福音書は、共観福音書のマタイ・マルコ・ルカと第四福音書ヨハネとでなっています。共観福音書はイエス様の公的宣教はガリラヤで始まり、ヨハネはエルサレムから始められています。マルコはバプテスマのヨハネの宣教と主イエス様の受洗から、マタイとルカはイエス様の処女降誕から。ヨハネは創造の業から、そして永遠のことばロゴスから始めています。この様な事等から前の三つを共観福音書と言います。4福音書の目的はヨハネ20章31節「これらのことが書かれたのは、あなた方が、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」と述べられています。
ヨハネの重要な思想は、ロゴス論です。この序文で言はイエス・キリストの人格とその御業と同一視されています。それは創世記1章で神様が言葉ロゴスを発せられると創造の業が進められました。ロゴスλογοσはギリシャのストア派の哲学では、宇宙に内在する神的原理をさしていましたが、この序文の冒頭が創世記の冒頭に似ていることと、至る所に旧約が引証されていることはロゴス論にユダヤ思想が大きく影響していることが分かります。
神様の創造の業が神様の言・知恵によって行われた事は、ユダヤの知恵文学の大きな思想です。この序文はイエス・キリストという人格の活動と教えの内容を述べる導入をしています。1〜5節世の初めから存在したロゴス、6〜8節光について証するヨハネ、9〜13節この世に来た光、14〜18節ロゴスの受肉と4つに区分できます。
14節「言は肉σαρξ(サルクス人とも訳す)となって、私達の中に宿られた。私達はその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵と真理とに満ちていた」子なる神ロゴスが人となって私達の間にお出でになったのです。その方をメシア・キリストと信じた者は、栄光のキリストを見たのです。それは十字架に私達の身代わりとして贖罪の血を流され、墓に葬られ、3日後に甦られた主の姿、復活の栄光の主との出会いをしたのです。聖歌百番を讃美しましょう。
マリヤとヨセフは人口調査のため故郷のベツレヘムに旅してきたが、宿屋に部屋がないので馬小屋?(家畜小屋)に宿られた。(神の)時が満ちて生まれ、飼い葉桶(馬船)を寝床とされた。宿られたエスケーノーセンεσκηνωσενは天幕を張るが原意で幕屋に栄光が満ちたことと関連づけています。幕屋に満ちた神の栄光がいまや受肉したイエスご自身の体のうちに認められるようになったのです。そしてこの神の御独り子には恵と真理が満ちていました。
キリスト教の福音は、神がモーセによってお与えになった律法で準備され、主イエス・キリストに満ち満ちた恵と真理によって完成に導かれたのです。バプテスマのヨハネはロゴスがまことの光となって、世に来てすべての人を照らすと言います。言(ことば)は世にあって世はこの言によって成ったが、世は言を認めなかった。しかし言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えてくださると証ししています。
クリスマスは主の名を信じた者に、神の子となる資格を与えてくださるために神の御子が人としてこの世にお出でになったことを感謝し己が幸を祝わずやと喜ぶ日です。
聖書には主の誕生の年月日は示されていませんが、ドイツの天文学者の研究やペルシャの占星術者たちの古文書の解読などでBC7年であることがハッキリしました。月日は6月か10月だろうという事です。12月25日はイエス様の誕生日を決めようとローマで話し合った年の冬至としたのです。夜の暗黒が一年で一番長い翌日から光が長く照らすようになるのが冬至なのです。ちなみに今年の冬至は明日です。
イエス様の最初の奇跡は弟子ナタナエルの郷里であるガリラヤのカナでの婚礼の時でした。水が葡萄酒に変えられたことは聖餐式の葡萄酒となり、信じる者を救う十字架で流された血を預表しています。イエス様の母マリヤは接待役をしていたので主と弟子達も婚礼に招かれていたのです。
3〜5節葡萄酒が足りなくなったので、母はイエス様なら何とかして下さるだろうとイエス様に「葡萄酒がなくなりました」と言った。イエス様は母に言われた。『婦人よグナイγυναιlady私と何のかかわりがあるのですか(ギリシャ語の直訳だと私と貴女にとって、何があるかですが。心配後無用です。私に任せて下さいの意味に受け取れます)私の時はまだ来ていません』母は召使たちに「この人が何か言いつけたら、その通りにして下さい」。マリヤは主の言われた意味を知っておられたのです。
コレヘト(伝道の書)3章1「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある」2−8節、11節「神はすべてを時宜に適うように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を初めから終わりまで見極めることは許されていない」 お祈りしても聞かれないどうしてでしょうと質問を受けることがよくあります。理由はハッキリしています。それは神様の時を待たず。自分の時を第一にしていることと、自分中心で神様の御計画に従う信仰がないからです。
一見マリヤに対すイエス様の言葉は冷たい感じですが、彼女はいま葡萄酒がなくなった目の前の出来事に関心を示しています。が、イエス様のご関心は、箴言の示す定められた時に行動されるということでした。マリヤはそれを知ったからこそ召使達にこの方の言われるとおりにしなさいと命じたのです。彼達は主の言われるとおりに、ユダヤ人が清めに用いる石がめ六つの縁まで水を満たした。そして主の言われるまま水をくんで世話役のところへ持って行った。それを味わった世話役はその良い葡萄酒に驚いた。水をくんだ者達はそれがどこから来たか知っていた。
イエス様が水を葡萄酒に変えられたのは、人々の物質的欲望を満足させる事ではありません。ユダヤの儀式的清めの水を御自分の目的のため御自分の時に葡萄酒に変えられたのです。葡萄酒は神の子羊の犠牲の血によっての全き救いを象徴しているのです。11節その出来事で弟子達は主こそ世の罪を取り除く子羊と信じた(エピステューサン信じ始めたεπιστευσαν)この時に弟子達は、主に心を委ね、既に告げ知らされていたようにメシヤと、認めるまでに成り始めたのです。
水が葡萄酒に変えられ、ユダヤ的きよめの儀式が、キリストの十字架で完成し、聖餐のぶどう酒(十字架に流された血)が主によって信者達に与えられ、罪からの全き聖めに置き換えられたのです。
カナの婚礼の席での主イエス様の最初の奇跡が示すことは、第一にマリヤの信仰です。必ずイエス様はよきになさることを信じて召使に命じていること。第二は召使達が主の命令通りの行動した事です。この協力が奇跡をもたらしたのです。水を葡萄酒に変えられたことは、主の公の働きの最初から既に十字架で血を流されて救いの業をなさることを豫表されていることを私達は知らねばなりません。そうすれば聖餐式の葡萄酒が何を表しているか、感謝をもっていただけるのです。
モーセは十戒の後に細かい掟を述べています。イエス様はすべての掟をマルコ22章29〜31『第一の掟は、これである。「イスラエルよ、聞けシェマー、私達の神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」第二の掟は、これである。「隣人を自分のように愛しなさい」この二つにまさる掟はほかにない。』と語られています。ラビ達の律法解釈によると、「ユダヤ人たる者はすべて、偶像崇拝、殺人、姦淫の犯意あれば直ちに死なねばならない」とし、姦淫は三大犯罪の一つでした。名前は人格の象徴です律法学者やパリサイ人達は女性の名前は知らず唯主を陥れる道具として人間を物として扱うのです。
律法学者とパリサイ人達は、イエス様を民衆の前で陥れようと機会を窺っていました。主がオリーブ山でのお祈りの時を終えて、朝早く、神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところに来たので、座って教え始められた。そこへ、学者達が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ主に言った。イエス様の時代は法律上のいざこざがあると、その決定をラビの下に持ち込むことになっていた。
悪意を持つ彼らはイエス様をラビと見なして、恥ずかしさと恐れを持って立ちすくむ女を訴えるのです。根拠は申命記22章23〜24節「姦淫の罪を犯した二人を町の門に引き出し、石で撃ち殺さねばならない」。とのモーセの掟を持ち出して主を落とし入れ様としたのです。男は逃げたのでしょうか?ここにも彼達の残酷さを見ます。
律法学者はモーセの掟の法律専門家です。パリサイ人はサンヒドリンの議員集団でこれは政治専門家達です。彼達はイエス様がどのように答えようが訴える口実が得られると、「先生(ラビ)・・・・こういう女グネーγυνηは石で撃ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところであなたはどうお考えになりますか」実に意地悪な質問です。主が山上の説教の中で『人を裁くな。私が来たのは律法を廃止するためではなく、完成するためである』と言われ愛を説かれ、愛の奇跡をなさっているのにこの女を石で打ち殺すことを認めるか否か。これには二つの罠が仕掛けてあります。
一つは愛の故に女を赦せといわれるとモーセの律法を無視していると民衆をそそのかし主から離してしまう。二つは、法通りに石打の刑に処せよと言えば、死刑の判決執行はローマ政府の権限でこれを犯すと騒ぎたてようという計画です。どの答えをしても主を陥れる事が出来るとほくそ笑んで主を見つめたが、主はかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。何を書いておられたか古来から議論されてきました。
恐らく時間を置いて彼達にこの女の気持ちに思いをいたし、彼女の恐れ恥ずかしさに同情する愛を呼び起こそうとなされたのでしょう。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、主イエス様は身を起こして言われた。『あなた方の中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた身をかがめて地面に書き続けられた。このときのイエス様の語調、体勢には犯しがたい厳かさがあったのでしょう。
9節これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは身を起こして言われた。『婦人よグナイΓυναι(英語のレデイー)、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか』彼女が「主よ、だれも」と言うと。イエスは言われた『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』
学者、パリサイ人、群衆、罪を犯した女、そして主の間に何が語られているのでしょう。学者達は罪を侵したものは罰せらるべきだという立場で悔いている者には目もくれない、石打刑の有罪判決の宣告に権力を行使する快感を経験していて、今、またという感じです。イエス様は人の過去がどうであろうと未来に向って律法を侵さないと覚悟することが必要で罪を咎めるよりも赦されるお方です。群衆は面白い見せ物を見る快感に酔っています。婦人は非常に後悔している様子に主は同情して目も合わされないように見受けられます。そして身を起こされて目を合わせ『行きなさい今後は罪を犯してはならない』と言われる罪悔いた者に対する温かさを感じます。私もこの主の暖かさに与り感謝しています。
