【信仰の証し】 ヤコブ2章14~26節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年3月18日

 ヤコブは主イエス様の肉の弟です。彼は最初イエス様を信じなかったが、主の復活後、主を信じました。パウロの手紙によると、彼は12使徒とも、弟子達全体とも区別される重要な地位にあったことを知ります。エルサレム会議では指導的役割を演じています。AD62年ごろ大祭司アンナスに捕らえられ律法を破ったかどで石で打たれて殉教しました。エルサレムの住人達からヤコブは”義人”と呼ばれていたと言われていました。ルターの聖書のヤコブ書の序言で、他の手紙と比べるなら軽い藁の手紙であると言っていますが、それは、ローマ教会が行いの義としてヤコブ書を取り上げたからでしょう。他の翻訳聖書の序言では信仰と行ないによる義認について、パウロとヤコブとの間に何ら矛盾がないと述べられています。

 私は現存された2人の信仰の行為の証しで信仰を持つことが出来ました。ガラテヤ2章20節「我キリストともに十字架に付けられたり《ガラテヤ5章24節キリスト・イエスに属する者は自分の肉とともにその情と欲とを十字架につけたり》」は救われた事で経験しましたが、「最早我生くるにあらず、キリスト我が内にありて生くるなり。今我肉体に在りて生くるは、我を愛して我がために己が身を捨て給いし神の子を信ずるに由りて生くるなり」が経験できませんでした。

 その時水口牧師がヤコブ書2章17~18節「信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。しかし、[ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある]と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なる物を見せて欲しい。そうしたら、私の行いによって信仰を見せてあげよう]。」を示されて信仰は肉体の行いとしての生活において、キリストに内住していただく者にふさわしいものであるはずですと言われました。[何時も喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなた方に求めておられることである]このことが牧師には自然に出来ているのを見て信仰の極意を感じました。

 あと一人は母です。鹿児島県立病院で看護婦と助産婦の資格を得て、上京しました。そして妹の婚約者が警官になると法律を勉強していたその学費と生活費を出していました。知人の紹介で父当太郎と結婚、台湾台中の製糖会社の斡旋で産院を開業、落ち着くと親族の子供で中学に進んでいない子達を呼寄せ中学に進ませ卒業したら東京の大学に進学させました。母は教会に行くことは誰にも強制しませんでした。特別伝道会には全員参加でした。その頃には助産婦志願者の実地訓練をしていたので5・6名も参加していました。

 家の応接間には山村軍平の平民の福音が全巻、賀川豊彦の著書が多くあったのを覚えています。欄間には西郷隆盛の[敬天愛人]の額が掲げられ、床の間には掛け軸で西郷さんの詩がかけられていました。それらを読んでいたのでしょうか敗戦後あった彼等彼女達は殆どキリスト者になっていたことは驚きと共に母の信仰の証の素晴らしさを実感しました。

 母は実習生にも産婦にも先生と呼ばせずおばさんで通しました。台湾人の助産婦が少ないので取り上げる人がいない貧しい人々のところにも実習生を連れて行ってすべて費用は持たせず沐浴などさせていました。この人達も殆どキリスト者になり母のしたように働きました。その産婦たちが敗戦後子供をつれて米や野菜肉類を運んでくれて助かりました。

 ある日学校から帰ってくると、女中におばさんが応接間に来るようにと言っているよと言われ、入っていくとそこに4人の人が窮屈そうに座っていました。それは小作人と書類を書く公学校の先生でした。母は一応地主の名義は隆英になっているので呼びましたと言い。小作料の交渉になるとは母は税金を払ったら、後は時々野菜類を届けて貰えば良いですといいますと、先生が今までとあまりに条件がよすぎますと言いますが、母は将来農園をする予定で土地も増やすのでそれでよいのですと、契約書を作りました。

 万事がこの様な有様ですので、とばっちりは私の小遣いなどに影響して不自由でした。しかし食糧事情が悪くなった時届けられるもので助かりました。そのあまりを教会の方々に配り、私に母は言いました、できる時に人のために出来ることをすれば自分も助かるように神様が導いて下さるのだよと言われ信仰の行為を見ることができました。

 日本に帰ってきて驚きました、叔父が退職したら住むためにとの家があるのでそこに落ち着くようにと住まいは安心しました。一人前に成った者たちが次々と生活に必要なものや食料が届けられ生活が安定しました。

 後は特攻隊で何処にいるのか弟を探すことでした。その弟も高知の航空隊の隊長の勧めで開墾している時米軍の従軍牧師に出会い、いろいろのことがあって無事東京に来ました。学校問題も不思議に導かれて深沢の園芸高校に転入しました。私は法律を学んでいましたが、小学校の校長が免許状を持っているなら大学の学びに支障のないようにするからぜひ勤めて欲しいと言われたので神様と約束した牧師になることから逃げられると思って飛びつきました。

 時が立ってある時母と妻好恵が、青山学院大学をやめて聖書学院に行くことが早く牧師になることが出来るからと迫られ、私の欠点の情に対する弱さを衝かれ聖書学院にはいりました。そして牧師になるならゼロから始めようと決意しました。

 水口牧師と母の信仰による行いが、私のこの世に惹かれて主との約束を破り、従うことの出来ない私を牧師として64年間奉仕できるようにしてくださったのです。ロマ書8章28節「神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の為には、凡ての事相働きて益ととなるを我らは知る」私の前に真実の信仰にいたらしめんため2人の証人を与えてくださったことを神様に感謝すると共に、行いによって信仰を示した証人水口牧師と母に感謝し私も残されて日々証しをなして行きたく願っています。