識だけが用いられると、それは人間がその力によって獲得した学問的・技術的な知識であって、自己中心的なもの、人を誇らせ、ついに罪に陥れるものです。それらはいかに勝れていても、ついには過ぎ去り、消えて行くこの世的なものです。
知恵には二つの面があります。1)経験から得られる人間の知恵。2)神の知恵、即ち、天地創造の根幹を成す秩序の知恵です(8章22節〜36節)人間的な知恵は四つに分ける事が出来ます。㈵)生活の知恵、)処世の知恵、)衣服を作る技術・金物などの細工の技術、)裁判や政治を行う知恵・国際間の外交上の条約も知恵に基づいて成されます。
この人間の知恵に対照的にあるのが神の知恵です。神の知恵は人間の知恵の源泉ですが、人間の知恵が有限であるのに対して神のそれには限度がありません。神の知恵に到着する道は、人間の知恵を増し加えることではなく、人間の賢さを否定して神の前に謙虚になる事です。主を畏れる事です。畏敬、恐懼(きょく)する(awe)ことが知恵の初めです。この知恵は神から来ると座して待つのではなく求めなくてはなりません。神の知恵は御霊と共に働いて神の知恵となり、御霊の実を結びます。ガラテヤ5章22節
神の知恵は一般の人にとっては奥義です。コリント第一1章18節〜25節 『十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私達救われる者には神の力です。・・・・
24節 ・・神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。兄弟達、あなたが召された時のことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵ある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。・・・神によってあなた方はキリストイエスに結ばれ、このキリストは、私達にとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇るものは主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです』
人間的な知恵の無力さを知って、神の知恵を求めてください。御霊が共に働いて私達の必要としている神の愛を与えてくださいます。神の知恵の奥義は愛です。聖書を丸暗記し、神学・哲学を身につけても、神の知恵を求め続けなければ十字架の言葉は愚かなものとなります。求め祈りながら聖書を先ず創世記から黙示録まで通読してください。必ず神の力と知恵を聖霊があなたに与えてくださいます。
人は一方に神を信じ、他方に自我の主張を貫こうとしますが、その神信仰と自我の主張が矛盾した場合はそれをどう解決するか、聖書の中のヨブ記で見たいのです。自我と神信仰が全く一つにされる点において聖書の「きよめ」があります。
およそ人間の苦痛の中で自分の罪の結果だと、自分でわかる苦痛であれば理解できます。しかしどう考えても、自分には少しも悪い点はないにも拘らず今非常な苦痛を味わっている。義しい者の苦痛の問題です。義人は何ゆえに苦しむのか、病とか苦痛は罪故と考えていた旧約に時代において、これに真正面から取り組んだのがヨブ記です。
旧約はご存知の通りモーセの律法、創世記から申命記まで5冊、預言書イザヤ書からマラキに至ります。第三番目はさまざまのものがありますが、その中で重要な位置を占めているのが知恵文学のヨブ記です。
モーセ五書、預言者によって書かれたというイザヤ書からマラキ書は、神様からの命令であり問いかけです。人間から神様に議論を仕掛けることは殆どありません。神様からのお言葉を伺って、よく分かりご尤もと思うことはありますが、神様に問いたいと言うことがあります。旧約の第一区分第二区分にはそれが余り表れていません。それがキリスト教発生の直前、人から神様に話しかけたのは旧約の最後の時代に表れてきました。この事を記した書物が箴言・伝道の書と少数の詩篇及びヨブ記です。知恵が基礎となって文学が生まれその文学の中心は神様への人間からの問いかけ、社会現象、人生の問題を人間から信仰的に見て定め、分析し総合するこれが知恵文学です。知恵とは、知・情・意が合致洞察力が加わって、人間存在を規定する働きです。
旧約では苦しい困難な出来事が降りかかってくるのは悪い事をなした罪の結果であるとしたが、ヨブのように神様が正しい人だと保証された義人が、すべての財産を失ったばかりか家が吹き飛ばされ子供達が全員死亡し、その上ヨブ自身が重い皮膚病にかかり、彼は灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしる有様でした。