この箇所を知るには、旧約時代のユダヤ人の宇宙観を知る必要があります。この世界は天と地と地下の三つの階層からなっていた。陰府(シェオール)は地下の深い所にあり、人間は死ぬと皆ここに集められる。彼達は死を恐れたが、その理由は陰府においては現世と永久に隔離されてしまうだけではなく、神様との生きた交わりが絶たれてしまうからです。この様な陰府は時代が下がると共に変化してゲヘナ(地獄)は陰府の中でも特に罪人が審きを受けに行く場所と考えられています。主に救われたキリスト者は主のもとで復活まで憩いの時を過ごしています。カトリック教会では、煉獄にて罪の償いを果たすまで、死者の霊が苦しみを受け、これによって清められる所を言います。献身者と殉教者は煉獄に行かずに主の下に直接行くことになっています。プロテスタントは煉獄には反対します(聖書に述べられていませんので)
主はたとえ話を続けられ金持ちと、貧しいラザロの事を話された。金持ちは高価な衣に柔らかい麻の下着を着て、毎日贅沢に遊び暮らしていた。この金持ちの門前に食卓から落ちるもので腹を満たしたいと思うできものだらけの貧しいラザロが横たわっていた。この貧しい人は死んで、天使達によってアブラハムの側に連れられていかれ彼と親子の関係を結んだ。やがて金持ちも死んで人々の手によって立派な墓に葬られた。金持ちはハデス(陰府)で目を上げると、アブラハムの懐で憩うラザロを見て24〜25・26それで金持ちは言った「ラザロを父親の家に遣わし。5人の兄弟達に、こんな苦しい場所にくることのないように、よく言い聞かせて下さい」と懇願した。しかしアブラハムは言った「彼らにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」聖書があり教会がある。そこに行き耳を傾ければアブラハムの側・神の国に行くことが出来るのだと言うのです。私はこの問答を見ながら、信子の遺書を思い出していました。「私は母と祖母と祈っている」。信子の心身を絞るような祈りは「天国で会いたい」と短いが心に迫るものでした。二人は洗礼を受けて神の国に行く準備をしました。
金持ちはアブラハムにラザロを兄弟のもとに遣わしてくださいと頼んだがアブラハムは「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れないだろう」主イエス様の語られたこの譬えは事実であることがヨハネ11章38節〜57節に見ることができます。
イエス様がベタニアのラザロを死んで4日もなり、においのでた状態から天の父様にお祈りになって生き返らしめたが41〜42節。この日から、パリサイ人はイエス様を殺そうとたくらんだ53節。それだけではなく12章9〜11主が死者の中からよみがえらせたラザロを見るためにユダヤ人の大群衆がやって来たので祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。前記の主の例え話のラザロと重ねて見る人もいますが、別人です。しかし暗示に富む出来事です。信じる者と闇に葬ろうとの悪意を主の愛の業に対する人々の反応を見ることが出来ます。
私はアブラハムが金持ちに語った「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」現在の私達に主イエス様は聖書に耳を傾け預言が語られる教会の礼拝に参加しなければ主の奇跡を見逃してしまいますよと語られていることと私は信じます。
イスラエルの死海は、西方をユダの丘稜地帯、東方はモアブの高原地帯にはさまれたヨルダン川の深い渓谷の南端に位置する。地中海面以下392m最深部は約4百mで琵琶湖より大分大きい、ヨルダン川等から流れ込む大量の水約1日650トンあったが現在はヨルダン川からの砂漠へのかんがいに使われ少量になり湖面は更に低くなっている。水の流れ口はなく高気温による蒸発で塩分は25%余りで海水のほぼ6倍です。この死海のことは私達の信仰生活にも多くの暗示を与えるものです。
ヨルダン川の水源のヘルモン山は四季雪に覆われている。(約2千8百mのこの山は聖なる山と言われイエス様の変貌の山と伝えられるマタイ17・1〜8)ヨルダン川はガリラヤ湖に注がれる。この淡水湖は世界で一番魚類が多いといわれている。地中海面より約212メートル低く霞ヶ浦よりやや小さい。北から注がれた水は南端より流れ出て104km南の死海に注がれます。死海は流れ出る川がないので水が蒸発して、生物は皆無で上流のガリラヤ湖と対照的です。
パリサイ派の人々は、イエス様の癒しの業を民衆が評判にしているのを聞いて、祭司長達と共に主を捕らえる為に下役達を遣わしたが、捕らえることができず彼達の下に戻ってきた。民衆が、「この人はメシヤだ」と言う者や「この人は、本当にあの預言者だ」などなど言う者たちの間に対立が生じた。その中にはイエス様を捕らえようと思う者もいたが、手をかけるものはなかった。
彼達の対立は37節〜39節のイエス様が大声で言われた言葉から発生したのです。「乾いている人は誰でも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」これは主を信じたものに与えられる聖霊について語られたのです。が、主を信じない群衆には意見の食い違いで対立が起きたのです。
私達は主に救われた時から神様の恵み・愛など聖霊の実なる生きた水が主の泉から注ぎ込まれる幸いなものとされたのです。大事なことはイエス様から与えられた聖霊の実を自分の中に蓄えて隣人に与えないでいると文字通り死海になってしまいます。神様から頂いた賜物は隣人に分け与えれば与えるほどに増加するのです。賜物は使用しないと消滅に向います。
愛を例に取りますと、1)神様の栄光の為に自分を大事にして生きて神様を愛する生き方が大事なのです。2)私は神様のために神様を愛する。実に立派な行為ですが、3)自分のために自分を愛するとか、4)自分の為に神を愛する、いわゆる苦しい時の神頼みです。私は自分のことは投げ捨てて神を愛するのだと、実に素晴らしい信仰のようですが、御霊の働きは自分を大事にして神様に喜ばれる愛の実践をすることなのです。
それがガリラヤ湖の生き生きとして多くの生物を育む姿と同じではないでしょうか。真実の愛は用いれば用いるほど美しく自分の中で成長します。神様よりの賜物は用いなければ宝の持ち腐れになります。神様の泉より流れる生きた水が私たちの内に満ち溢れて川となって人に渇きを満たすものとなりたいものです。
マタイ4章23節「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え 、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。」イエス様の3年間の公になされたことは1)教育2)伝道3)癒しの業(奉仕)でした。このことは主イエス様の体である教会の業である事を私達は忘れてはなりません。
主は人々からラビλαββιと呼ばれていました。通常はアラマイク語をお話になられていましたが、パリサイ人達との論争の際は古代へブル語ではなくラビ的ヘブル語を使われておられました。主が神殿で教えられた時使用された言語は民衆が話しているアラマイク語であったと思われます。教えはディダケーδιδαχη人は神様から知識を受けこれを伝えるのです。旧約ではモーセ五書をさしていたが新約ではイエス様の教えにもとずいて「キリストの律法」「キリストの命令」とも言われています。
教育の原語はラテン語でエドゥカーレという動詞を語源としています。えeは「外へ」ducareは引き出すと言う意味です、教育ということは、人間の中に素質として眠っているものを、何らかの刺激をを加えることにとって引っ張り出して、それをある点にまで発展させるように導き上げることを意味します。これに関連した言葉に教養cultureカルチャがあります。ラテン語に由来しています。耕すculturuは心を耕すとの意味にもなります。イエス様のみ教えはこれらを含めておられます。
主は安息日に近くの会堂シナゴーグσυναγωγで聖書を解き明かされておられました。ユダヤ人にとつてシナゴーグは有用で大切な存在でした。それらは村々町々にいたるところに存在し、律法学者の多くは会堂において初等教育にたずさわる教師達でありました。捕囚に会い神殿を失った彼達は家庭と相俟ってシナゴーグは宗教教育の場であるとともに、ユダヤ文化を後世に伝える役目も担い、国を失ってもヤァウエー信仰を失うことなく、また散らされていても民族性を失わなかった大きな働きをなした会堂であります。
宣教・伝道ケリュグマκηρυγμαの内容はディダケー神と神の律法の知識を神様から受けそれを人に伝えるのです。主イエス様も私の語る事は父から与えられたものゆえに正しいと言われています。祭司達の教えの一つは主の御名を教えることでした。
イエス様のなされた1)宣教・伝道2)教育3)奉仕διακονιαディアコニア(癒しもこの中に含まれます)は孤立した御業ではありません。切り離すことの出来ないほど密着したものです。教会の働きも主に倣らってこの3つを実践しなければなりません。
5千人に食べ物を与えられたこの出来事を読んだ時、イエス様が山上の説教で述べられた主の祈りの『・・我等の日用の糧を今日も与えたまえ・・』マタイ6章11節を思いだしました。今は食料が有り余っていますが、一旦輸入が止まったなら70年前の状態になります。本気でこの祈りをなさなければならないのです。私はあの時の気持ちを忘れずにこの祈りをしています。
過ぎ越しの祭りが近づいていた。神殿に行く人々などイエス様の癒しの業を見た大勢の群衆が主の後を追ってきた。主は群衆が自分の方へくるのを見て、この地の出身であるピリポに『この人達に食べさせるには、何処でパンを買えばよいだろうか』と言われた。この主の言葉をマタイ15章32節『・・・飢えたるままにて帰らしむるを好まず。恐らく道にて疲れ果てん』と言われたと述べています。この奇跡の意味はこの言葉に尽きます。ピリピは「二百デナリ(当時一日の収入は一デナリ)のパンでは足りないでしょう」と答えた。恐らくその会話を聞いていた少年がアンデレに自分の食料を提供するといったのでしょう。アンデレは少年をイエス様の前に連れてきた。彼は自分の夕食分を主に差し出した。
出来事には必ず意味があります。ピリポは主に不可能だと答えていますが、アンデレは主は必ずよきになさると信じていたので、少年を連れてきたのです。アンデレがいなかったら五千人に満腹させる奇跡は起こりませんでした。
彼には素晴らしい説教や証しの記録はありませんが、イエス様が救い主だとの洗礼者ヨハネの言葉を信じて主との出会いを経験すると彼は翌日兄シモン・ペテロを主のもとに連れて行った。その翌日主はピリポに出会って弟子となさった。彼はアンデレとペテロの町に住む人でした。このピリポがナタナエルを主のもとに連れてきた。又アンデレはギリシャ人(異邦人)が主を尋ねてきたときも彼を主のもとに連れて行った。今の日本の教会・私達の教会が最も必要とする人はアンデレのような人です。
人々が満腹した時、主は弟子達に『少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい』と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。イエス様のなさったしるしを見た人々は「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。ユダヤ人は旅する時聖なる食べ物を入れるため小型の籠を持っていた。十二弟子達の籠に入っていた食べ物も提供されていたのでしょう。満たされたこのパンは貧しい人々に配るものです。
