【我キリストと共に十字架につけられたり】 ガラテヤ2章15~21節

2017年2月5日

 小学1年生の修身の教科書に「キグチコヘイハ シンデモ クチカラ ラッパヲハナシマセンデシタ」当時1年生はカタカナ2年生でひらがなを習いました。勅語・公文書・六法全書はすべて片仮名でした。2・3年後には 国語の教科書の1頁は「ススメ ススメ ヘイタイススメ」私たちのときに国定国語の教科書が改訂されて「サイタ サイタ サクラガサイタ」1年生から全学科、桜の花のように美しく潔く散れと、国の為に死ぬことが正しい生き方だと洗脳され、国のそして天皇の為に死ぬことが人生の目的とされました。当時の日本人の平均寿命は50歳でした。私たちは20・2・3歳が死ぬ時だから太く短く生きようと、お互い話し合ったものです。

 20歳が徴兵年齢でしたが1944年昭和19年に18歳まで引き下げられ、私たちは卒業まで徴兵延期でしたが、それも取り消され、軍隊に入隊、トンネル陣地を補強守備していました。フィリピンのクラーク基地から日曜日以外の日には定期的に戦闘機が来て陣地を機銃掃射し、時には小型爆弾を落としますのでいつも死と隣り合わせている感じでした。脳裏の片隅にはいつも死がありました。その時でした。

 「我は神に生きんために、おきてによりておきてに死にたり。我キリストとともに十字架につけられたり。最早われ生くるにあらず、キリストわが内にありて生くるなり。今われ肉体にありて生くるは、我を愛してわがために己が身を捨て給いし神の子を信ずるに由りて生くるなり。」このみ言葉を読みました。これは日曜学校2年生の時覚えた豆カードの御言葉です。意味は山里牧師の奥様の説明でなんとなく分かりました。私は陣地でポケット聖書を読んでいる時にこのみ言葉に再び出会い、私の死に対する疑問は解けました。パウロは自分の経験をはっきり語るために『我は』εγωエゴを使用しています。通常は動詞にωをつけます例えばアガパオー セオス私は神を愛すαγαπω σεοσです。

 イエス様が十字架の贖いを成就なさるまでは、ガラテヤ3章23~25節「信仰が現れる前には、私たちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。こうして律法は、私たちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。私たちが信仰によって義とされるためです。しかし、信仰が現れたので、最早、この様な養育係の下にはいません。」旧約のおきてを完全に守った人のみが救われるのですが、人間には律法を完全に守ることは不可能に近い事です。

 父なる神様は私たち人類を愛して御子を遣わされ、十字架の主をキリスト救い主と信じる者をお救いになったのです。パウロはその事を、『我はεγωエゴ神に生きんために、律法によって律法に死んだ』律法はキリストが来られるまでは養育係りでした。キリストが来られるまで私達の養育者であった律法に死んだ。そのことによって律法との関係がなくなり、律法の支配から離れられ、神様の支配下に置かれたことが神に生きることでした。律法によって死んだことは、キリストと共に十字架につけられた事です。私は死に直面して十字架で死んで、主と共に甦ってこのどん底の中でも生きているんだと信じることが出来たのです。

 あの状態の中で神がすべてをよきになしたもう(ローマ8章20節)とはと祈りの中で問いかけた時、このみ言葉で主との出会いが出来ました。洗礼の恵にあずかった時雨上がりの濁った川の中に沈められ引き上げられた肉体の経験が信仰として生きたのです。今私が生きているのは神様の御一人子が私の為に十字架の上で血を流され肉を裂かれた。その主が私のうちで生きておられるのだと信じた時の感謝は忘れることはありません。私は死のそして今生きている意味を実感しました。

 私はこのことを忘れないように毎年のように皆様に証しすると共に、兄弟姉妹が自分εγωの証しをしていただきたいと切に願っているのです。