その一部始終を聞いて、ヨブの親しい友人達が見舞い慰めようと遠くからやって来たが、余りに変わり果てた彼を見て慰める言葉もなかった。ヨブの独り言を聞いて、友人達と彼との問答が始まった。友人達は4章2節〜7節との考えから彼に罪の悔い改めを迫っています。その激しさはあなたたちは皆慰める振りをして苦しめる16章2節とヨブが言うほどです。この議論の中でヨブが19章25〜27節と贖い主を仰ぎ見ると述べている事は注目すべきです。
彼達の議論を聞いておられた神様が彼達の中に割って入られた。38章以下。ヨブは神様に答えて42章2節〜6節と悔い改めています。続いて友人達に対して神様は怒って、犠牲を捧げヨブのとりなしによって正しい者を認めなかったことを赦すと言われた。彼達は犠牲を捧げ、主はヨブの執り成しの祈りを受け入れられました。
私は若いときこのヨブ記を通して人間とは何なのか、神に生きるとはどのようなことか考えさせられ、主に従うことが私にとっては牧師であることが最上の道であることを知りました。牧師であることがこの世に生かされている証であり誇りでもあります。
日本ではキリスト教は愛の宗教と知れ渡っていますが、もう一つの交わりの宗教という事は知られていません。聖書の交わりは親しい人が交際するとの意味とは違いましてキリスト教の独特なものです。κοινωνιαドイツ語Gemeinschaft英語communion最近の聖書はfellowshipコイノニアは訳さずそのまま使用した方が真実 を理解できます。
旧約は新約の示すコイノニアに近い言葉としてハーバルがありますが、結ぶ、連ね合わすの意味です。旧約では、人は神様の近さを感ずる以上に、神様の聖の前にかしこみ畏れる姿そのものはは敬虔さを現し、神を仰ぎ見る喜びはあっても、神様との隔たりは大きなものです。
新約においては神学的独自の内容を持っています。イエス・キリストとの交わりです。これは、1)キリストの十字架の贖いによって、私達がキリストのもっておられた神の子の身分とされたのです。2)私達が召されて基督の体、教会の頭とするキリストの僕の群れに加えられるのです。
それは又聖霊の交わりでもあります。主の復活と再臨の中間にある私達は聖霊の導きによって、過去の十字架の贖いにより、未来における救いを信仰によって先取りの恵みにあずかっているのです。そして聖餐を通してキリストの血と体に与るのです(英語のコミュニオンは聖餐の意もあります)。それは神様の性質に与る者として希望に生きることを指し、神様の光の中を歩む事です。
縦の関係を確立しなければなりません.罪によって父なる神様と隔てられている私達を主は十字架に罪と咎のすべてを負ってくださり、神様に執り成してくださって聖なる父の前に出る者としてくださいました。ヘブル9章6節〜22節一人一人がイエス様をキリスト救い主と告白して神の子とされなければなりません。その神の子キリストの僕たちが、キリストの体なる教会を通してコイノニアを持つこととなるのです。
この縦と横の交差点に主イエス様の十字架が贖いとして立てられているのです。ヨハネは1章3節「・・あなた方も私達との交わりを持つようになるためです。私達の交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」6・7節「私達が、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むならそれはうそをついているのであり、真理は行っていません。しかし神が光の中におられるように、私達が光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪からきよめられます。」8・9節「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私達のうちにはありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義から私達を清めてくださいます。」10節「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉は私達の内にはありません。」
私は聖書のギリシャ語の中で好きな言葉は、神は愛ですO θεοσ αγαπη εστινホ セオス アガペー エステェンと交わりκοινωνιαコイノニアです。この二つに新約は凝集されていると思います。