このしるしは聖餐式のパンを表しています。32節『はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、私の父が天からの真のパンをお与えになる。神のパンは、天から降ってきて、世に命を与えるものである』と言われます。47〜61節『はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。私は命のパンである。あなた達の先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。・・・私は天から降って来た生きたパンである。・・・53『はっきり言っておく。・・・私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。・・・生きておられる父が私をお遣わしになり、また私が父によって生きるように、私を食べる者も私によって生きる・・・65節父からお許しがなければ、誰も私のもとに来ることは出来ない』
これらの事を聞いたために、66節弟子達の多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこでイエスは十二人に『あなた方も離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命をもっておられます。あなたこそ神の聖者であると、信じ、又知っています」すると、イエスは言われた『あなた方十二人は、私が選んだのではないか、ところが、その中の一人は悪魔だ』イスカリオテのユダが主を裏切ろうとしていたことを指摘なされたのです。
ヨハネ15章16節私たちキリスト者もイエス様に選ばれた者達で十二弟子達と同列にされ栄えある存在とされ永遠の命を得ているのです。それでも主から信仰の目を外すと、イスカリオテのユダになってしまい、主から『その中の一人は悪魔だ』と言われることになります。そのようにならない様にお互い励まし助け合って主に従ってまいりましょう。
30節『私は自分では何も出来ない。ただ、父から聞くままに裁く、私の裁きは正しい。私は自分の意志ではなく、私をお遣わしなった方の御心を行おうとするからである』御子イエス様が父なる神に絶対的服従を示す主のみ言葉です。その詳細の一部が19節以下に述べられます。
19節『まことに、まことにαμην αμην、アメーン、アメーンはっきり言っておく』主が重要な真理を語られるときに使われる御言葉です。ここからは特別に御父と御子の深い関係が述べられます。ご自分を御父に対する御子として示され、『子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事も出来ない。父のなさることは何でも、子もその通りにする』その理由は1)父がなさることは何でも、子はその通りにする2)父が子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示される。3)父が死者に復活させて命を与えたように子も、与えたいと思う者に命を与える。4)父は誰をも裁かず、すべての裁きを子に委ねられた。
御父の愛と御子の服従は、どちらも完全なものであり、御子は御父の愛のみ心を完全に知り、この愛を離れて御子は御業をひとつも行われなかった。その御業の目的は1)あなた方が驚き怪しむため、2)すべての者が父を敬うように子を敬うためです。
24節ここも主は第二の大事なことを述べます。『よくよく(アーメン アーメン)私が言っておく(レゴーλεγω)』御父が御子を遣わされたのであるから御父を信じ御子の言葉を聞き受け入れる者は、直ちに永遠の命を得、死から命へと移っているのです。27節その時人の子イエス様は裁き主として終わりの日に全人類に臨む最後の審判の前触れを示します。28節『驚いてはならない。時が来ると、墓にいる者は皆、人の声を聞き、29節善を行った者は(イエス様の言葉を聞き容れた者・キリスト者)既に最後の審判に無罪放免の判決を確証としての永遠の命の先取りを受けるのです。悪を行った者(主イエス様を信じなかった者)は最終的な判決を受けるために終わりの日に甦ります。
30節『私は自分では何も出来ない。』19節での言葉を繰り返して言われた。御子イエス様は御父と等しい神であられるお方ですがかく言われ、御子として人間イエスとして御父なる神に御謙遜にも絶対的服従し、お遣わしになった方の御心を行おうとされたのです。御父から聞くままに裁く、私の裁きは正しい。私は自分の意志ではなく、神の御心を行なわれるのです。イエス様の公生涯のお働きは神の御愛の実践でした。
聖書は主についてお証する39節ものです。神の御心を行われる主を指し示すものです。私達は聖書を神のみ言葉として受け取り、イエス様が言明なされるように、自分の意志又は考え自分の希望欲望を満足させるためではなく、神様の御心はどのようなものであるか吟味しつつ聖書を拝読します。それが実行できるようにと祈りつつ生活しなければならないのです。それが29節『善を行ったものは復活して命を受ける者たち』なのです。間違っても悪を行なう者として、永遠の亡びの判決を受けることになってはなりません。
交読文47、十戒を一同で読みましょう。(出20章、申命5章)十戒は二つに分けられます。最初の四つは神様と人間との関係、後の六つは人間間の関係です。大学での法律概論の教授が、「世界の法律は細かいものまで数えると十数万あると言われているが集約するとこの十戒になりこれを細かくすると二分される。即ちマルコ12章29〜30『第一の掟は、これである。イスラエルよ、聞けシェマー、『私達の神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし,思いを尽くし。力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい』これを一つに纏めると『第二の隣人を自分のように愛しなさい』』と言われ驚きました。
申命6章4節〜シェマーと言うとここを指します。旧約を信じるユダヤ人はこの言葉を大事にします。『聞けシェマー、イスラエルよ、我等の神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし。力を尽くして、あなたの神、主を愛し(アーヘーブ)なさい』「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供達に繰り返し教え、家に座っているときも道を歩く時も、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」のように家庭教育・宗教教育をなすよう命じています。
申命10章12、5章から始められたモーセを通しての教えがここで総括され申命記の中心主題が要約されている箇所です。「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求めておられるのは何か。ただ、あなたの神、主を畏れて・・・・。あなたが幸いを得るためではないか、あなた方は頑な民でエジプトの奴隷から救い出され40年の間多くの困難を主によって助けられたにも拘らずあなた方は主に叛き続けた。(申命9章25〜29節)「あなた達の神、主の命令に背き、主を信頼せず、その声に聞き従わなかった。主があなた方をお選びになって以来、あなた達は背き続けたて来た。私は40日40夜主の前にひれ伏した。主があなた達を滅ぼすと言われたからです。私はひれ伏して、主に祈って言った。・・・・・・」
10章12〜13.「イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か」これは古のイスラエルにのみ言われている言葉だけではありません。神様に選ばれた私たちキリスト者にも言われている事です。モーセは続けて語ります。「ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、私が今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか」
イエス様は主の戒めと掟を二つに纏めてお示しになっておられます。マルコ12章29〜31節『第一の掟は、これである。〔イスラエルよ、聞け、私達の神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい〕。(申命6章4)〔第二の掟は、これである。隣人を自分のように愛しなさい〕(レビ19章18)この二つにまさる掟はほかにない』質問した律法学者は「・・どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」主はこの答えに満足されました。
法律は数多くあります。憶えきれるものではありません。覚えていないことでも法に触れますと処罰されます。知っていて法を犯した場合よりも知らないで犯した場合は処罰が少し軽くなります。軽いものは見逃されることもあります。
マタイ22章57〜40『律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている』とイエス様は言っておられます。いわば旧約全体を纏めたものとおっしゃっている事になります。
私達の神、主が求めておられるものである戒めと掟はこの二つに尽きるのです。そしてその実践は主のお語りになった『善いサマリヤ人』(ルカ10章25〜37節)の譬えを行う事です。
現憲法が施行されたすぐ後、社会党の片山哲氏が総理になりました。彼は社会主義でもなく資本主義でもない、平和な民主主義を維持発展させて行くには平和憲法を守って日本国は進まねばならない旨述べていました。預言者のイザヤもミカも「主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向って剣を上げずもはや戦うことを学ばない」1954年10月頃、台湾新聞の半面は中国語の漢文、その反面は日本語でした。そこに内閣総理の平和宣言にこのみ言葉を見て、改めて生きていて良かったとの思いをしました。今も同じ思いです。
イザヤとミカは同時代の預言者です。ミカは主としてサマリヤとエルサレムについてみた幻を述べています。彼は南王国の民でしたが、ヤハウエの預言者として当時まだ存在した北王国イスラエルに神の御言葉を述べます(ホセア、アモスも同じです)ミカ一章1の表題は、イザヤ一1、エレミヤ一1〜2、ホセア一1、アモス一1など預言者の語る神のことばと主の宣告であることに似ています。神様が一人独りに語り預けられた御言葉です。特に先に記したイザヤとミカの言葉は前後を見ると分かりますように、各々に与えられた御言葉です。
ミカの4章の言葉はイザヤ2章1〜4節と同じように神様から直接与えられた御言葉です。この預言は終わりの日に起こる事です。この日は主による大変革の時と解釈してよい。主の神殿の山は、・・高く立ち多くの国々の人々が大河のように着たり、主を崇め、主の律法、それに従うようになる。世界の人々は主の教えを聞くために、シオンにエルサレムに向って主の山に上ってきて、主に行くべき道を示され、その道を歩もうと決心する。
その時とは主の再臨の時です。主は全世界の隅々まで多くの民の争いを裁かれ、強い国々を戒められる。国際間の問題は剣その他の武力によらず、主の審判判決によって解決される。その時主の主権は地上に確立されます。その結果、「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向って剣を上げず、もはや戦うことは学ばない」全き平和、争いのない状態が実現します。これらのことを何とか実現したくマグナカルタ以来先ず各国は自国の平和を求めて憲法を作り、強者が弱者を保護するため、王権、政府に義務を負わせる立憲主義が出来ました。それを中心として活動したが世界中今でも真実の平和は人間の手ではできない状況です。
約三千年前に預言者達を通してこの様な希望をヤハウエが私達人類に約束をして下さったことを感謝して、主の再臨のとき取り残されないように、2節「主は私たちに道を示される。私達はその道を歩もう」この道を主が共に歩んで下さいますので、私にできないことも出来ます。主には不可能なことはありません。
