2017年3月5日
「アブラハムは神を信じた。それで彼は義とみとめられた。」と旧新約聖書が語っていることを述べました。本日は聖書には登場していない人物、信仰によって義とされた宗教改革者マルチン・ルターを取り上げます。
彼は1483年鉱山業を営む、ハンス・ルターの次男として出生。父は鉱夫から身をおこし上昇志向深く、炭鉱主になった。子供達にも上を目指すよう常に要求していました。マルチンは父の願いにそって勉学に励み、1501年父の希望通りなるべくエアフルト大学に入学、哲学を学びエリトコースに乗るように見えた。父の望みは彼が法律家になることでしたのでロースクル法学校に入った。1505年家から大学に向う途中、草原で激しい雷雨に打たれ、神様に助けを求め修道士になることを誓った。彼は両親の反対にあったが大学を離れエアフルトのアウグスチヌス修道会に入った。
修道生活の中で聖書を深く読むようになり、自分の弱く小さな人間であることを自覚しました。彼は熱心に修道生活を送り祈りをささげても平安が得られず悩みの中にありました。エルフルトで神学・哲学を教えていたが、出来たばかりのウイッテンブルク大学に移って哲学と神学・聖書を教えました。彼を離れない悩みは学問・理性では神を知ることが困難であることの理解しました。
ルターの心を捉えて離さなかったのは『神の義』の思想でした。いくら禁欲的な生活をして罪を犯さないよう努力しできるだけの善功を行なったとしても、神の前で義である正しいと確実に言うことが出来ない自分を見たのです。そのとき突如、光を受けたように聖書が述べる信仰によってのみ義とされる。あのハバクク2章4節・ローマ1章17節ガラテヤ3章6節『義人は信仰によって生くべし』『正しい者は信仰によって生きる』人間を義とするのは神の恵みであるとの知り信じたのです。
ルターは新しい光にあって福音・聖書を読み直す事によって、人間は義とされることを信じました。『正しいものは信仰によって生きる』かってあれほど彼を苦しめた『神の義』を見直したことによって神による平安をうることが出来たのです。
そのときイタリヤの金融業メヂイチ家の番頭テェチェルがサン・ペェトロ大聖堂建設献金として免罪符を大々的に売り込んでいました。ドイツの大衆は彼の献金箱に金貨がチャリンと音を立てた瞬間魂は天国にはいるとの弁舌さわやかに説く言葉に、民衆は大金を叩いていた。ルターはそれに反対して人間が善功によって神に義とされるという発想は間違いであるとしました。
彼は大学でガラテヤ書の講義が終った直後、1517年10月31日、95ヵ条の論題を発表して、ここに宗教改革の幕が切って落とされました。丁度そのときグーテンベルクが鋳型によって活字を鋳造し活版印刷を考案しました。最初の作品がルター訳42行聖書でした。それまではラテン語の聖書でしたので一般の人は聖書を読むことが出来ませんでした。ドイツ語での聖書を一般の人々が読めるようになったので、ルターの「信仰によってのみ人は神に義と認められる」ことを大衆は知りました。
プロテスタントの聖書による信仰がその中心となり現在に至ったのです。律法によらず信仰によった神から与えられる恵みはアブラハムの生涯だけでなく、神を信じる者すべて与えられることをルターは聖書を通して自分の経験によって証ししたのです。