お祭りはどの民族も好きです。特に日本人はお祭り大好きです。本来的なお祭りの儀式もともかくその後の祭りを楽しみにしています。神にささげたお神酒に酔って同じ神が宿ったと改めて仲間意識を持ちますが、その宴も果てるとそれぞれの元の生活に戻りすべてが終わります。ちなみに神々は祭りの時のみ屋代(社)におわし他の日は恵方にいます。神々は緑によるので、門松を立て榊をかざしてお出でを待ちます。神々は森羅万象に宿っているのです。留守の社には神々の象徴が祭られています。
キリスト教にも祭りがあります。クリスマス イースター ペンテコステの祭日です。「独り子を賜う父なる神の愛」「死と罪からの開放される主キリストよる新生」「聖霊による聖められた信仰」が具体的に示されたお祭りです。しかし神社の祭りなどのようにそれで終了するのではなくて、祭りが示す最初の歴史的事実(降誕・復活・聖霊降臨)に接し全く変えられた人生、もとと同じでない自身を見出して新しい道を歩き続けるのです。
ルカは4章18節においてイザヤ61章1.2節を引用して、神が主をお遣わされたのは社会的・肉体的・政治的・サタンの奴隷になっている者達を自由に解放されるためでしたと述べます。ガラテヤ4章8節神々の奴隷がイエス様との出会いにより5章1節キリストにある自由を得ることが出来ました。
使徒パウロはキリスト者の自由はキリストに救われたもの即ち主の召された者に与えられた恵みと述べています。何物にも束縛されていないのです。旧約の信仰のもとにあるものは律法主義の束縛の中にありましたが、主の十字架を仰ぎ見る者はすべて自由にされたのです。主に従い聖霊の導きを受けるキリスト者は自由に生活していても神の掟を(十戒・律法)侵すことはありません。
宗教改革者のマルチン・ルターは、・・・・からの自由だけではなく、・・・への自由をといています。罪の奴隷からから自由にされたのみではなく、自ら進んで主の僕になる自由があるといいます。
私達は異教の社会の中で、無意識のうちに慣習に巻き込まれてしまいます。戦時中神社参拝・天皇を現人神として拝することは日本人の古来からの習慣であって世の言う宗教とは違うのだと、指導者は言いました。このことは間違いだと承知していても神道の神々を敬うことはキリスト信仰とは矛盾せずとしたキリスト教徒は多くいました。そして信仰を失いました。私達の教団はそのとばっつりをうけて弾圧されました。国の体制は60年前の状態に少しづつ徐々に戻っていることは注意しなければなりません。気が付いたときには取り返しが出来ません。
キリストの十字架の救いで私達は、すべての束縛より開放されたのですがらガラテヤ5章1節・・・・だから、しっかりしなさい。奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません。主のみ言葉を忘れないように勤めたいです。
1月1日 洪水が去り地は乾いていた。それを見たノアは神による天地の再創造を感じたと思われます。ユダヤ教には6つの祝日があります。その第一がヨシュ・ハシャブ日本の新年祭(正月)に当たります。しかし内容は全く違います。
日本の正月は、お盆と同じく祖先の霊魂を祭ったり年頭墓参をしたりします。基本的には年神とか歳徳神(としとくじん)という神々を迎え、そのために家の中に年棚と恵方棚(えほう)を設け注連縄で飾り供え物をします。12月13日からはじめ30日で完了するよう準備をします。一夜飾りと言って現在のやり方は許されませんでした。元日になると先ず氏神に参り、又はその年の恵方の神社仏閣に参詣します。梯子参りはしてならないことになっています。お節は節供といい『神々に供える食物』の意味です。正月のもっとも大切な祭儀ですから、正月の正式食膳をオセチというようになり、オセチをいただくことは神人共食といって神々と一つになることを意味します。小正月15日で行事はほとんど終わります(年賀もそれまでに終えます)。
ユダヤのヨシュ・ハシャブは、神が創世記1章のように世界万物を創造されたことを記念して神殿に詣で、神を賛美する日でした。新約にはこの祭りについての記事はありません。その他の五つの祭日は日を改めて述べます。
ノアの箱舟の記事には日にちのことが詳しく述べられています。2月17日に雨が降り始め、神の命によりノアたちや獣・家畜が箱船に入りました。40日40夜雨が降り続き洪水が地に漲った。150日の後には水が減って、7月17日に箱船はアララト山の上に止まった。ノアが601歳の時、一月一日に、地上の水は乾いた。8章13節。2月27日地はすっかり乾きました。神の命令により家族と、すべての生き物が船から出ました16節〜19節。そして彼は直ちに祭壇を築いて礼拝をささげました。
私達は年の初めにまず礼拝から始めるのです。ただ家内安全・家業繁栄を祈る初詣とは違いまして、主の救いの業・万物創造の業に感謝を捧げるのです。新年に当たって兄弟姉妹方にとられまして恵みの年でありますようお祈りします。