日本国憲法 第九九条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
第九条㈰「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。㈪前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ、とあります。特に九条は日本側の積極的意志を貫いていると、憲法を起草した金森徳次郎国務大臣が中央大学の大教室で語られたのを私は直接聞いて、ほんとにそうだと感激したことは忘れられません。この69年間わが国は戦争で、人を殺さず又国民も殺されなかったのは、憲法があったからです。心に銘記してください。
エルサレムで始められたイエス様の公的宣教は、ユダヤとサマリヤを経てガリラヤで宣教の御業が展開されます。第一の不思議(奇跡)はガリラヤのカナにおける婚礼の席での水を葡萄酒に変えられ栄光を表されました。それで弟子達はイエス様を信じた。二11節、第二の不思議はサマリヤを経て再び先のカナにて、役人の切なる願いと信仰のとおりに死にかけた彼の息子を癒された。それで彼も家族もこぞって信じました二3節。
ユダヤ人の祭りがあったので、イエス様はエルサレムに上られた。彼達には、過越しの祭り、5旬節(ペンテコステ)仮庵の祭りの三つの祭りはエルサレムから約30キロ余以内に住むすべてのユダヤ人成人男子に義務付けられていた。しかし主にとって民と共に礼拝することは義務ではなく喜びでした。
主はエルサレムのべテスダ(憐れみの家の意味)の池にお着きになった。そこには五つの回廊があり病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。それは水が動いた時いち早く水に入った人は癒されるとの言い伝えを信じていたからです。それは恐らく間歇泉であったと思われますが彼たちは天使が来て水をかき回し泡立てると信じたいたのです。
そこに38年もの間、重い病気にかかっていた人がいた。池の水が動いても自分で池に入ることもそれを助けてくれる人もいません。宛てもなく絶望の日々を送りつつそれでも癒しの瞬間誰か助けて池に入れてくれる人を待ち望んでいた。イエス様は彼が長い間そこに横たわっていることを知られた。イエス様は何時も友なき者の友であり、何の援助も受けられない者の助け主・救い主でした。その病人には、水が動くのを待つような、無益で、迷信じみたことに希望を持つのではなく『良くなりたいか』との温かい主の言葉を聞くことでした。
彼は38年間も待ち続け、希望も消え、絶望だけが残っていたのですが、心の底では病人であることに満足していたかもしれない。もし癒されるなら、彼は働き生活し自分に責任を持たなければならない。病気が必ずしも不愉快なことと考えない者もいます。他の人があらゆる仕事と心労をしてくれるからです。しかしこの男は癒されたいと思い続けていたのでただちに主のみ言葉に反応した。
病人は答えた。「主よ、水が動く時、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。・・」8節イエス様は言われた『起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい』するとその人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出した。彼に起き上がり歩き出す力を与えられたのはイエス・キリストの権威ある御言葉でした。この男に『さあ、起き上がることに心を集中し懸命に努力しなさい、あなたと私とでやって行こうではないか』と言われているようです。神の力は人間の努力を促すものです。奇跡は人間の意志と神の力との共同作業によって起こることは私の小さな働きで経験したものです。イエス様は彼が不可能と思っていたことを命じられた『起きよ』彼は想像も出来ない御言葉に従った。主の愛の言葉に応えたとき奇跡が起きたのです。
その日は安息日であった。ユダヤ人達は彼に、「今日は安息日だ.律法は床をかつぐことはゆるされていない」と咎めた。彼は「私を癒して下さった方が『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」彼らは「それは誰か」彼は知らなかった。主は群衆にまぎれてその場を去られたからです。主は癒し奇跡を宣伝等に用いられませんでした。それは愛の故になされた事です、愛の業は自分の誇り宣伝に使われるものではありません。キリスト教を名乗る一部の人々は聖霊に満たされると癒しの業が出来異言を語ると言って若い人々を集めています。イエス様のお嫌いになった事です。
殿で主が彼に会われて話しかけられた14節。彼は自分を癒したのはイエスだと、ユダヤ人伝えた。ユダヤ人の迫害に対して主のお答えで、彼達はますますイエスを殺そうと狙うようになった18節。ここに律法主義とキリストの愛との対立が起こり、ユダヤ人がキリストを十字架で殺す切っ掛けになったのです。初代教会の内部にも律法主義に対する問題があったが、現代でもピュウリタンの行き過ぎの律法主義が巾を利かせていることは残念な事です。
私の信仰生活にとって忘れられない6・7月です。1942年6月26日早朝特高警察による全国の日本基督教団ホーリネス教会の一斉手入れで124名の牧師が逮捕、教会活動禁止、会堂閉鎖命令が下された。45年2月末臨時召集され入隊、6月トンネル陣地構築守備中に御言葉による救いを経験(ローマ八28、ガラテヤ五24・二20)し、私は神様に献身を申告しました。45年6月23日沖縄日本軍組織的戦闘停止(私は台湾に米軍上陸阻止するため沖縄から移動してきた兵団に入隊していた)敗戦後帰国、54年10月家庭集会、55年3月元住吉教会発足、11月天幕教会開始、56年7月会堂建設、11月献堂式。2014年7月1日、立憲国家否定する憲法解釈変更の閣議決定・集団的自衛権が出来る(簡単に言うと戦争の出来る国にする)等私の生涯の基礎を作った月々でした。
私は元住吉教会開拓そして天幕教会・会堂建築に当りエズラ記とネヘミヤ記を読み大いに励まされました。
BC598年バビロン王ネブカデネザルによってエルサレム神殿が焼かれ城壁は崩され神殿の器物は有力者達の捕虜と共にバビロンに移された。それから70年が満ちたとき、BC539年バビロンを滅ぼしたペルシャ王クロスの元年にクロスの霊が神様によって感動されたので先にエレミヤの口によって伝えられた主の言葉を成就するために、王は全国に布告を発し、又詔勅をもって告げて言った「天の神、主は地上の国々をことごとく私に下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てる事を私に命じられた。・・・・イスラエルの神、主の宮を復興せよ。彼はエルサレムにいます神である。・・・・」これはモーセに命じた出エジプトの出来事に似ていて、私は第二の出エジプトの感じを持つと共に、神様が私に天幕教会を命じられ、会堂も与えてくださる約束であると信じました。
4節「すべて生き残って、何処に宿っている者でも、そのところの人々は金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかに又エルサレムにある神の宮のために真心よりの供え物を捧げよ」私達は神様のご約束又命令に対して応えなければなりません。祈って神様に受け入れて頂くには神様と共に行動しなければなりません。半世紀もたつとバビロンに商売で又その地に住まわざるを得ない人達がいました。彼達は真心をこめて捧げ物を差し出しました。
南王国からの捕囚の民はユダ族とベニヤミン族、祭司及びレビ族です。彼達はすべて神様にその心を感動された者達でした。彼たち2部族は異郷の地そして偶像教の中にあってもヤァウエー信仰を失わず。神殿礼拝・犠牲をささげることが出来なかったので、律法を学びそれを実行に移したので民族の一体性も失わなかったのです。
私達は天幕教会を始めても路傍伝道、聖書研究会、毎週の日曜学校教師研究会、定例の集会を守り会堂が与ええられるため祈りそれぞれにできる働きの献げものをいたしました。そして1年目の7月に会堂建築(バラック)へと導かれやっとたどりつきました。
私達の出エジプトはまだまだ続きます。それは本建築の会堂を建てることでした。建てなくてはならないように追い込まれました。資金は1銭もありません。家で夕食の時それを話して祈りました。直子と信子が母の退職金で自分達の結婚の費用として3百万準備していると言われたが、自分達のことは自分達でするから自分達の心配はしないで使って欲しいと言われたので、それを土台として会堂建築に乗り出すこととなりました。2月ほどの間に1千3百程集まりましたので建築に踏み込みました。足りない分は教会債などで賄えばよいとの意見もありましたが。教会は絶対に借金しては信仰の証にはならない。借金は個人ですると宣言して私なりに手を打ちましたが、次々と献げられその心配はなく支払いは完了しました。赤字もなく残金ゼロで終わりました。神様は祈りに応えて下さってこの会堂があります。それには私達一同が信仰を持って立ち上がったから神様も動いてくださったと感謝しています。
ヘブル書11章1節「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」を信じて神様と行動をすることだと会堂の上の十字架が語り続けています。
4章にはイエス様に出会う四つの道が描かれています。1)イエス様と対話したサマリアの女。2)彼女の証を聞きイエス様を信じた。彼達の願いでシカルの町に留まり話をされたそれを聞いて多くの人がイエス様を救い主メシアと信じた。3)ガリラヤの人たちは、イエス様のエルサレムでなさった業をすべて見ていたので、イエス様を歓迎した。4)役人βασιλικοσバシリコス、ヘロデ王の高官はイエス様のお言葉約束を信じた故に息子は生きた。
サマリアの女のように主と対話をするには、現在の私達には祈る事です。一方的に人が語りかけるだけではなく主の言葉を聞きまた自分の意見を語り合う事です。主は私達に聖書の御言葉を持ってお語りになることが多いので、聖書通読が大切なのです。彼女は26節『それは(メシア)、あなたと話をしている私である』を聞いて水がめを置いてシケルの町へと引き返した。必ず水がめを取りに帰って来る事と急いでこの素晴らしい経験を人々に伝えようとしたのです。29節「さあ、見に来てください、私の行ったことをすべて言い当てた人がいます。・・・」今までは自分の行為を恥じて顔を合わすことさえ避けていた彼女は「過去の私と現在の私を見てください。これはキリストが私に対して行われた事です」これを聞いた人々はイエス様を信じ、彼女と共にヤコブの井戸に行き、自分達の町に留まることを頼んだ。それで主は町に二日滞在され多くの人がイエス様の言葉を聞いて信じて女に言った「私達が信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。私達は自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです」シケルの町の多くの人々はイエス様の言葉を聞いて信じた。
二日後ガリラヤに行かれた。44節イエス様は自ら、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある。ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人達はイエス様を歓迎した。彼らは祭りに行ったので、その時エルサレムでイエス様のなさった事をすべて、見ていたからである。
