説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年2月4日
パウロが聖霊に導かれて書いたローマの信徒への手紙・ガラテヤの信徒への手紙は、私が主イエス様との出会い、そして十字架の救い。2回目の回心聖めの経験をしたのもこの二つの手紙によります。ローマ書1章17「義人は信仰によって生くべし」ガラテヤ2章16節「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました」私はイエス様をキリストと信じる信仰によって救われ聖められたのです。聖められたとは愛に満たされた事です。新しく再創造された者をいいます。
使徒パウロは、キリストの弟子の中で最大の人でした。教会とキリスト者はガラテヤ書でいつもその信仰生活の方向を正されてきました。マルチン・ルターは宗教改革の時にこの手紙を「自分の妻」とまで言ったと言われています。信仰の正しい方向を示しているからです。
パウロの信仰・神学の深さは、一部の人にキリスト教と言うよりパウロ教と言われるほどでした。旧約の素養の上に立ってイエス様がキリストであることを、信じ証し続けたのが彼の書簡です。彼はキリストの生前には直接師事した事はありません。彼は長い間キリストを信じるどころか、1章13~14節キリスト者と教会は旧約聖書に違反しているやからであると迫害しました。この迫害者サウロがキリスト者になった出来事が 使徒9章1~22節に記されています。
迫害者サウロがキリストの使徒となった証を22章ヘブル語で行なっています。「兄弟達、父たちよ、今申し上げる私の弁明を聞いていただきたい」パウロが、ヘブル語でこう語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこで彼は言葉をついで言った、「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、厳しい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛り上げて獄に投じ、彼等を死に至らせた。この事は、大祭司も長老達一同も、証明するところである。さらに私は、この人達からダマスコの同志たちにあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰する為、出かけて行った。
旅を続けてダマスコの近くに来た時に、真昼頃,突然、強い光が天から私を巡り照した。わたしは地に倒れた。そして『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。これに対して私は『主よ、あなたはどなたですか』といった。すると、その声が『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。わたしと一緒いた者たちは、その光を見たが、私に語りかけた声は聞かなかった。私が『主よ、私は何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起き上がってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、全てそこで告げられるであろう』私は、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。
すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、私の側に立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。その瞬間に(うろこのようなものが落ちて)、私の目が開いて、彼の姿が見えた。彼は言った『私達の先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。それはあなたが見聞きした事につき、全ての人に対して彼の証人になるためである。そこで今、何のためらうことがあろうか。すぐ立って、み名を唱えてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落としなさい』」
主が私に言われた、『行きなさい。私が、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』この様な経験を通って迫害者サウロが使徒パウロとして異邦人伝道から当時知られていた世界にキリスト教を広げ、現在の世界の隅々まで福音が述べ伝えられる切っ掛けを作ったのです。そればかりかガマリエルに教えられた旧約聖書の知識と教養によって、復活までの主のご活動を生前の主に接した弟子達から教えられ、その上聖霊の導きにより、キリストに関する教えを整理したのが彼の手紙です。それは新約聖書の大部分を占め学者の一部をしてキリスト教と言うよりパウロ教とまで言わしめました。しかし彼の証しは復活の主との出会いによって迫害者サウロが主の弟子パウロになったことを語り続けています。
ガラテヤ書は信仰とキリスト者の自由について書かれたものです。律法主義者の掟に縛られた奴隷から十字架によってその奴隷から自由なキリスト者となった自分の経験から、証しした書簡です。私はこのパウロの経験を追体験した者です。