主は再びガリラヤのカナに行かれた。46節前に婚礼の席で水を葡萄酒に変えられた所である。ヘロデ王の高官は田舎大工という身分の低い者のもとに訪れた。彼はカナから約22キロ離れたカペナウムから、困り果て高官という自尊心を捨て遠い道を助けを求めてキリストの下に来たのです。人々に何と言われようが切に助けを求めていたのです。死にかかった息子を癒すためカペナウムに来て欲しいと願うのです。それに対してイエス様は高官に『あなたがたはしるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と一見冷たい言葉を口にされた。彼は信仰を持っていた。彼が短気で、またその言葉に絶望してその場を去ったならば、しかし彼は真剣に求め続けた。彼は息子が死なないうちに、おいで下さいと再度お頼みした。その彼に主は50節『帰りなさい。あなたの息子は生きる』その人は、イエス様の言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下って行く途中。僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは「昨日の午後一時に熱が下がりました」と言った。53節「それは、イエス様が『あなたの息子は生きる』と言われたのと同じ時刻であることをこの父親は知った。そしてその家族もこぞって信じた」。54節「これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた二回目のしるし(奇跡)である。」
ヘブル11章1節「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すことである」。私達は信仰を土台として祈りの中でイエス様を仲介として。父なる神様と対話をします。聖書を通読しまた精読していると神さまのお答えを知り対話を続けられます。私はイエス様との出会いは祈りの中で対話が出来た時でした。この私の救い又聖めのお証は機会を見てお話します。牧師になることを逃げていた私を主はいやおうなしに牧師になさったことを今非常に感謝しています。牧師にならなかったら私のようないい加減な人間は信仰世界から弾き出されていました。又神様によって全く別人のような存在になる事実を見ることが出来ませんでした。再起不能といわれる中からもう一度説教が出来る奇跡も味わいえませんでした。私はこのヨハネ4章をいくつかの聖書を読みながら自分を重ね見て心から感謝しました。
私は青山学院大学のキリスト教教育研究所でカウンセリングを学びました。それはカール・ロージャスの積極的傾聴法でした。実践して見ると解決に時間を費やし過ぎる欠陥を感じていた時、マルチン・ブーバーのわれとなんじIch unt Duの原文をある兄弟と読み真実の対話とは何かを知りました。そして実存分析のビクトル・フランクル〔ロゴセラピー〕に出会い求めていた方法を知りました。驚くべきことにそれは主イエス様の対話の仕方でした。
ここに見るサマリヤの女は、精神的空白の中で生活していました。主との対話の中で彼女は人生に個人的な意味を見出す事が出来ました。女は再び渇くことなく、また人目を避けて井戸に汲みに来なくてもよいように、そのいける水を与えて欲しい、日常生活の無意味で変わり映えしない決まりきった仕事の中で、来る日も来る日もわびしく骨の折れる水汲みを続けなくても良いように、その水を私にくださいと軽い気持ちで、半ばふざけて主に頼んだのです。主は突然『行って、あなたの夫を呼んできなさい』と言われた。その時彼女は突然自分自身の姿を見た。彼女は突然今までの自分の不身持、不品行、不完全さを直視させられ、自分の醜さを自覚しました。
神様についての啓示とイエス様の前に立ったとき、自分の真実の姿を知ります。誰でもキリストの臨在のうちに自己を見出すまでは真実の自己を見出すことは出来ません。キリスト教は罪の意識を持つことから始まります。自分自身に目覚める時神様を必要としている自己を知るのです。その時誰でも人生の意味を見出します。
フランクルは強制収容所生活の時精神医として、人生の意味をしっかり把握している時困難に耐え抜く力を見てきました。彼は「生きることの独自の理由をもっている人間は、殆どいかなる手段にも耐えられる」と述べています。私達は常日頃諸々の困難辛さ悲しさなどを経験しますが、どのような出来事にも意味があることを知ればそれらを乗り越えて行かれます。
彼女には人生に何の意味も見出せず。毎日の勤めを儀式のように繰り返すことは、無意味でただ倦怠そのものでした。その時自分の前に立たれ語られる方を誰なのか朧げなから悟ったのです。サマリヤは多くの民族と雑婚しました。それぞれの民が自分達の神をゲリジム山に祭って礼拝を捧げていました。その中にヤハウエーの神もありました。
彼女は主に尋ねた。19節「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなた方は、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」21節イエスは言われた『婦人よ(グナイγυναιレディ)、私を信じなさい。あなた方が、この山でもエルサレムでもないところで、父を礼拝する時が来る。あなた方は知らないものを礼拝しているが、私たちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。23『真の礼拝をする者達が、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ』
彼女は行ないを隠す心の防御壁を築いていたが、主は防御的には答えられなかった。彼女と彼女の防衛態勢を受け入れられた。そして彼女の苦境を見捨てず。話題を取り上げ彼女の個人的な問題へと導き、神を含む大きなところへ彼女の要求を結びつけたのです。彼女にとって本当の意味(生ける水)を持つ道はただ一つ主の招きに応じ、私を信じなさいといわれる主を信じる事でした。『神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない』と語られる主の言葉を聞いた瞬間主をキリストと信じたのです。28〜30人に隠れるように生活していたがキリストに出会い真実の礼拝が出来るものと変えられた喜びを自分のものだけにしておくことが出来なくなり。町に行き自分の罪を公言告白してキリストに出会った経緯を証した。39〜42町の多くの人が主の言葉を信じたのです。
私はカウンセリングをする際、イエス様のご態度を思い出しつつ行いますが、残念な事ですが主には出来る心の病の癒しは、現在のカウンセリングでは不可能なことです。理由は対話が出来ないことだと言われています。私はもっと対話法を身につけなければと感じていますが、いかんせん時間がありません。それでも主にまねびて行きたく願っています。
ユダヤ人とサマリア人の間には反目があった。当時パレスチナは南北に約190キロ、それは三つ領土に分かれていた。北にガリラヤがあり、南にユダヤがあり、その中間にサマリアがあった。通常はユダヤとガリラヤの往来には南でヨルダン川を渡り川の西側を北上して、またヨルダン川を渡るその行程にはほぼ6日を要した。近道はサマリアを通過する事で3日ですんだのですが、この道を選ぶ人は少なかったほどお互いを避けていたのです。原因は約7百年前からの事です。
BC722年アッシリアのサルゴンがサマリアを征服した後27290人を捕囚として自国に定住させ(失われた10部族)サマリアには被征服民族を移住させた。捕囚になった者も残された民も異民族との雑婚でユダヤの血統ではなくなり、サマリアに残った少数のヤアウエー信仰も途絶えゲリジム山で異教の神々に礼拝を捧げていた。一方南王国(ユダ部族とベニヤミン部族)もBC585年バビロンのネブカデネザルにエルサレムが占領され捕囚としてバビロニアに連れ去られた。しかし彼らはヤハウエー信仰を捨てず民族の純粋さを失わなかった。ペルシャ王クロスの保護のもと宗教共同体の性格を持ち国家としてでなく、教会としての役目を担うことになった。
5百年にわたっての反目でしたが、主はサマリアの女に語りかけられた。主にはユダヤ人の持つ偏見はありませんでした。弟子達も影響を受けていたのでしょうかサマリアの町に食べ物を買うために行くのに抵抗がなかったのです。サマリアの女は驚きました。たしなみのある男性、特にラビは公の場所で女性には語りかけはしなかったからです。ユダヤの国民性とユダヤ人の正当の慣習を打ち破られ、福音が世のすべての人に与えられること3章16節を愛の行為を持って示されているのです。
ヨハネはこの福音書の目的を20章31節「これらのことが書かれたのは、あなた方が、イエスを神の子メシアであることを信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」と述べました。この神の子イエス様が私達と同じように旅に疲れ井戸(ヤコブの井戸)の側に座っておられた。そこにサマリアの婦人が水を汲みに来た。喉が渇かれた主は『水を飲ませて下さい』といわれた。肉体を持たれた人間イエス様を見ることが出来ます。
婦人との会話はニコデモとの対話と同じように自分で考えで結論を得させようとなさっておられます。その目的は3章15節『それは、信じるものが皆、人の子によって永遠の命を得るためである』4章14節『私が与える水を飲むものは決して渇かない。私の与える水はその人の内で泉となり、永遠に至る水が湧き出る』婦人は「主よ乾くことがないように、また、・・・・その水をください」と言い、そして彼女は不倫を指摘され、罪を認めた第一の変化は、「あなたは預言者だ」と認め、主との対話の中で24節『神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理を持って礼拝しなければならない』が与えられ主の言葉を信じた。
主をメシアと信じた彼女は恥を感じて誰も来ない正午ごろにそっと水を汲みに来たのに水がめを置いたまま町に行き29節「さあ、見に来てください、私が行ったことを(罪の告白の公言)すべて言い当てた人がいます。もしかしたらこの方がメシアかもしれません」サマリア人が来て自分達のところにとどまることを頼んだ。主はそこに2日滞在された。そして更に多くの人々が、イエスの言葉を信じた。
彼らは女に言った。「私達が信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。私達は自分で聞いて、この方が本当の救い主であると分かったからです」私達の証・伝道は彼女のように隣人を主のもとにお連れすることです。そして自分で聴いてほんとに主こそ世の救い主であると分かってもらう事です。
1954年10月遠藤善教兄のお店の2階で家庭集会を始める時、この元住吉に教会を建てて下さい、私は自分の命としてイエス様の教会を牧してまいりますからと、神様に申し上げました。私はそれが使命だと信じて、会堂新築2回、増築4回、2百数十人の方がキリスト者となり全国で信仰生活をおくり、今ここに素晴らしい兄弟姉妹方と共に主を中心としての信仰生活を励ましあってなしています。私のような人間にも教会外の働きの誘いがありましたが、教会の働き、教会・求道者のための毎日4・5回の祈り、読書・説教の準備などをこなすのが精一杯で、私にとって元住吉教会は命ですので、お断りしてきました。バプテスマのヨハネの気持ちはよく理解できます。
ヨハネの証しが1章19〜34節に述べられています。ヨハネの下に派遣されてきた人々は第一に祭司とレビ人達です。ヨハネは祭司ザカリヤの子で祭司職の資格は、アロンの血統でなければならないし、そしてどのような理由があろうと祭司を辞めることは出来なかった。一祭司のヨハネが異常な行動を行っていると詰問に来たのです。第二はパリサイ人たちですが、彼らの背後には最高議会であるサンヒドリンがいたのでしょう、彼達はヨハネを偽りの預言者。説教者であるか確かめる義務が在ると考えていたのです。
彼らたちの質問の第一はあなたはどなたですかその問いに、公言していたように私はメシアではないと答えた。待ち望んでいた預言者のエリヤかエレミヤかと続いて質問した。彼らはこの二人がメシアの来臨に際して帰還すると信じていたからですが、それも否定されて、それではあなたはいったい誰なのかとの問いに、彼はイザヤ40章3節「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え私達の神の為に、荒れ地に広い道を通せ。」を引用してメシア(キリスト・イエス)の先駆者であり、後から来る方は聖霊によって洗礼を授けられると方である。1章32〜34節と証している。当時世界の道はローマに通じると言われ、戦車が通れるように石で固められていたが、幹線以外は荒れていました。荒廃した人に悔い改めの洗礼を授けることを示します。
35節その翌々日「ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。歩いておられるイエスを見つめて、「神の子羊だ」と言った。弟子達はそれを聞いてイエスに従った。」これはヨハネの勧めであったと思われます。その後ヨハネの周りにいた人たちも次々とイエス様に従っていったようです。
3章22節以下その後イエスは弟子達とユダヤ地方に行った。そして弟子達は洗礼を授けていた。ヨハネはアイノンで洗礼を授けていた。彼の弟子達とユダヤ人の間で清めの事で論争があった。彼らはヨハネに「ラビ(先生)ヨルダン川の向こうで、・・あなたが証した人が洗礼を授けています。皆があの人の方に行っています」ヨハネは答え「・・・私はメシアではないと言い、自分はあの方の前に遣わされた者だ・・・・」そして花婿・花嫁の話をしました。
イスラエルは花嫁で迎えるのは主にある介添え人であって、ヨハネは言います「介添え人は花婿の声が聞えると大いに喜ぶ。だから、私は大いに喜びで満たされている。あの方が栄え、私は衰えねばならない」ヨハネの役目は、人々にキリストを紹介する事です。彼は自分のためにはいかなる偉大さ、地位も要求しなかった。私達をキリスト(教会)に結びつける介添え人(牧師のような)役目で主が栄え自分が衰えるのは当然としたのです。ヨハネの神に従順に従う姿は私達のものでありたいものです。
この箇所を読んだ時主イエス様が言われたヨハネ十一25『私はよみがえりであり、生命である。私を信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、私を信じる者は、何時までも死なない。あなたはこれを信じるか』マルタはイエスに言った。「主よ、信じます。あなたがこの世に来るべきキリスト、神の御子であると信じております」死んで4日になり、もう臭くなっております。と言うマルタとユダヤ人の前で41節イエスは目を天に向けて言われた『父よ、私の願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたが何時でも私の願いを聞き入れて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、側に立っている人々にあなたが私をつかわされたことを、信じさせるためであります』と祈られて、そして『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。すると死んだラザロが生きて墓の洞穴から出てきた。この出来事でエルサレムに入られるイエス様を民衆は棕櫚の葉を振ってホサナ、ホサナ(救い給え)と叫び自分達の服を道に敷きイエス様を歓迎したのです。
イエス様と弟子達は主の復活までは、モーセの律法に従って安息日(土曜日)に礼拝をささげていました。弟子達は主の復活に接して、そのときから日曜日を主の日として礼拝をささげることにしました。礼拝の基盤は15章に述べられるように主の復活です。復活があるからには主の死があります。十字架によって罪赦された者も主に続いて復活し永遠の命に与ることが述べられています。
主を信じない人々は、主を慕う余りに幻を見ていると復活を信じません。弟子達は週の初めの日の夕方、ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた。そこへ主が真ん中に立ち『あなたがたに平和(エイレーネーειρηνη。シャローム)があるように』と言われ、手と脇腹とをお見せになった。弟子達は主を見て喜んだ。彼らと一緒にそこにいなかったトマスは、弟子達が復活の主にお会いして手と脇腹を見たと言うことに、「あの方の手に釘跡を見、この指を釘跡に入れ、またこの手をわき腹に入れてみなければ私は決して信じない」と言った。8日の後、弟子達は家の戸にみな鍵をかけトマスも一緒にいた。イエス様が来て『シャローム』と言われ、それからトマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい』トマスは「私の主、私の神よ」と信仰告白をしました。主はトマスに『私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである』と言われた。わたしもトマスと同じでした。
コリント第一15章にパウロは主の復活に出会った人々を次々とあげ、5百人以上もの兄弟たちに同時に現われ、大部分は今なお生き残っていますと述べ、12節「キリストは死者の中から復活した。・・・死者の復活はないと言うが、どういうわけか。20「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」キリストによってすべてのキリストにある人が生かされることになるのです。
「イエス様はよみがえりであり、命です」死者の復活がなければ、キリストの復活がなかったならば多くの人の宣教は無駄であり、私達の信仰は無駄です。主は最後の敵として、死を滅ぼされます。54・55節「死は勝利に飲み込まれた・・・死よお前の棘はどこにあるのか」主に結ばれているならば自分達の苦労が無駄にならないことを、あなた方は知っているはずです。58節
前にヨハネ福音書は、光と闇、昼と夜の対立が述べられていると申しました。1章の冒頭に「・・・言葉の内に命があった。命は人間を照らす光(主キリスト)であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」と述べています。3章の主とニコデモとの対話の場面でも、ニコデモは夜、イエス(光り)もとに来て言った。「ラビ、私共は、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたがなさるようなしるしを、誰も行うことは出来ないからです」彼の心は夜の暗さの中で光を認めています。夜主の下に来たのは昼間は大衆に囲まれておられるので個人的にお会いしたいとの気持ちがあったのかもしれません。
19節「光が世に来たのに、人々はその行ないが悪いので、光よりも闇の方を好んだ」その故に神の最高の贈り物である福音(喜ばしい知らせ)3章16節「それ神はその独子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠の生命を得ん為なり」は中々受け入れられません。小学2年生の時日曜学校で憶えた御言葉です。意味は後のみ言葉でなんとなく分かりました。1955年口語訳聖書が出版され時、私は子供のために嬉しく感謝して教会全体もこれに変更しました。この1節で聖書全体・キリスト教の本質を現しているといっても過言ではありません。
この世に人となられてこられた神の独子であるイエス様のご生涯・十字架の死の目的は罪人である人々の救いです。特に十字架の死こそ罪びとに対する父なる神の愛を示し、永遠の命を与え、神の子とする道です。少し横道にそれますが太平洋戦争時には七生報国が軍から要求されました。七生とは浄土宗の教えにある死んで天と人に転生を七度繰り返すと阿弥陀仏の浄土(いわゆる極楽)に行けると言う大乗仏教からきているものです。輪廻転生を繰り返すとき、間違っても化生して地獄と餓鬼界に転生しないため善行を積まなくてはならないのです。それで南無阿弥陀仏と阿弥陀仏に帰依すると念仏を唱えると極楽に往生できると言うのです。
聖書は神の独子が私達罪人の身代わりとなって十字架の死を受けてくださり、永遠の命を与えて下さいます、その主を信じることが父なる神の愛によって神の子とされるのです。17〜21節「神は御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。・・・光が世に来たのに人々はその行ないが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行ないが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし真理を行う者は光の方に来る。・・・・」御言葉は御子を信じない者は裁かれ、亡びへと落ちて行くとことを示しています。
13章30節イスカリオテのユダは主を銀貨30枚で祭司長たちに引き渡すため、最後の晩餐の席から立ち、出て行った。時は夜なりき。マタイ27章3〜10節「銀貨30枚を祭司長たちに返そうとして(私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました)と言ったが受け取ってもらえないので、神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。・・・」イスカリオテのユダは罪の告白をする相手を間違えました。彼は神様に対して罪を犯したのです。彼が心から悔いて神様に告白したのであれば、自ら首をつって死ぬ事はなかったはずです。
私達は永遠の命を与えるために御独子を世に送られた神の愛に感謝して、光なる主を信じて神の子としていただき、永遠の命に生きて行かなければなりません。
70年前、それまでは20歳で兵隊にされたのですが18歳まで引き下げられ、その上卒業するまでの徴兵延期も取り消され徴兵検査を受けました。友人達で私より年上の者は翌年の1月に入隊我々はまだ先だと思っていたところ3月1日に臨時召集令状いわゆる赤紙が来て入隊しました。3月10日陸軍記念日東京大空襲があり10万余の方が火に焼かれ、逃げて川で溺死と言う悲惨なことが起こりました。帰国後それを知り戦争は子供まで巻き込む恐ろしさを知りました。復員列車から見た広島、東京の焼け野原を見て息を呑みました。文字通りの大虐殺です。戦争は絶対にしてはなりません。あの廃墟から今の平和な町ができたとは奇跡的な事です。日本は新たに生まれ変わったからです。私はイエス様とニコデモの会話を読んで反射的に以上のことが思い出されました。10月に国民総懺悔として内閣声明でイザヤ書二4「彼は諸々の国の間に裁きを行ない、多くの民の為に仲裁に立たれる。こうして彼らはその剣を打ち変えて、鋤とし。その槍を打ち変えて、鎌とし、国は国に向って、剣を上げず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」が引照され悔い改めました。それが新生日本の誕生でした。
ヨハネ3・4章には対話の形式で宮清めの真理が明らかにされています。主イエス様とニコデモとの対話は、主が弟子達に求めておられる完全な信仰が、人間性の根本的変革新しい誕生であることを教えておられます。ニコデモはパリサイ人でサンヘドリンの議員であった。パリサイ人は福音記者に言わせると主に敵意を抱く偽善者的宗教家集団としているが、ニコデモはその中にあって、例外的に主を求め、その言行に深い感銘を受けていた。彼は主を神から来られた教師であることを認め 2節 教えを受けたく主のもとに夜来た。彼が自分の地位や身分をはばかって人目を避けたというよりも、彼の心の暗黒の中から、光を見出そうとの求道心を見ます。ヨハネ福音書は“光と闇” ”昼と夜”との対立を示しています。彼が夜主を尋ねたのは恐らく昼間は人々に囲まれておられるので対話が出来なかったからと彼の内部の暗黒でしょう。
主は彼に答えられた『よくよくアーメンαμην アーメンあなたに言っておく。誰でも新しくアノウセンανωθεν(上から)生まれなければ、神の国を見ることは出来ない』新しい誕生は霊的性格を帯びた誕生であり神の賜物であるイエス・キリストを受け入れる事です。人が自分の力や修行で正しくなろうとすることを全く放棄する事です。それは人生における180度の内的方向転換であって、闇から光に移される経験です。
神の国は主の宣教の主題でもあります。神の支配が確立し、神の御心が行われる社会です。この社会の一員としてとして神の支配の下に生きる者は、誰でも新しい誕生を経験する必要があります。新しく生まれた者は神の御心に歩むことが喜び。楽しみになります。神の国を物質的・政治的に考えているユダヤ人には新生を理解することは困難であった。旧約的に言うと物質に恵まれ社会上位に位することが神の恵みのもとにあると解釈されていたからです。
ニコデモが知らなければならなかったのは、神様が働いて下さる霊的領域の存在です。霊的誕生とは水と霊による誕生です。ヨハネによる洗礼がキリストの御霊による洗礼にて完成するのです。彼は神様の力を正しく理解できなかった。9節「どうして、そんなことがあり得ましょうか』イスラエルの教師である彼はエゼキエル三六25〜27節を記憶にはあっても、信じることが出来なかったのです。しかしニコデモは主との対話で闇の中からイエス・キリストを知る光へと生まれでたのでしょうか。七50・51イエス様を非難した仲間のパリサイ人に主を弁護し、十九39節主を葬るため没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほどもってきている。
キリスト者になるためには肉の生活を捨て180度転換神の方へ向かなければなりません。新たに水(洗礼)と霊(聖霊による洗礼)によって生まれ(新生)主イエス・キリストに従っていかなければなりません。
主にとって特別な1週間の7日目ナタナエルの故郷であるカナで、イエス様の母マリヤが恐らく接待役をしていた婚礼に、主と弟子達が招待されました。ユダヤ教のきよめのための水は律法主義の不完全(水がめの六は不完全数)を表し、主イエス様はこの水を葡萄酒に変えられた。この葡萄酒は、命と力を与えて、”人の心を喜ばせる”詩篇百四篇15節葡萄酒は十字架で流される救い主の血によって全人類に与えられる新しい命と力を象徴しています。かくして一週間の序幕的出来事は終わりました。
ヨハネは主イエス様の公的宣教を神殿での宮きよめで開始しています。過ぎ越しの祭りを前にしての出来事は他の福音書は受難週の初めとしています。ヨハネは年代的関心よりも神学的観点によっています。彼は年代よりも真理に関心を持ち、主イエス様を神の子として、またメシヤとして示すことに最も関心があったのです。
エルサレムに上られた主はただちに宮に入って宮きよめを行われました。14~16節神殿はナオスναοσ、神殿と境内全体をヒエロンιερων、口語訳は宮と訳していますヒエロン。イエス様は縄で鞭を作り、羊や牛を外に追い出し、両替人の金を撒き散らし、その台を倒し、鳩を売る者達に『・・・・私の父の家を商売の家としてはならない。(私の家は、祈りの家と呼ばれるべきであるマタイ二一13)』と言われた。
私はこの箇所を読んだ時疑問を水口牧師に、何故いつも穏やかな主がこの様な激しい行動とられたのですかと質問した。牧師の返事は先ずマラキ書三1〜3節を読んでくださいそれから説明しますとの事でした。当時エルサレム神殿で行われている犠牲制度では真実に罪の赦しは不可能になっていました。詩篇51章19節「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれた悔いる心を 神よ、あなたは侮られません」制度そのものが形式に流れ実績的な内容は失っていました。
このとき主イエスは、当時の腐敗した神殿礼拝を改革しようとして預言者のように改革運動をしたのではありません。主は犠牲制度を改革しようとされたのではなく、それを破棄しようとなさったのです。主は両替人や動物を売る者達が法外な手数料を取っていた不正を責めるよりも、宮の境内で行われる営業に反対されたのです。ロマ世界に散在していたユダヤ教徒が祭りに参加するために上京して、ロマ貨幣をユダヤ貨幣に両替しなければ、犠牲にする動物を買えなかったのです。勿論これには祭司や役人達への賄賂も含まれていました。主は神殿の境内を商売に家としてはならない。祈りの家としなければならないとの信念から宮きよめをなさったのです。
このとき弟子達に詩篇69編10節「あなたの家を思う熱意が私を食い尽くす」の聖句を思い起こさせた。この宮きよめをイエス様の死とヨハネは結び付けています。神殿礼拝を純化するためには古い礼拝制度を破壊して、新しいものを造らねばなりません。主の宣教は否定的・破壊的ではありません。御自分の体を神に受け入れられる供え物(十字架の死)としてささげる純粋な霊的礼拝によって、人々が直接神様に近づく道を開くためにお出でになったのです。イエス様ご自身の十字架の死の犠牲を信じるものはイエス様ご自身の体の一部分とされてロマ12章1節「神に受け入れられる、聖い、生きた供え物(キリストの体の枝・教会の一部分)」として自分自身をささげて霊的礼拝が出来るのです。 18〜22主イエス様の十字架の死と復活の預言です。
言葉λογοσロゴスは肉σαρξサルクス人となって、私達の間に宿られた。ヨハネはこの方について証しした。19その証しはこうである。パリサイ人達の問いに、私はメシヤではない更に彼達のエリヤかそれともあの預言者(モーセのような第2の預言者申命記十八15)との問いに「そうではない」と答えた。「・・・それでは、あなたは自分を何だと言うのですか」ヨハネは「私はメシヤの先駆者」とイザヤの言葉を用いて答えた。彼らは更に「・・・預言者でもないのに洗礼を授けるのですか」と問うので「・・・私は水で洗礼を授けるが後か来られる方は、聖霊による洗礼を授けられる」と答えた。
29〜34その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ、・・・・・」ヨハネが人々にイエスを個人的に紹介した最初の言葉です。ヨハネの証言を聞いた人々は過越しの子羊を連想した。エルサレム神殿の祭儀で犠牲の子羊を捧げることは彼達には無関係なことではなかったからです。ヨハネはイザヤ53章の苦難の僕が念頭にあり、屠り場に引かれて行く子羊のように「多くの人の罪を負い」「神に打たれ、くるしめられる」それゆえ、イエスが世の罪を取り除くことをヨハネは充分に理解しての発言です。
35〜42節その翌日(3日目)、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の子羊だ」と繰り返して証言した。彼達はこれを聞いてすぐにイエスに従った。一人はアンデレ、あと一人はゼベダイの子ヨハネ(第4福音書の著者)バプテスマのヨハネは自己の使命を自覚していたので2人が主の弟子になることを望んでいたようです。彼達は何故ヨハネの弟子からイエスの弟子になったのか、ヨハネは自分で言明するようにキリストではなく、イエスこそキリストであることを弟子達に証言したからです。
主は彼らが従って来るのを見て、『何をτιティ求めているのかζητειτεゼーテイテ』多くの場合求めるものは名声か物質です。彼達の求めているものはそのようなものではないので、膝を突き合わせて話を伺いたいと「ラビ先生何処に泊まっておられるのですか」と問い返した。主は、『来なさい。そうすれば分かる』と言われた時、主は地上の宿泊所以上のことを知ることを欲しておられたのです。夕方の4時ごろ主の最初の弟子二人は忘れがたい一夜を過ごすために宿泊所についた。
その夜の会話は一言も述べていませんが、アンデレは翌朝兄のシモン・ペテロに会って「私達はメシヤ・キリストに出会った」と言って、昨日はラビ先生といった主を昨夜の3人の会話でメシヤと信じた。それでシモンをイエス様のところに連れて行った。アンデレの特徴は「来て見なさい」と主のところに人々をお連れすることでした。現在でも教会に誘ってこられた兄弟姉妹は必ずと言ってもよいほど信仰生活に入ります。私達の教会に今こそアンデレのような信仰が必要です。
43節アンデレたちの町ベトサイダ出身のピリポに会われて『私に従いなさい』と言われて主に従った。友達のペテロとアンデレがいたので以前から話し合っていたお方だと信じたのでしょう。ピリポはナタナエルに出会って、45節「・・・・預言者達も書いている方に出会った・・」ナタナエルは「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、ピリピは「来て見なさい」と言った。47~51節主との会話でナタナエルも弟子となる。この1週間の出来事の締めくくりとしてカナの婚宴における水を葡萄酒に変えた奇跡で私的な行動は終わり、公的宣教へと進まれます。
バプテスマのヨハネは「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言って罪を悔い改めた人達にバプテスマを授けた。悔い改めにふさわしい実を結ばない木は皆、切り倒されて火に投げ込まれる(この火は黙示録にある最後の審判)11節「私は、悔い改めに導くために、水で洗礼を授けているが、私の後から来られる方は、・・・その方は、聖霊と火であなた達に洗礼をお授けになる。12節そして箕をもって、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」彼はここにメシヤ(キリスト油注がれた者)の先駆者としての自分の立場を明白にしています。
ヨハネの洗礼は罪の告白による悔い改めでした。「後からお出でになる方は、私より優れておられる。私はその履物を脱がせる値打ちもない。その方は聖霊と火であなた達に洗礼をお授けになる。・・・」水は表面を洗い清めるのみで永続的ではないが、聖霊は、お働きになる何処でも心の中まで入り込んで、命を与えて下さる。そしてその火は罪の根っこまで焼き尽くしてしまいます。
箕は木製の熊手状のもので脱穀場の麦と籾殻を投げ上げて、風で吹き分けるその業を徹底的になさり、麦は倉に入れ、殻は消えることのない火で焼き払われます。最後の大審判の場面を示し、麦は悔い改め、よき実を結び信じて神の子とされた者、殻はそうでない者を表します。メシヤの洗礼は、麦と殻、信じる者と信じない者、御霊による、心の割礼を受けた者と受けてない者を徹底的に分ける事となります。ヨハネの働きは、警告と共に、悔改めを彼達に迫ることでした。
場面が変わって3年後の神殿、そこにはペテロを中心にして12名の弟子達が立っていた。彼達はユダヤ人の迫害を恐れて自分達のいる家に鍵をかけていた。五旬祭の日に彼達が集まっていると、イエス様のご約束通りに一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出したのです。使徒2章ペテロは11使徒と共にたって、声を張り上げ、話し始めた『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たちに・・・・』長い話を始めた。ここに20ほどの国名が挙げられていますが、弟子達は霊に導かれて学んだことのない言葉で、聖霊によって同時通訳したのではないでしょうか。ペテロは旧約がイエス様こそメシヤであると語り21節「主の名を呼び求める者は皆、救われる」最後に「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなた方が十字架につけて殺したイエスを。神は主とし、またメシヤとなさったのです。」この聖霊に満たされてイエス様こそキリストであると言う証言に、人々の心は罪の自覚に大いに打たれた。
そして「兄弟達、私達はどうしたらよいのですか」と言った。ペテロは答えて言った「㈰悔改めなさい㈪めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦して頂きなさい。そうすれば、㈫賜物として聖霊を受けます」多くの方はもっと正しくクリスチャンらしくなってから、洗礼を受けますと言われます。自分でよい存在になる事は実は不可能です。
ある大酒のみに聖書の話をしようとした時、「酒をやめた時にお話を聞きます。私は汚れた人間ですから」と言うので、主はそのままでいらっしゃいと言われていますので遠慮しないでおいで下さいと返事したところ、ほんとに集会ごとに顔を真っ赤にして出席していました。日曜の礼拝にはさすがに素面でした。青年達と話しているうち路傍伝道について行くこととなり、伝道会の終わりまで丸1日飲まなかった自分に驚いていました。2週間位後の祈祷会時しらふで満面笑みをうかべて入って来ました。手には大きな旧新約聖書を持っていました。どうしたと私が言うと彼は今日クリスチャンになります。聖書を買っただけで本屋の主人に初対面なのに信用されました。それは給料日でしたので飲み屋の途中で本屋に寄って皆と同じ聖書を買うため包んでもらい代金を払おうとしたが食券袋と間違えていたので、明日寄るから取っておいて下さいと頼んだところ「いいですよお持ち下さい。聖書を買う人はうそは言いませんから」と、聖書を買うだけで信用されるなら俺もクリスチャンになろうと決意したと言う経緯でした。
しばらく時を置いて、主に罪の告白をするので執り成しの祈りをして欲しいとの事で立ち会いました。細かい罪の告白でしたので私はさえぎって、罪とは的はずれの方向にすすんでいた自分を認め神の方向に向きを転換することが基本です。と勧め共に祈った時救われ別人のようになりました。やがて柏木の学院教会で行われた聖会で徹夜で祈り、聖めの経験をしました。これは一つのお証です。ペテロが「我何をなすべきか」の問いに答えた㈰罪(的外れの人生)の悔い改め(神の方向への180度転換)㈪イエス・キリストの名によってバプテスマを受ける㈫賜物として聖霊を受ける。この過程を経てキリスト者になります。そして神様から真実の愛をいただくのです。
婚礼の宴は、村人にとって村全体の喜びのときであった。ユダヤでは普通祝宴は数日間にわたって行われ、歌い踊り、にぎやかなものだったといわれています。そのためどれほど多くの食べ物や飲み物が用意されたでしょうか、主催する側は財産が傾くほどのもてなしをするのです。その祝宴にイエス様と弟子達も招かれてそこにいました。
やや貧しい家の祝宴であったと考えられます。その祝宴がたけなわの時、葡萄酒がなくなってしまったのです。そのままでは花婿の家の面目まるつぶれです。恐らく財産のありったけをはたいて準備したのでしょう。私達の人生にもこの様な喜びの葡萄酒が尽きてしまうことがあります。
若いときには自分の能力・才能・精神力で疾走することができますが、それでも自分の力や才覚で乗り切れない津波のようなものが押し寄せてきます。そのとき葡萄酒は尽きているのです。
祝宴会場の上座にいる村の世話役はそのことは知りませんでした。母マリヤはその困ったことに気づいて、あわてることなくイエス様に「葡萄酒がなくなってしまいました」と言った。これは単に事実を言ったのではなくイエス様に対する願い祈りの言葉です。マリヤはイエス様に関する尋常でない出来事をすべて心に留めて常に思い巡らせていたので、この時もイエス様なら困難を乗り越えさせてくださると信じていたのです。
しかし、主イエス様は問題解決の行動はすぐにはとられず。母に言われた『婦人よ(γυναιグゥナイ英Lady)あなたは、わたしと、何の係わりがありますか。』と厳しい言葉をはっせられますが、拒絶の言葉ではありません『わたしの時は、まだきていません』主には動かれる時があるのです。主がよいと思われる時に母マリヤの祈りに応えられたのです。主がよいと思われた時が、私達のために最良の時であるのです。
祈って、主の時を待つことが信仰なのです。マリヤは拒絶されたとは思っていません。イエス様が問題解決を引き受けられたと信じ。僕達に言った「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」備えをして、祈って主の時を待ったのです。よく祈る者はよく待つ者です。
主の時がきました。そこにそれぞれ4・5斗もはいる石の水がめが、6つ置いてあった。イエス様は僕達に『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われた。彼らは言われたとおりに口のところまでいっぱいに入れた。主はさらに彼らに言われた『さあ、それをくんで、宴会の世話役のところに持って行きなさい』彼らは言われるようにした。世話役は葡萄酒になった水をなめてみたが、それが何処から来たか知らなかったので、花婿を呼んで「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわった頃に悪いのを出すものだ。それだのに、あなたは良いぶどう酒を今までとっておかれました」花婿は何も知らないので訳が分からず狐に鼻を抓まれた思いでしたが、しかし水をくんだ僕達は知っていた。
私は牧師をしていて感謝していることの一つに、罪の告白を主にしたいので、その際立ち会って執り成しの祈りをして欲しいと頼まれた経験を何回もしました。そして全く新しい人キリスト者になるのを見ました。また洗礼を受けて日々変えられて行く様も数多く目の当りにして、神様の奇跡の業を共に味わえたことを感謝しました。水を汲んだ僕は水を最上の葡萄酒に変えられた奇跡を知っただけではなく、その主のみ業に参加できる幸いに与りました。私も小さな働きですし、能力に欠けたものであるにも関らず主のみ業の一端を担う光栄に与れたことは、牧師であったからこそ味わえたと感謝しています。それゆえでしょうか私は牧師と呼びかけられることが何よりの喜びです。
東方の国、アッシリヤ、バビロン、ペルシャはかつてユダヤ人が捕囚とされた地です。彼達はユダヤ教につき、彼達のメシヤ待望についても良く知っていた。占星学に詳しい博士達マゴイμαγοιは、東の方で星が昇るのを見た2節そして彼達はユダヤの首都エルサレムにやってきた。彼達はヘロデ王に2節「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。・・・・」博士達のもたらしたニュースに、王も市民も恐れ惑った。ヘロデ王の恐れはライバルの出現と言うより、キリストすなわちユダヤ人の王としてのメシヤであった。この主なるメシヤがユダヤ人たちとの革命によっでヘロデの王権が崩されることを恐れた。また民は残虐な王が何をするか恐れたのでしょう。王は律法学者達にキリストは何処に生まれるのかと問いただしてミカ書五6ユダヤのベツレヘム(パンの家)であること確かめ博士達に告げた。預言されていることを知っても、博士達以外誰も主のもとに行っていません。
王はひそかに博士達を呼んで、8節「・・・私も拝みに行くから」とあざむいてベツレヘムにつかわした。博士達を東方の地より旅出させた星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。この星は主の誕生を示したBC7年に3度現われた星ではなく彼達を導くための奇跡的な星です。恐らく2歳ぐらいの主イエス様の前にひれ伏して拝み、宝の箱から黄金・乳香・没薬などをささげた。遠い危険な道をこの宝の箱を大事に持参したほど当時としては高価なものであったと思います。彼達は夢でみ告げをうけヘロデのところに帰らず。別の道を通って自分達の国へ帰って行った。
私もローマ十二1「・・・あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それがあなた方のなすべき霊的な礼拝である」心に刻み付けて博士達と同じささげものをなすべく勤めています。
イエス様の誕生の年月は聖書にしるされていませんが、マタイ二章1に主イエス様はお生まれになったと述べられヘロデの時代であった。13〜15節主の使いが現われて「立って、幼な子とその母とを連れてエジプトに逃げなさい・・・ヘロデが幼な子を探して、殺そうとしている」ヘロデはベツレヘム付近の2歳以下の男の子をことごとく殺した。その前にヨセフは立って夜の間に二人を連れてエジプトに行った。ヘロデはBC4年に死亡しているのでイエス様の誕生の年はBC6年ごろと思われます。
異論がありますがエジプトでの生活に、博士達のささげものが、大きな働きをしたのではないかと信じます。神様は常に愛する者のためには想像もつかない準備をなさいます。私のような人間にも神様は最善に前もって準備なされた事が数多くあります。172数えよ主の恵みを声たからかに讃美します。新しい年には様々な出来事に出会うでしょう。困難・苦しみ・悲しみが襲ってきた時にはふり返って、主の恵みを思い出して讃美しつつ乗り越えて行きましょう。
台湾にいたとき、12月半ばには門の両側に、1m10cm直径12・3cmほどの竹に松と梅を縄で結わえた門松が建てられました。その時はその由来を知りませんでした。悪友連中と爆竹で竹を割るのが楽しみでした。唯自分のうちのものは割られないように監視するのは大変でした。長じて門松は年神や歳徳神の依代であると知ってその方々に、悪いことをしたなと大いに反省しました。しかし何故信仰深い母が大金をはたいてそれを立てたのかと不思議に思い聞いたところ、大人にはお付き合いというものがあるのだとの返答に、複雑な人間関係に関心を持つようになりました。もう一つ「門松や冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」と言う一休和尚の句も考えさせられました。何で大晦日が過ぎ元旦が来ると新年お目出度なのか、小学3年生が頭をひねったものです。
ギリシャ語には二つの新しいとの言葉があります。それはネオスで、他に一つはカイノスです。ネオスはニュースの語源です。あるときN北・E東・W西・S南だと聞いて私も同じ類の間違いを語っていないか注意するようになりました。ネオスνεοσすぐに古くなり、変わりやすい一時的な新しさです。新聞も明日になれば旧聞になります。新流行も新○○もやがて古くなり忘れられます。私は読書や思索中は新聞を見ませんので4・5日分の旧聞を見ます。ニュースは夜のTVで見ますので、社会情勢を知るにはそれで充分なのです。
それに対してカイノスκαινοσはいつまでも変わらない新しさを意味します。コリント第二、5章17節「誰でもキリストにあるならば、εν Χριστωその人は新しく造られた者である。καινη κτισισ古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。ιδου γεγονεν καινα」キリストによって救われた者は、過去の古い人間は死んで、キリストによって永遠に変わらない新しい人間に創造されたのです。
ルカ22章20節「食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなた方の為に流す私の血で立てられる新しい契約である。καινη διαθηκη・・・・』聖餐式に与るとは主イエス様が言われるように、パンは十字架で裂かれて主の肉であり、杯に注がれた葡萄酒は流された主の血の象徴です。私達は聖餐式で新たに主によって創造されたことを確認します。今ここで新しく造られた神の子として聖霊に導かれた生活をする決意の日としましょう。